万年筆一千夜+
投稿者: Sirius (永世名誉教授/1671回)
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2014/05/10(土) 23:30 No. 4766 |
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*Stylo Art* スティロアート 軽井沢 〜 手作り万年筆と木の文具〜 http://stylo-art.com/?mode=cate&cbid=1194874&csid=0
ここの万年筆が前々から一本だけで良いから欲しいのだけれどいまだに注文出来て居ない。
昔よりも生活に何だかんだとお金がかかり実際万年筆どころではないのだ。ーたとえば叔父や叔母の葬儀などが兎に角多い。その度に香典を持っていくがその人数が多いと十万、二十万とかかり兎に角大変である。ー それに固定資産税の支払いがドーンと来る。何せ家が大きいので税の方も高いと来てる。
ところで万年筆は所詮物質なのだし最高の万年筆を使って居たのだとしてもそう威張れるようなものではない。
たとえば人間存在には根本的に差異など無く、皆同じ様な境涯を持たされてこの世に繋がれて居るのだから実は人間にも差は無く、また物質にも大元に於いての差などは無い。
つまり左翼系の人々が言って居るように人間は元々平等であるというのが真理である。
あくまで真理レヴェルではそうしたこととなるのである。
対してこの現実的で下卑た資本主義社会に於いては人間や物に大きく差なるものを用意して居るのだが本当はそんなもの大した差であろう筈がないのである。
だからみんな滅びるものなんだよ、結局は。
そういう性質のものに馬鹿みたいに拘る必要などないのだ。
そうは云われても、マニアは本当に馬鹿なので其処でどうしても拘って、たとえば木軸の万年筆はどうしてもこの軽井沢のが欲しいのだなあなどといつも夢見て居るのである。
そのバカとは実は私のことで、そしていつも軽井沢のペンのことを夢見て居るバカもまたその私のことなのである。
左様に人間は色んなものを突き詰めていくと次第にバカの領域へと突入していく。
つまりは夢見る馬鹿。
自分を利口だと思って居る奴に限って馬鹿なのだそうだが、そう云われてみれば確かに私もそんなところが少しだけあるような気がしてならない。
然し夢見がちな馬鹿である程幸せな存在は他にこの世には居ないものと相場は決まって居るものだろう。
万年筆タウト「黒檀」 http://stylo-art.com/?pid=22861790
何やら良さそうな筆なのでございます。
この黒檀ですが、最近この黒檀の手触りは格別のものがあるということに改めて気付きました。
昔自分で作った黒檀軸のDipPenを使っていたところそのことがはっきり分かりました。
クス http://stylo-art.com/?mode=grp&gid=717010
個人的にはこちらにも大きく興味があります。
楠というのは、もう兎に角香りの良い木です。
丁度今楠の若葉が茂って来て居て、家の近所の神社などへ出向きますともうそれは素晴らしく美しい新緑の世界です。
特に今日のような特別に天気の良い日の神社の楠の若葉は見事です。
落ちて居る若葉をくしゃくしゃとすると、全く素晴らしい芳香が漂います。
そうした地味な喜びこそが実は尊い。
なぜなら地球温暖化が進み段々と自然が壊れて来るとすればそんなごく小さな喜びでさえまるで夢のような出来事となることだろう。
自称とはいえ私のような詩人はいつも其のくらいのスケールで物事を捉えて居るのでどんな小さなことでも決してバカにはして居ないのだ。
ただ、いつもそういう風にしか物事を見て居ない人というのは本当は余り普通ではない。
普通の人はそんな小さなことを大きくは考えて居ない。
そっちの方こそが謂わばまともである。
それにしても今日は本当に素晴らしい日和の日でした。
自転車で買い物に行くと、あちこちにジャスミンの小さな白い花が沢山咲いて居て、その横を通り過ぎるだけであの独特の芳香が漂って来ます。
勿論その折には其のようなジャスミン街道とでも云うべき、小洒落た閑静な住宅街のところを選んで通っていくのです。
そして今こうして自分の部屋でパソコンのキーボードを叩いて居りますが、あれあれ不思議、何やらそのジャスミンのような香りがどこからともなく漂って来て居るのであります。
そうか、これは家の便所の匂いだ。
その匂いがニ階の私の部屋まで届いて居るのでありましょう。
何やらどことなく臭くもあるのだが、然しながら全体としては矢張り芳香の類で、するとどうもジャスミンというものは少々便所臭くもあるのではないかという疑いの生じた、其のように実に平和な、そしてどことなく倒錯の度をまた深めたかのようなこの新緑の日の夜です。
ちなみに軽井沢といえばキリスト教のことがセットになって居てそのことばかりが思い出されます。
そしてあのジョンレノンも屡訪れたという軽井沢。
尚私の現在の上司が昨年軽井沢へ避暑に訪れて居ますが、その折に天皇陛下、皇后陛下が丁度軽井沢へお入りになって居られ、上司はそのさまが見られて実にラッキーだったと頻りにそう語って居りました。
まあしかし宗教のことは抜きにして軽井沢の万年筆が一本是非欲しいのだ。
軽井沢だけに少々値は張るが欲しい。どうしても欲しい。
では万年筆を売って、お金を用意することと致しましょう、貧乏詩人さん。
えー、嫌だよーもう売りたくないよー、万年筆のお母ちゃん。
万年筆のお母ちゃん、買ってよー、お願いだ、頼むぞよ。
ダメダメ、そこはちゃんと詩を書いてそれを本にしてお金を稼ぐのですよ。
それから私は万年筆のお母ちゃんなんかじゃありません。
私は女神、それも万年筆の女神なのですよ。
ああー、女神さまー、女神さまー、万年筆買ってー買ってーお願いします、心から祈りますから。
ちゃんとしたキリスト教の祈り方でそれを致しなさい。あなたにそれが出来るんですか。
ハーイー、もっちろんできマース、あのくたらーさんみゃーくさんぼだいー、なーんまいだーなんまいだー。なむみょーほーれんげーきょー。
ーこの時、女神、瞬時に消えるー
其のようにして幻想の世界で軽井沢ペンを買ってもらい損ねたわたくしは、結局心を鬼にして限定品を売りお金を作ることにしたのであった。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1672回) ..2014/05/12(月) 23:11 No.4767 |
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私はこれまでに多くの万年筆を使って来ました。
思い出話とはなって仕舞いますが、以前は本当に良いとされる現代の万年筆を何本も持って居ました。
其のほとんどが独逸物でした。
私のことを現代の伊太利亜物のペンのコレクターだと思ったら其れは違って居て、基本的に私は90年代以降の独逸物のペンの収集家だったのであります。
とは言っても独逸物のペンのマニアさんのように物凄くレアーなペン、或いは古い独逸のペンを集めて居た訳ではなく普通に売られて居た限定品のコレクターだったのだと言えます。
其の限定品に関しては、恐ろしいことに何と最低二本ずつを集めて居りました。
私は性格的にくどいのか何なのか、兎に角二本ないと安心して使えない、或いは二本あれば良い方を保管に回し残りの一本をずっと使って居られる訳です。
または特定のお気に入りのペンに関しては同時に三本を持って居たことさえありました。
あのモンブランのメディチなどはそのような類のものでした。
其の良い方のペンを後回しにして味わうつもりであるという部分もよくよく考えると少しいやらしい性格のような気がしないでもないです。
逆にもっと単純に先に良い方を味わいたいというのが普通の感覚なのではないかなあと思うことさえ良くあります。
旨いものと普通の味のものが二つ皿の上にある場合に、私の場合は旨いものを後でゆっくりと味わいたいという性格なのでしょう。
だからその辺りは犬ではなく猫的な性格です。
犬のように単純ではなく一癖も二癖もあるということでしょうか。
ちなみに私は犬の単純さ、あれは余り好きではありません。
だからなのか、道を歩いて居るだけで良く飼い犬に庭から吠えられたりします。
逆に何故か猫からは好かれることが多く、公園などに居る野良猫に良く私の方から話しかけたりもするのだしで兎に角互いに仲が良いです。
ちなみに私は猫の鳴き声のネコマネが結構上手に出来ます。
其のようにある程度までは猫語が話せるということです。
日頃は家の猫二匹とも普通に猫語で会話をして居ります。
決して人間の言葉は使いませんが家の猫には良く通じて居るようです。
さて今思えば、ペリカンの限定品というものは、これらは確かになかなかのものでありました。
特に900ベースの限定品は凄かったです。
アジア神話シリーズというのがあって、それぞれに888本ずつの限定数であったが、ゴールデンダイナステイ「青龍」-1995-、ゴー ルデンフェニックス(朱雀)-1996-、ホワイトタイガー(白虎)-2000-玄武-2001-というのがあり、 後に麒麟-2002-も加えられた。
これらは流石に二本ずつ持って居た訳ではなかったが、当然ながらすべてを持って居りました。
ただし使って居たのではなく保管しつつ持って居ただけだったのですが。
