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いらっしゃいませ〜♪
・・・・・お向かいは有名な万年筆屋。
目もくらむ「皆さんの万年筆」がたくさん店頭に並んでいて、
全国の萬年筆ファンがひっきりなしに訪れて熱い萬年筆談義を交わす
「万年筆談話室」のある「万年筆屋」さん。
此処は、その向かいにある「茶房」
向かいの万年筆屋さんから出てきた人々が息抜きに立ち寄って下さる場所でありたい。
音楽も流れていればマンガの本や難しい哲学書も置いてある。
もちろん万年筆屋の向かいだから万年筆関係の本も置いてある。
暗い奥まった席で「物書き」をしている客もいれば、窓越しに通りを眺めながら哲学にふける客もいる。
ときには、向かいの万年筆屋での興奮冷めやらぬまま万年筆談義を始める客もいる。
芸術論を戦わせる客もいるかと思えば、昔の漫画を読みふけっている客もいるし、シモネタで盛り上がって大きな笑い声も聞こえる。
そんな憩いの場所なんです。どうぞ、ごゆっくりくつろいでいってください。
初めての方も気軽にどうぞ♪  =^・^=

 
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  尾張文化論+  Sirius2014/06/12(木) 00:49 
Re:尾張文化論+  Sirius2014/06/14(土) 22:17 
  ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/06/14(土) 22:17 
    ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/06/16(月) 23:49 
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                            ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/07/20(日) 15:42 
                              ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/07/20(日) 15:42 
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                                      ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/07/23(水) 23:41 
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                                          ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/07/26(土) 23:23 
                                            ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/07/29(火) 23:20 
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                                                            ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/08/23(土) 19:26 
                                                              ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/08/23(土) 19:27 
                                                                ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/08/25(月) 22:38 
                                                                  ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/08/27(水) 23:46 
                                                                    ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/08/31(日) 00:34 
                                                                      ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/09/14(日) 16:55 
                                                                        ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/09/17(水) 00:37 
                                                                          ・Re:尾張文化論+  Sirius2014/09/25(木) 13:59 






[ 返信 引用 一覧 ]
尾張文化論+
   投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1691回)  
2014/06/12(木) 00:49
No. 4786
 
 


文明の未来には暗雲が立ち込め、此処図書談話室はいつ閉じられるともしれぬというそんな状況の最中、相変わらず萬年筆と石とゴルフの趣味の方だけは絶好調で、特にここへ来てゴルフの方にまたハマって来て仕舞って居り其の練習代だけでも下手をすると月に片手程も使って来て居るのである。

しかもそれだけじゃない。

最新ドライヴァーの方にも興味が出て来て仕舞い色々と散財する羽目になって仕舞っても居る。



http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d154517717

先日もついこんなのを落として仕舞った。

これで新品のおよそ半額の値段ではあるが何でこんな高いものをわざわざ買うのか、最新ドライヴァーなら中古ショップの方で安いのが色々と出て居る筈でしょう、或いはオークションでもそれこそ五千円位から色々とある筈じゃないですか?


いや、確かに今の私のゴルフは安上がりゴルフを目指して居る。

金をかけないで技術の方だけを磨きに磨いていくゴルフなのである。


だからコースへ出てスコアーなんぞを纏めて居る暇などはない。

兎に角練習場で球をひっぱたくのが私のゴルフなのだ。

然しそこでは必ずプロ級の、それこそ惚れ惚れするような球筋を連続して打てて居なければならない。


つまり私は練習場のプロを目指して居るんだよ。

素人さんが見るとびっくり仰天する位の球を打ち続けたいだけなのだよ。



このドライヴァーは新古品が半額で買えたのでよし、さらに打ってみてよし、クラブの仕上げのほうも良しで自分にとっては全く嬉しい買い物となった。


然し私は神経が細くそれでもって内臓が弱いのでずっと薬を飲んで居るのであるし、現代文明と常に闘い続けて来て居るので精神の方がもはやヘロヘロだ。

それでも筋力の方だけがまだ何故か若く、兎に角二十代、三十代の兄ちゃん達にもまだまだ負けて居ない程の物凄いパワーだ。

そしてこの球を打つ時だけが燃えに燃える。


私の人生でこんなに体が燃えさかって居るのはこうしてドライヴァーで球をぶっ叩いて居る時だけなのさ。


ジオテック QUELOT は今流行りの小メーカーによる低価格路線での高品質なクラブで、確か千葉県で作られて居て関東圏で人気のあるモデルのようである。

実物は大メーカーの有名モデルと遜色ない造りで、いや、むしろこちらの方が高品質な感じですらある。


あのEPONなどもそうだが、最近はマニアックなゴルファーがマスプロ商品ではない高品質なクラブを追い求めて居て、オークションなどでもそうしたクラブが大メーカーのクラブよりもずっと高く取引きされて居たりもする。

そうしたメーカーの造るクラブが真に良いものになって来て居り、逆に大メーカーのクラブにはない、或いは出来ないものを多分に持って居ることからこれらのクラブの需要が上級者を中心に組みあがって来て居るのだろう。


このあたり、実は非常に面白い話で、たとえばお茶、あれなどはたとえばサントリーの抹茶入り伊右衛門などと云われて高く売られて居たりもするが、あんなマズいお茶は我が家では全く飲まない。

缶入りのお茶ならば、静岡県へ行くと道路の際の自販機に必ず入って居る百円のお茶、あれなどは絶品であり私がこれまでに飲んだ缶入りのお茶の中では一番旨い。


要するに、本当に良いものが、大メーカーがつくるイメージ的に高級なものだけだとは言い切れない時代に入って来て居るのである。



さて、このクロトドライヴァーは楽に打てるハードなドライヴァーなのである。

つまり、ヘッドは少しおじさん寄りの仕様であるのだが、シャフトが長尺のSXシャフトなので一応はハードである。


だからいずれにしても非力な人には振り切れないクラブとなる。

ただし、我々パワーヒッターには至極簡単なクラブだったのだ。


それで、長尺でシャフトが軟らかいとパワーヒッターは困って仕舞う。

それでは球がどこへ飛んでいくか分からなくなって仕舞う。


それがたまたまオークションにSXの硬いシャフトのものが長尺で出ていたので入手してみたのである。

結論としてはこのクラブはドンピシャリと合って居た。


長尺なのでゆったりと振って楽に飛んでいくという感じなのである。

確かにプロモデル的な難しいモデルではないのですが、非常に良いヘッドとシャフトの組み合わせである。


1.ヘッドを460ccの若干シャローーセミハードーな楽なものとし、46.5インチ以上のXシャフトで長尺化をはかる。それでもってゆったり振って飛ばす。

2.この間中古ショップで安く求めたブリヂストン Xドライヴの460ccヘッドに今米ツアープロの間で流行して居る50g台XXシャフトを付けしこたま叩いて飛ばしてみる。


という飛ばしの追求を最近考えて居たところだ。

それがたまたま半額で新古品が手に入り其のクロトちゃんで現在練習場における飛ばし屋の常連の一人となって居る。

さて、お次は2.の方の追求である。

問題は、本日調べてみたところ、最新の50g台XXシャフトは何故か非常に高価だったのである。


何でか知らないが最新だとか、話題性だとか、そういうものが含まれると物は急に高騰していくものらしい。

其れがなぜなのか分からないのだし納得もできないのではあるが、兎に角其の50g台XXシャフトを何とか安く入手する方法はないものだろうか。


と、其のように何も考えず趣味の追求をして居る時の楽しさこそは人生の楽しさそのものでもあるのかもしれない。

物は生ものではなく、また合わなければ叩き売ることさえ出来る訳で、矢張りこれは随分気楽で面白いモノとの相性合わせの世界のことなのである。

其れをやって居ること自体が、色々と後腐れがなく大層楽しいということを言って居るのである。

 
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1692回)  ..2014/06/14(土) 22:17  No.4787
 


さてジオテック QUELOTは完全に秘密兵器であることが分かって来た。

コレは、はっきり言って飛ぶ。

無論高反発の、ルール非適合モデルだから飛ぶということもあろうが、それだけではない。


長尺だから飛ぶということもまたあるのだ。

実質的には47インチのドライヴァーということとなり、比べてみると他のドライヴァーよりも随分長い。


それで、当初はこれが振り切れていなかったのである。

それで非常に打ち易いクラブながら飛ばしの方はいまひとつかなとそう感じられたのであった。


ところが、である。

ところがコイツはそんなものではなかったのだ。


結局滅茶苦茶に飛ぶ。

完璧に打てれば、練習場のネットの上段に当てることさえ可能だ。

其処に当てるとなると多分実質270ヤード以上は飛んで居る筈である。

するとランを入れ280ヤードドライヴだということとなる。



このクラブ、ヘッドがオジさん仕様に近い感じなのに本当に凄い。http://yahoo.jp/box/x4MGVP


1.打感が良い。
2.打音が良い。
3.打ち易い。
4.飛距離が出る。

という百点に近いドライヴァーであった。


天白ゴルフ練習場ー名古屋市東南部では一番有名な大きな練習場だ。山の中にあり空気が頗る良い。つまり自然のさなかにある飛ばせる練習場である。ーで二十代、三十代の兄ちゃん達が、難しそうなドライヴァーでもって私の前や後ろの打席で打って居る。

ところがすぐ横の五十代の爺がネットの上段へ球を突き刺して居るのを見て彼等はわが目を疑う。

それで横からじっと私の飛ばしを観察したりして居るのだが暫くするとはっきりと負けを悟りもう二度と見なくなる。


ヘッドがオジさん仕様に近い感じだということは、要するに其れはスイートスポットが広くなって居り打ち易いということなのである。

勿論そういうクラブは今幾らでもある訳なのであるが、このQUELOTはヘッドの造りが良くそんなに軽薄には感じられないクラブなのである。


だからなのか、またはシャフトがXS仕様であるからなのか、このクラブから放つ打球は強く重厚感のある球筋となる。

だから其れがただのオジさんクラブとは違う点なのである。

試しに以前から使用して居るWORKSの軽い46インチ仕様で打ってみると、確かにこちらも打ち易いのだが兎に角球質が皆軽い。

だから打球が全部弱いのである。


軽いクラブでも、重い球質を打てるクラブこそが良いクラブなのであり、QUELOTはまさにそうした要件を備えた地クラブなのであった。


其のスペックは、


ジオテック QUELOT royal excellence14 αSPEC
シャフト:無双 XL
硬度:XS
サイズ:46,5INCH
重量:304g
バランス:D-4
ロフト:9,5度
グリップ:NO1 イチ
スパインアングル調整済み

ヘッド価格 ¥43,200
シャフト価格¥15、120
グリップ価格¥1,480


とのことで、実質47インチの長尺仕様であり、重量は軽いが実は長尺モデルとしては軽くはない、むしろハード仕様のドライヴァーということだろうと思う。

勿論XSシャフト仕様に限ればという話ではあるが。

S以下のシャフトならば、もっと軽くてずっと楽な仕様となり一般性も出て来るであろうモデルである。


55歳以上のシニアゴルファーの方には特に向いて居るヘッドである。

兎に角非常に打ち易くスイートスポットが広いから普通に振る分にはミスヒットが大変少なくなる。


だからシニアの方々にはまさにオススメのドライヴァーである。

楽に球が上がるし、強い弾道で飛んで呉れる。


方向性も勿論良い。

ただし現在私は方向性無視でひっぱたいて打って居る。


何でも良いから280ヤードは実測で飛ばすのだという魂胆でもって打つ。

実際ランを入れると280ヤード位は飛んで居ることだろう。

だから飛距離はもうほとんどプロ並みである。

だから皆驚くのである。


多分あのO先生よりも飛んで居ることだろう。



然しこの歳でここまで飛距離が伸ばせるとは思わなかったな。

ただし実質47インチの長尺はクラブが長いから振り切るパワーは勿論必要である。


方向性重視でゆったりと振るとネットに当たるか当たらないか位でおそらく実測240ヤードも飛ばない筈だが方向の安定性の方は出していける。

然しそれでは面白くないからオジさんヘッドでもプロ並の飛距離を追求していく。


何度か練習してクラブに慣れて来たので長尺でもそうしたフルパワースイングが出来るようになって来た。


それにつけても47インチの長尺は流石に飛距離の追求には有利である。

それも、それをぶん回すことによりHSを上げることが出来多分二、三十ヤードは飛距離を伸ばすことが可能な筈だ。


尚、

バランス:D-4
ロフト:9,5度

となって居るがここからもこのクラブはハードな仕様であることが分かる。

先っぽつまりヘッドが重く其のヘッドのロフトが立ち気味である。

然しロフトが立ち気味なのに楽に球が上がる。

つまり楽に打てる。

で、D-4バランスはプロ的なバランスでヘッドの重みで飛ばしていくという性格の仕様である。


あれ、待てよ。

すると、このドライヴァーのXSシャフトはひょっとして軽量シャフトではなかったか?

そうだとしたらこれはまさに大変なことだ。


これが私が望んでやまない50g台のXSシャフトなのだとすれば。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1693回)  ..2014/06/14(土) 22:17  No.4788
 


http://www.geotechgolf.com/

調べてみるとXSシャフトは何と53gの軽量X系シャフトであった。

そしてこのシャフトはXシャフトに比べると少し軟らかく撓むのでより楽に振れるのである。

このシャフトはまさに素晴らしい軽量の硬いシャフトで、オフィシャルハンディが8だと言われて居た出品者様もこのシャフトに惚れ込み新しく創るドライヴァーにコレを組み込む予定だとのことだったが、私も全くこのシャフトには惚れ込んで仕舞い兎に角自分にピッタリだという感が強い。

ちなみに無双XLシャフトには色々と長さがあり私のもののように46.5INCHも選べるようである。


元々パワーのあるシニアゴルファーの方でこれから少し楽に飛ばしたいと思って居られる方には最適の長尺秘密兵器ドライヴァーである。


ー実はQUELOT RE14 α-spec DRIVER Premium LTDという黒塗りのスペシャルモデルドライヴァーもあり、これがまあ何とも戦闘的な出で立ちでまさにシニアゴルファーの為の飛ばしのウエポンといった感じなのでコレがまた是非欲しくなって来て仕舞って居る。勿論私のものと余り変わらないモデルなので飛ぶ良いクラブである筈であろう。ただしこちらの方は頗る値段が高い。そしてこのクラブの専用シャフトにはXSのフレックスは用意されて居ないようだ。ではヘッドだけこの軍事仕様に替えるとするかだ。ー

Geotech Quelot Royal Excellence RE14 Premium HI COR LTD driver and FW
http://www.2ndgolf.com/new-golf/Geotech-Quelot-Royal-Excellence-RE14-Premium-HI-COR-LTD-driver-1916.php
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1694回)  ..2014/06/16(月) 23:49  No.4789
 


ドライヴァーでの飛ばしの追求はまだまだ続く。


リンクス マスターモデルX1 プレミアムゴールドドライバー
http://lynx-golf.jp/contents/service/presspdf/2013/XI-PG-press5P.pdf#search=

ジャ〜ン、リンクスの高級仕様飛ばしのドライヴァーが出て参りました!

何と、メーカー希望小売価格¥294,000(税込)という高所得者層向けの飛ばしのモデルである。


コイツは460ccのデカヘッドでしかもルール適合外の高反発仕様で多分飛んで呉れることだろう。

それにゴールドだ、ゴールド、金力の象徴としての其の金色を纏い、金持ちゴルファー様がまさにキンキラキンに飛ばしていけることだろう。


ワシはコレで300ヤードドライヴを目指すのだ。


何せ金があるから良い物食べて居て栄養もバッチリ摂って居るから当然パワーの方もある。

そうだ、コレで最大飛距離もワシのものじゃ、 よっしゃあ、いったるぜよー、パコーン。


あららら、おじ様はお金をあり余る程持っておみえになるのに案外HSの方が遅くってよ。


それでたったの200ヤードしか飛んで居ないじゃないの、何だこの肥満の非力オヤジめが。



まあ、然し、何とも魅力的なゴールドドライヴァーである。

万が一これが私に買えたのだとしても、とても使えないゴールドドライヴァーである。

床の間にでも飾っておくことしか出来ぬことだろう余りに美しいドライヴァーなので。



リンクス Lynx マスターモデル MB http://item.rakuten.co.jp/berrygolf/mbdriver95#ank


対してこちらは特に金満家ではなくとも手に入るモデルのようです。


しかも何とマッスルビートとな。


どうやら筋力で飛ばしていくモデルのようで、いや、そこはなかなか男らしい。


其の鍛え抜かれた筋肉の美しさ、で飛ばすとでも云うのだろうか。


そりゃ女のヘナヘナスイングなんぞよりこっちの方がやっぱし格好良い。


そうだ、男はマッスルで戦闘せよ、ゴルフの飛ばしはあくまで戦いー闘いーである。


戦いを勝ち抜いてこそドラコン王者になれるんだ。


闘いにうち勝ってこそ、天白練習場のドラコン王者になれるんだ。マッスル万歳。



新品 リンクス Lynx マスターモデル MB ヘッドのみ 10.5°HC付き
http://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t363539268

このようにヤフオクに10.5度ロフトのヘッドが出て居りました。
SLEルール適合品ということで、高反発仕様ではない訳ですが長尺化して飛ばせるクラブとすることが出来そうだ。



リンクス Lynx マスターモデル MB 和田正義モデル
http://item.rakuten.co.jp/berrygolf/mbdrivertw6#ank

しかしこの和田正義選手の背筋の美しいことったら!

それに48インチの超長尺仕様でX,XX,XXXというシャフトフレックスから選ぶだなんて全く何て男らしい選択肢なのかしら。

女子供では素振りすることさえ難しい硬くて長ーいシャフトをしならせまさに砕けんばかりに球を叩く。

これぞ男のスポーツでなくて何であろうか。


其の美しい背筋に滴る汗のさわやかさよ。


サア、頑張れ、和田、勝て、勝て、和田。-ドラコン選手権に-



和田正義選手 スイング解析 400Y超 http://www.youtube.com/watch?v=HEEJMubjvnQ


Honda GOLF ドリームレッスン > LONG DRIVE LESSON ー和田正義選手
http://www.honda.co.jp/golf/lesson/long_drive_lesson/


先程すべて視聴してみましたが素晴らしい内容のレッスンで非常に為になりました。

私もなるべく早く筋力トレーニングを行い和田選手に負けない位のパワーをつけてみたいとそう思いました。


其れから是非正しいスウィングのプレーンを確立しておかなくてはなりません。

正しい打ち方をしてこそパワーを発揮する意味もまた出てまいります。

逆に言えば正しい打ち方が出来て居ない場合はそこでパワーを発揮する意味もないということである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1698回)  ..2014/06/19(木) 23:47  No.4793
 


ワークスゴルフ(WORKS GOLF)【究極高反発】“ワイルド”マキシマックスプレミア ドライバー プレミア飛匠極シャフト仕様
http://item.rakuten.co.jp/dyna2009/10000774/


こちらはWORKSのやんちゃな仕様。


WORKSのドライヴァーはこの手の少々やんちゃ気味なクラブが多いのですが、それでももし安く入手することが出来ればシニアゴルファーには充分に役立つクラブだと私は思う。


特に非力でHSが45以下だがそれでもまだ飛ばしたいといったタイプのアベレージゴルファーには向いて居るのだと思う。


クラブが軽いので良く飛びますがただし球質は弱く打ち方にもよるが吹け上がることもある。


さて最近のドライヴァーはもう本当に凄い。


この三十年余りの間に最も進化したのはコンピューターとゴルフクラブなのである。


クラブアナリストのマーク金井氏ー私と同年代の方ーがネット上で色々と述べておられても居るのだけれど、


35年前のドライヴァー
・ヘッドは木製(体積180CC)
・長さは43インチ前後
・重さは350g前後

今どきのドライヴァー
・ヘッドはチタン(体積460CC)
・長さは45〜47インチ
・重さは280〜315g

ということとなるのである。


私たちがゴルフを始めた頃は今思えば非常に打ちにくいパーシモンヘッドのそれも小さなヘッドで、おまけに其処にはステール製の重いシャフトが付いていたからそれで球を飛ばしていくのは本当に大変だったのである。

それでも当時から飛ばす人は飛ばして居り、私もどちらかといえば明らかにそうした部類のゴルファーだった。

パーシモンヘッドでも大きめのヘッドの付いたマルマンのドライヴァーをその頃私は愛用して居て、友達数人と一緒に練習場へ行き 270Yと書かれた表示板に屡打球を当てたりして皆に驚かれていたものだった。

ー当時はゴルフがトレンディなスポーツとして人気があり良く友達が集まり皆で一緒に練習していた。なお其の270Yの表示板はインチキの飛距離で実際には実測220Y位ではなかったかと思う。ー



其のパーシモンヘッドのドライヴァーは半年位でヘッドが割れるので同じものを4、5本新調しては使って居たのである。


其のうちにメタルヘッドのドライヴァーが登場し、劇的に打ち易くなった。

然し当時のメタルヘッドは意外とハードヒッター向きで本当はそんなに簡単なクラブではなかった。


それで私は軽合金製のヘッドのドライヴァーを長く使って居た。

其れはメタルヘッド的なヘッド形状ではなくパーシモンヘッドに近い形状をした実に打ち易い良いクラブだった。


ところが今のチタンドライヴァーは兎に角非常に楽に打てる。

その頃のクラブと比べてしまえばマニュアル車とオートマチック車の違いのようなものなのである。

ところがゴルフが全部簡単になったのかと言えばそれはそうではなく依然としてゴルフは滅茶苦茶に難しいスポーツなのである。



要するに幾ら道具が進歩しているにせよスウィングが悪いと球の芯を捉えることは出来ず従って幾ら易しいクラブでも飛距離も出ないし気持ちよく打てないのである。


だからスウィングの完成、これこそがむしろゴルフのすべてなのである。

それさえ成れば、どんなクラブでもそこそこは打てて仕舞うものなのである。


私も苦節三十年、ようやく其のスウィングの完成の域に近づいて来て居る。

それで嬉しくて嬉しくて仕方がないのでこうして毎晩の様に此処でゴルフの話をしに来て居るのである。



たしかにゴルフは楽しいが、山や丘陵を丸裸にして仕舞う。だからゴルフ場の存在は地球環境にとっては良くない。

勿論そうした現実は確かにある。

でも山の中で行うことの出来るスポーツなんてゴルフだけなのですよ。


私は山が大好きなのでゴルフもまた大好きなのである。

そうした自己矛盾性を抱えつつ文明も私もこうして生きていっているのである。



尚飛ばしの追求の方は着々と進んで居ますが前回述べた280ヤードドライヴは少し誇大な表現だったようで普通は250、260ヤード、 当たって270ヤードというところが私の実質的な飛距離なのだろうと思う。

つい先日も練習場で玄人はだしの速いHSの人ー多分五十代後半位の人ーが居て、ずっと見学させて頂いたのだったがドライヴァーショットなどはまさに物凄い迫力で私よりは飛距離が上ではないかと思われた。

いや、飛距離の面では同じ位のものも出していけるかもしれないのだが、彼の場合は兎に角球質が私とは全然違う。

つまりは本当の意味でプロ球に近い球質で打っておられたのである。


嗚呼、私も是非あんな迫力を出して球を捉えてみたいものだ。

然しらくちんドライヴァーではあんな球筋は打てやしないのである。


今の長尺のドライヴァーは素晴らしいクラブなのでかなりの飛距離が期待できる。

でもあそこまでのHSで球を捉えるとなると逆に長尺では無理となるのかもしれない。


たとえば米ツアープロがやっているように逆に短尺のXの軽量シャフトにして使える分の重量をヘッドへ持っていき重ヘッドで飛ばす。


たとえばこちらにも短尺ドライヴァーはあり。

http://item.rakuten.co.jp/berrygolf/ld-007#ssdriver
http://store.shopping.yahoo.co.jp/amcgolf/dwo0161.html


あるいは500ccオーヴァーのデカヘッドのモデルで飛ばすというのも何だか面白そうだ。

http://item.rakuten.co.jp/tyokuhan/d-005/?scid=af_pc_etc&sc2id=67860646



勿論シングルゴルファーを目指して居るようなアスリートタイプのゴルファーはそうしたバカな追求は余りしていかないものなのである。


第一節操もなく飛距離だけを追求するなんてのは本当は余り上等なゴルフの追求ではなく、それは謂わばミーハー的に流されたゴルフなのである。

でも私の場合は面白いからこそそれをやって居るのだ。

ほかに面白いことが何も無いのであえて楽しんで其のバカをやって居るのである。


それと、練習場で体力を使いストレスを発散することがゴルフに於ける私の第一目的なのである。

だから健康になるべく炎天下でそれを行い、かつ最低200球位は球を打つ必要があるのだ。



さて飛ばしにも色々と方法がありそうである。

然し私は暫くの間やはり長尺ドライヴァーに拘っていきたいと思って居る。

だからそのうちに長尺で軽量のXシャフトを手に入れ、それをXドライヴのヘッドに是非組み込んでみたいのである。


はてそれでどうなりますかな?

