++現場日誌++

2010. 3. 11. Thu まず、鉄骨が建った。
2010. 3. 10. Wed いい勉強。
2010. 3. 09. Tue ゲーム。
2010. 3. 08. Mon 塗ったみたいにきれいに変色するようにな....
2010. 3. 07. Sun 書くほどのことでもないけれど。
2010. 3. 06. Sat ナンシー関・リターンズ〜世界文化社
2010. 3. 05. Fri 種明かし
2010年 3月
SunMonTueWedThu FriSat
- 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
- - -

 

 
  2010. 3. 11. Thu
      まず、鉄骨が建った。
   クリックで拡大表示 ( JPEG / 112.6KB / 600×800 )
鉄骨の高低を決めるのがいつも、ポイントになる。土間コンがどこまでくるのか、今回は絡みのエクステリアの業者さんが、墨を打ってくれていたのでわかりやすかった。 
 
工程にも、野球でよく言う”必勝リレー””勝利の方程式”見たいのが、なんとなくだけど、存在する。 
この場合勝利というのは、設計で予想した通りうまく、いろんな方向からみても、整合性がある。ということを意味する。 
 
で、ここまでこうして、次はこうして、天気の場合はこうやって・・・。と、論理的に詰めるのだ。 
 
昨日は、鉄骨がまず建った。 
 
理論通りに進んでいる。・・・・こうして、午後3時くらいまでは、自分の運命もきれいにトレースされた、直線のような時間を過ごした。 
 
別の現場に向かった時、狭い道で、右折した。 
左を見るとパトカーだ。(俺?違反してないよな。びっくりするじゃん。パトカーは苦手だ。) 
暫く、パトカーを後ろに従えて、交差点まで来た。 
 
と、突然、”前の横浜ナンバーxxxxの運転手さん、交差点抜けたら止まってください!” 
 
(え〜っ!俺〜?) 
 
止めて待機してたら、”なぜ、呼び止めたかわかりますか・・。・・・免許証の住所変わってませんね・・・。” 
 
どっと、疲労した。 
 
また、免許証を警察で貰うという夢。破れたり! 
ゴールド免許なんて、ミラクル・ドライバーしかもらえないと思った。 
 
死ぬまで、または免許を召し上げられるまで、永遠に(違反者講習に)出続けるのだろう。 
 
空は晴れてるのに、気持ちは真っ暗。 
TAMO2の現場までは、幸福感に浸ってたのだが、そのあとは、降伏感にひたるという日。(おやじギャグと言うだけでなく、本心からもそう思う)
  

 

 
  2010. 3. 10. Wed
      いい勉強。
   クリックで拡大表示 ( JPEG / 73.0KB / 844×633 ) クリックで拡大表示 ( JPEG / 75.5KB / 844×633 )
仕事につながることがなかった現場だが、印象的な現場であった。なにが印象的か?というと、木材の腐り方である。何年か前のしゃしんだ 
 
だいぶ年月は経っていたし、木材も、そんなに耐久性が劣るようなものでもなかったが、腐り方に特徴があった。 
 
鉢の置いた部分が、跡がついたように腐朽したという意外と、よくある例である。 
ウッドデッキに植物はよく似合う。(富士には月見草がよく似合う。)と言った太宰の言葉に近い感慨を持つが。 
 
でも、ほんのちょっとした、使い方への注意が、耐久性の強弱を決めることがある。 
これは、いい他山の石だった。 
 
ウッドデッキを勧めるとき、いいことばかり話しては嘘になるだろう。 
欠点も話して、ではそれにどう対処するか? 
 
ここが、大事な部分である。 
 
それを、見続けているうちに、年月がたった。経験も増えてきた。 
対処方法も少しずつわかってきた気がする。 
 
あくまでも、気がする。ということで、多少、正解じみたことも言えそうではある。 
原理はなにか?なぜ、こうなったのか? 
メカニズムに肉薄しないと、得るものはなにもない。 
 
無駄みたいな積み重ねが、身につく知識。こう思っているわけである。
  

 

 
  2010. 3. 9. Tue
      ゲーム。
  
今頃、こんなことを言ってるようでは、(化石)のようだけれど、家の中、個人の手元にゲームが降りてきたのは、ある意味、時代の変わり目だったのかもしれない。 
 
僕たちが、学生時代が、今でいえばシューティング・ゲームであるインベーダー、その前に、ブロック・崩し、同じころサーカス・サーカス、ちょっと後にギャラクシアンがはやった、ゲーム草創期のころだった。今思えば。 
 