当時私が使っていたのは900トレドの20Cニブモデルの方でした。
これがまた凄い高級なペンで、手彫り彫金のヴァーメール軸で其の美しさは完璧でした。
20Cニブはまさに夢のような筆記感のニブだったが、後に私の評価としては14Cニブの方が上がったので手放してしまいました。
二本ともてばなしたのです。
さて当時これらの限定品は特に高額で取引されて居ました。
ゴールデンダイナステイ「青龍」とゴー ルデンフェニックス(朱雀)は特に評価が高く共に30万円くらいの値がついて取引されて居たことさえあった。
私もこの二本が好きでおそらく生涯手放すことはないだろうと思って居ましたが結局手放してしまった。
相場が下がってから売りましたので其処は少し残念ではあった。
基本的に私には少々重量感がありすぎるペンだったのでそうなったのですが、普通は重すぎるように感じられるペンではない筈です。
つまり私は元々軽いペンを操ることに向いた手をしていた訳で、其の筆記スタイルには合わないペンであったからこそ手放さざるを得なかったのです。
然し現代のペンとしての出来の良さは無論のこと素晴らしいものばかりだった。
今でもこれらのペンを使って居られる方々は結構満足されつつ使われて居るのかもしれない。
或いはこのクラスのペリカンは十年使っても悪くならず逆に良くなっていく可能性すらあるのでしょう。
然しいかんせん私には重すぎたということだったのでしょう。
「ハンティング」-1994-なども良い限定品でした。
然しこれも二本ー三本持って居た時もあったがー共手放しました。
「オーストリア1000」(1000本)-1996-だけは残して居ります。
このペン、比較的軽いように思われ、さらに銀装飾部の意匠が素晴らしく芸術的です。
しかも部分的にフィリグリーとなって居り凄く美しいペンなのです。
PELIKAN 1000 YEARS AUSTRIA FOUNTAIN PEN #517/1000 BNIB - RARE - RED LACQUER http://cgi.ebay.com/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=251052162089&fromMakeTrack=true&ssPageName=VIP:watchlink:top:en
矢張りこのペンだけは残しておきたいです。
さらに「スピリッツ・オブ・ガウディ」-2002-はフィリグリー銀製軸ですので比較的軽く私好みでもあるので残してあるのです。
ペリカンの「スピリッツ・オブ・ガウディ」 http://www.blueberrycity.net/fountainpen/review/07_gaudi.html
ただしこの限定品はペン先の方が硬いタイプのようですのでそのままではどうも気に入らないです。
そこで90年代のPFニブをつければ、或いはM800用の14Cニブが付けられればといったところです。
いずれにせよこれらのペンは現代の独逸物のペンの中でも選りすぐりの逸品揃いです。
私の場合には後に自分の本来の筆記スタイルに気付きこれらのペンが合わないと判断していったのでしたが、いずれにせよ当時のペンとしては皆一級品の工芸的要素の入ったーつまり手の込んだー限定万年筆であったことは言うまでもありません。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1673回) ..2014/05/14(水) 23:56 No.4768 |
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未発売!スティピュラ モデルTエボナイト万年筆T-Flexチタン/Y76 http://page17.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v359262481
非常に興味深い新しい万年筆である。
一番驚いたのは、ヘヴィーユーザーの為にこれがアイドロッパー式としても使えるようになって居るところなのである。
伊太利亜の万年筆の良いところは、こうした変わり身の早さとでも云うか、或いは進取の気風があって余り常識的ではないことでもドンドンやっ て仕舞うというところにこそある。
その代わりに日本や独逸のペンのような完成度の高さによる安心感やドーンとした押し出し感は感じられない訳で、それどころかそれこそ常識的ではない部分がありいきなり変なところが壊れたりもする。
だからそうした性格の違いを楽しむ位の感じで伊太利亜のペンとは付き合っていってやるべきなのである。
其処で日本や独逸のペンを選ぶ際のように規格品、工業製品的な見方をしていくべきではないのだ。
ゆえに伊太利亜のペンは特別である。
伊太利亜のペンはだからこそ万年筆の上級者向けである。
万年筆に於ける遊びが分かる位の上級者でないと伊太利亜のペンの良さは多分分からないことだろう。
逆に日本や独逸の真面目なペンばかり使って居るような御仁にはこの万年筆の遊びの世界が全く分からない。
だから其れは随分可哀想なことだ。
私は今でも一番面白い万年筆は矢張り伊太利亜物だろうとそう思って居る。
勿論一番使って居て楽しいのも伊太利亜物である。
それから古典の萬年筆なども使ってみて随分楽しい。
其の点では古典の萬年筆と現代の伊太利亜物との間には何らかの相関関係のようなものがあるように思えてならない。
対して使って居て余り面白いと思えないのが日本や独逸の真面目なペンですが、そうかといってこれらの全部が全部面白く無い訳ではなく勿論中には面白いものがある訳ではありますが、それでも万年筆の世界を俯瞰するような立場から述べれば日本や独逸のペンは明らかに真面目な部類のペンとなるのである。
そして実は私の場合自分の性格が其の大真面目なのでどちらかと言えば真面目くさったようなペンは余り好きではない。
実際使ってみて不真面目なペンが一番楽しいのだが、不真面目なペンは大抵壊れるのも早くて屡とんでもないことに良く巻き込まれたりもする。
然し今思えばそういう経験が非常に楽しかった、まさに色々とあって大変だったのだが結構面白かったなと思えない訳でもないのだ。
勿論質実剛健な部分ということ、本質的に真面目だということも大事なことなのである。
だから中級くらいまではその面を追求していくべきなのではないか。
然し万年筆でも思想でも他の何でも或いはそうなのかもしれないのだが、其処でもうすでに本質を捉えて仕舞った限りに於いては其の遊びの部分が何より楽しいという、其の一種上澄みの立場上での遊びの境地のようなものが此の世にはどうしてもあるような気がしてならないのである。
さて、話題はガラリと変わりますが万年筆の金ペン先についてのまとめのようなものを少し語っておきます。
14金ペン先ー一般に薄くつくれるので柔らかい。が、本質的には素材が硬い。
21金ペン先ー一般に厚くつくられるので固い。が、本質的には素材が軟らかい。
勿論18金ペン先はこの真ん中位の性質となります。
つまりしなやかであるのは14金ペン先の方なのです。其の逆にしなやかでないのが21金ペン先の方です。
素材的に硬いのは14金ペン先の方で、其の逆に素材的に軟らかいのは21金ペン先の方です。
金ペン先の性質は其のように性質が二重に入り組んで居るので非常にややこしい。
さらに其処に製法上の違いも含まれて来ます。
すなわち鍛金ペン先であるか、圧延ペン先であるかという製法上の本質的な違いもある。
だから本当は三重に入り組んでいます。
また、書き味についてはもっと他の要素が入り込んでさらにややこしくなる。
たとえばペン先の形状とか、ペンポイントの硬度であるとかが。
確かに14金ペン先でも固いものは色々とある。
が、14金ペン先は本質的にはしなやかなのです。
21金ペン先は復元力も弱いように感じられ本質的にはしなやかではない。
其れは本質的には軟らかいだけなのである。
ただし私の経験では書き味単独でみた場合には金品位の高い金ペンの方が書き味は良い。
然し総合的な筆記感の方で優れて居るのは矢張り14金ペン先の方である。
これもまたややこしい話で、多分万年筆のことをほとんど知らないことだろう一般人には全く通用しない話であろう。
尚私の場合は基本的にカリグラフィーの書き方で日本語を書いて来て居る訳です。
勿論合理字の方も書けますが、線の強弱を付けてより美しい日本語を書いてみて居る訳です。
そのような書き方をする場合には、ニブの本質的な強さが非常に大事なこととなって来ます。
なぜなら本質的に弱い金ペンでそのような書き方をすればすぐにニブが曲がって仕舞いますので。
ところが戦前の鍛造ペン先の場合は其のどれもがそれくらいのことで曲がったりはしない訳です。
強くてしなやかな14金ペン先がほとんどですので其れは意図的な変形ー負荷ーにも強いということです。
逆に新しいニブ程弱くなって居るように私には感じられます。
おそらくは生産工程の合理化か何かでそのようになって来て居るのだろう。
ちなみに人間の方も新しい人間ほど色んなプレッシャーには弱くなって来て居るだろう感じがどうしても致します。
其の弱いというのは、たとえ分厚くて固いのだとしても本質的には弱いのです。
最近のフレキシブルニブの方もしなやかなようでいて、実は復元力が弱いのです。
でもその辺は非常に微妙な話です。