そういうことを考えて居るだけでも何だか私はとても楽しいのである。


マーク金井ブログ長尺ドライバーで飛距離を確実に伸ばすコツとは!?
http://www.analyze2005.com/mkblogneo/?p=9551

ー大変為になる、ゴルフギアの分析が豊富なブログです。ー
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1699回)  ..2014/06/21(土) 23:58  No.4794
 


Golf ism 飛ばしに魅せられた男達 〜どこまでも遠くへ ドラコニストたちの宴〜 2/4
http://www.youtube.com/watch?v=_8kABFnfZEs

こちらでは和田 正義プロがどうしてドラコン競技を目指すプロになったのかということが語られて居て興味深かったです。

結局、ツアープロとしてやっていく為には並大抵のことではなく特別な才能が必要であるということがここからも良く分かる。

ゴルフで飯を食えるようになるには努力だけでは如何ともし難い部分もあるということなのでしょう。

然し和田プロがドラコン競技で戦える選手であり続けるのならばそれはそれで大きな価値ある挑戦でありひいては其れが自らの才能の開花でもあることだ。

人間にはそれぞれに得意な分野があるので其の部分で一花咲かせることが出来れば其れが一番良いことなのである。



尚面白いことに、この動画の終わりの方に仏教徒としてのアマチュアドラコン選手が登場します。

其の方は何ととあるお寺のご住職だとのことです。

ゆえに仏教徒ではあっても戦う時は戦い燃える時は燃えるのだ。


ドラコン競技で戦えるようなマッチョなご住職、ゴルフが好きな仏教徒が居たっておかしくはないのである。

勿論戒律を破ってそれをしているわけではないのであって、つまり仏教にとっての悪いことをして居る訳ではないのであります。


ジェイミーサドロフスキー HD ゴルフ 2011フロリダPGA
http://www.youtube.com/watch?v=3puiN6L5WNM

海外のドラコンチャンピオンの方々はまた日本人以上にHSがあり400ヤード位は簡単に飛ばして仕舞うものであるようです。


特にこの方は外国人の競技者としては体が小さい方ではあるが大変な飛ばし屋として有名なプロのようである。

だからそのレッスンも非常に為になる部分が多い。


そしてドラコン競技ではなくともアベレージゴルファーが練習場で飛ばしの方を追求していくことは常に出来るということになる。

私の場合は元々飛ぶ方の人間だがそれをさらにプロ級の飛距離にまで延ばしていこうとして居る訳です。


それで今色々とさらに飛ばすためのクラブやスゥイングの追求を行なって居るのです。

飛距離の追求という目的の為に最も合うクラブとスゥイングを追求して来て居るのである。


万年筆の方でも、色んな筆記上の目的の為に其れに合ったモデルを選んでいくので、その意味ではゴルフクラブの選択の場合と良く似ている感じも致します。

目的ごと、個性ごとに選ばれる道具は異なって来る筈なので、実はコレが絶対であるというような普遍性を持つ道具は本当は無く、結局自分にとって一番良いものは目的と個性に対して一番相性が良いものである、とも言えそうです。

ゴルフクラブの場合にもシャフトの硬軟やクラブの長さや重さ、バランスなどは個性に合っているかどうかということの重要なファクターなのでその点ではペン先の硬軟やペンの長さと重さ、バランスなどを個性に合うかどうかという基準として居る万年筆の世界と不思議に似通って居る部分があります。

さらにフェース面が鍛造金属であるか否かなどということもあり、其処は金ペン先が鍛造か否かというようなことが論じられる万年筆の世界とも矢張り良く似ておりますね。

そしてもうひとつ共通して居ることは自分に合った良い道具を選んでいく必要があり其れは簡単なようでいて実は結構難しいことであるということだ。

買ってみたらどうも自分には合って居なかったなどということも両者とも良く起こり得る話なのである。




シャフトの硬さと,飛距離の関係。
http://www.youtube.com/watch?v=rDQXz_XJx1Y

この店のご主人は硬いシャフトがまず基本的に飛ぶと云われておりますが其れは私も全く同感です。

HSの速いハードヒッターであればたとえばXシャフトを使うと良く飛ぶ筈です。


ただし其のXシャフトがもし重いものであれば、HSの速さだけではなく筋力の方も必要となって来る筈です。

いずれにせよXシャフトはアベレージゴルファーがおいそれと手が出せるようなものではない。


なぜなら硬い重いシャフトを打ちこなすには技術が必要になるんです。

ああ、そういえば古い萬年筆の柔軟なニブを扱うには筆記上の技術が必要となるから、その点でもこの二つの世界は一種似て居るのです。

もっともペンの場合は軽い長い軸で柔軟な金ペン付きのペンこそがなかなか書くのが難しいのですが。



ロングアイアンを練習するとどうなるか?
http://www.youtube.com/watch?v=83MD0RINiw4

尚、このショップのご主人は世間の趨勢とは逆のことを云うー然し一方では其れこそがゴルフに於ける真実でもある。ーという部分があり全く面白いゴルフ理論をお持ちの方です。


現在、プロは安全策をとる上から、またアマチュアゴルファーはロングアイアンが難しくて打てないからという理由でほとんど使わなくなって来て居ます。

然しかっては倉本昌宏プロのようにロングアイアンの得意なプロも結構居られたのです。


然し今のミスに寛容なドライヴァーの方が非常に簡単に打てるものとなったのでロングアイアンのようなミスに不寛容な部分から来るクラブとしての神経質さ、難しさは敬遠されて仕舞い今後はますます其の傾向は助長されていくことであろう。

然しこの店主の方はあえて其の難しいロングアイアンを使って練習すると技術が磨かれるというようなことを言って居られます。


いや、それは全くの正論で、現在の軽薄短小化しつつある現行クラブに対する大きな疑問の投げかけの部分でもある。


つまり楽でオートマチックに打てるクラブに慣れると技術は逆に落ちていって仕舞います。

ところが二年前までの私のように超ハードな難しいクラブを使っていた頃は今よりも数段良いスゥイングをしていた筈である。ーちなみに私はロングアイアンを打つことが元々得意です。ー

実際最近かってのドライヴァーが振り切れなくなりそれがなぜだろうといつも思って居たのだったが結局はそういうことでつまりは技術の方が下がったのである。


だからプロの間でも、三十年前のプロは今のプロよりもある意味ではもっと上の技術を持ちその高い技術でもって球を捉えていたという可能性も高い。

このように技術の進歩というものは一面だけは捉えきれず難しい問題を孕んでいる場合もある。


ああそういえば現代の万年筆も明らかに楽に筆記出来るという方向に進化して来て居るのではないでしょうか。

しかし、其処でオートマチックに楽すぎると、昔の萬年筆の持っていたところでのペン先が醸し出す線の表情を出す技術が必要でなくなりつまらないものになっていくのではないか。


ゴルフオオイ
http://golf-ohi.com/shop.html

ちなみに動画の店主の方はこちらのご主人のようです。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1700回)  ..2014/06/24(火) 06:23  No.4795
 


重いヘッドと長尺は?
http://mycaddie.jp/qanda6.php?QID=1736


ここにもあるようにドライヴァーショットでの飛距離追求の為の理想の要件とは1.シャフトを長尺化する2.ヘッドを重くする、ということに尽きて居る。

シャフトを長尺化するとスウィングの弧が大きくなりHSが増すことが分かっており、またヘッドを重量化するとインパクトに於けるエネルギーが増すので球を遠くへ飛ばすことが出来る。


ところがこの二項の組み合わせは理想ではあるが実は可成に難しい。

なぜならシャフトを長尺化するとゴルファーには負担がかかり、またヘッドを重くすることもゴルファーに負担をかけることとなるのである。


だから余程パワーのあるゴルファーでないとこの理想の組み合わせの実現は難しいということになるのである。


ただしごく最近はシャフトが長尺化されており尚且つヘッドを重くしたタイプの飛距離追求の為のクラブが注目されて来ているようだ。

然しながらそのタイプのクラブはまだほとんど市販化されるには至って居ない。



シャフトの長尺化と重量ヘッドの組み合わせが無理であるなら、シャフトの短尺化と重量ヘッドの組み合わせならば可能だろうという訳でPGAツアーの一部のプロはそのような組み合わせでしかも軽量の硬い短尺シャフトを使うことで重量ヘッド化したクラブでもって300Y飛ばすことへの挑戦を続けて来て居るのである。


其の背景にはPGAツアーで行われるトーナメントに使用されるコースの距離が長くなって居るということがある。

トーナメントプロの飛距離が軒並み伸びて来て居るので、ゴルフコースの方の距離自体を長くせざるを得なくなって来て居るのである。



日本のゴルフコースの場合は其処まで距離は長くなって居ないのだがそれでも今後は長くなっていかざるを得ないことだろう。


そうなるものとすれば、我々アマチュアのゴルファーでも当然飛距離の方が要求されて来ることとなる。


だから将来はむしろ飛距離追求こそが大事なこととなって来る。

ゴルフは飛距離じゃない、なんていうことを言って居たら通用しない時代がすぐそこまで来て居る。


つまり、特に今後はゴルフは飛距離でもあるのである。

飛距離の追求ということは其れが即欲望の解放ということではなく技術の向上を目指していく職人技的なものなのである。


欲望と云えば確かにゴルフ自体が欲望の解放ながら、こと飛ばすということに於いてはより完璧に打ちたいということでもある訳だ。

どうせ環境破壊を行う罪なスポーツであるゴルフをするのであれば、技を極め道具を追求し完璧な位置に自らの技を高めていくという全くのゴルフ道で行き適当な遊びなどでは無論ないのである。


だから私は趣味だって何でもそういう風に捉えて来て居るのである。

万年筆ならば万年筆道、ゴルフならゴルフ道、石は自然物なので少し違うがそれでも石道楽の道のようなものが其処にはほの見えて来たりもするものである。


だから其れ等はただの遊びとは違うんである。

全部真剣勝負だ。


その代わりに世間の人々が真剣なことに対して余り熱心ではないということも私には多い。




クラブが自分のスイングを磨いてくれる
http://www.youtube.com/watch?v=9I06DzSDfYM


調子が悪いのでクラブを換える、はお勧めできません。
http://www.youtube.com/watch?v=fSjMxiWYwIw


さてこの動画からもこの方はいつも正論を吐かれて居て現在のゴルフ界の常識とは逆のことをむしろ云って居られるのである。

私も以前に述べておりましたが、今流行りの楽チンクラブは基本的に自分の技術を磨いては呉れないものなのであり、其れは多分万年筆の方でも一緒、現行の万年筆は楽に書けすぎるものが多くて、それで余計に日本人の日本語の書写技術が停滞するかまたは退化していくようなことになって来て居るのだろう。


また私は万年筆の方で楽に書ける21Kのセーラーの方よりも楽には書けない14Kのプラチナの方が本質的に良い部分さえ持って居る、筆記マニアの方々は何でそんなことに気付かないのだ、というようなことをずっと述べ続けて来たのであります。

要するに其の現実としての出口、外面でのことに囚われて仕舞うと物事の本質的な価値、内在されて居る本当の良い性質のことが見えなくなって来て仕舞う。


それから、所謂権威主義というような万年筆の特定のブランドに対する盲信、過信ということにも是非気を付けるべきなのである。



そしてこの二つの動画で店主の方が述べられて居ることは、ゴルフスウィングに於ける技術論なのではなく精神論なのである。

其の精神論の方がまず大事なのである。技術論はその後からでも良いのである。



それで、私は万年筆の方の物語でずっと精神論の方を展開して来たつもりなのである。

だからゴルフスウィングに於いてもこうした精神論を非常に大事なことだと思って居る。


然し人間というものは周りから影響を受けていつのまにか楽な方へ楽な方へと流されて行きやすいものなのである。

楽がなぜいけないかという段になれば、それは要するに上で語られて居るが如くに其処で技術が磨かれることが無くなって仕舞うからそれは宜しくないこととなるのである。


尚現代文明の所産のモノというものは大抵の場合そういうことになって居る。

其れ等はより便利でより速く、よりカンタンなものとなっていくのだが所謂味の部分が見えなくなるか失われていって仕舞うのである。

その味とは、造り手と使う側の技術の磨きあいのような部分にこそ存していた訳で、そういうのが見えなくなるとかってはモノの世界にも存して居ただろう精神性の部分も見えなくなりただ即物的に大量生産される道具と浅く付き合っていくことしか出来なくなる。


であるからゆえにスウィングや書写の技術を磨くということは大事なことなのである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1702回)  ..2014/06/29(日) 23:26  No.4797
 


クラブとスイングの関係
http://www.youtube.com/watch?v=x8-DjovypmM
またもやこのご主人は正論を述べておられる。

どういうことかというと、かっては難しいクラブを使って居たが今風の簡単なクラブの方が楽に打てるゆえそれで長く打って居ると実は技術の方が段々下がって行って仕舞う。

実際に私は今ミズノプロ2000という超ハードスペックである軟鉄鍛造アイアンがもはや打てなくなって来て仕舞った。

それは何を意味するのか?

即ち技量が落ちたということを意味するのである。


つまり今風の460ccのデカヘッドで芯の広いチタンドライヴァーは易しく打てる訳だが、ここ二年程は其れ等ばかりを打って来て居るこの私には難しいクラブを打つことがもはやしんどいのである。

勿論また元の状態に戻していくことも出来る。

だがそうすると其の難しいアイアンセットに組み合わせるチタンドライヴァーは今よりはずっとハードなそして重いクラブとなり、其れでもって今程の飛距離が得られるかと言えば其れは無理なこととなるのだろう。


ということは、アイアンのセットの方をもう少し楽に打てるもので新調して行くほかは無いのである。

それではお金がかかるということは別として、確かにキャビティタイプの軟鉄鍛造アイアンには元々興味がある。

値段の方も今は新品にせよ、ヤフオクにせよ、中古ショップにせよ昔に比べれば随分安くなって来て居る。

私のプロ2000アイアンなどは二千年当時27万円位はした高級品であった。



ちなみに其のプロ2000アイアンの元のアイアンであるTN-87が伝説の名器のアイアンとしてこのほど復刻発売されるのだそうである。


伝説の名器が蘇る ミズノプロTN-87 復刻モデル
http://www.golfersland.net/tn-87/

ちなみに私はこのアイアンでゴルフを覚えたのだ。

コレを二十年位は使った。

そしてまだ持って居るのである。

プロモデルとしては案外打ち易い素晴らしいアイアンなのだが、無論今のクラブと比較して仕舞えば矢張りどうしても難しいクラブとなって仕舞う。

それでもこうしてあえて復刻発売される程に尊敬されて居りかつ需要のあるアイアンなのだろう。


尚プロ2000アイアンの方はTN-87のよりハードな仕様であると考えると分かり易いことだろう。

特に私にものはシャフトが重いのでハードである。


だから簡単に打てるクラブばかり使って居ると実は何かが失われるか損なわれることとなって仕舞い、ゴルフに於いては其れが技術であるということになるのだ。


簡単に書ける万年筆や簡単に何でも出来るようになった生活からもひょっとすると色んな技術や精神が失われたり損なわれていくのかもしれないな。


そう云えば昔の打ちにくいクラブはまるでややこしい精神のカタマリのようなもので、つまりは元々難しいクラブだったので体力だけではなく念力でもって飛ばしていたようなものだった。

それにあの古いEDのL.E.Watermanなど使って居るとまあ其の筆記感たるや物凄く渋くて其処からはまるで万年筆に於ける精神論を叩き込まれて居るような感じがすることも屡である。


だからモノの精神?のようなものが堕落していくと物はより見かけ上の性能は上がりより速くなったりより楽に扱えるようになるものなのだが、それと共に元来あった筈のキビしい精神性のようなものは失われていく。

またそれと共に、モノの使い手の方の技量も落ちて行くのだししかも其の事に気がつかないということにも陥りやすい。



だから道具はある程度本格性があって、そして少し難しい位のものを選んでいった方がより自分の技量を上げていくことが出来る訳だ。

そして其の事はどんなモノに於いてもおそらくは云えることなのだろう。



アイアン職人の町 世界が認める いちかわ鍛造アイアン
http://www.youtube.com/watch?v=4wgYfNE48w8

軟鉄のキャビティタイプのアイアンは、こんなものさえあるのである。

地元のもののことは少しだけ聞いてはいたが、兵庫県にこんな町があって、其処ではこんなに鍛造アイアンが造られて居るなんてことは全然知らなかった。

結局、こうした職人が造るアイアンはおそらくとても良いものなのだろう。


其れ等は一本一本を個性化させることが出来、しかも鍛造という本質的に良い製法で造られるクラブであるのだから悪かろう筈はないのである。


市川町商工会
http://www.ichikawa-hyogo.jp/golf/knowing.html


姫路軟鉄鍛造キャビティアイアン
http://item.rakuten.co.jp/kyowagolf-file/10000129/

たとえばこれなどは手頃なお値段で結構良さそうだ。


ゴルフクラブでも万年筆でも、矢張り職人が手間暇かけてつくったものにはそれなりの良さがあるものなのである。

また本当に古い萬年筆などはたとえ大量生産の品ではあってもそうした職人技的な部分がどこかしこに残って居たりもするものなのだ。

だから古典の萬年筆は手作り万年筆に似た部分がある。


そしてそうした万年筆の魅力と同じ位魅力的にこうした職人が造るクラブは感じられるのである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1703回)  ..2014/07/03(木) 23:44  No.4798
 


ミズノプロ TN‐87 復刻モデル(完全予約受注品)
伝説の名器が、蘇る。ミズノプロ TN-87 復刻モデル。 \ 410,400 (本体\ 380,000)
http://products.mizuno.jp/c/item/5KJSD60610/040002004

此れは、然しながら高い。高価過ぎる。


さてたかが趣味、されど趣味などと良く云われるが如くに、たとえ趣味の道であっても其れを極めんとすること程シンドイこともまた無いのである。


たとえば万年筆の追求でもゴルフの追求でもやっぱりしんどい。

本気になればなる程其れは大変なのである。


また趣味に限らず仕事でも学問でもその他の何でも本気になればなる程矢張り大変である。

本気になって万年筆を追求されて来て居る方々、アナタ方はやはり相当に大変であったことだろう。

でも私は至極適当なので全然大変では無かった。

何でも真剣勝負だ、とか何とか言いながら本当の本当は物質の世界なんぞ大して重要ではない位に思って居るので実はさほどでもない。

ただ、何でも追求すればする程に深みの面が見えて来て其れはどうしてもそういうことになって居るのだろう。

其処まで到達した人だけが感じられるようなそんな境地というものは確かにあるのだろう。


私も万年筆の方は三十年追求して参りました。ーただしコレクター歴が三十年ということであり、使用歴は四十年ということとなる。ー、
そしてゴルフの方も丁度追求が三十年程になり、其処で思うに、よくもまあ、よりによってそんな金のかかる追求を飽きもせずに続けてこられたものだなあ、これから先は色々と苦労することがあることだろうが、其の点だけは本当に良かったなあ、色々と観念の方で苦しかった部分はあったにせよ、其の好きなことを好きなように追求して来れたことだけは恵まれた境涯だったのかもしれないな、などと近頃良く思ったりするのである。


ゴルフスウィングの追求の方では、私は今最後の仕上げの段階に入っていて、まるで万年筆の方で最終段階に進みつつあるのではないかと思われることと同じように、自分の背後に色んな経験の積み重ねの重みを感じながらゆっくりと歩んで居るというところなのかもしれない。

ただし、万年筆の方はもう本当にゆっくり、ゆったりとしたペースになって仕舞ったのだけれど、ゴルフの方は 最後の難関に挑んで燃え盛って居るというのがむしろ本当のところなのである。


其れを証拠に、万年筆の方はもうほとんど要らないのですが、ゴルフクラブの方はもう兎に角是非次々と欲しくなる。

一体何をやって居るのだ、いつも言っているように仏教徒のくせして。ー

確かにそういう感じでもあるのですが、この追求こそは最後の仕上げの追求なのだ。


だからやらずには居られない。

もっともO先生は最近の私の節操の無さ、飛ばしへの欲の深さに呆れ返って居るようだが、何しろこの私にしてもやる時はやるのだ。

万年筆もクラブも買う時は次から次へと買うのだし、買わなくなると全く買わなくなる。



超極上/新発売 ジオテック QUELOT RE14α/46,5 INCH/ SX
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d154517717?notice=clowb

さてあらためて思うのですが、このドライヴァーを買っておいて本当に良かった。


コレは楽に玄人並の球が打てるようになるクラブです。

この仕様は実質47インチ仕様で振り切るだけのパワーが要求されるのですが、実はシャフトのトルクが多いのでXSシャフトにしてはそれほど硬い感覚はなく非常に振り易いクラブなのである。


ところで、47インチ仕様の長尺のドライヴァーですが、コレは振り切るだけのパワーがあれば間違いなく飛びます。

或は単に飛ぶというよりもより楽に飛ばせるということが言えるかと思う。


ただし、長尺ドライヴァーを打ちこなす為には所謂玄人打ちをしなければならない、ということも絶対に頭に入れておかなければならない。

いや、長尺ドライヴァーに限らず短尺ドライヴァーでも或はアイアンでも上級のゴルファーは常に玄人打ちをして球を飛ばして居るのである。


その打ち方は、所謂素人ゴルファー、すなわちアベレージゴルファーの打ち方とは根本的に異なります。

其の打ち方こそがゴルフスウィングに於ける真の打ち方のことです。


上級者やプロは其の打ち方でもってクラブを振って居ます。

だからこそ高い確率で球の芯が捉えられ、そして飛距離が出るのである。


逆に云えば素人ゴルファーは其れが出来て居ないのであります。

勿論私もまだ完璧には出来ていません。

ただ、O先生と共に今其の打ち方に取り組んで居るところなのです。


いや、正確には何故か二人共別々にその域に達しつつあったのです。

練習場で出くわすと、何故か同じ打ち方に取り組んで居たという、そういうことです。


もっともO先生は色々と誘いがあるので月に三回程はコースへ出ています。

対して私はこの十年というもの、全くコースへは行って居ません。


さてそれではどちらが良いスコアで回れるのでしょうか。

そんなことはコースへ出て居る人の方が良いスコアで回れるに決まって居ます。


では何故私はコースへは行かないのか?

