2008. 11. 14. Fri 坊ちゃん
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漱石文学全集(二)立派な装丁で、昭和45年出版当時でさえ一冊2200円の豪華版である。ページの左上にある筆跡は、死んだ父親のもの。サインの下にAug30、1970とある。発行されたその日に届いたようだ。全巻揃ってるから、きっと馴染みの本屋さんに頼んだに違いない。 亡父の書架からこの一冊を取り出したのは、久し振りに「坊ちゃん」を読み直してみたくなったから・・。 「本文の表記は、底本通り旧漢字、歴史的仮名遣いとし、すべて歴史的仮名遣いによる振り仮名を付した」とある通り、今どきの本にはない明治の匂いが漂う。 四国の中学校に赴任した坊ちゃんが、学校に慣れる数日の間に近くの温泉に出向く話がでてくるが、ここにも明治が大胡坐をかいている。曰く、『・・四日目の晩に住田と云う所へ行って団子を食った。此住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分許り、歩行いて三十分で行かれる・・』。 今どきなら、電車で10分の距離を30分で歩くことなんて到底叶わない。 時速60キロの電車は10分で10キロ。これを時速4キロの足で歩けば2時間半となる。してみると、明治の汽車はのろかったというわけだ。 この『のろい』ってことは案外大事なことだ。乗り物があまりに速ければ、歩いて暮らす生活圏と乗り物を使う行動範囲に途方もない乖離が生まれる。 例えて言えば、羽田から飛行機で福岡へ帰る息子を送る私は、車で1時間半の距離を帰宅するのだが、同じ時間で息子は福岡に着いていることになる。 50キロと1000キロが同じ時間で移動できる。それが乗り物なのである。 近い将来ロケットを使った旅客機ができると東京〜ニューヨークは2時間半とか・・。ついでに昼飯食って成田から戻る私の時間で、息子はニューヨーク。時間と距離の間に生じる違和感を、新しいものさしを作って調整しなければならないかも、と議論されたりもするようだ。 便利ではあっても、人間がこころの安定を得るにはいささか厄介である。 私が中学生だったころ、通学にD51機関車が引く列車を利用していた時期がある。自動開閉の扉があるでなく、混んだ朝はデッキにぶら下がって通ったものだが、少しも怖くなかった。落ちても死にそうな気がしないからだ。つまりはのろかった。 歩いて30分の2キロを10分で走る列車は時速12キロ。マラソンランナーのほうがはるかに速い。これなら怖くはあるまい。それが人間的な生活のものさしかもしれない。 『・・そんなに急いでどこに行く・・?』。 まだはっきりした答えを知らない。結局のところ、最後に待ってるのは死でしかないのだが・・。
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