其れから筆記音について。
昔の鍛造の強いペン先はイリジュームの出来の如何や線幅に関わらず筆記音が鋭いです。
シャーとかジャーとかいう高めの音で線が引け、文字を書いても矢張り音が高いと申しますか鋭くて澄んだ音がする。
一方最近の圧延ニブは細字で書いてもどこか音が落ち着いて居ます。
ゆえに万年筆の金ペン先は戦前の鍛造ペン先の方が遥かに物が良いということと必然的にそうなる。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1680回) ..2014/05/20(火) 23:52 No.4775 |
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万年筆というものも所詮は物質に過ぎないのであるから最終的には心の中から捨て去っていかねばならないものなのです。
何でそういうことになるのかというと、そうした物質的なまたは観念的な拘りが因となって縁を生じこの現象世界に自分が再び生まれて来て仕舞う虞があるからなのであります。
だから本当の本当は物質的にまた観念的に何の拘りも無い状態にしていくことこそが清らかな何かとなるということである。
従ってコレクターというものはひとつの因果で厄介な因縁を持って居る人種のことであり真理の世界からみればそれは決して褒められたものではない人間のことを云う。
逆にその拘りが強い輩ほど深く煩悩に苛まれて居るということとなり、また深く愛好しつつ使っているほどその点に関しては救い難い輩であるということとなる。
然しその事はあくまで真理の世界での話ということとなります。
対してこの現象世界では真理がそのままに顕現して居る訳ではありませんので上記のようなことはまあどうでも良いことであると言えばどうでも良いのだがそれでも本当はもしもの時には全部万年筆を捨てられる位の気分で居たほうが将来ー次に生まれて来る時などにー役に立つだろうことは想像に難くない。
この現象世界に於ける現在というものは元々限定されし至らぬ存在にのみ与えられて居る今なのであって、本来ならばその瞬間、瞬間にはほとんど何らの価値も無いということとなる。
本当の本当はそうした限定を離れて物質化、現在化されていないものの方がずっと価値があるものである。
然しそこまで考え込んで仕舞っては万年筆の話のひとつも出来ないというものです。
万年筆は兎に角物質ですのでその物質のみのことに限定して話を進められれば良いのでしょうが、物質は二重に限定化、現在化されたものでもあるのでそんなものを幾ら熱心に語ったのだとしても精神にとってプラスのこととなるかといえばおそらくはそうはならないことでしょう。
などと今回はいつも以上に訳のわからないことを述べて居りますが、最近少しこの哲学モードが抜けなくなって来ておりそれで意味不明のように聞こえることをつい述べて仕舞うということがあります。
ただし私の場合く悪いクスリの類は全くやって居りませんのでどうかご安心を。
それにつけてもその現在化されて居る万年筆とは矢張り良いものです。
http://yahoo.jp/box/psOp4a
http://yahoo.jp/box/ppKLJp
最近はほとんど改造ペンを使って居ることが多いです。
その多くがED改造されて居るのでインクフローが良く皆書き易いのです。
ヴァンゴッホのEDやDUKEの軸を用いたEDペンは共に素晴らしい。
大変書き易いペンですのでストレス解消にももってこいのペン達です。
http://yahoo.jp/box/HiCqeH
それから例のMASTER萬年筆は最も頻繁に使って居る。
ペン先の柔軟性が高くペン先の曲げに対する収束感が素早くて良いので非常に気分良く使うことが出来る。
矢張り古い萬年筆のペン先は良い。
線幅は細いが線描により中字程度の線を出すことも可能だ。
http://yahoo.jp/box/99BbaC
このように中芯を取り払ったオノト マグナのED版の方は矢張り筆筒の方へ立てて保管していれば充分に使えるということが分かった。
何やら以前よりもインクフローも良く感じられ快適に書ける。
おまけに7号の貴重なフレキシブルタイプのニブなので線描筆記さえ可能なのであるが、そこは元々Bニブなので余り線描が得意ではない。
ニブは柔軟の部類とはなるが特に柔軟だという訳ではなく、たとえば書き比べてみると上のMASTER萬年筆のペン先の方がより柔軟である。
http://yahoo.jp/box/FfvUB0 http://yahoo.jp/box/ayACDk
Waterman0556も良く使って居る。
ペン先は6号にしては柔軟なように感じられたが取り付けの調整を行なってみたところ少ししっかりとしたペン先となり、丁度オノト マグナの7号のフレキシブルタイプのニブと同じ位の柔軟性がそこに感じられる。
この種のフィリグリー装飾軸は軽くてそして結構持ち易く出来て居り全くの所萬年筆の軸として素晴らしいというほかはない。
そしてオノト マグナの軽めのセルロイド軸の品質が非常に高く、たとえば使って居ると余計にツヤツヤして来るのだし、全くこれなどは買った時よりもずっと良くなって居る萬年筆なのだと言える。
パイロットの大型漆はインクをブラックに替えたらインクフローが良くなり書き易くなった。
キャップを付けると巨大な万年筆だがペン先は結構軟らかい感じで多少線描も可能である。
太字とはいえ細めの太字なので線描の書き方も出来ない訳ではないのである。
兎に角どの万年筆も皆それぞれに味があり現在の私にとっては大変良い物ばかりです。
全くこれらからは癒されるところが大なのであります。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1681回) ..2014/05/22(木) 22:59 No.4776 |
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ROMEO 蒔絵万年筆 蛇 http://item.rakuten.co.jp/hougado/ito-ya-074?scid=af_pc_etc&sc2id=291953908
嗚呼、面白い。ただし私にとっては重量オーヴァーである。
http://yahoo.jp/box/SexW8D * 二本の萬年筆に合わせて居るのは名古屋市博物館で売られて居る金属製で七宝焼の栞二つ *
Waterman416とWaterman76。
Waterman416は現状で私にとっての理想の萬年筆である。
Waterman416の場合一昨年から二本を持って居りますが、使って居るのはこちらの一本のみである。
この萬年筆、使ってみて其の使用感が一番高級である。
私はこれまでに様々な高級だと云われて居るペンを使って参りましたが、その中でもこのWaterman416の使用感が最も高級であると信じて疑わない。
だからコレは私にとっての少し特別なペンなのだ。
だから毎日は使って居らず特別な時に使うのである。
精神的、肉体的に余裕を持てる時に限って使って居る。
すると、あれあれ、やっぱし高級だ。
私にとっては矢張り一等高級な使用感がするのだ。
筆記時に182mmと長く、そして重量は22gと軽い。
この数字だけでも現代の万年筆には到達不可能なものなのである。
現代の万年筆にはこんなに長くて軽いしかも銀装飾付きのペンなどおそらくどこにもありはしないのだ。
クリップは無しのタイプですがーもう一本の方はクリップ付きであるー意外と後方寄りの重心で全長の6対4の所にそれが来る。
ペン先は大きいタイプの6号のものだ。
軸に対して大きく感じられるタイプのものであり、まさにそこが私好みの仕様になって居る。
兎に角基本的に長くて軽い萬年筆なので軸の操作が一般的には難しい。
されど私はこうした軸の操作こそが得意なのである。
だからこのペンはまさに私好みのペンなのさ。
ペン先は固いようで居て意外と柔軟性がある。
然し前回述べたWaterman0556のペン先の方がより柔軟である。
でも皆6号の大きなニブなので似たり寄ったりで所謂腰のある柔軟性を感じさせるニブである。
英文ならいざ知らず、漢字などを交えて日本語を書いていく場合には私には丁度良い位に感じられるニブである。
つまり大きく線を変化させつつカリグラフィーをしていくのではなくトメハネハライに応じて軽く線の変化を付与していくには丁度この位で良いのである。
またはもう少し柔軟性のある4号や5号のニブでも良いのではありますが、それらのL.E.Watermanではオーヴァーサイズの軸にはならないのでこのWaterman416のような大きめの軸を好んで使って居るのである。
兎に角大層良い萬年筆である。
フィリグリーは凹凸の少ない平面的なタイプなので軸は普通に持ち易い。
そして何せ長いので私のお習字書きの技術にもピッタリだ。
うーむー、ここでこのようにぐにゃぐにゃーとしてやれば、さあさあ、これでどうじゃろね。
さすれば、ほれ、この通り、このようにうつくしーい、まるでうっとりするような字が、書けたぞよ。
嗚呼、なんて良いペンなんだ、
おお、運筆の時の音の方が凄いぞ。
シャーシャー、シャーシャーとこれはまるで日本刀で紙を切るかのような鋭い音だ。
だからこそペン先が実に実に強くしかも漢字や仮名を線描していくことの出来る優れものだ。
では次に76の方や如何?