其れは私のゴルフスウィングが完成して居ないからです。

確かに実際にはほぼ完成の域にまで達して来て居る。


理論上はもはやすでに完成して居ます。

だからこれからは其れを体で覚え込ませるということだけなのです。


O先生は最近八十台のスコアでコースを回ることが屡で、それで愈七十台のスコアを目指してダウンブローで打つ練習を繰り返して居るようだ。

私も結局、其のダウンブローで打つ打ち方のことを本質的に見直してみたばかりなのである。


それでも私が見る限りO先生のゴルフスウィングはまだまだ上級者の域には達して居ない。

それは勿論私だってそうだ、ただ、練習場でのドライヴァーショットだけは本当に素晴らしくなって来た。


其の練習場で、いつも上級者並みに打てない限りは何回コースへ出たって七十台のスコアなんてまず絶対に出せません。

だから私はそのことをこそ目指して居るのです。

そうならない限りは何度コースなど行っても仕方が無いということなのです。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1704回)  ..2014/07/03(木) 23:44  No.4799
 


ドライヴァーショットは良く云われるようにアッパーブローのショットとして球を捉えるものですが、其れはあくまでインパクトの瞬間のことであり、其の少し前のクラブの軌道はアイアンでダウンブローのショットを行う動きと全く同じものなのです。

つまり、アイアンショットとドライヴァーショットのスウィングは全く同じであり、ただ球を置く位置、球を捉える位置が違うのでダウンブローだのアッパーブローだのと区別して呼んで居るだけなのである。


では凡人ゴルファーが出来ない球の潰し打ちの仕方、アイアンでダウンブローのショットを行う動きとは一体どうしたら得られるのか?

実はこの部分こそが、ゴルフスウィングの真髄であり真理なのであります。


真理なのですから、其の打ち方には普遍性がありまた時を超越して存在するものです。

つまり世界中何処に於いても、また過去においても未来に於いても其れは真理です。


其の真理とは、正しい手ー腕ーの使い方のことです。

凡人ゴルファーはまずコレが絶対に出来ていません。

然し、玄人のような球を打たれる方はまず絶対にこの打ち方を会得して居ます。


さて、正直言います。

つい最近まで、この私も其れが正しく出来ていませんでした。


ところが現在は正しく行えるようになりました。

すると、球の捉え方が本質的に変わって来る。


嗚呼、まるであの鍛造ニブと圧延ニブの違いのようなものではなかろうか。

確かに、まあ、そういうことです。


打ち方が、其の打ち方の技術の方こそがまるで鍛造ニブの如くに良いものになったということです。


この打ち方でこそ、正しくプロ級の打球を放つことが出来ます。


では一体どうすれば良いのか?

この点に関しては動画などでレッスンプロが様々に論じて呉れていますから何でしたら其れ等をご覧になってみて下さい。


ただ私がもしレッスンするのだとしたら生徒さんにはこう教えようかと思って居ます。

其れもただ一言だけ。

曰く、グリップエンドで球を動かす。

これがバックスイングを形作る為のゴルフスウィングに於ける真理としての部分です。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1705回)  ..2014/07/05(土) 00:01  No.4800
 


この現在の私のゴルフの追求は私の最後のゴルフの追求なのである。

何故だか知らぬがそんな気がしてならない。

今この一瞬にこそ賭けてゴルフを是非全うしてみたい。


燃え盛る炎のようにメラメラと、まるで爆発したかのようにゴルフにのめり込む。


勿論O先生なんぞには負けない。

彼は私にとっての良きライヴァルである。

然し飛距離と球質と球筋とで必ずや彼を圧倒してみせる。


断じて我は負けぬ。

なんとなれば我こそはゴルフの武士である。


ゴルフ武士の刀は名刀でなくてはならぬ。


だから本来ならばTN-87の復刻モデルを\410,400払って求め、其れでもって誇らしく戦場へと出向いていかねばならぬ。


然しながら、我はもはや五十も半ばにさしかかった。

いつしか戦争になってももう戦場には行かされない歳となりにき。



さて、次なる我が名刀はこれじゃ。


中古 リシャフト◆オノフ TYPE-S ドライバー 2012◆9°無双XL/XS
http://page14.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s387241794

コレが神戸より来たりしオノフ TYPE-Sドライヴァーである。

一言で言うと、超ハードスペックでセミアスリート用ヘッドの付けられたものである。

46.5インチの長尺仕様で超重量スペック、何とバランスはアスリート向けであるDを飛び越したE2の数値である。

つまり、振ると超重くかつヘッドがとても重く感じられる仕様なのである。

ーちなみに日本人向けにはまずこのEバランスのドライヴァーは用意されて居ないことになって居る。このクラブのようにリシャフトされたクラブを除いては。ー


然し私は、この先っぽーヘッドーが重いドライヴァーこそが好きなんである。

つまりは私はパワーヒッターで先の重みの効いた奴でぶっ叩くのが何より得意である。

だからむしろE2のバランスに惹かれてこのクラブを落札したのである。

ただし、313gある重量は45インチのクラブに換算するとおそらくは330g以上はある仕様となる筈であり、其れは現在ではプロでも重すぎると感じられるクラブとなろう筈である。


其の点だけが少し心配であった。


またこのクラブを入手するに至った理由としては、


1.ゴルフを極める為のクラブの追求の一環としての入手

2.シャフトが何とあの無双XLの46.5インチXSシャフトにリシャフトされて居た!

3.何せ一万二千八百円は安い!

4.意外と程度が良さそうである。



2.ー二本目となるー無双XLの46.5インチXSシャフトは振り易く、また元々長尺でもあるので飛ぶシャフトである。

3.シャフトは大変綺麗だったのでシャフトだけ得ようとしても一万二千八百円以上は軽くする。つまりお得である。

4.ヘッドのソールの小傷が少し目立つだけで良い状態の商品だった。


ちなみに、もし一万五千円以上して居たのであればコレを落札することは無かったことだろう。


T.低予算でのゴルフの追求を行なって居る手前、兎に角安いゴルフ用品を求めて居る。

U.人が振れないようなクラブも場合によっては私には合うのでこうした商品は完全に狙い目である。

V.現在は次から次へとクラブを求めて居るが、いずれも非常に安く入手し、其れはなるべく色んなパターンの長尺ドライヴァーを揃え打ち比べてみる目的からして居ることである。


ゆえに全部が全部が欲しいという訳ではなく、どんな長尺ドライヴァーが自分に合うかどうかということを調べて居る最中なのである。

よってもしクラブが自分に合わなければまた中古ショップの方へ持って行っても良いのである。

クラブをコレクションして居るのではなく、あくまで自分にとってのゴルフに真に合うクラブを探して居るのである。


今回の長尺ドライヴァーの結果

1.矢張り私には合う。
2.ただしハードなドライヴァーであることは確かで、まだ振り切れては居ない。

3.同じく無双XLのXSシャフト付きながら47インチ仕様のクロトドライヴァーに比べると遥かにハードなドライヴァーである。

3.が、慣れて仕舞えば必ず打ちこなすことの出来るクラブではある。


ー今使う二本のドライヴァーの比較などー


ジオテック クロトドライヴァー

1.アベレージ〜セミアスリート仕様のヘッドで易しく打てる。ただし規制外の高反発仕様であり、また実質47インチの長尺仕様なので規格外の飛距離性能も持って居る。つまりタダのシニアゴルファー向けのヘッドではない。特にXSフレックスのシャフトはオジさんではとても振り切れない。

2.ちなみにクロトドライヴァーはブンブン振り回せるようになって来て、其れでストライクゾーンにハマると恐ろしい程の強打の音が練習場に 轟き決まって皆に注目される程である。

3.其の飛距離以上に打音が素晴らしいクラブで、易しいヘッド形状で芯も広いのでナイスショットの確率の高いクラブである。


ダイワ オノフ TYPE-Sドライヴァー

1.セミアスリート仕様のヘッドで易しく打てる。が、今回私が入手したリシャフトモデルはオリジナルとは別物のハードな仕様となって居る。 余程のパワーが無いと或は四十歳位までの盛の体でも振り切れない。

2.其の並では無いハードなドライヴァーを振り切れるようにすることこそが私が初めから意図していたところでのこのドライヴァーを使った技術の向上の部分なのである。

3.つまるところ、次第にジオテック クロトドライヴァーは振り切れ過ぎて左へ行く傾向が出て来た為、もう少し難しいヘッドで同じシャフトのものをと考えて居たところコレが出品されていたので飛びついたのである。

4.非常に静かなインパクトが可能である。つまりインパクトの音が普通のドライヴァーよりも小さい。何故かと言うと、重さやバランス、シャフトなどの仕様がハードな為である。だからこのクラブを振り切れるようになった時こそが本当の意味でのプロ球を放つ時なのである。


それでもあくまでクロトドライヴァーが現在の私のエースドライヴァーであることには変わりがない。

さて、こんな風に行うゴルフクラブの追求は実に楽しい。
人生には色々と楽しいこともまたある。

人生には様々な問題や苦労、苦難が待ち構えて居るものだが、それでもこうした楽しい部分は別に用意されているものなのである。

ゴルフの練習で汗をかくと其の後で食するものや飲み物がまた格別である。

ゆえにゴルフは健康に宜しい。
私はゴルフと萬年筆を死ぬ迄愛好しつつ生きていくつもりである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1706回)  ..2014/07/08(火) 22:17  No.4801
 


長いモノには巻かれよう!ぶっ飛ばすなら“イマドキ”長尺ドライバー ダウンスイングでの手と腕(肘)の使い方
http://www.golfdigest.co.jp/golfstyle/neo-athlete/gear/131024/default005.asp#/header/

長いモノには巻かれよう!ぶっ飛ばすなら“イマドキ”長尺ドライバー 肘の使い方(向き)
http://www.golfdigest.co.jp/golfstyle/neo-athlete/gear/131024/default006.asp#/header/

ゴルフスウィングに於ける手と腕の使い方は上記の様に使うということこそが正しい。

コレこそが真理なのであります。

従ってこれが出来て居ない限りはどんなクラブを使ったにせよ球はまともに飛んでいきません。

適当には打てても、上級者やプロのようにキチッと打つことは出来ないということなのです。


だから我々アマチュアゴルファーはクラブの追求をする以前にまずこのゴルフスウィングの上での手と腕の正しい使い方の追求を是非行うべきである。

ちなみに私は1999年から2012年までドライヴァーはミズノ300S一本ーヘッド体積が310cc位しかない、しかも100gシャフトの超ハードな仕様ーでもってこの技術を磨いて参りました。

名器自慢ーMIZUNO300Sドライバー
http://diamond.jp/articles/-/26559


だから今のデカヘッドのドライヴァーは皆まるで小学校のテストの如くに簡単に感じられるのです。

ただし、其のデカヘッドのドライヴァーに慣れると其の簡単さの中での難しさを感じるようにさえなって来ます。


次第に技術が落ちて来るので、本質的に簡単なものでも決して簡単には思われなくなって来るのが全く不思議なことです。


たとえば鈍行列車と比べれば新幹線は滅茶苦茶に速いがリニア新幹線が出来ればそれでも亀のように遅く感じられるようになることだろう。

古典の萬年筆の鍛造ペン先の中には滅茶苦茶柔軟なものがあるが、実は其れ等ばかり使って居ると皆さほど柔軟に感じられなくなり、また逆に現行の固い圧延ニブのものばかり使って居ると然程其の本質的な固さが分からなくなって仕舞ったりもする。


そうした相対的な感覚の世界というものがこの世には確かにあります。


簡単なクラブにばかり囲まれて居ると其の本質的な簡単さを感じ取れなくなりその代わりに個々のクラブ固有の問題点が大きくクローズアップされる形で出て来て仕舞うものです。

謂わば小さい問題が大きく捉えられて来て仕舞うのかもしれない。

そうなると逆にクラブに於ける大きな問題が見えなくなったり、或は見失って仕舞うことにも繋がりかねない。


其れも上記のようなゴルフスウィングに於ける手と腕の使い方の真理を知らないことだろうアベレージゴルファーは其処で余計にスウィングがダメになっていく可能性もまたあるということです。


でも私はそういうのを知ってますから、勿論そうじゃありませんね。


まあどんなクラブを使って球を打つにせよ、スウィングの基本がダメだと全部が台無しとなるということです。

其の点では万年筆で綺麗な字を書く事以上にゴルフスウィングは難しいですね。

万年筆は所謂小手先で使うものなので確かに力は要りませんがゴルフは大きな道具を振り回して球を飛ばしていくものですから力は要ります。


ところで良くゴルフスウィングには力は要らないとかスコアメイクに飛距離は要らない、力も要らないなどと云われたりして居ますが其れは明らかに間違いです。

基本的に力のある人が力を抑えてプレーするのがゴルフを上達させる一番の近道なのです。


根本的に力が無くドライヴァーショットで最高200Yしか飛ばない人が力を抜いたらさてどうなるのでしょうか?

ゴルフスウィングには力は要らないのではなく適切に力を入れる必要があるのでしょう。

特に非力な人程むしろ適切に力を入れてゴルフスウィングを行う必要がある。

何故なら200Yのドライヴァーショットと300Yのドライヴァーショットではまさに月とスッポンの差があるからです。



さて、私は今、より飛距離を伸ばす為のドライヴァーの長尺化に取り組んで居る訳です。

私は身長が170センチに届かず、それでも昔は所謂中背でしたが今の時代では背が小さい方です。

それでもパワーヒッターであるということは筋力があるということです。


然し、プロモデルなどの重くて難しいクラブで平均280Y飛ばすーコースでーということは実際大変です。

私は身長に合わせて腕も短い方なので元々スウィングアークも大きくはありませんから筋力だけに頼って飛ばすということになり大変です。


其れに加え年齢的にもプロモデルなどの重くて芯の小さい難しいクラブを振り回すことが次第に辛くなって来て居ることも確かです。


でも、今の簡単なドライヴァーならばまだまだ振り回すことが出来るということなのだろう。

其れを振り回して何とか平均280Yの飛距離が欲しいということなのです。

だとすればドライヴァーの長尺化で飛距離を稼ぐ方向に持っていくしかないことと思われる。



“イマドキ”長尺 impression
http://www.golfdigest.co.jp/golfstyle/neo-athlete/gear/131024/default010.asp#/header/


今時の長尺ドライヴァーを実際に打ってみた感覚から言えば、今長尺と云えるものは実測47インチ以上のシャフトの付いたものに限られます。

勿論46や46.5インチのクラブも打って居りますが此等は実感的に物凄く飛ぶという感じではありません。

どうも47インチのシャフトからはっきりと飛ぶようになります。

より明らかにHSが上がり球がより速く飛び出していくので飛ぶようになる訳です。


尚、以下のような低価格長尺ドライヴァーもあり、実は私もコレを一本持って居ます。


ツアーエッジ Tour Edge バックドラフト GT+ ドライバー BACKDRAFT GT+ GRAPHITE 【USモデル】
http://shop.golfdigest.co.jp/outlet/f/dmg_0000418847_genre_001001

これだけ安くて、46インチシャフト付きで、今流行りの白いUFOのようなヘッドのドライヴァーです。

コレを使ってみたところでの私の感想は○です。

結構叩けて真っ直ぐに飛んで呉れます。


私のはSシャフトですが、US仕様なのでかなりに固くてハードに感じられます。

ところがヘッドの方は芯が広く簡単に打てる。

何せSシャフトはハード仕様で重さも322gもあり余り飛ばない感じもするが、方向性の良さからコース再デビューの時にも使おうかと思って居るクラブです。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1707回)  ..2014/07/08(火) 22:17  No.4802
 


第一、この値段でまともな46インチのドライヴァーが新品で買えるということ自体が驚きでした。


ただしコレが47インチでもっと軽くあればおそらくもっと飛距離が出ていたであろうにと思うと少し残念なところです。

でも長尺ということを全く意識させられることなく使えるので長尺クラブの入門用としてはかなりに良いクラブである。



つまり、安いモノでも充分に使えるものが今はあるということなのです。

もっとも、其れは万年筆の方でもそう云えることなのかもしれない。

安い万年筆でも良いものに巡り合える確率は常にあります。



さて、長尺ドライヴァーは昔からあり、其れは特に非力なシニアゴルファーや女性の為のクラブだったような気がして居ます。

勿論プロの中でも長尺ドライヴァーを使って居る人は居ましたが其れもあくまでも少数派の試みであった訳です。


私個人は、かって長尺ドライヴァーには全く興味がありませんでした。

何故なら昔の長尺ドライヴァーは軽くて打ちにくい、それこそ年寄りや女性向きの仕様のものにすべからく感じられて居た。

でも今の長尺ドライヴァーは実はそういうものではありません。


壮年ゴルファー向けの、其れもパワーヒッター向けのモデルが続々と出されて来て居るのです。

ところが一般的にはまだこの情報が広まって居らず、よって私の周りにもドライヴァーの長尺化には関心の薄い人がほとんどなのです。


が、今の長尺ドライヴァーは明らかに飛びます。

其れも47インチ以上のシャフトを選択し、かつ其の長さのシャフトを振り切るだけのパワーがあれば飛ぶということです。

ところが非力ですと、其れが振り切れないので逆に飛ばなくなって仕舞うのです。

ーただし非力な人向けの軽い長尺ドライヴァーも色々と用意されて居る筈です。ー

或は力があっても長尺ドライヴァーが合わないスウィングタイプの人さえ居るのです。


でも幸いなことに私には長尺ドライヴァーが合っていました。

其れでこうして今時の長尺ドライヴァーを色々と打ち比べ飛距離を伸ばす追求を行なって来て居るのです。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1708回)  ..2014/07/13(日) 20:25  No.4803
 


長尺ドライヴァーの先駆者であるフォーティーン社のCT-112と呼ばれるモデルは同社の30周年特別モデルであり2012年に発売されて居る。


そしてこのドライヴァーは特別なクラブである。

何が特別なのかと言うと、1.飛びを目一杯に追求したドライヴァーであること2.稀に見る美しさを備えたドライヴァーであることの二点に於いて特別なモデルなのである。


私はこれまでに様々な美しいドライヴァーを見て来て居るのだけれど、今世紀になってからはこんなに美しいと思えるクラブを見たことは無かった。

兎に角其れ位に美しいクラブなのである。

このモデルは当時飛ぶように売れて、そして今でも比較的高値で取引きされて来て居るのだろう。


実は私も一本ストックして居るのだが、なかなか使う踏ん切りがつかずいまだに未使用で部屋に飾ってある状態である。


新品【フォーティーン】特別モデルCT112/純正SR/10.5度 /47inch
http://page17.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v356665050

丁度今オークションの方でも新品が出品されて居るところだ。

ただし私のCT-112は46.5インチシャフトで9度のロフトのモデルである。

フォーティーンのシャフトは46.5インチで実測47インチあり、実際にはとても長いのである。

47インチモデルだと実測48インチ弱ー47.75インチーとなり、これはもう相当に長くなる。



CT-112のヘッドは460ccの大型ヘッドながら、所謂簡単クラブ系の平べったい形ではなく塊感が強い形状なので構えた時に小型のヘッドに見えて仕舞う。

それでもって47.75インチものシャフトが付いて居ると非常に長い棒の先に小さなヘッドが付いて居る様に見え振った時に正確に当たるようには思えなくなるのである。

従ってかって私は実測47インチの方を選んで手に入れたのである。


それから、シャフトは長くなればなる程飛ぶようにはなるが、其処で同時に振り切ることが難しくなり確実にミートする確率も下がって来るものと相場が決まって居るものだ。

だからこそかってプロゴルファーの面々は長尺クラブを使って居なかったのである。

50m秒前後はある筈であろう彼等のHSならば45インチの普通の長さのシャフトでも充分に飛んで居たのだ。


然し非力なプロゴルファーやシニアのプロゴルファーーあの杉原 輝雄さんのようなーは屡長尺を試して居たものだった。

ところがかっての長尺は実は余り良いモデルが無く打ちにくくミート率の悪いクラブが多かったのである。



ところがそんな中でフォーティーン社はいち早く長尺ドライヴァーの飛びの優位性を評価し、そしてもう長く長尺ドライヴァーの開発と販売に携わって来て居るのだ。

だから長尺ドライヴァーの何たるかということが良く分かって居るメーカーだと云えることだろう。


そんなフォーティーン社の30周年特別モデルとして販売されたCT-112はスペック的には競技志向の感じられる本格モデルながら、見た目にはまるで女性向きと言っても良い位の美しい姿をした長尺ドライヴァーなのである。


実際、私のCT-112は、私の持って居るドライヴァーの中でも群を抜いて其の姿が美しい。

グリップなど部分的には華奢な感じさえするクラブである。

基調カラーはダークブルーなので其れもまた美しく、黒を基調とした他社のプロモデルドライヴァーのような戦闘的なイメージは無いと言える。


ところがヘッドはハイバック形状で、例の簡単に打てるシャローバック形状では無いので結構ハードヒッター向けのクラブでもある。

シャフトもSならば普通にしっかりした硬さのあるもので、決して簡単に打てるというものではない筈である。

其の点ではこのクラブも基本は戦闘に向いたクラブでもある。


でも兎に角美しい。

トータルなデザインが戦闘の方ではなく何やら美的な世界の方を向いて居るのでどこかしら文学的、情緒的な、或は絵画的、デザイン的な美しさを感じさせて呉れるものだ。

まあ実際にはゴルフに於ける競技、男の技量の磨きあいの場にも使える本質を持ったクラブなのだけれど見た分には藝術的センスを其処にそこはかとなく感じて仕舞うという稀有なモデルなのである。