百円玉を持って、喫茶店に通った世代だ。 
 
(こんなゲームがもっと身近にないか、身近になってくれ)と思った世代だろう。 
 
皮肉なことに、それは自分の長女が生まれてからだった。 
 
ファミコンは、テレビが見られなくなるからと拒否した。ゲームボーイなら、いいか。と子供にやらせていたし、自分もやってみたりした。 
 
大人になって行くというのは、何べんも繰り返した行動が、頼りで、新しいものに免疫が、悪い意味で強く、つまり、面倒になってくばかりのゲームについていけなくなってくのだ。 
 
子供が、勉強もしないでゲームばっかやってる。勉強は全くできない。 
そんな状態にぶち切れ、ある日、子供の前で、ゲームボーイを真っ二つに割った。 
ソフトも、真っ二つ・・・には、強くて割れなかった。 
 
長女は泣く。自分は、もうゲームはやめろ。と怒髪天を突くというたとえあるごとく、怒りまくった。 
 
長女は、その後、友達のうちでファミコンをやらせてもらったり、陰でゲームのキャラクターをマネして書いたりしてたようだ。 
(僕には、痕跡すら見せなかった。) 
 
それから、ずーっと時代が下り、去年、次女が、学校であるメーカーのゲーム講座のパンフレットを持ってきて、長女に渡した。 
 
長女は渡りに船とばかりに、講座に申し込み、この無料講座に運よく選抜してもらった。 
 
キャラクターを描く担当になった。 
 
ゲームは、プログラミング、音響、ストーリーなどなどが分業でそれぞれが作ったものを、合わせて作り上げることを、半年以上やってた長女の作業をみて知った。 
 
ゲームについて、仲間と話し合う、といったことで、仲間通しのいわゆる(苦楽を共にした。同じ釜の飯ならぬおなじゲームを作り上げる仲間として)仲間意識が高まり、これが、人生においての財産になったのかと思った。 
 
出来上がったゲームを見せてもらったが、元がインベーダー、ギャラクシアンから進歩がないおやじだから、すぐ飽きて、苦労して作った長女のちょっと失望した顔がわかる。 
 
誉める言葉すら見つからない。言ってもウソ臭いし。 
 
”いいんじゃないの?” 
精一杯の誉め言葉だと自分では思ってる。 
 
作品より、仲間がゲームを通じてできたことへの、評価が僕には高い。 
 
これは、誉める言葉はいらない。と勝手にそう思う。
  

 

 
  2010. 3. 8. Mon
      塗ったみたいにきれいに変色するようになった。
   クリックで拡大表示 ( JPEG / 116.0KB / 800×600 )
忘れもしない、2003年。浜名湖の花博で出品するあるメーカーの下請けで、その社のテーマに沿ったウッドデッキを考えていた。 
 
短期、(6か月)の期間が公開だったものだから、うちの良さをどこで出したらいいのだろう、どこで協力できるのだろうと考えた。 
 
結局、木材への色だしで個性的なものを考えだす、家とつながった(普通、こうしたシチュエーションはないのだが、)サッシもなくつながったデッキへの施工上のちょっとした工夫、木材の製材方法による寸法対応力、天然乾燥の方法、4点で、少し変えた。 
 
色だしは、ホントに様々試してみたし、研究機関に分析もして頂いた。それが、有り難いことにいまでも、たまにお付き合いさせてもらっている。 
 
で、色だしは、偶然見つけたものだが、最初はある食品の粉末を見つけるのに、苦労し、使いだしてからは、 
変色過程がどう現れてくるか苦労した。 
 
塗装と違って、気まぐれに変色過程が行われてくる。 
 
良い色だったり、もうちょっと濃くならないか?と思ったり、何が影響してるのか? 
錯イオンにより、変色するという原理は教えて頂いていたが、ここ最近の色づきは、良い方でびっくりする。 
 
まじめな話、工場へ、(最近、色を混ぜてぬっとらん?)と冗談で言うくらい。 
考え出して、これを入れろ、あれをこうして、と言ってた自分も、これが分からない。 
 
でも現実は、色づきはきれいだ。 
 
  


>> 過去の日記へ



| 携帯用 | | RSS | | 検索 | | Home |

++ Powered By 21style ++