うーむ、これはまさにしっかりとしておる。
しかしながらそのしっかりしたペン先もグニャグニャとさせてやれるのだ。
本質的に強いペン先であることが其の事を可能としていて呉れるのだ。
ほーれ、ぐいっ、ほーれ、ぐいっとな、これでもうスッカリ書道師範級の筆跡となって居る。
少々グニャグニャながら、いや、それでも実に美しい線描が其処に完成されて居るのじゃよ。
Waterman76の方は筆記時179mmで重量は何と20gで軽い。
だからこそWaterman416と同じように線描のやり易い実に好ましい長い軸をして居るのである。
それでつまりはこちらの方も私のお気に入りのL.E.Watermanなのである。
実際書いてみると、どちらも甲乙付け難い程に良い。
其処には私の手が欲している長さと重さを持ち、さらに私の筆記技術の方が欲して居るペン先の強さと粘りと線描の能力がすべて兼ね備えられて居たのだ。
共に理想の萬年筆の中へ入れて仕舞っても良い程にこの二本のペンは高いレヴェルで私に合って居る。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1684回) ..2014/05/25(日) 00:40 No.4779 |
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さて最近私が良く使う独逸物二本について述べます。
Pelikan 1935 GREEN BとPelikan M850 with a 14C Bnibについてです。
1998年 ペリカン限定品「1935」(世界限定4,000本)
たとえば本日私は五年振りに猿投山へ行きトレッキングを楽しんで来た。
その場合に使う万年筆は決まって居て、Pelikan 1935 GREEN Bである。
つまり私が山で使うペンはコレだ。
このペンはオリジナル同様に軽いのが良い限定品である証拠だ。
しかしセルロイド素材には少々問題があり、経年変化から表面が波打って来たりもする。
私の1935 GREENも胴軸の方がかなりに波打って居る。
然し、波打とうがどうしようがこれはええ万年筆だ。
感触最高!
なぜならセル軸+エボ軸で感触は勿論どっちも良いのだ。
古典的な細身の軸は勿論私にも合って居る。
さわやかな緑の色のセルロイドは新緑の山の中で使うにはピッタリ。
一方硬いと云われるニブだが、これは現代の18Kペン先としては出来の良いもので山で手帳に詩など書き込むには丁度良い位のものである。
オリジナルの方の柔軟なニブは、少なくとも机の上で書かないと書きにくい筈だが山で書く場合にはしっかりしていて丁度良い位だった。
それから、ペリカンのヴィンテージ物を山で使うことよりもこちらの方がより安心して使えるのだ。
インクが泣き出し気味ながらインクフローは良い。
ピストンフィラーが若干心もとなくなっては来て居るがまだ大丈夫だ。
そんな訳で最近特に良く活躍して貰って居るペリカンだ。
ただし私にとっては山専用のペンである。
久々に訪れた新緑の山は色んな良い香りがしてそして新鮮な酸素を供給された私の頭は冴えて来るのだし、さらに山の頂上で寝ていると大層良い日光浴が出来る。
其処で徐にこのペンを取り出し良い詩が書けるという塩梅である。
尚以前私はこうした山用のペンに緑の透明軸のM800デモンストレーターを充てていたのだった。
然しM800デモンストレーターは流石に大き過ぎ、其れで現在は机上専用として使って居る。
そのペン先は18KでPFタイプのMで現行のM800の18Kペン先とは別物のしなやかさが感じられるものだ。
されど実感的にはもっとしなやかな筆記感を味わえるニブがある。
それが14Cニブで、私の場合はこれをM850の黒い胴軸に付けて居る。
このニブは全くもって素晴らしい。
Bニブなので特に滑らかだ。
どうも復元力は18KでPFタイプよりも強いものがありそうだ。
従って線描での書き方も可能な程だ。
然し調整でインクフローを改善したため低筆圧でも書ける。
この調整に4、5年もかかった。
取り付けの位置、左右の切り割りのバランス、変形させた場合に柔軟性を元に戻すことなど。
ニブはインクフローを大きく向上させるために大きく変形させて仕舞うと様々にバランスが崩れるのでそれを直すのは一筋縄ではない。
しかしようやく直った。
現在は完璧である。
こうして私の独逸物のペン達は現状で完璧な状態になって来て居る。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1685回) ..2014/05/25(日) 17:07 No.4780 |
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http://yahoo.jp/box/idH7UQ
こちらは最近私がこよなく愛好して居るデカいペン先ばかりです。
デカいペン先の魅力とはそれ即ち筆記感がリッチに感ぜられるようになるところにある。
私は以前からこうした大きなペン先が大好きなのであります。
そして勿論これらばかりではなく他にも大ニブ付きの万年筆を沢山持って居ます。
そして最近は特に古い萬年筆の大ニブ付きのタイプのものに興味がある。
たとえばこの画像で言えば、一番右のMASTER萬年筆と思しき萬年筆のデカい14金ペン先のことである。
もっとも柔軟性などは余り気にしては居りません。
柔軟なタイプであろうが、或いは固いタイプであろうが、それはどちらでも宜しいのです。
ただしより古い大きなペン先はおそらく鍛金が為されて居るゆえ本質的に強いペン先となって居るところが良い。
そうしたペン先こそが今の私のお気に入りのタイプなのである。
手作りペン先では矢張り兜木ニブの大きなタイプのものが好きである。
兜木ニブもおそらく鍛金が為されて居るゆえ本質的に強いペン先となって居てたとえグニャグニャと書いたとしても大丈夫である。
18金以上の高品位ニブは、そこでいい気になってカリグラフィー的な書き方をして居ると曲がって仕舞うことがありそこは結構危険である。
そうした危険ということがこの現代社会には充ちて居り、だからこそ本当はそうしたリスクに備えた上で行動して居なければならない。
たとえば70年代のプラチナの五角絞りのWGペン先、あれなども半年前位に曲げて仕舞ったことがあった。
要するに高品位ニブは本質的に弱いものであるということを良く知っておかなくてはならない。
従って現代のペン先に18金以上の高品位ニブが多いのは、それはひとつの大きな誤りである。
18金以上の高品位ニブは書き味単体では良くなる傾向があるのですが、其れ等は本質的に余り良いものではないということを愛好家は常に知っておくべきなのである。
さて、画像に戻ると、左から、No.14914C太字ー久保仕様、No.14914C極太字ー伊太利亜の業者によるクーゲル改造ニブ、 M800用14C Bニブ、MASTER萬年筆の大型14金ニブ、である。
MASTER萬年筆の大型14金ニブはずっと調整を行なって居たが現在はほぼ完調になって居る。
このニブがまず魅力的な筆記感を味あわせて呉れる。
そこでいかにもリッチな筆記感を与えて呉れるのである。
No.14914C太字ー久保仕様の場合は長年に亘るニブの調整で実はハート穴のところからクラックが生じて仕舞って居る。
が、おそらくNo.149のニブとしてはこれ以上望むべくもないしなやかな筆記感をしていることだけは間違いないことだろう。
そのように金合金のしなやかさと戯れること、それこそが万年筆の筆記上の大きな楽しみである。
それもこのように大きなペン先であればよりそのしなやかさが大きく増幅された形で味わえる。
次にNo.14914C極太字ー伊太利亜の業者によるクーゲル改造ニブの場合は、十年位前にイーベイに出て居たものを入手したもので非常に珍しいリチップニブである。
これは極太で物凄い形状のクーゲル風ペンポイントが付いて居り其れが矢張りクーゲルのように丸く研ぎ出されて居るので大変滑らかな書き心地である。