フォーティーンCT-112 その、驚きの飛びに迫る
http://www.golfdigest.co.jp/special/1210fourteen/?car=rb-md-prf

フォーティーン「CT-112」ー金谷多一朗プロによる試打解説ー
http://www.golfdigest.co.jp/special/1210fourteen/121022_01.asp


ただし、現在はもっと飛ぶであろうドライヴァーも色々と出て来て居ることだろう。

ゴルフギアの世界はまさに日進月歩の世界となって居り、毎年数多くのニューモデルが出され次々に飛距離の記録が更新される状態となって居る。



激飛びドライバー ゲロンディを徹底試打&検証
http://www.golfdigest.co.jp/special/1311fourteen/?car=gr-dmg

たとえばこちらが現在のフォーティーン社の最新ドライヴァーである。

おそらくはこのニューゲロンディの方がCT-112よりも飛んで居ることだろう。

でも正直コレは余り美しくは感じられない。



こと美しさということに限れば、前のモデルであるCT-112の方が遥かに美しい。

美しさとクラブの性能ー数値上のーには余り関係が無いことかと思われるのですが、美しい形状や仕上げが施された上質なクラブを一部のアスリートゴルファーが昔から好んで来て居ることもまた確かなことなのである。


例えば、私が長年使って来たミズノ300Sドライヴァーは飛び切り美しいドライヴァーだという評価が確立されていたものだ。

其の300Sドライヴァーは塗装が矢張りディープブルーで其の色合いがとても美しかったのだったが、そう言えばこのCT-112も其のディープブルーで纏められたモデルなのである。


そして300Sドライヴァーも当時の激飛びドライヴァーだった訳で、其の点に於いてもCT-112との共通点を感じさせて呉れるのである。

だからこのCT-112こそが長年に亘り私にとってのエースドライヴァーであった300Sの後継モデルとなるであろう確率が高い。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1709回)  ..2014/07/13(日) 20:25  No.4804
 


ただし其れも打ってみなくちゃ分からない。

ゴルフの道具は万年筆以上に個性との適否の判断が難しく、従って打ってみたら意外と飛んで居たり、或は逆に全然飛ばなかったりと結果の予測が難しいものなのである。

さて、CT-112はクラブの長さ、ヘッド体積、高反発力というその3つのスペックをルールぎりぎりまで極めたという長尺ドライヴァーなのである。


1.長尺の為のシャフトー手元と先端の剛性を高め長尺としても振り易く設計されて居る。あえて高トルクシャフトとしてスゥイングのタイミングを取り易いようにしてある。
ークロトドライヴァーの無双シャフトもXSながら高トルクシャフトとなって居りコレが意外に振り易い。ー

2.ヘッド体積は矢張り少ないものよりも多いものの方が楽に飛ばせるようである。
ーそれも本当は重いヘッドで其れを振り切って飛ばす方が飛ぶのである。軽すぎるヘッドでは打球の球質が軽くなり飛ばないとも言える。ー

3.反発規制ギリギリのフェースだからこそ飛ぶのである。
ークロトドライヴァーの場合はルール適合外の高反発フェースだがCT-112の場合はルール適合内の反発力にとどめられて居る。ー



1.長尺の為のシャフトは非常に難しいものですが最近の長尺シャフトは本当に良くなって、まさに長尺であることを意識せずに普通に振るだけで普通に打てるという感じである。つまり昔の長尺クラブのような、長尺用の特殊な打ち方をする必要がなくなったのだ。

2.私の経験では460ccのヘッドは、たとえば少し小振りの425ccのヘッドよりもずっと楽に打てるようになる。ちなみに最近逆に小振りのヘッドも一部のアスリートモデルに設定される傾向が出て来て居るようですが、私の場合はあくまで460ccのヘッドを使っていきたいと思って居る。

3.高反発フェースのドライヴァーは矢張り飛ぶ。ただし、高反発フェースは割れ易いので常に注意が必要である。HSの速い人は特に要注意である。ちなみに高反発フェースには超高反発という仕様もあり、其れを打ってみたことは無いが其れは矢張り飛ぶのであろう。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1712回)  ..2014/07/20(日) 15:42  No.4807
 


【フォーティーン】特別モデルCT112の使用感について

1.あくまで美しい、良いドライヴァーである。
2.Sシャフト付きの実測47インチモデルの選択は私の場合には正解。実測47.75インチモデルの方はおそらく合わなかったことだろう。
3.されど総合的にはアスリート向けの難しいドライヴァーである。球が曲がり易いヘッドであるということから其のように言える。
4.従って私のエースドライヴァーにはなり得ない存在である。然しインテンショナルに球を曲げてコースを攻めていく上級者には向いて居ることだろう。でもこのクラブをエースドライヴァーとするには、少なくともシングル級の腕前が必要である。
5.打音が素晴らしく、正しく打てれば飛距離も出る。然し芯はそれほど広くはなく意外とピーキーな感じもする。


結論的に、ハイバックで塊感のあるヘッドの場合にはそれほど簡単に打てるクラブにはならないということなのだろう。

ただし、このドライヴァーを打ちこなせるようにしていくという方向性は確かにある。

時間はかかるが、其れは可能である。


だが、すでにアイアンセットの方をナイキのプロコンポに替えて仕舞って居る手前、矢張りもう少し易しいヘッドのドライヴァーでゴルフを追求していく方が私の場合はより楽なのである。

結局楽をして仕舞うということになる訳なのだが、其の楽ということにも実はそうなるべき必然性のようなものがある。



いまどきのゴルフクラブは本当にやさしいのか!?
http://www.analyze2005.com/mkblogneo/?p=8058

以上でマーク金井氏が非常に分かり易く現行のクラブを分析して述べて居られます。

要約すると、今時のドライヴァーは慣性モーメントが大きくなり易しくなったように感じられるが其の実はヘッドの挙動をコントロールしにくくなって仕舞って居り、スゥイングの完成していないアマチュアゴルファーにとっては必ずしも簡単に打てるクラブとはなって居ないという内容である。


そしてこれは、実に鋭い、まさにゴルフクラブの真実を突いた指摘である。


私も以前から今のクラブは簡単なようで居て実は難しいのではないだろうかと、そう練習場で球を打ちながらずっと思わされて来て居たのだった。

でも明らかに昔のクラブよりは楽に打て、そして飛距離の点ではまさに桁違いのものが出していけるのが今のクラブなのである。

それでもどうも方向性が安定しない部分があり、特に私のようなスゥイングが真の意味では固まって居ないハードヒッターの場合には其のブレが大きく出て仕舞って居たのである。



このマーク金井氏の鋭い分析も考慮して、結局私は今後プロモデル系のハイバックのヘッドのドライヴァーを使わないことにしていくこととした。

ただし、CT112はあえて球を曲げて打つ時に練習することの出来るクラブだから今後も勿論使っていく。



然しエースドライヴァーはあくまでクロトの方で行くことにしてみた。

実際クロトはCT112と比べると遥かに楽に打て、かつ直進性が良く球が曲がらないドライヴァーである。

私のような方向性に難のあるハードヒッターにはこちらの方が合って居たのである。


とは云え、クロトドライヴァーでもヘッドの挙動のコントロールの難しさからの根本的な方向性の不安定ということは、今時のクラブの特徴として其処にどうしても残って仕舞うということになる。

CT112のように右に左にと曲がるようなスピンがかからなくても、たとえばヒッカケが出たりすることはどうしてもある訳である。


然し、其れは現在のような慣性モーメントが大きいドライヴァーの宿命のようなものであるのかもしれない。

逆に慣性モーメントが小さい昔のドライヴァーはヘッドの返しの挙動を安定させて居られたのだろう。


ただし、あくまでも慣性モーメントが大きい今時のドライヴァーは芯を外して打った場合にもヘッドの挙動、方向性とも安定しているということなのである。

其の代わりに操作性の方がよろしく無いので全部が全部簡単に打てるようになるということではないのだろう。

つまり、より楽には打てるようになったがあくまで簡単ではないという一種ややこしい今時のドライヴァーと云う事になる。


尚ドライヴァーのヘッドは大きければ大きいほど慣性モーメントが大きくなり、それで其処で芯を外して打った場合にも其の時点でのヘッドのブレが少なくなりかつ方向性も安定するということとなる。

つまり重心距離が長い、慣性モーメントが大きいクラブほど球を打った時点での球の軌道は安定し芯を外して打ったとしても飛距離のロスが少ないのである。


このようにこの辺りは完全に物理学の世界となる訳なのだが、言うまでもなく自然科学が提示するところでの部分的真理は此の世で最も正確な物の動きに関する原理なのでもある。

ゆえに現在のゴルフクラブは実はこのように非常に科学的な世界のものともなって居るのである。


ただし、厄介なことに科学上の数値を理想に近づければそれで良いかというと必ずしもそうはならない点が全く不思議な点なのである。

慣性モーメントが大きい打ち易くより楽に打てるクラブを作ったにせよ、其れは反面操作性の悪いクラブとなって仕舞うので打ち方によっては逆に本質的に打ちにくいクラブとなって仕舞うのである。


この辺りは全く面白い。文明批判の方とも一脈通ずる部分のある現象なのである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1713回)  ..2014/07/20(日) 15:42  No.4808
 


然しながら球を飛ばすには、これは、もう、絶対に最近のドライヴァーの方が有利なのである。

其れがたとえ本質的には操作性の悪いクラブなのではあっても、物理法則の上で客観的真理としてそのことは存在して居るのである。


其れもドライヴァーのヘッドの形状がハイバックになって居るタイプよりもシャローバックとなって居るタイプの方がより楽に球が上がり方向性も良くなるのである。

そうしたことを踏まえて私はクロトドライヴァーの方をメインで使っていこうと決めたのである。


現代のチタンヘッドのドライヴァーは本質的には操作性は良くなく、従って根がそうしたものであるのならばむしろよりオートマチックに打ち易いものの方が良いことだろうと其処で結論づけたのである。

実際に現在練習して居て最も確率が高く飛んで曲がらない球が打てるのはクロトドライヴァーである。

だからクロトの黒い限定モデルの方を是非どこかで探し出して入手しておきたいと思っているところだ。


今は本当に様々なドライヴァーが市販されて居るのだけれど、飛んで曲がらずしかも確率高くナイスショットが可能なクラブを見つけ出すことは案外難しいものなのである。

尚ジオテックのクロトドライヴァーは入手が難しいクラブなのだと言える。

所謂地クラブであくまで全国的には有名メーカーではないこともあり、オークションなどにも出て居る数が少なく安く入手出来ないのである。


私はたまたまオークションで半額で入手出来たのだったが、ジオテックの方で買えば結構高価なクラブとなって仕舞う。

それでも此のクラブはまさにおススメのドライヴァーである。

そして個人的には限定品の方でもう一本是非欲しいクラブである。

ジオテック クロト RE14 SLE (GEOTECH Quelot RE14 SLE)
https://www.youtube.com/watch?v=pQkn1UDTr1c
ーこちらは限定品ではない黒いクロトドライヴァーー

このクラブの一番良いところは、深重心で慣性モーメントが大きいドライヴァーなのに工夫を凝らし操作性の方を高めて居るところと、もうひとつはヘッドがシャローバックの形状であるにも関わらず今流行りの高打ち出し角で低スピンの打球が出る設計となって居り、ゆえに重い高めの弾道で飛びハードヒットしても吹け上がったりしないところである。

ゆえにシニアのハードヒッターにはまさにピッタリという感じの最高のゴルフギアである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1714回)  ..2014/07/22(火) 00:22  No.4809
 


とは云えCT112は本格性がありかつ仕上げの方も美しい、なかなか良いドライヴァーである。

本日練習場で100球程打ち込んでみて其のように感じられました。

打ち方が真の意味で固まったらむしろこちらの方で行くべきなのかもしれない。


と言うのも、どうもクロトの方を前回褒め過ぎて居たきらいもある。


クロトで分からないのは時折物凄く高い棒球ー所謂フケ球ではないーが出てその時には高く上がる分飛距離は余り出ていないということである。

ただしトータル的に見ればクロトの方向性の良さと飛距離性能は素晴らしい。

或はシャフトが良いので打ち易いのかもしれないのだが。


尚本日の練習はハードなものとなり久し振りにですが何と480球も打ち込んで来て仕舞った。

多分この地域のアマチュアゴルファーの中では今日私の練習量が一番だったのかもしれない。


幾ら練習量が多くてもダメである場合も確かにある訳ですが、私の場合は練習量の多さでもってスゥイングの真理を見極めていくタイプなのでこの位はたまにどうしても必要な量である。

其れもモロに陽の当たる三階打席で五時間位かけてそれだけ打つのであるから一般人の場合はまずこの練習量にはついてこれない。

余程に練習量の多いシングルさんならともかく、普通の人ではまず熱中症でもって確実に倒れることだろう。


私は夏に強く暑さに対しては全くのへいちゃらだから今日のように三十三度の気温の中でもこのように長時間のハードな練習が可能なのである。

お陰で今年はすでに顔や腕が日に焼けきって居て真っ黒だ。


しかも私は其の480球のうちの300球位をすべてドライヴァーショットのフルスイングで打って居るのだから其の運動量と発熱量は半端ではない。

其れもまるで鬼のような形相をして、首には土方のようにタオルを巻いて、しかも右手にも手袋をしてというまさに土木作業のオッサンのような出で立ちでしこたま球を打つのでどうしても場から浮くというか目立って仕舞う。

ー実は実際に練習場のすぐ横にあるワークマンで手袋を買って来て居る。右左セットで薄い豚革の白い物がたったの三百円である。しかも見たところは完全にゴルフの手袋にしか見えない。私は練習量が並ではないので手袋が破れるのも早く、それでそうしたものを探し出して使って来て居るのである。ー


私のゴルフはそうした実に泥臭いもので、だから知的にお上品にプレイしましょうなんてのは我慢がならずそのようにドロドロ、ボロボロになりながらゴルフスゥイングの真理を見極めていくのであり、まさに其れは闘いであり真理への道程であり修行の世界のようなものなのである。


今日は打ち方が比較的良かったのかほとんど疲れて居ないので先程花火も見て来た。

天白川という川の土手から其の花火が見られるので自転車で行き見て来たのである。



其のようなことをして居るとやはり夏は動いて居るに限るとそう思うのである。

通常良く考えられるような暑いから動かないというのは、実は体に良くないのだ。

夏に汗をかき切る程に運動すると私の場合は至極体の調子が良くなるのである。


逆に冬は寒いから動けない。

然しながら其れこそが自然の摂理というものではないのだろうか。

もっとも私の場合は冬でも勿論ゴルフの練習である。


大晦日や正月の三が日などは極寒の中半日位かけて球を打って居る場合さえある。


ところでゴルフは藝術であり宗教であると突然私が言い出すと皆様はついに私の気が狂ったのではないかと思われるのではないだろうか。

然し、ゴルフとは本当に藝術であり宗教なのである。

今日練習をしながらふいにそう思い至ったのである。


謂わばゴルフスゥイングの真理を個別にイメージ化することは創造的行為であり其処で成ったイメージは個性による作品である。

ゆえに其の作業は藝術に於ける創造の過程とほとんど同じ様なものである。

また其のイメージはゴルフスゥイングに於ける客観的普遍的真実と乖離するものであってはならない筈で、其のように其の創造物もまた真理という大枠で規定されているのであるから其れは宗教に規定されし創造的行為のようなものでもまたあり得るのだ。


だからゴルフとは本当に藝術であり宗教なのである。

なので結局ゴルフは私に向いているのかなあなどと今日少し思ったりも致しました。



さてまたあれこれと旧モデルドライヴァーの長尺仕様物を試してみようとして居る私です。

次に試してみるのはマルマンのLX460という旧モデルドライヴァーの47インチ仕様である。


なぜならマルマンのクラブを外すわけにはいかず、其れでオークションで探して居たらたまたま47インチへシャフトを延長したものが出ていたのであった。

このドライヴァーは46インチシャフトなら安くしかも沢山オークションには出されて居るが、47インチへシャフトを延長したものはこれ以外にはまず出て来ないことだろう。


其れを今週中に打ってみるつもりである。

ちなみにドライヴァークラブの追求からマルマンのクラブを外すわけにはいかない理由は、三十年前、私はマルマンのパーシモンヘッドのドライヴァーでゴルフを覚えたからなのである。

マルマンのクラブは其の時以来だからもう本当に懐かしい感じがして居るのである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1715回)  ..2014/07/22(火) 00:23  No.4810
 


HONMA BERES S-03
http://www.honmagolf.co.jp/jp/item/club/driver_s_03.html

また他にもこんな魅力的なモデルもある。

何故魅力的なのかというと、昔から本間のクラブはゴルフが良く分かった人の為のゴルフギアであるということが良く云われたりして居たものだから結構興味深いのである。


丁度万年筆が良く分かった人はモンブランだとか何だとか、そんな風に良く云われたりして居ることと同じで、何でか良く分からんが兎に角本間のクラブは本物のクラブで高級かつ値段が高いという感じが若い頃からしていたものだった。


其れが、最近仲が良くなったS氏ー職場の同僚ーの使用クラブが其の本間のクラブだったのである。ードライヴァーとアイアンのすべてがー


S氏は流石に元管理職の方らしく色々と趣味が高級で、それと兎に角ゴルフが大好きで年配者の割には練習量が多い方のゴルファーである。

其れでいつかこの方と共にコースへ行くということになって仕舞ったのだが其れがいつのことになるのやら、何せ私自身としてはまだOKが出せて居ない状態なので当然すぐに行くという訳にはいかないのである。


S氏が現在使って居られる本間のアイアンセットは15年位前に80万円もしたクラブだったそうだがそういえばそんな高いクラブが本間には常にあったような気がしている。

ドライヴァーの方は或は上のものなのかもしれない。


S氏は私よりずっと年上の方なので、つまり爺さんの方に近い方なので飛距離の方は私やO先生の比ではない。

でも練習量が多いからか流石に良い球を打って居られる。

だから多分今すぐにコースへ出ればスコアの上ではおそらくかなわないことだろう。


何せ月に二、三回はコースを回って居る方なのである。


そんな訳で最近何故か本間のクラブの世界にも興味が出て来て仕舞った。

本間のドライヴァーは良く飛ぶと以前から云われて来ており、実際にドラコンプロなどが屡使ったりして来て居るそうである。

でもどうも本間のクラブは高級志向が強くしかも小金持ちのオジさんゴルファーが使うというイメージがあり、其れで結局私とは無縁の世界のものだと思って居たのだったが何故だか急に私の方に近づいて来たのである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1716回)  ..2014/07/23(水) 23:41  No.4811
 


マルマンのLX460 47インチシャフト仕様の使用感について

1.アベレージゴルファー向けのフックフェースの薄型セミシャローバックヘッドでしかもヘッド重量が軽くおまけに10.5度ロフトなので実に楽に打てる。
2.47インチシャフトはSRのフレックスの軽いシャフトなのでこちらも楽に振り切ることが出来る。
3.ゆえに私にはスペック的に少々プアー過ぎた。球が上がり過ぎるし全部フックの球が出る。
4.ただし飛ぶ。今までのドライヴァーで一番飛んで居るのは確かだ。
5.物凄いフックで天白練習場のネットを攻めると中段から上段へと吸い込まれていく。

1.球を飛ばすことだけを考えるとディープフェースでハイバックの分厚いヘッドのドライヴァーよりもシャローバックでヘッドの平たい形のドライヴァーの方が或いは飛ぶのかもしれない。
2.47インチシャフトはSRだろうがSだろうが振り切れれば全部飛ぶものだ。ただし私の場合には出来ればSの方がより望ましかった。
3.が、実は自分にとって楽なスペックのクラブこそが飛ぶのである。何故かというとより速く鋭く振り切れるからなのである。重量にしても、このクラブ は301gと長尺にしても私には軽いクラブだから一発目からブンブン振り回せたのである。
それで、いきなりネットの中段に突き刺さる球が出た。その後は軽過ぎることが分かり、それでもお構いなしに振っていたところ、物凄いフックの球筋になって来た。
其のどフックでネットの中段に突き刺さる球は下手をすると実測で280Y位は飛んで居る可能性もある。

6.ただし球が吹け上がることも屡ある。其の場合は勿論飛んでいないということになる。
7.所謂チーピンも出る。ゆえに危険なのでコースでは使えないドライヴァーである。謂わば私にとっては練習場用のドラコンクラブである。



本日先程迄天白練習場三階打席においてLX460で打っていたところ、子供連れのお父さんーそういえば丁度夏休みだーが通りがかり私の打球を暫く見ていたが二人共凄い!を連発して居た。

さてここでひとつ重要な側面が出て来たのである。

プロモデル系のディープフェースでハイバックのドライヴァーは本当に飛ぶと云えるのだろうか。


試しにCT112を打ってみたところ、低い弾道で強い球が打てるが矢張り結構難しい。

このクラブを打ちこなすには基本的に高い技術が必要なのだ。


それでもついにスゥイングが固まったと云える私には勿論コレで行くことも出来る。

そう、ついにスゥイングイメージに於ける迷いが無くなったのである。

全てが分かった。

スゥイングを悟った。

ついに成道した。


ああ、ついに我はゴルフの仏陀となった。

ゴルフの仏陀は凄い球を放つがそんなことはこんなネットなどで述べて居るよりも実物を見て頂ければ其の凄みと其処まで仕上げていくに至った努力の凄まじさの両方を実感出来る筈なのである。


だから私はもうじきにネットからはサヨナラして本気でシングルさんを目指してやっていくんだよ。

多分もうじきコースへも出るようになるのだろうし、ひょっとすると競技会などへも出るようになるのかもしれない。



さて15年位前のことだったか、当時あの小松製作所の所長にまでなっていた叔父が胃癌で入院して居たのであった。

その更に五年ほど前、たまたま家へ来た叔父と天白練習場で一緒に練習したのである。

其の折に叔父は私のロングアイアンでのショットに目を丸くして居た。

普通は皆上手く打てない筈の4Iを○×はそこまで打てるのか。


私が病院へ見舞いにいくと、叔父はまるで死を覚悟するかのような顔をして居たが、私には一言、もし命が助かったらゴルフをしこたまやりたい、とそう言っていた。

叔父は其の後命が助かり、現在も勿論元気に存命中である。

仕事の方はもう随分前に定年を迎えたが、其の後は数々の競技会にも出て、まさにゴルフ三昧の日々を貫いて居るようである。



この件から私は、時にゴルフという遊びは生き甲斐にもなり得るのだと悟った。

場合によっては男が其処まで打ち込めるスポーツなのである。



「100を切れば友達なくす。90を切れば家庭をなくす。80を切れば仕事をなくす。しかし70を切れば全てが戻ってくる。」とゴルフの世界では屡云われていたりもします。

