++現場日誌++

2017. 3. 26. Sun 現場の思い出
2017. 3. 25. Sat 工場の実験デッキ2017
2017. 3. 24. Fri 3/17の解体から始まった現場。
2017. 3. 23. Thu 女性語、男性語。
2017. 3. 22. Wed もう8年経つ。
2017. 3. 21. Tue レガシー、生もの。
2017. 3. 20. Mon 持ち帰ってきた解体ゴミ処分。
2017年 3月
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  2017. 3. 26. Sun
      現場の思い出
  
デジカメでとった写真を、ハードディスクに整理せずに、西暦の年ごとに、ファイリングしてぶっこんであった。 
 
整理しようと日付みると2003年となっていて、そうかU君、もうこの時で5〜6年やってたことになる。 
 
おっ!カメラマンが作業を写している。これは、どこかのメーカーのHPか、雑誌用の取材だったんだろうか? 
 
全然思い出せないが、この写真を撮ったのは、間違いなく自分である。 
 
へえ、そんなこともあったのか?と、思い出せないが、感慨にふける。 
 
ステン釘打ってる真似だな・・・。もう出来てるもの。 
 
と、つまらないとこを見ている自分がいる。マンションのフェンス工事だな? 
 
この時からでも、もう14年経った。 
 
 
 
 
 
 
  

 

 
  2017. 3. 25. Sat
      工場の実験デッキ2017
  
3月中ごろ、静岡県湖西市の工場に、入社してきたK君と、体験勉強のため行かしている。勝手知りたるU君が先輩として、教育係りとして帯同した。 
 
K君は営業と言うことではあるが、うちの全てを知ってもらいたいと思い、U君指導のもとに、ずっと現場の手伝いをさせつつ、体で覚えてもらっている。 
 
仕事の根本を知らなくて、実際に木材の加工・改質を知らなくては、全てが”講釈師、見てきたようなうそをつき”という具合になってはまずかろう。と思うからだ。 
 
育ってきた後輩が、教えてくれるのがどう考えても素直だと思った。 
 
自分自身に、昔の運動部のような感覚があるのかと思う。教えた後輩が、またその後輩を育てる。という循環。 
 
 
自分自身、工場で体験し、休みに実験したり、木材保存の勉強をしてたのがとても役に立ってる。 
 
体験は、現象と原因を瞬間的につなげてくれるような思いが有る。 
 
2008年に、U君とシンゴがLBウッドのプロトタイプでのデッキを作ったが、毎年1〜2回、変化を見ている。 
 
気が付くと9年。 
 
デッキを数多く見てくると、残存耐久性も、なんとなくわかるように思う。 
 
切断した木口での撥水は、殆ど9年前と変わらないようだ。 
 
UVが届かぬため、重なり部分の水の滞留による腐朽促進は、シリコンの残存で進まない。 
 
腐朽しやすい部分は、主としてこういう見えない部分に偏在する。そこに、UVだの、波長の低い可視光線の入る確率は極めて低い、ゆえに当初の仮定通りの現象が見える。 
 
  

 

 
  2017. 3. 24. Fri
      3/17の解体から始まった現場。
  
早朝6時出発が、連休を挟んで続く。 
毎日、現場状況を画像で送ってくれるが、ここ20年、毎朝ちょっとしたミーティングをやる、昨日もまだ先がみえてこない・・・とU君の話だった。 
 
二階、三階にデッキを作り、白のファインウレタン塗装の下塗りは土場でやってあるものの、最後に塗装を完全にしなくてはならない、ところまで行く。 
 
僕らは、どこかの国のように、まず(先軍主義)のような言い回しをするとすれば、 
(先工主義・・工事に重要性を傾斜させる)という方法でやってきた。 
 
工事を、あるいはLBウッドという木材はどう言う過程から考えたか、を知ることが最重要と思っている。 
 
営業ばかりうまくても、施工が下手っていうと・・・恥ずかしい。 
 
なんか、スポーツの煽り映像で、(スゲー!)と思ったら、あっけなく負けるようなイメージにつながるようで。
  

 

 
  2017. 3. 23. Thu
      女性語、男性語。
  
小津安二郎の映画をみてると、時々、登場する女性が話す言葉が、いかにも昔の女性の言い回しで、ちょっとした違和感を感じつつ・・。 
 
現代では、女性語、男性語の差がほとんどなくなっていることに気が付く。 
(わたし)(僕)位が残っているぐらいか? 
 
上京した時、東京では男も、”・・・したの?”と、この”の”と言う言葉がなかなか女性っぽくて使うに抵抗が有ったものだ。 
 
こんなことを、思い返したのは、女房のとこに、女子美の同窓会100周年ということで、 
会報に、100年のまなざしから・・・と題して、OBやら、昔の会報をトピック的に載せてあるものを読んだ時に思った。 
二代目校長 佐藤志津氏((てよだわ式の言葉)より 1917年会報) 
 
”この間、おとしよりが、私に向かってこんなことをしみじみと お話しになりました。 
(この頃の、若い者の言葉はとんとわかりません。ああしてよ、こうだわ、しらなくってよ、というように申すのだそうでございました。 
奥様の御学校などでは、定めし、お厳しゅう、おいましめ遊ばすのでいらっしゃいましょうね)と”・・旧かなづかい/直し 
 
一つ目は、時代とともに言葉も変化するし、言葉に性差もなくなってくるのだろうか?ということ。 
 
二つ目は、いつの時代も、変わって行くものに対しての批判はあるなあ、と自分自身も苦笑を禁じ得ない図式、あるなあと。 
 
テレビなど、(おねえ言葉)に、性を際立たせる効果をみてしまう。 
 
こうして100年前の二代目校長、佐藤志津氏の文も資料的価値がでてくる。 
 
(佐藤志津氏とは https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%BF%97%E6%B4%A5) 
 
  


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