ただし長年に亘りあれこれと取り付けの方の調整を行なって来たものだ。
それで現状は来た当初の位置に近い、ニブを出し気味にする感じで固定して居るがこの筆記感の方がまた凄い。
この14Cニブは固いタイプのものでしなやかな感じのするものではない。
然し、書き味の方は非常に滑らかでインクフローも良い。
だから一種究極的な書き味をして居るNo.149なのである。
勿論このニブは低筆圧筆記で書くのがふさわしいものである。
大量の文字を書いても全く疲れないペン先なので作家の方などには特に向いて居るであろうNo.149である。
つまり、同じNo.149でもこの二本はまるで異なる性格の二本となって居るのだ。
久保仕様の方はフレキシブルニブ化されて居るため線描の方の書き方でも可能である。
対してクーゲル改造ニブの場合は低筆圧でもってペンポイントの方の力だけで平面的に文字を紡いでいくのである。
結局No149はこの二本を使うことが多くなって来た。
そのペンとしての性格上の対比がことのほか面白いからなのだろうか。
ペリカンのM800用の14Cニブはまず柔らかいのですが、それだけではなく大変上質な書き味のするニブである。
これらの中でも一番上品な質の書き味をしているのは間違いなくこのニブなのである。
このニブもかって調整でインクフローを増したがその後ニブの各部のバランスを取り戻すのに時間を要し今年に入ってようやくそれを終えることが出来たものだ。
左様にニブというものは一度弄ったら最期、その後に書き味の方を回復させるのに四苦八苦するということとなる。
されどそれは出来ないということではないのだ。
時間をかけて煮詰めていけば必ず書き味スポットの一点に焦点を合わせていけるものなのだ。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1686回) ..2014/05/27(火) 23:34 No.4781 |
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Wikipedia-畑 正憲 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%91%E6%AD%A3%E6%86%B2
二十代の頃、それも塾の先生をして居た頃だったかと思うのだが、あの畑 正憲さんの著作物を熱心に読んで居たことがあった。
それらの本の内容はもはやほとんど忘れて仕舞って居るのだけれど、その後も常に畑 正憲氏のパワーの物凄さ、それも作家としての力量だけではなくあの雀士としてのまたは動物王国の主宰者としての並外れたパワーの源とは一体何なのかと考えて来ずには居られなかった。
その畑 正憲氏が万年筆の愛好家ーそれも古い萬年筆の愛好家であることを知ったのは十年位前のことだった。
それよりは少し前のことだったろうかと思うが、畑 正憲氏は新聞の広告欄に古い万年筆を求む、などと屡掲載されていたそうである。
してみると、畑 正憲氏はおそらく古い萬年筆の、それもかなりのレヴェルでの愛好家なのだろう。
そしてその古いというのはひょっとすると戦前のものを中心に集められていたのかもしれない。
巷間伝えられるところによると畑 正憲氏には様々に破天荒なエピソードがあり、そのどれもが桁外れのスケールのもので元々スケールの小さい私などは少々面食らって仕舞う程だ。
そのひとつに余りに面白い話があったから此処に書こうと思い纏めてみたものがあった筈だがそれは捜さないと出て来ない。
そんな風に他にもここに書こうと思って居たのに投稿出来なかった話がおそらく十や廿はある。
たとえばかのルートヴィヒU世のことを書いたものなどもあったが、もしかするとあれなどは結構傑作だったのかもしれない。
いずれにせよ、古い萬年筆がお好きな方は矢張り年配の方々に多く居られるようである。
が、正直言えばその世代の方々にはもう余り時間が残されて居ないのである。
そうかといって我々五十代がこの後もずっと長生きしていくなどということは保証されて居ない。
芸能人などでも五十代の人は結構早く身罷られたりして居るのであるから、実際そんなにのんびりとは構えてなど居られない。
だから結局は人間なんていつどうなるとも分からないものだと思いつつ日々を送って居た方が宜しいようである。
そうした感じで生きて居るとむしろ色んなものが真に美しく、また有難いものであるかのようにも見えて来る。
どういうものでも皆それなりに美しいものばかりなので、かえって其処で深く煩悩に縛られて仕舞い、全然抜け出せはしないのだが、まあ、結局はそれも仕方がないといえば仕方が無い。
ちなみに私の場合欲は大きい部分を捨てて小さい部分を求めていくことにして居る。
万年筆はあくまで小さい部分である。
然しそれも最終的には意識から消していきたい。
されど全部捨ててしまうことはかえって現実的には良くない。
なぜならこの世は欲望肯定の世の中、欲望を是とする世の中なのである。
それではそういうところを、逆に生きにくくなるということなのである。
自己保存欲だの名誉欲だの権力欲だの、或いは大金を手にしたいという欲だの、そうしたものを捨てて小さく求めていくのが私の生き方であり、かつ私の万年筆観なのである。
だからもうのべつ幕なしに万年筆など買わない。
されど万年筆だけは求めても良い。
他のものを求めて居ないので、これを求めておかないと求めるものがもう何も無くなって仕舞う。
でもあくまでそれも小さく求める。
小さくというのは、勿論安いということと同じことなのである。
かっては大きく求めて高額な限定万年筆を沢山持って居たのだったが、今はそういうのが随分減って仕舞った。
http://yahoo.jp/box/yp4WXx
その畑氏と同じで私も古い萬年筆が大好きなのでまたヤフオクの方で落として仕舞った。 何故落としたのかというとそれが三千円以下で安かったからである。
http://yahoo.jp/box/ACL6pN
最初黒い軸のペンが来たと思い、それをわざと変色させて茶色にしてやる目的と汚いペンを綺麗にする目的との両方で兎に角ペンを良く洗ってみた。 すると画像では分かりにくいのではありますが、黒軸ではなくラピスカラーのセル軸であった。
ラピスカラーのセル軸は結構美しいのだ。たとえばDUOFOLDのラピスカラーのセル軸なども随分美しい。 尚、戦前のパーカーのセルロイド軸は総じて品質が高いようで、分解などはせずに安心して使えるものが多い。
ただし変色は屡認められるのだし、変形などが引き起こされることもあるようだ。
http://yahoo.jp/box/vQPWXo
ペン先は8号の大きなものである。
とは言っても、ペリカン800のペン先を一回り大きくした位のもので特に物凄いという程のものではない。
それでも一応は大きい。
特にこのようにアップで写真を撮ると凄く大きく見える。
さてDiamond Medalというモデルを製作した会社はSears Roebuck社という米国シカゴの大手小売企業で1906年に設立されて居るそうだ。
ダイヤモンドメダルはこの会社から発売された万年筆やペンシルのブランド名となり、万年筆やペンシルの製造はパーカーやナショナルペンなど複数のメーカーからのOEMだったという。
だからなのか、このペンもあのDUOFOLDに似て居るといえば似て居る。
されどどこか二流品という感じのすることも否めない。
実際このペンはキャップリングの裏側のメッキも剥がれて仕舞って居るのだし、吸入の方も現時点で出来ないので付けペンとして使うのみである。
けれど結構キッチリ作られて居るという感じがどこか伝わって来るペンでもある。
この頃の萬年筆の作りは矢張り良いのだ。
それからペン先の方は頼もしい、固く硬いペン先である。
その固いというのはニブが分厚くて硬いのである。
対して硬いというのは鍛金ニブなので本質的に強くて硬いのである。
だからこのニブはこうして短穂で固いのではあるが強く硬くもあるものだ。
勿論線描をしていくようなニブではなくペンポイントが強く奏でる筆記音を楽しみつつGT筆記的に書いていくペンである。