ゴルフは其処まで人を虜にするスポーツでもあるということなのである。



実際いかにも家庭を大事にする良き旦那様といったような人でゴルフの上手い人を見たことがありません。

小金持ちでもない限り、普通のサラリーマンの家庭ではゴルフはまさに敵なのである。

実際ゴルフは金食い虫で、それも毎年次から次へと高価なクラブが出されて来ますので其の代金だけでも大変なのに、其れに加えて練習場の練習代やコースでのプレイフィーがかかって来る、のみならずガソリン代や高速代や食事代、その他諸の金がかかりこれはもうとんでもない散財が強いられるスポーツなのだ。


それでもゴルフは楽しい。

やって居る本人にとってはもう最高に楽しい。


特に家庭を持たない私には誰にも迷惑をかけずゴルフを続けていけるであろう権利が何よりあろう筈だ。

また其れと同時にゴルフ道を全うするという義務をも負っている筈なのである。


だからこれまで私は本当に頑張ってスゥイングを磨いて来て、其れがついに完成したということなのである。

ちなみにゴルフの話の最終回に其のスゥイング、またはスゥイングイメージについて少しだけ述べたいと思って居ります。




さて、スゥイングイメージが真の意味で完成した私のスゥイングはほぼ固まった。

だから現在は基本的にどんなクラブでも打てる。


昔のクラブだってそれなりに打てるのだし、今のクラブで難しいクラブにしても勿論それなりに打てる。

私にとってはアンダースペックだったマルマンのLX460の長尺モデルにしても、打ち方を少々細工して打てない訳でもない。

LX460は或はドラコン専用、練習場専用のドライヴァーとしては一番面白いクラブなのである。

何せ其の打球を見て皆が驚いて呉れるので其れは大層嬉しいクラブなのである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1717回)  ..2014/07/23(水) 23:41  No.4812
 


それで今日考えて居たのは前回までの考えとはまた全く異なり、プロモデル系のディープフェースでハイバックのモデルでもある程度楽に打てるものはあるのではないかということである。

と言うのも、シャローバック系のヘッドのモデルは楽には打てるのだけれど時折飛んでもなく上がるー所謂吹けるのではないのだがー打球が出て仕舞うのである。

パワーヒッターである私にとっては其れがどうも気持ちが悪い。


で、実は昨今其のディープフェースのモデルでも球が楽に上がるようにしてあるドライヴァーが色々と出されて来て居るのだ。

もっともCT112の場合は特に球が楽に上がるという訳ではないのですが、たとえばマルマンにはLX DEEPというモデルも過去に市販されていて、其の試打インプレなどを読む限りは其れが至極簡単に打てるディープフェースのドライヴァーになって居るものらしい。

そういうのも良いが、いっそのことマルマンのプロモデルの方などはどうなのだろうか。



Conductor PRO-X DRIVER
https://www.maruman-golf.jp/product/conductor/conductor-pro-x-driver/

う〜む、やっぱしコレでしょう。

まさにシンプルで美しい。そして黒くて強そうだ。

コレに47インチのシャフトを仕込み是非入手したいところだ。

コレが手に入れば、合っても合わなくても、ひとまずドライヴァークラブの追求も終えるということになるのだろう。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1718回)  ..2014/07/26(土) 23:22  No.4813
 


Conductor PRO-Xの方へ気が向いて居た矢先、ふいに500ccデカヘッド ドライヴァーの追求をしておかなくてはならないことに気がついた。

というのも、ドライヴァーのヘッドは大きければ大きいほど慣性モーメントが大きくなり、それで其処で芯を外して打った場合にも其の時点でのヘッドのブレが少なくなりかつ方向性も安定するということとなるからである。

つまり重心距離が長い、慣性モーメントが大きいクラブほど球を打った時点での球の軌道は安定し芯を外して打ったとしても飛距離のロスが少ないのである。

ただし、重心距離が長いとクラブとして本質的には操作性が悪くなり打ちにくくなる面もまたある。


ではあるが、実感的には重心距離が短くヘッドの小さいドライヴァーというのは芯が狭くて当てるのが難しいし飛ばないしでもはや現在では使う意義が見いだせないものである。

其れ等のクラシックなドライヴァーは、丁度あのL.E.WatermanやONOTOなどの古典の萬年筆が現在では実用品とは捉えられて居らず、ごく一部のペンマニアの間でのみ日々使われて居るのと同じ様なものなのかもしれない。

だから本質的にはむしろ其の古いモデル達の方が現行モデルよりもずっと本格性がありかつモノが良いのだとしても、何でもそうなのだが文明の進歩と共に生み出されて居る物こそが其の時代にとって真の意味で合って居るのでありかつ使い易く出来て居るのである。


そして特にゴルフのクラブの場合は其の傾向性が顕著に見られるのだと云える。

万年筆の場合、戦前の萬年筆なども机上に限定して使えば意外に扱い易く書き易いものなのだが、ゴルフのクラブの場合昔のクラブは操作性の方は良いにしても兎に角飛距離が出ないので其の点では現行クラブとは比べ物にならないのである。


それと需要量が違うのだろうと思う。

ゴルフは比較的メジャーなスポーツで道具は次々と進化していくのが必然のこととなっているのだが、万年筆は現在では一部の筆記マニアに愛好されて居るだけなのであろうから其処で始終変わる必要などは無い。



ということは500ccデカヘッドは多分かなりに操作性の方は悪くなることかと思うが、 実はこの性質自体は私にとって大きな問題となることではないのである。

なぜなら私は現在もゴルフの上級者などではなくただドライヴァーショットでの飛距離を追求してーそのこと自体を楽しんで居るー居るだけなのである。

前回はついゴルフの仏陀になったなどとつい大きな口を叩いてしまったのだが、本当は型で打つ其の型がようやく分かったところの中級者の端くれ位だろうと思う。


ただ、ゴルフ歴の方ばかりは結構長くやって居る訳である。

其れで運動神経が凡庸の割に努力は重ねて来たのでゴルフスゥイングの真理の方へ其の努力がようやく届いて来たのであろう。


操作性の悪い、しかもヘッド体積の容量の規制-460ccまで-を無視した500ccデカヘッドは元々ルール違反なので競技志向の強い上級者のゴルファーにはほとんど興味を持たれて居ないものだ。

ただ、私は今其の上級者では無いのだし、でも腕的には上級の門を敲いても居る訳で従ってやがては其の上級の世界のクラブで長尺化してみたいと思っては居るのですが現在は逆にオートマチックに真っ直ぐ打ててしかも滅茶苦茶に飛ぶクラブを探して居るだけなのである。



すると、うまいことにイオンスポーツにFAIRLINE 500という47インチの長尺クラブが出されて居て、しかもコレがあらゆる面で飛ばしに特化して居るモデルであることが分かった。


イオンスポーツ FAIRLINE 500
http://www.eon.co.jp/fairline/
http://www.eon.co.jp/fairline/performance.html


ここに、抜群の直進力とあるところがまず大変魅力的である。500ccデカヘッドは 460ccヘッドより慣性モーメントが大きくなり、それで其処で芯を外して打った場合にも其の時点でのヘッドのブレが少なくなりかつ方向性も安定するということとなる。
さらにより重心距離が長い、慣性モーメントが大きいクラブとなる訳なので球を打った時点での球の軌道は安定し芯を外して打ったとしても飛距離のロスが少なくなって居る筈である。

飛距離が出る方ではあるが方向性に難のある私にとってはそうした特性、性質は大きな味方となってくれよう筈だ。


ちなみに他にも500ccデカヘッドのドライヴァーは二種程みつけたのだったが、其れ等はシャフトが長尺化されて居ない為おそらく余り飛ばないことだろうと思われる。
500ccデカヘッドは空気抵抗も大きくなるので短いシャフトで目一杯に振ってもHSは速くならないのではないだろうか。

FAIRLINE 500の場合も超高反発フェースで500ccデカヘッドなので本当は規制値ギリギリの48インチも選べるようにして欲しかったところだ。

ただし47インチの方がミート率が上がり操作性の方も多少良くなろう筈なのである。

だから一概には言えない部分ではあるのですが、飛ばしということに限定すればどうも48インチにしておいた方がより面白かったのではなかろうか。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1719回)  ..2014/07/26(土) 23:23  No.4814
 


さてこのクラブはヤフオクの方に安く出されて居たから其れを本日落札したところである。

全く煩悩目一杯に振り回されて来て居る感じの昨今ではありますが、其れもこれも最後の飛ばしの追求の為にということなのである。

ーそれでもあくまで低予算で追求して来て居る。多分コースへ三回行くよりも安上がりでの追求である。ー


ただしこのクラブで気になるのは285gという軽量クラブであることなのである。

其の軽さが私に合うかどうか、然しもし軽過ぎるのであればヘッド又はシャフトに重りを貼るだけなのではあるが。


いずれにせよ、飛ぶクラブの追求に於ける要件は以下の点に集約されて来るのである。

1.長尺化によりHSの増加をはかること。
2.高反発ないしは超高反発フェースであるか高強度、高硬度のフェースであること。
3.ミート率を下げ過ぎない実用性を両立させたクラブであること。

1.47インチの長尺化により確実に飛距離は伸びる。ただし47インチのクラブを振り切れるパワーがあり、かつスゥイングが最低限固まって居ないと長尺ドライヴァーを使いこなすことは難しい。
2.超高反発フェースは薄肉化により割れる可能性もまたある。だがもし割れるのだとしても矢張り飛ばしへの追求を止める訳にはいかない。
3.クロトやこのFAIRLINEの直進性は相当のものがあろう筈だ。むしろ逆にプロモデル系のヘッドのものよりも易しく打てるのであろうから私にとっての実用性はこの種のクラブの方が上となることだろう。


そして今後私が行っていくことだろう飛ばしの追求を纏めてみた。

T.FAIRLINE 500を兎に角打ちこなしドラコン用のエースドライヴァーとなしていくこと。
U.直進性の高い三角形ヘッドに以前から興味があり、テーラーメードなどのその種のクラブを長尺化して使ってみること。
V.マルマンのプロモデルの方にもまだ未練があるのでそちらの方もまたそのうちに何とかしておきたいとは思う。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1722回)  ..2014/07/29(火) 23:20  No.4817
 


何より道具の追求を行うという趣味である点が万年筆の趣味とゴルフの趣味との根本的な共通点である。

万年筆にも道具が合う、合わないということが明らかにあることと同じくして、いや、其れ以上にゴルフの場合には道具が合う、合わないということがよりシヴィアに現れて来るものだ。

が、道具を使う基本としての使用者の技術ということが問われて来るという意味に於いても両者は共通して居り、特にゴルフのスゥイングの場合には完成させることが非常に難しいので上級者程に突き詰めていかないとまるでなって居ないということでそのまま一生終わって仕舞いかねないものなのだ。

万年筆の方も上級者の方々は書道なり硬筆習字なりを履修された方々で、其れでもってどんな万年筆でもって文字を書くにしてもいつも大体同じように美しい日本語を認めていける能力があろうというものだ。

上級者とはそういうもので、単に物質的な面での知識だけではそうはなれないものなのである。

技術が伴ってこその其の道に於ける上級の人々なのである。


ところで、実感的には私にとって万年筆での筆記はむしろ簡単なのだけれどー何せ筆で書く方が余程に難しいのでー、ゴルフのスゥイングの場合は矢張りどうしても難しい、全体こんなに難 しいものが他に此の世にあるのだろうか?、其れはひょっとするとどんなことよりも一番難しいことなのではないのか、などといつもそう感じられて来て居るのである。


其れでゴルフのスゥイングというのは、要するにコツで打つもので完全なコツ打ちのことである。

万年筆の筆記で喩えるならば、其れはカリグラフィーでの書き方のようなものである。

だから其れは一種の高等技術を伴うものなのである。

勿論誰にも出来るというものではないのだ。




カリグラフィーというものは、筆記上の技術ーコツーが得られぬ限り成らない筆記上の表現なのである。

ゴルフのスゥイングも本質的にはそういうもので、スゥイングの上での技術が無くば決して完成されることの無いコツ打ちとしての運動上の表現のことである。



其のコツのイメージを合理的に、或いは客観的に分かる言葉で言い表すことは実はかなりに難しいことである。

多分一ゴルファーが悟った内容を普遍性を持つ言葉の段階へと翻訳していくことが難しいのだろう。

だからプロゴルファーなどでも其れを一言で言い表して呉れる事を期待するべくもないのである。



其れで大抵は其の悟った内容を部分的に分解し、所謂部分論が展開されていくこととなる。

プロや上級者のレッスンというものはそうした類のものが多いことだろう。


勿論一言で云って居る内容が無いとは言えない訳ですが、それでも大抵は部分的かつ複雑な教えに終始され我我アマチュアゴルファーには其れが煩雑過ぎ余計に訳が分からないものになって仕舞う事が多い。


其れで、私の場合は前々から語って居るように、幾つもの正しいイメージの集積ではなく、一言だけ、其の一発だけの単純明快なイメージでもってゴルフのスゥイングを完成させようとして来たのだ。



ズバリ言えば、其の究極のイメージとは、上から下へ落とす、というものである。

其れもバックスゥイングの開始と同時に上から下へ真っ直ぐに動かすのである。

然し何で上から下へなんだ、バックスイングの始動とは、腕を上げていくのだからむしろ下から上へ、ではないのか?


いや、結果的に腕は確かに上へ上がっていくのだけれど、あくまで其処で腕を上げていくのでは無いのである。

何故なら実は腕を上げていくと腕が体から離れつまり浮き、クラブが正しいスゥイングプレーンには乗らないのである。



だから其処を逆に捉えるのだ。

腕を上げるということは、むしろ肩を下げるということなのである。

つまり左肩の方を下げていくことなのである。


だから腕などはむしろ初めから意識して居ない方がよろしい。

のみならずクラブも手も全く意識しない。


さて、ここでアドレスの形を作るとしてみよう。

其れも分かり易くする為にドライヴァーショットでのアドレスの形を作る。


すると、自然と左の肩の方が上がって居て右の肩の方が下がって居る形となる。



次にこの位置関係の落差を頭の中で増幅して捉えてみる。

すると相当に高い左肩の方から 地面の右肩の方へと崖が出来て居るというイメージが組み上がる。


其の落差を飛び降りるのだ。

誰が飛び降りるのかというと、勿論人間がという訳ではなく左肩自身が飛び降りるのである。

其の飛び降りは必然的に一直線となり放物線でもなくまた他のややこしい曲線でも無い。


だから至極簡単なのだ。

非常にシンプルな直線打法なのである。


左肩が崖を飛び降りて右肩の地面の位置へと動くのである。

そしてこれこそがバックスゥイングの始動からトップへかけての運動の要領である。


尚飛び降りて居る時には自然落下の状態にあるのでどこぞに変な力を入れている必要などはどこにも無い。

兎に角一直線に上の左を下の右へと下ろす、ないしは飛び降りる。


或は其処では左と右が重層的に重なっているものとして、其の落差を上の左から下の右へと落とすと考えてみても良いことだろう。


兎に角左肩と右肩の位置の落差を実際よりも増幅して捉え其の落差を直線的に落としていくということこそがこの打法のミソの部分なのである。

すると腕は其の肩の直線運動につれて自然に上へ上がっていく。

其の場合に腕が体から離れるというアマチュアゴルファーに最も多い悪癖を治すことさえ出来る。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1723回)  ..2014/07/29(火) 23:23  No.4818
 


そして此の打法を実践すると上級者のスゥイングへと自己流のスゥイングが矯正されていくこととなる。


すると、まずミート率が上がり良い当たり、良い打感、良い打音、がずっと続いて出せるようになって来る。

それから芯に当たる確率も高まるので平均飛距離も伸びる。


要するにまさにそういうことなのである。


私が前々からインテリのO先生に語って居たのは、ゴルフのスゥイングを真の意味で完成させるには是非直線運動のイメージが必要であろう筈だということなのであった。インテリでもO先生は其れを聞いてチンプンカンプンに思ったそうなのだが、私には自称の詩人としての直観によりすでに其のように捉えられて居るものなので其れはもはや真理そのもののことなのである。


其れで近く真理の直線の具体的なイメージというものが分かることだろうと思っていたのだったが、案の定其れがこの七月になって私のもとへと舞い降りて来た。


通常ゴルフスゥイングというものは、直線ではなく回転だとか弧であるとか兎に角其のように曲線のイメージでもって捉えていられ易い。

またスゥイングの弧とはつまりは円周のことなのであり、無論のこと其れも明らかに曲線なのである。

然し、其の曲線のイメージでゴルフのスゥイングを捉えていくことは誤りである。特にアマチュアゴルファーは、其の誤った曲線のイメージでもってゴルフのスゥイングを捉えていくことが多い故に真の意味での己のゴルフスゥイングを完成させられないのである。 実際ゴルフスゥイングというものは上級者のレヴェルに於いては直線的なイメージでもって語られて居ることが多い。


曰く、手首は縦に使う、グリップエンドを地面へ向かって真っ直ぐ落とす、或は腰を切る、クラブーシャフトーを立てて振る。


などとは屡云われて来て居ることなのである。


故にアマチュアゴルファーがあの宮里藍のように大きなスゥイングアークでもって曲線的に大きなスゥイングをしようとしたら其れは大間違いだ。


大きなスゥイングアークとは実は小さな、そして鋭い動きから生まれて居るものなのである。 昔から上級者の間ではクラブを小さく振れ、短い腕で振れ、などと云われて来て居るのも其のようなことを言って居るのである。 凡人ー此の場合には運動神経のーはむしろなるべく普通そうなるであろうからそのようにしたいと思って居ることの其の逆を考えてみた方が真理の方角を向いて居る可能性が高いものでもある。

尚、私は昔から曲線よりも直線の方が好きで、 しかも何に対しても真っ直ぐで直情的、人にお愛想が言えず誤魔化しが効かず直接に何かを鷲掴みにしたい性分なので其処を誤解されて人に敬遠されて仕舞うことが実は多い。ー 本当は人よりは少し純粋なだけなのであろうが。ー

だからどんな真理だって直接に真っ直ぐに鷲掴みしたいんだよ。

仏法の真理も、世の中の真相も、万年筆の真理も、ゴルフの真理だって本当は皆そうなのさ。


そういうことで、我がスゥイングイメージは之でもって成った。

スゥイング中は何せ肩が直線運動して居るだけだから当たりが良くなり、結果随分上手くなれたのである。


尚、今回私が述べたのは上級者としてのゴルフのスゥイングの完成の世界へ入っていく為のスゥイングイメージについて述べたのである。ゆえにこれまでに私が此処で語って来たスゥイングイメージとは畢竟其れは中級者の為のスゥイングイメージにほかならなかったものである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1725回)  ..2014/08/03(日) 18:29  No.4820
 


さて私は本日もまさにスポコンゴルフを貫いて来て居ります。

午前中から五時間近くもかけてまた練習場で480球を打ち込んで参りました。


私はアマチュアゴルファーの割には練習が苦にならずむしろ大好きですので練習量が並ではないのです。

其れで本日はドライヴァーの打ち方の二種を試して居りました。


FAIRLINE 500の打ち方としては、先に述べた上から下へという打法、平たく言えば断崖飛び降りという打法を行います。

ただし他のドライヴァー用には、もう少し正確性の出せる打法を新たに開発致しましたが、此れは言葉で説明することが非常に難しい打ち方なので此処には書けません。

其れで今のところFAIRLINE 500以外のドライヴァーでは非常に精度が出て正確に打てるようになって参りました。



それもこれも、スゥイングが本質的に良くなったということが其処に示されて居るのです。

其のようにスゥイングが本質的に良くならないとゴルフなんて絶対に上達しません。


例えばコースにばかり出てコース慣れしてスコアが少々縮まったにせよそんなものには限界があります。


其のようにスゥイングの本質の部分を突き詰めていかないと決して本質的に上手くなれないのがゴルフというスポーツの特徴です。

本質の部分を突き詰めていくのはコースへ出ることでそうなるのではなく、まさに練習、練習で沢山球を打つことから次第に分かって来るものなのだと思われます。



さて、FAIRLINE 500ドライヴァーですが、これはまさにとんでもないドライヴァーでした。

良い意味でもまた悪い意味でも。


当初はこれが滅茶苦茶打ちにくいクラブに感じられた。

何だか分からないが兎に角打ちにくい。

私にとってはなかなか良い当たりが出ないクラブであった。


つまりはこちらの予想、予測とは正反対の性格を持ったクラブであった。

フェース面がシャロー過ぎて、つまり横長に過ぎる為打ちにくいし当たっても球が高く上がり過ぎて仕舞う。


其れで、他のドライヴァーを打ってみると皆楽に打てる訳です。

もっともCT-112だけは少し難しくなるが、クロトなどは特に楽に良い球を放つことが出来る。


つまりコイツが一番厄介なクラブだったのだ。

幾ら頑張って振っても当たらないわ、当たったとしても高く上がるだけで飛ばないわでまさに最悪の選択を行なって仕舞ったかのように見えた。


然し、である。

それでは困る訳である。


折角買ったクラブがそんなことでは全く困る。


此のFAIRLINE 500は47インチシャフトですが他の47インチシャフトと比べると僅かに長めであり其処は好ましい部分だった。

然しヘッドの方が兎に角難しい。

長尺で大きいヘッドなので或はヘッドの返りが遅いのか、また空気抵抗も多そうなので意外に振り切れないクラブなのだった。


其処で、ひとつの打ち方を今試して居るところである。

其れは先にも述べた断崖飛び降りというバックスゥイングのことではなく、ダウンスゥイングでの打ち方のことである。


是れを完全に上級者の打ち方でもって行う。

具体的にはクラブをインサイドから右の真下へと落としていく。


逆に言えば其れは左の方ー球のある方ーへは振らない、クラブを落とさないということなのである。

其れをやらないとこのクラブからは快音が響かない。


だからこそ難しい。

然しだからこそ此れは正しいクラブなのである。


つまり誤魔化しの効かないクラブだったのである。

おそらく上級者やプロには打てても、アベレージゴルファーには難しいドライヴァーだったのである。



然しながらFAIRLINE 500の価値とはまさに其処にこそあるものだったのである。

此のクラブを打ちこなすことが出来てこそ真の意味でスゥイングを完成することが出来るということなのである。


従って自分にとって楽に打てるクラブのみが価値のあるクラブであるとは言い切れないのである。

こうしたゴルファーの技量を試すかのようなクラブ、或は自己の技量を押し上げていって呉れるようなクラブこそが本物のクラブなのだとも言える。


尚この夏場に五時間近くもかけて練習場で480球を打ち込むことは確かに大変なことではあるが、其のように懸命に練習すること、そうしたハードな練習を重ねることで見えて来る世界というものは確実にあるということなのだ。

そうした練習のさ中からこそ様々なことが分かって来るものなのである。

練習しなければ全く分からないことも、練習して居れば全てが分かって来るということは確かにある。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1726回)  ..2014/08/06(水) 00:15  No.4821
 



さて以前に手に入れたEバランスのオノフ ドライヴァーですが、之が実は秘密兵器です。

中古 リシャフト◆オノフ TYPE-S ドライバー 2012◆9°無双XL/XS
http://page14.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s387241794


どのような意味で秘密兵器なのかと言えば、これこそが振らないクラブで重みで飛ばすという意味での秘密兵器です。

其の部分を分かり易く説明します。

私は高校生の頃から二十代の半ば頃までバッティングセンターへ通うことが運動系での唯一の趣味でした。


元々詩人肌の性質の人間なので運動は余り好きだとは言えず、運動部を経験したのは高1の頃に無理やり担任に入れられたハンドボール部だけでしかも其処は夏休みが終わるとやめてしまいました。

然しこの時に経験した運動部の練習の厳しさは一生の思い出としていまだに脳裏に焼きついて居ます。

特にこの八月の暑い日にゼイヨウ、とか何とか掛け声を上げながら十キロ位走らされたことはもう本当に苦しいことだった。

其の時に経験した運動による肉体の苦しさというものは今までで一番辛いものであった。


それですぐヘコタレた訳です。

何せ私は根が詩人なのでそんな運動ばかりやって居る暇など本当は無く、家へ帰れば読むべき文学書が山積みになって居たりして居る訳で、是非そちらの方をやらないと今のようにこうして自称の詩人など名乗って居られなかったのですから矢張り其のようにしたことの方が正しかったのであります。

ただし、野球は好きでした。

それで週に一、二度はバッティングセンターへ通いしかも三箇所程色々な所へ通うといった凝りようでした。



バッティングセンターでは私は長距離ヒッターで良くホームランの場所に当てたりして居りました。

しかも145キロとか150キロといった速球を打つことが得意であった。

ところがゴルフに転向してからは120キロの球も当たらなくなり、のみならず当たっても全然飛ばなくなって仕舞いました。


だからバッティングとゴルフのスゥイングは似て居る部分も確かにあるのだが全く違う部分も矢張りあるということなのでしょう。

ただしパワーヒッターであることだけは昔も今も変わりがありません。


其の速球打ちで私は最も重いマイ金属バットを持参して打って居りました。

私は其の道具の重さを利用してエネルギーの強い速球を跳ね返して居たのです。

そういう打ち方が得意だったということなのです。


ところがバッティングセンターには逆に軽いバットが多く置かれて居た。

150キロもの速球は、一般人が打つ場合軽い道具でないと速く振れないからなのでしょう。

然し私は其れで打つとまるで飛ばなかったです。


あくまで私の打ち方はそういう打ち方ではなかったということなのです。


そしてゴルフの場合にも私はヘッドの効いた重めのクラブを扱うことには長けて居ります。

だからこそEバランスのオノフ ドライヴァーをわざわざ落札して置いたのです。


それで、このドライヴァーの打ち方ですが、かって私が速球を打って居た時と同じようにクラブーヘッドーの重量を利用した打ち方をして居るのです。

すなわちインパクトの瞬間にだけ其の重みをぶつけるような打ち方を意図的に行なって居るのです。


ということはスゥイング中他のところには全く力を入れていないということです。


例えば釘を打つときには力を入れて居るようで居て実は釘の頭を打つときにだけ最大の力が加えられて居る筈なのです。

平たく云えば其のような打ち方に近いのだと言えます。


其の打ち方で打ちますと、オノフ ドライヴァーは全く素晴らしいクラブとなります。

方向安定性とスゥイングの再現性に優れ、またヘッドがセミアスリートモデルで易しく打てかつ球も楽に上がって呉れます。


従ってコース用にはこのオノフ ドライヴァーが最も向いて居ると考えられます。

確かにクロトの方向安定性とスゥイングの再現性、飛距離性能は素晴らしいものがあるが、叩けるクラブなので無理をして叩くと左へOBを打つ可能性もまたあるクラブだ。


然しオノフの方はハードな仕様で叩こうにも叩けず、従っていつも安定した脱力一点入力打法でいくほかなく其れでスゥイング的にも最も安定して居るドライヴァーだと言える。

またSXの無双シャフトは46.5インチで今の私の感覚からすれば短めで操作性の方も高い。

だからまさにコース再デビューの際にはうってつけのドライヴァーなのだと考えられる。


尚この釘打ちの要領での打法ですが、本来ならばゴルフのスゥイングとは皆此の釘打ちの要領で打つべきものなのです。


其れは止まって居る球を打つ運動であるからです。

対して野球のボールは飛んでくる球を打ち返す運動なので其処に根本的な違いがあります。


さて、両者ではどちらがより難しいだろうかということが屡論じられて来たりもして居るのですが、そこからの印象ではどうもゴルフの方がより難しいと捉えられて居るような気が致します。

要するにゴルフボールは無から有を生ずるが如くにほかでもない個々のゴルファーが其の運動に生命の全てを与えてやらねばならないという点に於いて難しいのだと云えます。


ゴルフのスゥイングとは要するに釘を打つ方向性を九十度変えたものなのだと思われます。

だから本当はすべからく此の釘打ちのような打ち方でもって球を打っていくべきである。


其の事は軽いクラブではなかなか分かりませんが、ハードなスペックでヘッドが重いオノフ ドライヴァーは其の事を否応なく意識させられる仕様に仕上がって居るのです。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1727回)  ..2014/08/07(木) 23:29  No.4822
 


さてFAIRLINE500の打ち方が分かった。

其れはこのクラブに対する固有の打ち方では無く私のスゥイングがおかしかったのを直した形で分かったのである。


だから他のクラブも皆そちらの打ち方に移行した。

ま、これで多分大丈夫でしょう。


第一今私は今天白練習場のドラコン王者になって居るのだ。

たまたま本物の飛ばし屋さんと遭遇することが無い限りまずドライヴァーの飛距離で負けることなどは無い。


然しそういうのは典型的な馬鹿ゴルファーなので実際にはアイツは大馬鹿だと思われているだろうこと必定である。

ー普通ドライヴァーばかり振り回して打っている奴は上手では無い下賎なゴルファーと見做されることが多い。ー

然し私のゴルフはストレス解消の為の馬鹿ゴルフで結構、上級者を気取っている輩のように難しい事をいつも言って居るという訳ではないのでこれで充分なんだ。



本日も前の打席には立派な道具を引っ提げた明らかにシングル級と思しき十歳位上の方がまさしくシングル級の球を放って居られたのだったが、我は其のシングルさんの球をアウトドライヴすることだけに専念し実際に飛距離では明らかに私が優って居た。

ただ、私の場合には余りにも打音が大きく3F練習場の半分位に其のデカい音が轟くのである。


でもシングルさんがチラチラと私の方を気にして居られたのは其の音のデカさばかりではなく私のパワーにちと驚いたからなのではなかったか。

それとも、この馬鹿野郎、お前のドライヴァーの打音がデカ過ぎて練習に専念出来ん、もっと静かに打てこの馬鹿力の中級者めが、とそう思いつつ見られて居たのかもしれない。


然しながら、他人にどう思われようが私はこの飛ばしの道を貫く所存である。

上級者たちよ、あなた方もこの私のフルスゥイングにはついて来られないであろう、ソレ見た事か、ざまあみやがれ。



打音が大きかったのは、勿論FAIRLINE500で打って居たからである。

確かに他のドライヴァーでも打って居た。

ー今私は必ず4本のドライヴァーを使いつつ練習して居る。でも自転車で4本を運ぶのは結構大変だよ。ー


然しFAIRLINE500で打つ音及び打球は迫力が全然違う。

もう化け物なのだ、化け物。


嗚呼、其の凄さを是非直接にお伝えしたいところだ。

其の化け物ドライヴの物凄さはとても文章では伝え切れないのである。


スゥイングを変えたところは、意図的にハンドダウンで構えるようにして、其れで其の角度を維持したまま水の上を浮いたピンポン玉を掬うようなイメージで球を打っていくという風にした。

だから申し訳ないが断崖飛び降りの打法はもはやスッ飛んで仕舞ったのだ。

其れでこそ球が捉え切れるようになった。

しかもすべてのドライヴァーが其の打法で打てるのである。



FAIRLINE500は、明らかに飛んで居る。

今日のように強いアゲインストでもネットには当たるのでこれはもう相当な飛距離である。


其れも物凄い高弾道でブッ飛んでいく。

こんな球は私自身初めてで、全く自分が打っている球だとは信じられない位だ。

そして何より其の迫力の凄まじさ。


だから本当はこのクラブを夜使ってはいけません。

何せとてもうるさいので。


でも他のドライヴァーを打つ方が所謂玄人級の良い打球が打てる。

所謂シングル級の伸びる低い弾道の打球を放てるのである。


然しFAIRLINE500の球はまた其れとは別物なのだ。

嗚呼、何たる力強さなのだろう。

其処に筋力があり戦闘力が備わりアドレナリンが目一杯で、つまりは男の本能モロ出しで馬鹿力そのものの凄い打球。


此の脆く繊細な詩人の心とは対極にある男の糞力、単純な筋肉の労働の熱さと美しさよ。

バコーン、バコーンとまるで手榴弾が炸裂するかのような音がして球が高ーく飛んでいくのです。



練習場へ行く前に、近くにある中古クラブのショップへ寄りました。

其処でバランスの重りを買いクラブも色々と見て来た。


其処ではEPON、KAMUI、MIRAIと云った地クラブ、カスタムクラブの面々が待ち受けて居た。

其れでショップの店長さんとクラブ談義をして参りました。



私はドライヴァーは全部47インチでぶっ飛ばして居るのだ。

コースへは行かず、練習場でぶっ飛ばすのだ、其れこそが趣味なのだ。


ーいやー、楽しいでしょうね。それはー。ー


だからココにあるEPONやKAMUIなどを47インチ仕様にして是非ぶっ飛ばしてみたいのだ。

然しながら、此等は決まって値段が高い。

おや、こんな所にKAMUIの限定白ヘッドのドライヴァーがあるではないか。

どれどれ、まるで新品のようだが、おお、何と九万円もして居るではないか。

ーいやー、KAMUIはオススメですよー、ハードヒッターの方には是非オススメです。47インチも勿論OKです。それに地元ー中部圏としての富山県ーのクラブなので人気も高いです。ー


関東の上級者の奴らなんて皆カスタムクラブばっか使っとるんだ。私も千葉のジオテックのクロトを東京人から落札したんだ。すると、これがまた物凄く打ち易いクラブだったんだ。関東はもはやそういう奴等ばっかりだ。

ーいやー、カスタムクラブは関東に多いですからねー。ジオテックと云えば限定クロトの方も凄そうですよ。其れからEPON。此れは兎に角打感が良いです。鍛造の仕方がカップー?ーになって居て他とは違います。EPONも47インチは可能です。是非一本如何でしょうか?ー


勿論欲しいには欲しいのだが、あいにく金がねえだよ。オイラはこれから天白練習場へ沢山球を打ちに行くのだ。ゆえにこんな店で散財して居る暇などは無い。されどまたの機会にはぜひ宜しくね。KAMUIは特にしっかりしてて良かったよ。そういえば天白練習場には道具をKAMUIで全部揃えたシングルさんも来て居るんだ。其れが物凄い球を放って居るのだ。私よりは明らかに年上なのだが、正確さばかりか飛距離でも私はかなわないんだ。私もKAMUIを使えば勝てるのかなあ、其のシングルの爺さんに。

ー … ー


書き忘れて居りましたが、バランスのウェイトはFAIRLINE500に二枚貼り、従ってクラブ総重量は十g重くなりましたが、其れで丁度私には合っているようです。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1734回)  ..2014/08/18(月) 23:22  No.4829
 


この盆の期間に日頃は練習場へは来ないような上級者と思しき飛ばし屋をみかけたのだったが、彼は私よりも十歳位若い感じの人で格好良くバシリウスのキャディバッグを引っ提げて、おまけにどこのドライヴァーかは知らぬが長尺を振り回して居りネットの中段へライナー系の良い球を打って居た。

ただし球はばらける。

典型的な飛ばし屋ならではのバラけ方である。


もう一人、背の高い若い人で時折プロ級の打球を放って居た人があった。

ただしこちらの方もバラけるというか相当に崩れる。

然しあくまで当たった時には私でもとてもかなわないような球を放って居られる。


其の彼のドライヴァーの方が至極面妖なものに見え興味津々であった。

いや、其の折には然程気にもならないものだったのだが、其の後次第に不思議なものに思えだし是非知りたいものに思えて来た。


其れはシャローバックの簡単クラブ系のヘッドのドライヴァーながら当たれば規格外に飛んで居る訳である。

ここからも、シャローバックのヘッドのドライヴァーはもはや初級者や女性、シニア向けのゴルフギアではないのである。


シャフトを堅いものとして長尺化すれば其れは立派にハードヒッター向けの飛ばしの仕様となすことも出来る。


サテ、あのドライヴァーは一体どこのメーカーのものだったのだろうか?

我もあんなもので是非球を打ってみたいものだ。

プロギアかそれともPINGのものだったのだろうか。


まあ兎に角今は売り出されて居るドライヴァーの数が多過ぎて一目見た位ではどこのものなのか分かりはしない。


さてこの一件からもどうも上級者が好んで使って居るようなディープフェイスでハイバックのヘッドのドライヴァーよりもシャローバックのヘッドのドライヴァーで飛ばしの方に特化した長尺のモデルの方が飛距離は出ているのであろう。

上級者がそうしたヘッドを好むのはコースへ出た時にインテンショナルに球を曲げることがし易い、即ち操作性が良く自分の思う通りの球筋を打ち分けて行き易いからそうして居るのであろう。


ちなみに私にはそこまでの技術は無いが、それでもかっては筋金入りのハードヒッターだったのでドライヴァーなどは310cc位までの小振りのヘッドを好んで使って居たのであった。

其れで今風のデカいヘッドのドライヴァーは毛嫌いして居て、其れ等はこの私の目にはまさしくあのUFOのようなものに見えて居たのである。


だからそのあたりの流れからすれば矢張り私はディープフェイスでハイバックのヘッドのドライヴァーを好む上級の世界へと足を踏み入れるべきだったのだろう。

ところが、五十肩で二年近くもゴルフが出来なかった私には今ゴルフをすることが出来、さらに飛ばしの追求もやって来られて居ることがもう嬉しくて楽しくて仕方が無いのである。


それにまあ上級者なんて糞くらえとでも云うべき天邪鬼精神も無いでは無く、だから俺は中級者で十分だがただ飛距離の方ではシングルさん、貴方方には決して負けないのだよ。

いや、俺が勝つんだ、必ず勝ってやる、ギャフンと言わせてやる、それだけが俺の趣味なのさ。


勿論そのディープフェイスで ハイバックのヘッドのドライヴァーを長尺化して使っていくことを考えていないではないのだ。

其れもしてみるつもりながら、今は兎に角デカいヘッドでシャローバックのヘッドのドライヴァーでもって飛ばしていきたい。

その方が球がバラけないからなのである。


FAIRLINE500 に於ける500ccヘッドの破壊力はまさしく本物である。

然しこのドライヴァーは打ちこなすのが本当に難しい。

結局いまだに難しいままなのである。


然し以前にも述べた通りにこのドライヴァーの飛距離性能は他のクラブのそれとはまた別物なのである。

丁度万年筆の方であのオノトのマンモスが特別な使用感のする古典のペンであるということと同じくしてこのドライヴァーもまた特別な何かを持って居るのである。


このクラブが基本的に打ちにくいのは重心距離が長いであろうことと大きなヘッドが返りにくく振り切ることが難しいという部分にあるのかもしれない。

あれからも色々とやって来て居るのではあるがどうもミート率を上げることが出来ないのである。


打ち方の方は、結局また断崖飛び降りの方の打法に戻り、 しかも其処に釘打ちの打法を組み合わせることにより何やらとても良い感じの球の捉えとなったのだったが其れがまたいつまで続くものかは分からない。


実際に今現在試し始めて居るのが剣道打法というものである。


この剣道打法というのは、ゴルフのスウィングとは剣道の面打ちの技術と全く同じである、という理論から組みあがった打法のことだ。

ゴルフのスウィングとは其れ即ち剣道の面打ちのことだ。

ただし体が動くかまたは回転すると同時に其の面打ちが開始さ れ、しかも面打ちの終了時に於いて左への体の動きが加速されて居るから其の加速力で球が結果的にヘッドにぶつかり飛んでいくのである。


ただしイメージ上はあくまで面打ちを行うのである。

だから矢張り球を打ち込むようなイメージでクラブを振るのである。


ところでアマチュアゴルファーにとって一番苦手なのが球を深くしっかりと捉えるということである。

上級者やプロのインパクトは強いと言うか深いと言うか重いというか、其処ではドシッ、ビシッという音がして球が捉えられて居るものだが、下手糞が打つとカチンとかコチンとかカスッとかゴソッとかまるでなってない音と共に球がヘナヘナと飛んでいき其れで結局まるでなってないよわい球筋となりドライヴァーで打ってもなかなか200Yも飛ばないということとなる。

アア、情けなや。其処では球の捉えが甘い、薄い、弱い。


其れを是非厳しく濃く力強いものにしていかねばなるまい。

勿論私も其れが真の意味で出来て居ないからこそこうして苦しんで居るのである、日々あがいて来て居るのである、パコーン、パコーン、ああ、クソ、もうゴルフなんかやめてやる、一体何で完璧に打てないのだ、こんなに努力して来て居るというのに、もう三百も打ったというのに何で変わらんのだ、パコーン、パコーン。


其れをドシーン、ドスーンという重いインパクトに是非変えていかなければなるまい。



麺打ちの職人、もとい、面打ちの剣士、侍、イチロー、つまりはゴルフの武士、ゴルフに於ける封建制の美徳、宮本 武蔵、元公儀介錯人の拝 一刀、沖田 総司、剣道八段、フェンシングには無い精神性、のようなものを今後我は是非目指していくことであろう。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1735回)  ..2014/08/20(水) 23:51  No.4830
 


500ccヘッドのドライヴァーは練習場で飛距離を純粋に追求することに対しては或は有利なのかもしれない。

ただし、私がFAIRLINE500を使ってみた結果から言えることは、500ccもの大型のヘッドを47インチ以上の長尺仕様で振り回す場合には実はかなりのパワーが必要だということになる。


其れもHPの速い筋肉質のハードヒッターというよりも基本的に体に底力のある人か或は身長が180センチ以上あるような大きい人に其れは向いて居るようにも思える。

だからなのか、市販されて居るルール適合外の500ccヘッドのドライヴァーを調べてみると長尺仕様はほとんど無く逆に短尺仕様になって居たりするものだ。


なる程其れが短尺仕様であればおそらく普通の体力の人か非力な人でも振っていくことが出来ることだろう。

然し短尺仕様は実際には平均的なHSでは飛ばないということも考慮しておく必要がある。

短尺仕様で重ヘッドのドライヴァーを使って居るのは実際にはHSの速いプロだけなのであり、我我アマチュアゴルファーではなかなか其の仕様で飛ばしていくこと自体が難しいことだろう。


つまり、アマチュアのレヴェルでは結局飛距離はシャフトの長さで、即ち長尺化することにより得られることだろう。


ところが実際には長尺仕様のドライヴァーはなかなかシャープには振り切れないので其れが即飛距離アップになるという訳でもな く、それよりもむしろより楽にいつもの飛距離が得られるというのが私の実感なのである。


飛距離というのは伸ばすのが其のくらいに難しいことなのでもある。

結局体力が無いと200Yの飛距離を250Yにしていくことは難しいことだろう。

また250Yの飛距離を300Yまで伸ばしていくことはさらに難しいことなのかもしれない。


HSというのはひとつの才能のようなもので、元々速い人は速いのだし、遅い人は遅い。

其れは絵や音楽や文学に於ける才能と同じようなもので努力だけでは如何ともし難いといった部分も確実にある。


ところがゴルフは要するに上がってナンボで、本来ならば飛距離を追求するようなスポーツでは無いので飛距離が出ないからと言って悩むようなものでは本当は無い。

けれど実際には飛距離が出ることは大きなアドヴァンテージとなることでもある。


其れと一種バカバカしい追求ではあるが私のように飛距離だけを追求するゴルフの趣味があっても良い筈である。

其れにバカバカしいようには見えても、飛距離が出て尚且つ安定した球筋を打てるようになる事はゴルファーとしての究極の目標なのである。

だから其れが出来るようになり、コースへ出てまた場慣れしていけば70台のスコアも夢ではないのである。


ちなみに今O先生はドライヴァーショットをすべてコース用に六分位の力で打つ練習をして居るのだが私は其の練習法には賛同しかねる。

練習はまずフルスイングで行うことが基本で、その中で二割位を八分位に抑えたコース用のショットの練習に割いていくべきである。


何故ならフルショットでスウィングが完成されて居なければ抑えたショットでもまともなスウィングとは決してならないからなのである。

その場合に抑えた誤ったスウィングでもって沢山球を打つこととなり余計にドライヴァーショットが下手くそになっていって仕舞うことにもなりかねない。


なんでもそうだけれど、手加減ということは完成者にして初めて可能となることなのであり、下手糞の人は其処で手加減も何も、 元々なって居ないのだからなって居ないなりに思い切り振って直していくほかは無いのである。

故に理想は、まずフルショットで飛んで曲がらない球を打てるようにすることであり、手加減するショットなどは其のあとに幾らでも出来ることなのである。


実際に私はドライヴァーショットに於いては完成の域に近づいて来て居り、今は最後の詰の段階としてあることをして居るばかりなのである。

其のあることとは、断崖飛び降りーまあ余り良くはない言葉ではありますがーの飛び降りの範囲をより広くして、つまりより思い切って飛び降りた方が完璧に近づくということなのであった。


其れが出来た時の球筋は完全にシングルの域での球となる。

或は飛距離的にはシングルさんを追い越して飛ばない方のプロ位にまでは確実に届いて来て居る。


ということで、実は例の剣道打法というのは其の後練習してみて少し難しかったのである。

将来的には追求していくことがあるのかもしれないが今は安定した球筋が打て再現性のある<思い切り断崖飛び降り打法>の方でいくことにした。



FAIRLINE500はいまだに打ちこなせて居ない ので、この<思い切り断崖飛び降り打法>でもって今度の金曜日あたりに是非トライしてみるつもりである。


尚、現在私はFAIRLINE500ではフルショットをして、他のドライヴァーでは七割、八割位のショットをして居ることが多い。

其れは他のドライヴァーならばフルショットをしても皆芯に当てられるようになったからなのだ。


そうなって初めて、手加減するショットに於いても正しく打てるようになるのである。

そして八割の力で打っても実は飛距離はそう変わらない。

むしろ余分な力が抜けてヘッドが走るのでフルショットの場合よりも逆に飛んで居ることさえある。


然し、そのようなことは結果論であるに過ぎない。

大事なのは思い切り打っても崩れないスウィングを完成させるということにこそある。


思い切り打っても崩れなければ、八割の力で打つのはより簡単である。

東大へいく頭の力がある奴が名大へ入るのは多分より簡単であ る。


だから私は其れをやって来て居るのである。ーただし大学の方はとても入れなかったのだったがー


さて、前回語って居た背の高い若い人が時折プロ級の打球を放って居た面妖なドライヴァーのことですが、色々調べた結果どうもPINGのドライヴァーではなかったかということとなった。