このペン先は細字であるが、フェザータッチでもって美しい字をそのままー線描することなくーに書いて行けるペンである。
それから軸の感触が頗る良い。
セル軸ではあっても、これは確かになかなか良さそうな質のものである。
いずれにしても、僅か三千円でこんなに色々と楽しめ今私は実に楽しい。
かって米国には様々なマイナーブランドのメーカーがあり、それらがそれぞれに多くの萬年筆を発売していたという訳である。
古いものだけにそれらマイナーブランドの萬年筆にもそれぞれに味があり無論のことそれらが全く役に立たないという訳ではない。 そんなことを再認識して居る今日この頃である。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1687回) ..2014/05/29(木) 00:49 No.4782 |
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Wahl-Eversharpの萬年筆に関しては、これまでに度々語って来て居る訳である。
Wahl-Eversharpの萬年筆の素晴らしさはその繊細な筆記感にこそある。
ただしその繊細な筆記感を得る為にはFLEXIBLE NIB付きのモデルを得なければならない。
特に大きな号数のニブ、十号のニブのようなoversizeモデルに付けられたFLEXIBLE NIBの筆記感が最も繊細であり其れ等は線描するニブとしてはいずれも絶品である。
尚ここ日本では戦後の独逸のヴィンテージ万年筆の評価が高いようなのだが、確かに其れ等に付けられて居るニブには特に柔軟なものまでもが含まれて居る。
然し私がそれ等をも含めて使ってみた限りでは、其れ等はこのWahl-EversharpのFLEXIBLE NIBに優れるものだとは思えないのである。
何故ならWahl-EversharpのFLEXIBLE NIBは独逸の万年筆の柔軟性が高いニブよりも筆記上の感覚、感触が筆の穂先を操るが如くに感じられるのが常だからなのである。
そう、Wahl-Eversharpの特にoversizeモデルのFLEXIBLE NIBはまるで筆の穂先のようにも感じられることが屡である。
無論のこと其れ等は同じものではあり得ないのではあるが、其のような感覚でも書く事が可能だとでも言うのか、兎に角運筆圧がかかりガバッと切り割りが開く感じが筆の穂先を立体的に扱う感じにも一種似て居るのである。
だから私は今思うのだ。
この萬年筆に出合えて愛好家として私は本当に幸せであった。
この萬年筆が無かったら戦前の萬年筆の世界でこれほど夢を見させて貰うことなど叶わなかった。
Wahl-Eversharpの特にoversizeモデルのFLEXIBLE NIB付きの萬年筆は今世紀に入ってからの私の夢の萬年筆でもあったのだ。
Doric、Equipoised、Personal Pointとモデルは分かれるがそれ等oversizeモデルのFLEXIBLE NIB付きの萬年筆は私の筆記を長きに亘り支え続けて呉れた。
其の事に対しては謝意を捧げなければならないことだろう。
遥かな過去に存在して居たWahl-Eversharp社という萬年筆メーカーに対してと、其れ等の素晴らしいペンをずっと保存して於いて呉れた米国に対して。
確かに私は思想的には米国のグローバリゼーションの推進を是として居ない訳なのですが、その事とこの事とはまた話が別で、実際米国という国は今でも戦前の一流ブランドのペンなどが多く出て来るようなお国柄なのである。
勿論兎に角数が多く出て居たということはあったのだろうが、それだけではなく程度が良い状態でペンを保存するということも、おそらくはあの英国からの影響だったのかその部分については確りとそうしたことが行われて居たのかもしれない。
そんな訳で私はおかげさまで程度の良いWahl-EversharpのoversizeモデルのFLEXIBLE NIB付きの萬年筆を多く集めることが出来た。
だからそのことを可能として呉れたすべてのことに感謝の気持ちを今持って居るのである。
私にとっての本当の本当に良いペンを、それもそれらを多く私に与えて呉れて大変有難うございました。
http://yahoo.jp/box/NdlrAY
さて、画像について語れば、これらはEquipoisedとPersonal PointのoversizeモデルでFLEXIBLE NIB付きの萬年筆を撮ったものである。
まず驚くことは、このEquipoisedのセル軸が入手した時よりも美しく輝くようになり、しかもペン先の方の筆記の具合にしてもむしろ昔よりも良くなって居るということなのである。
確かにDoricのセル軸の場合にはことによると分解の虞が無きにしも非ずなのだが、それでもDoricのセル軸が必ず分解するものだとは言えず、またこのEquipoisedのセル軸の方がセルロイドの質が高いと言い切ることも出来ない。
要するに決めつけられない訳なのであるが、それでも実感的には戦前のセルロイド軸の方が現代の早く分解を起こすセルロイド軸よりも良いものであるといった部分はある。
http://yahoo.jp/box/QpWQQZ
こちらは黒いセルロイド軸のPersonal PointタイプのFLAT TOPモデルである。
この太軸のoversizeモデルはEquipoisedよりも古いモデルである可能性もあり、兎に角古典的な風味が強いペンで、しかしそれにしてはL.E.Watermanほどの古さは無く、結局は当時の新しい素材を用いて作られた近代的なペンの範疇に入るものだろう。
そしてこの萬年筆こそが素晴らしい。
http://yahoo.jp/box/5PzPn2
そのペン先はDoricやEquipoisedのFLEXIBLE NIBよりも形状が細身で穂先が長く尖って居るからより線描向きであるより古いタイプのFLEXIBLE NIBなのだと考えられる。
が、EquipoisedのFLEXIBLE NIBとは大きくは違わないので或いは其れ等が同時期に作られて居たものである可能性もある。
ちなみにDoricのoversizeモデルのFLEXIBLE NIBは柔軟性が高くもっと低い筆圧で線を変化させられるのだが、こと線描の能力に限ればどうもこうしたより古いoversizeモデルのFLEXIBLE NIBの方が得意である感じすら抱かされるのである。
いずれにせよこのニブの線描の能力は極めて高いものがあり、書いてみてほぼ自由自在に線を変化させていけるニブなのだということが良く分かる。
それも固い、線が無表情なニブーつまり変形しないニブーを書いて居てーたとえば前回のようなDiamond Medalなどを書いたすぐ後にこちらを使ってみるとまるで生き物のようにさえ感じられる筆となる。
そのニブの変形の様と線の変化の様が如何にもその生き物であるかのような感覚を与えて呉れるのである。
今、書いてみても、全く素晴らしい線描能力を持ったニブである。
そしてまるでニブが生きて居るかのようで、また書かれた線が矢張り生きて居るかのようなのである。
さらに穂先が長いのでーWahl-EversharpのoversizeモデルのFLEXIBLE NIBの穂先は皆長いーまさに筆の穂先のような感覚でペン先を扱うことなども可能なのだ。
つまりこのペンは本来の筆致で日本語を書き記したい方には最も向いて居ると考えられる萬年筆なのである。
だから私は前々から、毛筆による筆記文化を持つはずのここ日本でこのペンが広く評価されて居らずかつ広く知られても居ないという事が非常に不思議だったのである。
そう、このペンは日本の愛好家にもっと大きく取り上げられてしかるべき良いペンなのである。
ただしニブに筆の穂先の如き柔軟性があり繊細な筆記感のあるこのニブはそれなりの筆記上のテクニックで御していく必要があるゆえ誰もがこれを操り切れるというものではない。
きっと日本語の線描筆記をするということ自体が、その筆記文化自体がすでに失われていることからこれらのペンのことが余り顧みられて居ないということとなったのかもしれない。
ーDoricのニブにはWAHL EVERSHARPと刻印されて居る為私はこれまでEversharp DoricではなくWahl-Eversharp Doricとして来て居ました。Wahl Eversharpのことを語るのはおそらく今回が最後となりそうですので一応そのことをお知らせしておきます。ー
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1688回) ..2014/05/30(金) 22:40 No.4783 |
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http://yahoo.jp/box/G9Bja7
古典の萬年筆のより古い萬年筆の中には、こうしたhalf overlayのタイプのものが存在して居る。
こうしたタイプのものは或いは当時から数が少なかったのか、現在でも出て来ることが稀である。
画像は共にL.E.Watermanのhalf overlayで、銀製装飾が胴軸に施されて居るものだ。
上の方が五号ニブ付きで、下の方が二号ニブ付きのものである。
共に真に古典的な萬年筆の風格とある種の深みを内在するペンであるように思われる。
その深みとは、謂わば言外に醸し出されて居るような深みのことなのである。
http://yahoo.jp/box/lfDWV9
特にこの五号ニブ付きの方は、かなりに古いタイプのhalf overlayモデルだろうと考えられる。
装飾部が短く、フィリグリーのパターンも通常見られるようなシロツメクサのパターンではなく、非常に大胆でより抽象化された、或いは見ようによっては余り装飾的ではない骨太ー無骨ーのパターンなのである。
そして注意深くこの装飾部を良く見てみると、何と其処には手彫りによる彫金が施されて居る。
彫金と云えば現代の万年筆では独逸物のそれが有名である。
それはペリカンのトレドモデルやモンブランのメディチなどに見られる特別なハンドクラフトの技法である。
つまりは最高級の万年筆にのみ施される技法である。
機械が彫った機械彫りの模様よりも彫金の方に価値があるのは言うまでもないことなのである。
何故なら彫金とは個性の表出でもあるが、機械彫りは基本的に皆同じものであるに過ぎず従ってそれは表現ではない。
無論のこと彫金とは表現を全面に押し出した藝術ではなく所詮は工芸の世界のことなのではあるが、それでも表現の領域を含んで居ることが其処にある種の技の深みを与えても居るのである。
その技の深みを常に見て取れる軸というものはやはり見て居て飽きないものだしそうしたものを眺める楽しみの奥深さというものもまたある。
思えばかってはそうした要素が物の世界にも広く存在して居た筈だ。
ゆえに万年筆の工芸的な要素を辿っていけば最終的にはこの頃の萬年筆に行き着くことだろう。
それは世界の高名なコレクターさん方が集められて居たかまたは集められて居る十九世紀末から二十世紀初頭にかけての真に美しくそして実用的でもある品々のことである。
我々が万年筆の本などで目にする其れ等のペンは本当に良いものであったのかどうか?
実は本当に良いものばかりだったのである。
其れ等は古いということだけでは無しに本物の高級品そのものだったのである。
嗚呼、私もかって何度となく其れ等を様々な本で鑑賞して居たことだったろう。
例のランブローさんの『FOUNTAIN PEN』-万年筆-という本、またそれの豪華版の『FOUNTAINPENS OF THE WORLD』、 中園さんの『世界の萬年筆』などで。
然し三十代、四十代の頃までは其れ等とは縁遠いコレクター人生を歩んで居たのだ。
その頃の私には其れ等のペンに秘められた真の力、その万年筆としての本質力のようなものには全く疎かったのである。
兎に角全く分からなかった。
自分とは全然違う世界のものだと思って居た。
確かに良い物のようにも見えないではないが、どう見ても古すぎるのだし第一簡単にはそれらは手に入らない。
嗚呼、私には分からなかった、まるで。後に其れ等が私を惹きつけて止まぬ類のものになろうとは。
然しながら古典の萬年筆は、階段を一段ずつ登るようにして理解を深めていけば必ず分かる様になるのである。
そして其処で懐疑と思考力とを磨くのだ。
其処で現代の万年筆をばしつこく疑え。
さすれば道は自ずと拓けるであろう。
疑うことは真理への早道であり己を高める為の精神の糧である。
万年筆のあらゆるものに食らいついて疑え。
するとようやく一筋の本当の道が見えて来る。
これ以上ない程にくっきりと、そして輝かしく。
私はそのようにして現代の万年筆のすべてを疑い現在の境地を得た。
そしてもはや後戻りすることなどはない。
確かに現代の万年筆も部分的にはまだ愛して居る。
勿論完全に捨て去ってなどは居ない。
しかしもはや其れ等は私の筆記上の本妻ではない。
そう、君らはただの友達なんだ。
部分的に筆記の時を過ごすだけの存在。
現代の万年筆が失って仕舞ったものを追い求めていくと、手作りの万年筆などにまず行き当たる。
酒井軸と兜木ニブ、万年筆博士、大橋堂、その他諸の。
然しより完全に万年筆を突き詰めつつ追い求めていくと、其処に万年筆の原初の姿が見えて来る。
そしてその原初の姿こそが尊い。
其処で何も求めて居ないがゆえにこそ、尊い。
本質的に作りが良くて、尊い。
尊いからそれは深い。
深くて底が見えない。
或いはこの己の思考よりも質が深いのだろうか。
尚この種の萬年筆は、本当はもはや語るべき何ものをも有して居ない。
謂わば言外のところでそれは成立して居り、現代の愛好家である我々に対してだけ語り続けて居るのである。
我々がそれを語るのではなく、萬年筆だけが語り、それを我々が拝聴するだけのことなのだ。
従って我々は其処に於いて初めて消費者という立場を抜け出すことが出来る。
其処でこそあーでもない、こーでもないといった様々な詮索を離れ其れ等の萬年筆の語るところでの言外の真理にのみ耳を傾けて居られるのだ。
だからもはや言葉を弄して万年筆を語る必要などはない。
私はもう声を発しない。
其れ等の萬年筆だけが我々を正しく導いて呉れることだろう。
おそらくは永遠に。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1689回) ..2014/06/09(月) 00:26 No.4784 |
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http://yahoo.jp/box/Wk0IAV
こと古い萬年筆に限っても、この様に多様な軸とニブが付けられて居り見て居て非常に面白いものです。
勿論新しい万年筆の方でもそうした多様性があることは分かって居るのだが、現代の万年筆は筆記感や書き味の面で大きく個性化が図られているとは考えにくく、従って此処に載って居る古いペン達のようにそれぞれに個性的なものが味わえるという訳ではないことだろう。
また古い萬年筆の場合は軸の長さなども様々でよってそうした部分からも筆記感の違いが醸し出されて来る筈である。 ーただし此のDORICの場合はオリジナルよりも短くなって居る。部分的な尻軸の分解によりそのようにせざるを得なくなった。ー
だからこの種の古い萬年筆をこのように集めて書いて居ることはかなりに楽しいことだ。
幅広い味わい方が出来るという意味に於いて其れは楽しい。
http://yahoo.jp/box/48iQbj
大きなペン先に限ってもこうして形状や硬軟の違いがあり見て居るだけで面白い。
結局、万年筆に於いてはこうして自分で選んだ好きなペンを並べて見て居るだけでも楽しい。
また其れ等を書いてみればさらに楽しい。
さて今、此の世の中には余り心から楽しいと思える話題がなく閉塞感の漂う文明の状況となって居る訳ではあるが、万年筆の世界ではこうして楽しく遊 んで居られるのだからそれはそれでひとつの息抜き、癒しの時間ということでなかなか得難い楽しさの持続なのだとも言えよう。