ピン「G30」ドライバー
http://clubping.jp/product/product2015_d.html

まさにこんな感じのものだった。

或はこれのひとつ前のモデルのG25というモデルかもしれない。


ピンのクラブというのは、私はこれまでに使ってみたことは無い。

嫌いだったのである。

相当に嫌いな、科学的な、或は現代的なクラブであった。


昔ピンにキャビティタイプの異様な姿のヘッドのアイアンが出て、其れが全くに妖怪のように見えて仕方がなく兎に角気持ちが悪かったのである。

私は新しいものが好きでは無くむしろ本当は余り変化を望まない人間なので本質的には保守主義者なのである。


そのくせアナーキストなのではあるが、其の思想が成就した暁には永遠にそのままで居て欲しいとさえ考えて居るのだから元々私は完全な保守主義者である。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1736回)  ..2014/08/20(水) 23:53  No.4831
 


このどこかいやらしいゴルフクラブのように見えるPINGのドライヴァー、こんなものに元々全然興味はなかったのだったが何故か今は気になって気になって仕方が無い。

たとえばピンの前作のG25は非常に個性的なコンセプトの元に生み出されたクラブだった。


其れは二百gオーヴァーもの所謂重ヘッドで飛ばしてみようというドライヴァーだったのだ。

G25のヘッドの形状も新作のG30と同じくディープフェースでもってシャローバックというものである。

其のディープフェースでもってシャローバックというヘッド形状が今私には最も関心があるのだ。


何でかと言えばFAIRLINE500 は相当なシャローフェースで、つまり横に細長いフェース面なので上下に関してはかなりに許容度が小さく打ち易くはないのである。

要するに本当に空飛ぶ円盤のような平たい大きな横長のヘッドで球を打っているようなものなのである。


勿論その代わりにフェース面の左右には長さがあり芯をはずして打った場合にも許容度が高くある。


其のシャローバックのヘッド形状は良いのだけれど、ディープフェースで上下が長く分厚い感じのフェース面の方が打ち易そうなのだ。

だからとりあえずG25の方でも良いからPINGのドライヴァーを一度は打ってみたいという気になりつつある。


ちなみにこれらのPINGのドライヴァーでネックとなることは長尺化することが難しいということである。

何せ重いヘッドであるゆえ、47インチのシャフトで長尺化するとおそらくこの私でも振り切れなくなることだろう。

ー対してFAIRLINE500 のヘッドは百八十g台と軽い。それでも500ccのヘッドが円盤型で大き過ぎるのでシャープに振ることは基本的に難しい。また私には軽過ぎるヘッドなので重りを二枚貼り百九十g台のヘッドとして居る。ー



然し以前にも述べたように、超人的な体力の人かまたはマシーン であれば重いヘッド付きの長尺ドライヴァーを振り切ってまさにとんでもない飛距離を出すことも出来ようはずだ。

でも私にはどうも無理のようなのでいまひとつ本気にはなれて居ないのだけれどクラブの追求という面では究極のドライヴァーとして一本作ってみるのも面白いのかもしれない。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1738回)  ..2014/08/23(土) 19:26  No.4833
 


http://yahoo.jp/box/LbMrub

まさに色とりどりの翡翠は相変わらず一種気難しい私の心を癒し続けて居て呉れる。

此の世に美しいものは数々あれど、石の美しさというものはまた格別のもので、其の美しさに永続性があるー生命に比べての話ながらーことが生ものである自分とは異なる部分である訳で、其処が何より私の変化を余り望まない気質と共鳴しこうして机上を賑わせることになって居る。

元より此の世に存在して居るものはすべからく無常のもので其処には何一つ永続する実体としてのものは無い。

実体では無いのだから其れは仮のもので、其の非実体的な影のようなものを我々は毎日拜んでは信奉して居るのである。


対する実体というものは目には見えず存在して居ないものなので基本的に我々には知覚出来ないものなのである。

然し心のあり方を変えていくことで目には見えないまでも何となくそうしたものの匂いや気配のようなものは感じられるようになって来る。

だが其れは所謂お化けでもなく精霊でもなく、また神でもなく超人なのでも無い。


まあ仏教徒にしてみれば其れこそが仏性、つまりは佛ということとなる。

キリスト教徒やイスラム教徒にとっては其れは矢張り神であるということとなる。

つまるところ仏教徒にとっては其の佛だけが実体であり確定であり永遠であり全体である。


その他のものは全部幻であり仮であり刹那であり部分なのである。

実体とはそうしたことであり、我々の目の前の現象など本当の本当は非実体的な存在という現象としての妖の影絵のようなものをそう思い込んで居るだけなのである。


ゆえに翡翠もまた其の妖の影絵で、萬年筆の方も其の妖の影絵で、ゴルフの道具なども勿論そうで、それだけではなく妻も子も兄妹や両親もまた親族も友達も先輩も後輩も皆妖の影絵に過ぎず、よってそうしたものに拘るべきではなく、或は私のように観念性の方が強い人などにとっても其の観念自体が虚妄であり虚偽であり実体ではないのである。

要するにこの宇宙の森羅万象はおしなべて実体では無い。

ただひとつ佛だけを除いては。


そうした限定で虚としての非実体性を生きていかざるを得ない我々は本来ならば下らないことに心を向けるべきではなくまさに佛のように清らかな心でもって明らかに物事を見つめ続けていくことこそが理想である。

されどこのような不確かな虚で仮の世界ではそのような清らかさが心に芽生えるべくもなくむしろ下らないことばかりに皆は心を砕いて、其処で下らない自己保身、下らない子孫の繁栄、下らない蓄財、下らない食欲性欲金権欲などの悪趣に染まりきって仕舞って居るからつまりは皆心が汚れきって仕舞って居るのである。


ちなみに私にはそうしたタイプの欲はもはや無いのですが、観念欲と美への欲というものはむしろ人一倍強く持ち合わせて居り、私の生涯は其の部分での追求を行うためにこそあったのであり、この思考欲、表現欲、批判欲、美への賛美、美への信仰といったことに関して深く深く囚えられて居るという点に於いては私は全くの凡夫でありこの闇ー無明ーの世界に囚われし囚人そのものである。


然し、其の哀しい現実をしばし忘れさせて呉れるのが私の場合にはまず石達なのである。

或は永続的な実体性への憧れのようなものからなのか、石たちを見るにつけ、其れ等は常に変わらず私を慰め続けて呉れるのである。




日本翡翠原石
http://www.stonesbazar.com/shopping/list.php?cate1=122&cate2=179

糸魚川の石では此処にもある通りに入りコン沢青翡翠というのがとても美しいのである。

翡翠は緑色で透明度の高いものが確かに一番美しいのだけれど、実は青の翡翠はそれよりも数が少なく特に全体が青である石はほとんど無いもののようだ。

私も前々から質の高い青い翡翠が欲しいと思っては居るのですが、質の高い緑の翡翠ですら得ることが難しいというのにましてや青ともなるとなかなか良品には巡り合えず、よしんばあったとしても其れは必ず高価なものとなり私の金力では如何ともしがたいといったところであるのが実情だ。


カネ、金、この非実体の世を貫く原理とは兎に角金の力の優ったものが何でも良いものを得ることが出来るということである。

然し私のような詩人の場合はたとえ金はなくとも心のほうが元々豊かである。

コレクター詩人などは人間としても詩人としてもたかが知れて居るのだとしてもだ、ザマ見やがれ、こちとら考える方の力だけは少しだけあるぞ。

だから金は無くとも考える、サア、この翡翠を握りしめて考えるんだ。

団子より花だ、金力より観念力だ、独覚はいつも食わねど高楊枝、の心意気だ。


観念力のみを奉じて餓死するか、それとも団子に迎合して豚になるか、だ。

いや、それでも本当の私はまさに其の豚ちゃんでーす。

豚ちゃんだからこそこうして翡翠などが大好きなのだぞよ。


ま、金なくば石の収集もまた不可能である。

金を百万ほど用意して、糸魚川の方へ行き色々と専門店を回ってみればもっと良い石が店の奥の方から出されて来たりする筈である。

無論のこと其処で桁違いの一千万程を持っていけば勿論もっと凄い石がゴロゴロと出て来るだろう筈だ。


でも私の本当の夢はそんな金の力に頼ったものでなく新潟の海に潜って海中の翡翠ー其れも凄い翡翠をーをかっさらって来ることなのである。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1739回)  ..2014/08/23(土) 19:27  No.4834
 


翡翠の採集
http://www.japanjade-center.jp/jadehunter.html

もう二十年位前からこんな風に翡翠の採集に行くのが夢だったのですが結局実現して居ない。

糸魚川は遠いし其れで旅費はかかるのだし、店へ入れば欲しい翡翠もあることだろうしで最低二、三十万は用意していかねばなるまい。

其れにそんな連休は貰えないし兎に角色々忙しく心理的な余裕も無い。


だから其の夢は夢で終わって仕舞うことだろう可能性が高い。

老後は老後で色々と生活も大変になるだろうからおそらくそんな余裕は無い。

いや、その前に地震や経済的な破綻、戦争やテロなどによりそんな遊び人の気分で居ることなど不可能だ。


それでも一度は行ってみたい。

丁度昔から知り合いの新潟の石のショップが今ヤフオクで糸魚川産の翡翠原石を沢山出品して居りますが良いものはなかなか出て来ない。

翡翠という石は石の中でも特に質の良いものを得ることが難しい。

ヤフオクなどでもあくまで一般には十年位前の方が良い石が出されて居たような気がする。ーただしコレクターからの放出品は希にではあるが良品が出品されることもある。コレクターもいつかは寿命が尽きるものなので、まさにそういうのこそが狙い目となる。ー


私が収集したものはそうした当時ヤフオクに出されて居たものが多く、それに知り合いの宝石屋の知り合いの宝石店から流して貰ったものなどですが皆安物ばかりなのである。

ただ、画像にもあるラヴェンダーの翡翠を切り出して一面研磨を施した石は今となってはまずまずの質の紫翡翠である。

黒翡翠は普通の翡翠よりも軽く、質感の方も翡翠とは思えないようなものですが実際黒翡翠とは元々そうしたものであるとのことである。


ちなみに切れて居て見にくいが緑の翡翠の最上部右の三角の石は幻の金山谷産の緑翡翠である。

小さな石ではあるがかなりに美しい。

其の左の勾玉を作ろうとして止めて仕舞った材の緑の濃い石は糸魚川産ではなくてミャンマー翡翠だったと思う。

尚翡翠の手触りは特別で他の石とはまるで違う滑らかさ、スベスベ感、緻密さが味わえるのである。


ところが翡翠程鑑定が難しい石も他に無い。

石のプロ、つまり翡翠の専門家でも間違うことがあるそうで、ということはそうした紛らわしい翡翠ではない石が他にゴロゴロして居るということなのである。


上のリンクの所に、其の紛らわしい数々の石が写真入りで載って居る。

私も昔翡翠だとして売られて居た石を買ってみたら透輝石だったということがあったし、高価な石でだまされてミャンマー産のクズ翡翠の大きな原石を得たこともあった。

だから実際には糸魚川の海辺で翡翠を採集することはおそらくかなりに難しいことなのだろう。


ここ日本は小さな国で石の出処も小さな産地ばかりなので石が打ち上げられる海岸とはいっても翡翠ハンターの面々をはじめ皆が其処に石を探しにいくのであるから良品の採集はどうも期待薄である。

ただし今後超巨大台風が新潟の辺りを通った直後に石を拾いに行けば或は百万円級の原石を拾える可能性は常にあることだろう。

また糸魚川には様々な翡翠にまつわる催しや博物館、展示館などもあるようだから翡翠好きにはまさに夢の楽園のようなところなのであろう。

2014年糸魚川翡翠鉱物展
http://itoigawa.ne.jp/mineral/index.php
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1740回)  ..2014/08/25(月) 22:38  No.4835
 


ヒスイは宝石の中では最もややこしい石で石の知識に乏しい一般人にとっては最も危ない石なのだと言える。

其処は無論のことこの私だって宝石のプロでも何でもなくタダの中級鉱物コレクターー其の割にヒスイの場合良い石を持って居ないのだがーなのであるから、騙されない可能性が低い訳ではなくおそらく騙される場合にはコロリと騙されることだろう。

然し何せ石との付き合いがもう長い故に、石の外見やら風合いといったものから石の本性が直感的に分かるようにはなって来て居るので実はヒスイなどもほとんどは感覚で鑑定出来る様になって来て居る筈だ。

見た感じと手触りとで大体九割方は分かる様になって来て居る。


然しながら、私の場合は何せ貧乏詩人の故宝石屋の如くに始終高価な質の良い石を見て来て居るという訳ではなく、主にオークションの其れも安物に限りこれまで見たり触ったりして来て居る訳なのだからはっきり言って其処はレヴェルが低い。

でもレヴェルが高い石ばかりに石の本質が刻まれて居る訳では無いことだろう。

無論のこと安い石にだって石の固有の性質は確りと刻まれて居る。


さて翡翠に対する知識というものは最低限仕込んでおかないとたとえば好いた女に指輪など呉れてやったりする時に頗る困ることとなる。

従って金力のある初老の紳士は是非翡翠に対する知識を磨いて置き、そして涼しい顔をして銀座のクラブのママさんなどに数百万の翡翠の指輪などプレゼントしてやることこそが格好良いのである。

然し私の場合は格好悪い観念人生を選んで歩んで来て居るのでそんな場違いなことは考えずに今このままの安上がり鉱物趣味で充分である。


本当はもう少しだけグレードアップしてみたいところながら、そういう気分が起こると決まって仏陀の修行の様などが目に浮かんで来て、印度の森閑とせし森に住し骨と皮ばかりに痩せこけ、しかもボロボロの衣を着込み、サテ、果たしてまともに飯を食って居るのやら、そんな状態で一心不乱に真理へ向かってまっしぐらな其の古の善逝のお姿がまさに目の前に浮かんで来て反省しきり、嗚呼、やっぱしやめとこうと決まって思い直すのであった。

本当は我もいますぐに出家して其の修行の世界に飛び込んでいくのが理想なのではあるが、何せこの近代グータラ病にもはや全身を蝕まれて居るゆえ、もはや其れも詮無き事。



ヒスイの歴史と琅玕(ロウカン)
http://homepage2.nifty.com/shichiya/oyakudachi18.htm

此処で一応紳士淑女の為の翡翠の知識を仕込むことが出来る。

ちなみにここには硬玉ヒスイを当てるクイズなども出て居る。

其れで私はこれらの写真だけ見て、其の下の解説及び回答は一切視ることなしにズバリと当てた。

何故分かるのかというと、其れは只長年に亘り石が好きだからなのである。

つまりはそういうのこそが一番強いのである、知識を超えた石への愛がなせる技だろうか。



5568万円の琅玕翡翠裸石
http://jadeite.tumblr.com/post/39217075/via

質の良い翡翠の指輪こそが東洋人にとっては最も似つかわしい宝石である。

エメラルドやサファイア、ルビーなども良いのだけれど、肌が黄色い東洋人には矢張り翡翠が一番似合うのである。

翡翠は宝石の中ではむしろ軟らかい石なのですが、強靭な石で最も割れにくいー壊れないー堅い石なのである。

最も硬い石のダイヤモンドをはじめ他の宝石は落としたりするとスパッと割れることがあり本当は其処に永続性を求めるような強い石なのでは無い。

従って日本人が選ぶ結婚指輪はむしろ東洋の石である翡翠を選んでおくべきである。


されど5568万円の金など我々には無い。

いや、貴方にはあっても我には無い。

全然どこからも絞り出せぬ。

故に最高級の琅玕翡翠に拘る必要などは無い。

其の下二桁での、68万円位の琅玕翡翠でも懸命に探せばどこぞにあるのやもしれぬ。



Imperial Jadeite ロウカンって?
http://sheenjewel.exblog.jp/16366685


此処には面白いことが書いてある。

此処にはImperial Jadeiteの写真も載って居ますがロウカンと呼ぶに相応しい翡翠とは中国では本来アップルグリーンの明るい色味の硬玉翡翠のことをそう呼んで居たのである。

其れが、日本人は地味な色味の方が好きなのか、もっと落ち着いた濃い緑の硬玉翡翠の方が一般には人気があるそうなのである。

然し私は糸魚川産の硬玉翡翠も含めて、この明るい緑で琅玕質の翡翠こそが世界最高の翡翠なのだろうとずっと考えて来た。


ところが上にもあるようにアップルグリーンの琅玕翡翠は極めて稀なものとなるようだ。

其れで当然のことながらアップルグリーンの琅玕翡翠の石は飛んでもない値段で取引されて居ることだろう。



目玉品!糸魚川翡翠原石 ヒスイ 青海川産ろうかん翡翠470g!
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/188022337

糸魚川 翡翠 ヒスイ 495 ロウカン質  国産 鉱物
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/187911309

糸魚川 小滝川 翡翠峽 琅かん 翡翠原石 519g
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m124089842


琅玕翡翠はこのようにネットオークションにも屡出されて居ますが、其れ等が本当に琅玕翡翠と呼べるものなのかということについては不明である。

然し琅玕に近い質の石になればなる程石の質がトロリとした感じのものとなって来るもののようだ。

このトロリとした感じは、他の硬度の高い宝石には見られない特徴である。

硬度の高い宝石はまさに硬くて冷たい感じや感触がするものなのだが、硬玉翡翠はどんな石でも其の冷たい感じや感触がしないものだ。

さらに琅玕翡翠ともなればよりトロリとした感じの石となる。


まさしくそうしたところが特にお年を召された紳士淑女に翡翠が愛されて居る所以なのであろう。

尚、其のトロリとした石の感じは中国の印材の世界でも屡珍重されて来て居る特徴である。

たとえば田黄という印材があるが此れは中国では最も高貴とされる黄色の石でしかも其の風合いがトロリとして居るもの程価値が高いとされているものだ。

http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E7%94%B0%E9%BB%84#mode%3Ddetail%26index%3D109%26st%3D4154


だから其の部分こそが東洋的な感性、感覚に由来するところのものなのである。


ゆえに日本人もいつも精神の方がドロドロというのではいけませんのですが、其の代わりに精神の方がトロトロですよ、という位に一種温かみがあり寛容であるのならば、其れは翡翠のように一種温雅な趣を持つということでもあり決して西洋式の合理精神に劣るものでは無いということをよくよく考えた上で其の東洋の精神性を象徴するかのような石である翡翠に接していかねばならぬことだろう。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1741回)  ..2014/08/27(水) 23:46  No.4836
 


万年筆の方でも癒されることが何かとあるものだが石に癒されるのはまた少し違って居て観念抜き、理屈抜きに其処で癒されて仕舞うと言えない訳でもない。

謂わば脳のより古い領域の方を癒して呉れるとでも云うべき言語以前の、まさに本能領域の方で快感または共感を感じて居るのではないかと思えないでもない。


ただし万年筆の方でも本当は軸の感触だの筆記感だのと云った部分で癒されて居ることが多く必ずしも観念領域ですべてを捉えて居る訳ではない。

ただ、万年筆の方は使えば必ず観念の方とは無関係ではありえず、従って最終的には文字により表現されし観念の方に重きが置かれて行くこととなろうから純粋に感覚だけで楽しめるというものでもない。


そうかと言って見ての通りにわたくしは観念性が強い人間であるからして万年筆ないしは付けペンの類が無いとそれこそもう頭の方がおかしくなって仕舞う。

長年培われた部分での私の筆記のスタイルには実は筆も筆ペンもサインペンもボールペンも入って居らずこの金属製のペンが無いと作文の方でまるで調子が出ないからなのである。



なる程、するとペンは何より道具であった訳である。

然し、石の方は元より道具では無い。

確かに使い方によっては道具にもなり得るのですが、其のいびつな形の原石を観賞して居る分には其れは道具ではない。

石とは何かと問えば即ち其れは只の自然物である。


自然物だからこそ花とか雲とか恒星とかブラックホールとかそうしたものと近しい存在である。

でも生命では無いのだから、そうか、まさか花の仲間だとは言えないのだし無論のこと我々人間の仲間なのでもない。


確かに石に命は無いのだろうが其れは地球の胎の中で生まれてしかも生まれつき色々と性質の差があり大きさや色や重さなども皆異なるのでそうした意味ではほとんど命のようなものでもある。

元々多様性があり、生まれてから成長したりもするのでそうしたところが何だか動植物と似ていないでもない。


然し、我々のような生ものでは無い石たちは純粋に寡黙である。

其れはうるさくない、本当に静かだ。


ちなみに私は昔から静かなものが好きでうるさいものが余り好きではなかった。

其処が流石に詩人らしいところなのである。


太陽の下で大声を張り上げ目一杯に運動をして居るのはどうも苦手でたとえば山奥のキャンプ場の月明かりの下で妖異とか宇宙人の類のことを考えて居ることの方が好きな子供であった。

だから金閣では無く銀閣の方なのね、このわたくしの心は。


かと言って金ーきんーは嫌いでは無く大好きである。

私の静けさは幼い頃もう本当に並外れて居たので今なら自閉症か何かと診断されるのかもしれぬが多分私は自閉症でもなく精神病でもなくただ神経がか細いだけだったのだろう。


然し静かな人というのは本当に居て私は今そうした性格の医師の方を一人知って居りますがこの方などもう本当に何があろうと心中に波すら立たないような静けき心の持ち主である。

私はそういうのとは違い普段はむしろウルサい。

昔近代思想に教育されて其の元々の静かさというものをあえて隠匿していったので生まれつきの上品な静けさの下の方の下品が塊で出て来てこんなにうるさいのだ。


けれど本当は矢張り静かだ。

寡黙こそが好きで、かつ地味なものが好きである。


たとえば女の方の趣味が、暗い女の方が好きだ。其処は何せ似たもの同士なので。

また足の太い、暗い性格の女が好きなのでここも世間とは正反対の嗜好である。


一方其の暗めの医師のようないかにもインテリで長身で静かな男性なども好みだ。

ただし男の方には一切肉欲の方は感じて居ないので、あしからず。



私の持つ其の並外れた静けさは今でも私の心の中にある。

私は時折其の静けさから様々なメッセージを受け取る。

其れは白日のもとに晒されたかのようなメッセージではない。


闇が地上のあちこちで其の濃さを違えて居るが如くに陰影に富み、あの微妙な星雲の呼吸のように緩やかに私の表面に押し出されて来るだろう何かだ。

そして其の静けさこそが机上の石たちの静けさと呼応する。

呼応する静けさがひとつの鏡を拵え此の地上の喧騒に満ちた生命のカラクリを次々と映し出す。


ちなみに意外や私は小さい頃落ち着きの無い子であったらしいのだが今は何でこんなに落ち着き払って仕舞ったのか、兎に角泰然自若として此の世に起こりし事は此の世に収まる、などと考えて居るのだから矢張り周りからは余り普通の人には見えないのかもしれない。

嗚呼、普通になりたい、普通が一番、俗人が一番である。

ただし俗人は死んだ後に困る。死んだ後に、嗚呼、何であの時にもっと石たちと付き合っておかなかったのだろう、というようなことで必ずや後悔する。


妙にウルサい人間たちよ、あなた方は石の呼吸の清らかなことを知らない。

其の清らかさは星星の清らかな輝きに等しい、そして何より此の地の下の営みの清らかさに等しい。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1743回)  ..2014/08/31(日) 00:34  No.4838
 


さて本日毎年恒例の名古屋ミネラルショーに行って参りました。

1.相変わらず混んで居てまさに盛況のもようであった。
2.されど高額品が売れて居るようには感じられなかった。
3.例のパイロクスマンガン石は全く出されていなかった。
4.エメラルドの良い標本をひとつだけ見せて貰った。
5.標本をひとつだけ求めた。五千円の標本を四千五百円に値切って購入した。


1.相変わらず女性も多く特に関西訛りの女性が結構訪れて居たようだ。然し良くここまで来るものだ。関西の方が鉱物趣味は盛んであるのだし、其れで鉱物ショーの類も色々と開催されて居るにも関わらず何故こんなところまで来ているのだろうか。これが所謂関西女性パワーというものなのだろうか。

2.高額品は相変わらず海外産の高品質な宝石鉱物に多い。例えばトパーズだのトルマリンだの、ルビーだのサファイアだのといったもの。然しこの種の宝石鉱物は、より高級な原石から磨かれていって仕舞う為、実は鉱物標本としては一級のものなど回って来る筈がない。それでも十万円クラスの石は見ごたえがあり半端なものではない。
一方で菱マンガン鉱は宝石ファンというよりも鉱物ファンにはお馴染みの高級鉱物種である。絶産して久しいコロラドのスウィートホームマイン産の菱マンガン鉱の大きめの結晶を一つだけ見かけたが其れにはとんでもない値段が付けられて居た。十年ほど前には幾らでも買えた標本でしたので其処でまさに隔世の感がしたものだった。

近未来石屋ーコロラド産ロードクロサイト原石 税込176040円
http://item.rakuten.co.jp/kinmirai/1407642/

3.今回ほどパイロクスマンガン石に於いて低調さを感じたことはなかった。分離結晶だけは数が出されて居たが其れ等は品質の割に高い値が付けられて居た。母岩付きの標本は無し。ただし地元の標本店ラピスが出していたものがひとつだけありましたが、これは前々から売れずに出されているものであるに過ぎない。また日曜日に新たに標本が出されて来るとも思えず。

4.毎年出店されるレアルミナスでこれまたいつものようにエメラルドの上質標本を見せて貰う。オバちゃんがエメラルドは近頃現地で採れて居ないと言いつつかって採れたなかなかの標本を見せて下さったが矢張りお高いにはお高く其処には12万円の値が付けられて居た。東京から来て居るので買って下さいと言われるので是非買わせて頂きたいと心情的にはそう思うのですがあいにく常に色々と散財して居るので12万円もの金はどこにもねえだよ。此れは是非東京のお金持ちの方々に買って頂いて下さい。高価なエメラルドがなかなか売れずでミナスのオバちゃんが少し寂しそうに見えてどうにも辛かっ た。

5.今回は二時間位はかけてゆっくり会場を見て回り石の知識に関する新たな発見や意外な掘り出し物などを見つけたのだったが毎年標本はひとつだけ買うことにして居るので今回は柿野の緑水晶の群晶ー岐阜県山県市柿野東洞産ーひとつだけ買って家に帰りました。ちなみに自転車で三十分ほどで帰れるので交通費もかかりません。其の標本を軽く洗い写真を撮りましたが其れがPCに転送出来ずでどうやらデジカメが壊れたようである。

よってお見せ出来ないのが残念ですが写真に撮ったのだとしてもそもそもこれはそんなに皆が驚くような標本ではありません。


然し、此れは好物愛好家、採集家にとっては結構素晴らしい標本となるものだ。

根っからの鉱物趣味の人の方には価値が分かるというような、一種地味ではあるが深い鉱物への趣味性を孕んだ標本なのである。

此れは其の緑水晶の群晶となって居り二十本位の緑の水晶がニョキニョキと出て居るもので五センチ四方程と小振りな標本であるのに一本一本の水晶には大きさがあり最大で37ミリ程の大きな結晶が付いて居る。


これだけ密集して緑水晶が生えて居るので全体的に緑が濃く深い感じである。ただし其処に酸化鉄のような膜が水晶の所々に被ったりもして居るので其の部分は綺麗には見えない。これを酸か何かで取ることは可能な筈である。然し先程オレンジ成分入の洗剤に少しばかり浸してみたのみである。其れでも結構感じが良くなったのでこのまま保存していこうと思って居る。


尚今回長野県の緑水晶で初めて聞く産地のものー御○×ーとかなんとか書いてあったのだが何故か覚えて居ない。

そちらの緑水晶は結晶が細めで色が濃緑色から黒に近い位のものだった。こちらも矢張り群晶タイプの標本であったが、其れが五つ程も出されていて中には見応えのある大きな標本もあった。

結構良いものが五千円で出されていたので今思えば買っておくべきだったのかなと少々後悔はして居るがまあ其れでも一つきり、其れで良いんだ、毎年ひとつだけだ。


ただし、こうしたおそらくは限定的に産出して居ることであろう標本はその時限りのものである可能性も充分にあり従って本当の本当は何でも良いからそういうものは買って置いた方が原石趣味にとっては良い。

けれど個人的には私が今回入手して来た柿野産の緑水晶群晶の方がずっと魅力的である。


私にとって緑水晶は大変癒される石で其の深い緑の尖塔の乱立はどう見ても矢張り深い森の木立の雰囲気である。
或は海中に生えて居る昆布やわかめの群体のように見えない訳でもない。


だからそうした自然さ、より自然の方に近しいイメージがするので緑の水晶が好きになったのである。


尚この標本は水晶が折れて居る部分もあり其処には特に深く濃い美しい緑色がのぞいて居る。
兎に角全体的に大きな緑水晶がニョキニョキと生えた、今では希少な標本である。

と言うのも、この水晶が出た鉱山はもう大昔に稼行を止めて居り現在は良い物が採れる訳ではないらしい。


岐阜県山県市・柿野東洞  [鉱物採集第15回: 緑水晶] 2009.12.13 Sunday 14:30
http://honeymolasses.jugem.jp/?eid=343

しかもこのブログの記事以降にこの産地が何故か人気産地となりそれこそあちこちから大勢の鉱物採集家が訪れたようなのである。
従ってもう良いものはほとんど拾うことが出来ないことだろう。私も前々から一度は訪れてみたい産地だったのですが、今となっては行ったとしてもレンタカー代とガソリン代、其れから高速代などで一万円以上は軽くかかる産地である。

だから現金採集で得た今回の柿野産の緑水晶群晶の方が余程安上がりに済んで居るのである。

尚此の標本はミネラルマーケットという団体がどうやら愛好家の放出品を出品して居たもののうちの一つであったらしい。

国産の鉱物の収集では其のようなコレクターの放出品を狙っていくと納得のいく標本に巡り合える確率が高まることだろう。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1755回)  ..2014/09/14(日) 16:55  No.4850
 


現在物欲は余り無し。

然しほじくれば幾らでも物欲は湧きいでてくる。

現在美への欲もかって程は無し。

然しほじくれば幾らでも此れも出て来よう筈。


意外なことに色欲への兆しあり。

まことに意外なことに。



つい先日甘美な夢を見たが其れは或女を愛した夢であった。

我は此の十年ほど夢を覚えて居ないが此の夢はしかと我が記憶に残った。


我は何故か長野県に居て、其処で知人の家に滞在して居るのである。

其の家の娘か、或は近所の家の娘だったかに好みの女が一人居た。


普通に見える只の女なのだが我にとっては其の女こそが普通では無い。

其のように恋愛とは幻想でありかつ妄想であり錯覚でありかつ決めつけである。


個人意思の妄想による其の決定要件こそが恋愛の核心部でありかつ愛の永遠の謎の部分である。


さて我は其の女を好いた。

夢の中で死ぬほど好いて居るゆえ其処ではもう藝術も何も無く、石も無く萬年筆も無く観念もなく仏教さえもが無い。


其の女と我は共に暮らしたく思った。

一緒に暮らすということを思い巡らすだけで甘美であり、まるで全世界が其処に溶け込むかのようだった。

こんな気持ちになったのはまさに十五年振りのことである。


十五年前まで我は或女と付き合い、其の付き合いは長きに亘り十三年間に及んだ。

我は此の女と所帯を持つつもりであったが、其れは諸の事情により叶わなかった。


其れで女とはまことに現金な生き物で、こちらを嫌ひになるとそれはもうトコトン嫌ひになるのである。

其の時其のような女の隠された性質ー本質的性質ーといふものに初めて触れ得た気がしたものだった。


尚我は多感でむしろ昔は色んな女を好きになる方だった。

然し女に好かれたことは生涯一度きりで、其れは中学一年の折に並の女に並みに好かれたといふことのみである。


それにつけても此のところまるで女を敵か何かのように観念化して居た筈だが此れは一体如何なる事であろうか。



ところが此の事件には実は色々と伏線めいたことがある。


其ノ一

あのO先生が或女性と付き合い始めた。

O先生はゴルフのサークルーお見合いサークルーをつくり其れで儲けようとして居たが此の試みが見事失敗した。

お見合いコンペの参加者はたった一人だけでそれでも塾関係の仲間を混ぜてラウンドをこなしたO先生は彼女からのデートの誘いを受けて仕舞う。


其れで向こうの方から猛アタックを受けO先生は容易に崩れ墜ちた。

然し其の女性は大学の先生でO先生よりもずっとお金持ちであまっさえ新居となるであろう新築のマンションの方さえもすでに購入済であった。

という訳でまさに奇跡のようなことが起こり、現実にO先生は今の貧乏で孤独な境遇を脱出出来そうなところまで来て居る。


これ以上細かいことを言うと色々と差し障りがあるので申しませんが兎に角そんなことがあった。



然しながら、逆玉、之は現実にあり得ないことではないのだ。

或は宝くじに当たることよりも其れは難しいことなのやもしれぬ。

けれども可能性はゼロでは無いのである。


けれど私の場合、逆玉に乗る可能性は矢張り限りなくゼロに近いそうである。

大学のS先輩などはそう仰る。ーつまり私のように観念化された人間の恋愛の不可能性について論じられたのであるー

ちなみにS先輩も老後を共に過ごすパートナーを今求めて居られるが、バツイチで娘がもう二十八歳とのことなので、いや、それだけではなく金がなく風采のあがらぬ先輩のことでもあり其れも可能性はかなりに低いと言わざるを得ない。

まあ互いにそれでも良いのだが、何にせよ人間らしい心を少しは取り戻す努力をしてみることも或は現実を生き抜くことにとっては何ぞ役立つことなのやもしれぬ。


いや、観念人生が非現実的であるとは必ずしも言えぬことだろうとは思うのだが、其れでもそういう逆方向への展開が有って悪かろう筈もなく、其れでこのところ何故か急に色気づいて来て仕舞って居る此の仏教詩人なのである。

まさに年甲斐もなく。




そうこうするうち、職場で相変わらず女性の社会進出についての批判を述べ立てて居たところ、例の人が私の目の前に現れ、ワア、万年筆ですね!と、いかにも興味深げに私の世界に入って来たのであった。


万年筆は私の根の方が作家だから沢山持って居る物です。

私は変人の仏教詩人で万年筆ヲタクですよ。本当に常識は無いから世捨て人ですよ。昔は社会科や現代国語を塾で教えて居たがもう今は何も覚えていませんよ。だからもう子供も教えられないです。只の修行者ですよ、修行者。そして何より批判者。昔なら反社会的人間の烙印を押され矯正ー強制ー収容所送りですよ。このままでは間違いなく野垂れ死にですよ、野垂れ死に。ただし仏教のことなら少しは分かりますよ。


ー私は写経が好きで、お経の内容などの書かれた本を読むのも好きです。なので私も変人です。ー


あれ、そうか君も変人なのか。こうして良く見れば矢張り年寄りのようではあるが私よりは少し若い位なのかなあ。
さらに良く見れば顔貌も真面目そうで嫌いなタイプでは無いが、何より其の変人といふ言葉に激しく揺さぶられし我が胸中である。


ーネットで書かれて居るところを教えて下さい。一度視てみたいですから。ー


そんなもん、見せられるもんか!元より此のキ○ガ×自称詩人の云う事に真実などこもっては居ない。すべてが妄想である、幻想である、自己満足である、要するにタダの精神のマスターベーションである、然しながら、もし其処に一片の真実が宿って居るとするならば、其れはまさにこの美しい星地球への愛と諸のか弱き生命達への不変の愛、つまりは生命への全的な而して真心よりの愛の賛歌、其処に分け隔てなく与えられることだろう我が慈悲の思い、其れ等佛の慈悲と神の愛とに貫かれ倫理観と道徳観とまともな気候の復活をこそサア、今こそ目指して進むのだ。君には其れが出来るのか。本当の本当に其れに同意し行動を共にすることが出来るのか。しかも常に真面目にそして時には不真面目に。


ー … ー



其ノ二

このほど母が三日間程検査入院すること。


其ノ参

還暦間近のS先輩のアパート独居生活の話を聞くうち、次第に其れがきつそうに思われて来たこと。



さて、困った。実に困った。

果たしてオトコとしてまだ役に立つのだろうか、此の俺は?
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1756回)  ..2014/09/17(水) 00:37  No.4851
 


クローズアップ現代 拡がる少女売春〜JKビジネスの闇〜
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2014057722SC000/index.html

これを視る限りは世の中は確かに腐って来て居ります。

特に日本社会はこのような非公認での性風俗の風潮や飲酒などには寛容だから今後は余計にヤバいものがありますな。


ただし、私は公認された性風俗に対しては意外と寛容で、そうした業界でプロフェッショナルとして働いて居る女性をむしろ尊重して居る程です。

尚此の番組中で少女たちを買う男性側のセクシャリティの方をこそもっと大事にした方が良いと女性の評論家の方が述べて居られますが、そりゃちょっと無理な部分もはっきり言ってありますね。

つまり男の性と女の性は全く違うということです。


何故なら今余りにも多過ぎるのが教師が行う盗撮や買春などの犯罪ですが其れは何も教師に限らず男性なら普通に出来て仕舞うことなのです。

尤も倫理観とか道義心とかいうものを抜きにして考えればの話ではありますが。

こう言うと何を言って居るんだと思われるかもしれませんが、男性の性の本質論から云えばまずそうしたこととなるということなのです。


そんな娘位の少女が何故好きなのか、ロリコンなのか、そんな娘ほどの少女の裸を夢見て其れで何が幸せか、しかも教師ともあろうものが。


いや、教師にはロリコンがむしろ多いのですよ。

まあ多分私などもそうなのだろうが、それでも現実的には私には何故か年上のお婆さんばかりがくっついて来易いようです。


勿論其の欲望の部分を理性にて抑え込んで居る訳です。

或は道義上の観念や法的な抑止力で行動として出ないようにして居る訳です。

それでも男は本当は若い女の方により興味があるのだし風俗店にしたってお婆さんばかりが出て御座るような店には行きたくないのですよ。


其れは男性の本能として規定されて居る部分なのでどうしょうもないことです。

女性は愛という概念が大切なものであるとか、或は家庭が大事であるとか男性に対して常に女性中心での幻想を抱いて居ますが、そして特に近代以降は男性が其の夢に応える形で一夫一婦制でのあたたかな、そして穏やかなる家庭を築き良き夫と思われるよう常に努力を続けて来て居りますが実は其れも多分に幻想概念です。

第一猫のオスなんて家庭や子供が大事だなんて思って居る奴は一匹も居ないのですよ。


生殖行為を終えたら、すぐに逃げる。これこそが猫のオスの基本行動である。

其のように数々のメスに種をばらまいて良い子猫ちゃんが生まれる可能性を高めるのが猫のオスの基本行動です。

もっとも猿やゴリラの場合は異なるかとは思いますが元々動物のオスの下半身には愛だの家庭だのいった固定化された概念はなく、即ち流動的な種蒔き意識ばかりで其れは立派な肩書きを持つ人だとしても、本質的には変わることがないという話です。

其の男性の下半身の自由奔放振りを理性やら観念やらで雁字搦めにして抑えて居るのが現代人ということなのであり、然し其処まで抑えられて仕舞えばたとえ教師でも何やらムクムクと頭を擡げて来る悪い衝動には抗し切れないことだろう。

特に学校で抑えられ、おまけに家庭で抑えられで俺はもう我慢の限界に達して居るぞ。

するとあれ、あんなところにあんなに短いスカートをはいたJKー女子高校生ーが!


そんな訳で其の最後の衝動を抑えるのは並大抵のことでは御座いません。

然しながら其のような行為には愛の意味として規定されるような観念性は付与されて居ない訳です。


そうした肉体が生み出す快楽には基本的に観念的価値が付与されることはない。

観念的な価値が付与された愛はより純粋なものともなり得るがそうしたものは純化されまた昇華され尽くしてやがては神の愛と云うが如くに普遍性を帯びたものとなっていく。


其の意味では女性が望む幻想的な愛の形も一種の観念化された愛の形であると言えなくもない。

だから純粋だと言えば其れは純粋である。

然し、其れは男性の本能的な性の形態にとってはむしろ不自然なものともなり得、かつ枷のようなものともなり得るものだ。


其のように愛というものは一筋縄ではいかぬ難しい概念である。


ただ、愛は観念だけでは済まされない領域のことでもある。

何となれば愛には性の領域が含まれ、むしろ其の本能領域の発現無くしては愛としての前提の部分が成立しない。ー男女間の愛についてはー



即ち愛とは生であり同時に性である。

対して純粋化されし愛の領域は神の領分だが性はまさに此の世に存在化されし我々の領分でこそある。


尚仏教では観念化されることの無い愛については其れが即否定されることとなります。

性を否定する訳ですから、最終的には生までをも否定されるということとなる。

仏教は其のように性を否定し生を脱出していく為の教えなのですから、これはもう一種究極の宗教です。


あくまで此の世を楽しく、皆で仲良く明るく生きましょう、なんて教えでは全くないのです。

だから現代人にはもうほとんど理解出来ない教えです。


もっともそうであるからこそ、ダイジェスト版の現代の大衆にも分かり易い教えが成立して居て其れが大乗仏教だということとなる。
Re:尾張文化論+  返信 引用
  投稿者: Sirius  (永世名誉教授/1759回)  ..2014/09/25(木) 13:59  No.4854
 


地元のTV局が制作した古田 織部に関する番組を視た。


ここからも、文化力とは矢張り幻想である。

所詮は文化力も其の幻想の域を出ないものである。


何故ならそもそも文化とは余剰である。

科学的に記載される人間の生存の要件が充たされて初めて実現出来得るであろう何かだ。


第一こんな熾烈な競争原理の支配する時代に文化力なんてちゃんちゃらおかしい。

世界にはまさに食うや食わずで人生と格闘して居る人々が大勢居るというのに其の余剰の部分への物的または精神的な投資を考えることは逆に無粋といえようものだ。


ひょっとすると、文化なんて要らないものなのではなかろうか?

とすれば、私はもう詩人でも何でもなくタダの仏教庶民なのである。


然し評論家の山田 五郎氏は番組中であの過酷な戦国時代に於いてこそ織部好みと屡語られるような所謂へうげものの文化が生じたのだろうと語られて居た。

即ち文化とはひとつの精神性でもあり得る訳だ。


人はパンのみにて生くるにあらず、とは屡語られて居る言葉ながらまさにそうしたことなのであろう。

人間は精神性のようなものを常に欲しつつ歩んでいくものだ。

戦功やら成功やらそんなものばかりを追い求めて生きて居るだけのものではないのである。



然し其の精神性はたとえば宗教の方で充分間に合うものなのではなかろうか?

宗教があれば藝術は不要なのではなかろうか。


然し其れはどうも質が違うように思われるのである。

宗教に於ける精神性の規定は創造ではなく維持の為に為されることだ。

其の維持とは制度及び人間の維持である。


他方で藝術に於ける精神性とは創造的領域への精神の解放のことだ。

其のようにベクトルが異なるので元来別物である。

然し共に同じくして精神を対象とする格闘であり進化でもある。



ただし、文化には作為性が常に問題として含まれて居る。

例えば織部焼を作る時に陶工はわざと陶器を曲げたりしていびつな形に作る。

釉薬などもわざとかけ外したりして其処に偶然の景色を盛り込んだりもする。


然し其の作為とはやり過ぎるとむしろいやらしくさえ感じられるものとなる。

いざそうなると形式の世界に捉われた大量生産の普通の茶碗の方が美しくさえも見えて来るものだ。


其のようにへうげることとは実はある種の危険性を孕んで居ることでもある。

たとえば私は自らの感性に基づいてたまには詩なども書きそしてこれまで様々な文物、藝術の世界にも接して来たのだったが、そして常識外れのことばかりを述べ時には社会の秩序を乱すようなことさえ述べることさえもあったが其の事により私が本質的に癒されていたという訳ではないのだ。


藝術に於ける作為は、そしてへうげ者として世を紗に眺め精神的悦楽の世界に浸り切ることは、本当の本当はそうした一種虚しいものさえをも含んで居るものでもある。


かって太宰 治が藝術とは豚の鼻です、と作品の中に書いていたがこれがまさしくそうしたことなのであろう。

藝術とはあくまで豚の鼻のことであるに過ぎず、其れ自体が香り高いものなのではなくまた特別なものだという訳ではないのである。

ただ其処には何かを感じ取る能力があり、しかも世の諸の香って居ることが良く分かるから媒介者として其の香りを移して何かを常に生み出し続けてい くばかりなのである。


だから其のようにいつまでも人間の余剰の価値の為にヒーコラして作品を生み出しつつ所謂へうげ者を続けていくばかりなのである。

そして其れが万人に受け入れられるものであるか否かということとはほとんど関係のないことなのである。

藝術家とはまず其のように余剰の卑しいことを行うべき存在である。


ただし豚の鼻に成りきらなければ世の諸の芳香を嗅ぐことは出来ない。

優れた宗教家でも学者でも、また他の何であれ豚の鼻が備わって居なければ風流、粋狂の類を解することは出来ない。


太宰 治はその後を続けて、豚の鼻は花の香りを知って居ます、とも述べて居る。

ゆえに其の部分にこそ藝術の香り高さが存して居るのである。






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