尚現代文明の危険度、特に将来に於ける危険度について少しでも知っておきたい方はこちらを是非視聴しておくべきである。
NHKスペシャルーシリーズ エネルギーの奔流 第一回 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0524/
NHKスペシャルーシリーズ エネルギーの奔流 第二回 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0525/
左様に現代の文明というものはもはや切迫した段階にある。
しかしながら其の事実がなかなか大衆レヴェルへは伝えられなかったから庶民にはそうした認識がほとんど無いのである。
私がこうした掲示板やブログのようなところで文明の抱える危機を伝えようとして来て居るのは、其れは私の妄想の類を述べて居るのではなく事実と向き合って来て居ることであるに過ぎないのである。
ただし私が今日述べたいことは文明の危機についての話ではない。
あくまで万年筆の話をしたいのである。
確かに私はそうした文明の危機の問題と今後も関わっていくことだろうと思う。
ネット上に書くか否かということは別として今後も私は常に此の大問題と向き合っていくことだろう。
其の折に万年筆があれば其れはとても心強いことである。
大問題を考える、其の考えたことを書き留める、という点に於いて万年筆程適任である筆記具もまたないことだろう。
ちなみに私の場合は、それらのことは甘いことではない問題、つまりは生半可なことではないので其処で集中力を高めて呉れるパイロットのブラックインクなどを使うのが一番良い。
万年筆は上のようなお気に入りの萬年筆達があれば他にはもう何も要らない。
ペン先などは硬軟には拘らず書き易く反応の良い古い金ペンならば何でも良いのだ。
其のように現代文明が抱える大問題と闘う、そうした戦闘態勢に入るためには選りすぐりのペン達が是非必要である。
そして万年筆とはそのように戦闘の為の武器でもあったという話なのである。
其れは文の方から常に問いかけていく闘いでありおそらくは互いの最後まで続くだろう闘いである。
だから其の文の方での武器とは、矢張りどうしても万年筆が一番似合うのである。
ペンは剣よりも強いのかどうかは知らないが、大問題を考えていく場合にはおそらく一番似合う筆記具であることだろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1701回) ..2014/06/24(火) 23:47 No.4796 |
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http://yahoo.jp/box/6_Ncy9
Rangaを久し振りに使ってみると矢張り机上で使う分には非常に良い万年筆である。
インクの容量が大きいので数ヶ月経ってもインクが干上がって居らずちゃんと書けるところこそが素晴らしいのである。
特にこの二本は巨大なタイプの二本で、共に軽くはなく重い部類となるRangaモデルである。
共に20センチ以上ある巨大なペンゆえ、其の貫禄は十分でゆったりした気分で大きくーまたは多くー文字を書き連ねていくことが出来る。
この二本はエボナイトの胴やキャップが分厚く出来ていて非常に頑丈そうなRangaなのである。
だから机の下の板の間に落とした位では何ともならない。
或は少し傷が付くのかもしれないが全然大丈夫である。ーもっともまだ落としては居ないのですがー
この大きさと頑丈さと、カラーエボナイトの個性的な軸色を持って居ることはなかなかである。
またこれだけのペンにしては兎に角安いのでそれだけでも充分に魅力的ですでに元が取れて居るのである。
それと、原始的なED方式なので使って居てもまず壊れずすべてが単純そのもののペンなのである。
そう其の単純さにこそ魅力がある。
単純なものにはシンプルでストレートな生粋の性能がありそうしたものは複雑な機構が作り出す価値よりもむしろ長持ちして信頼出来ることが多い。
特に今パステルの青緑色の軸の太軸の方の調子が絶好調である。
というのもつい最近ニブをヴィスコンティ製のコンクリンのニブから戦前のパーカーーおそらくヴァキューマティックのニブだろうーのニブへ替えたのである。
http://yahoo.jp/box/VZSprh
ところがこのニブがまた実に上手くはまった様だ。
インクフローが良くどんな時でもスラスラと書ける実に書き易い一本に仕上がったのだった。
ただし共に古いニブを付けて居るのだから、其の筆記感は現代のニブの書き味とはかなりに異なる。
二本ともやはり筆記の際に高周波の音がして一種澄んだ筆記音となって居る。
これらのニブもおそらくは鍛金されていることであろう、兎に角シャーシャーと鋭い音を立ててニブが運ばれそして其の結果文字の為の美しい線が引かれることとなるのである。
だから此れ等のペンはある種最高のペンなのである。
其れ等はどこまでもどこまでも書いて行けるインク容量を持つヘヴィーライター御用達のEDなのである。
太軸の方などはほとんど無筆圧筆記で書ける。
鮮烈な青のデスクペンの方も低筆圧筆記が可能である。
だからこの二本は大きくて重いカラーエボナイトのペンで行うGT筆記専用のペンとして重宝して居るものである。
特に原稿用紙へ沢山の文字を連ねる必要がある時などに最大の能力を発揮して呉れる事だろうペンなのである。
よって大きな万年筆を机上でじっくりと使っていきたい方にはかなりの満足が得られる筆であろう。
ただし画像にも少し写り込んで居るのだが、艶消し仕上げを選んだ青のデスクペンの方は以前インクの漏れが起こった時に部分的にパイロットブラックの方に染め上げられて仕舞った。
首軸に其の跡が見て取れることかと思う。
然し通常の艶出し仕上げの太軸の方はインクが軸に付いても染まりにくくなって居る。
これらのペンは保管時に筆筒に立てて置かれており其の状態でのインク漏出のトラブルの頻度は少ないとは言えるが稀にそのことが起こることはあり、其の場合には艶消し仕上げの軸の場合はパイロットブラックに染められて仕舞う虞もあるということなのである。
然し余り首軸がまだらになるようならいっそのこと首軸全体をパイロットブラックで黒に染め上げてやっても良いのである。
以上のことからも場合によりカラーエボナイトの軸でも軸色を意図的に染め替えて仕舞うことが出来ないでもないのだ。
事実私はL.E.Watermanの変色したエボ軸をパイロットブラックで黒に染め上げて使って居るものが数本ある。
ただし其の場合は、紫外線などの影響を受けて表面がざらついたエボナイトの軸に限りうまい具合に染め上げることが可能なのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1720回) ..2014/07/29(火) 00:21 No.4815 |
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私は相変わらず中国の万年筆の、其の所謂万年筆らしく無い点が好きなのである。
中国の万年筆の、其れも僅かな数のモデルの中には万年筆と云うよりも筆のような感じの軸のものがあり、私は其れ等を珍重しつつ使って来て居たのであった。
問題なく滞り無く筆記出来れば良い万年筆になるかと言えば私は余り其処には拘って居らず、其の筆記上の安定性よりも何よりも筆記上の東洋趣味の部分、是だけを愛好、偏愛しつつ万年筆を使って来て居るから万年筆に於いては謂わば東洋的に漢字や仮名を運筆出来るものだけが現在好きなのである。
西洋起源のものである万年筆を東洋趣味でもって書いていこうとはこれまた実にお門違いの話だとでも言うか或いは一種の倒錯趣味だとでもと言うか、 兎に角この平成の御代の日本人の発言だとは思えないような偏屈振りなのだが、其れは生まれてこの方、私が様々に物や文化や思索と付き合って来た挙句に此の境地に至って居る話なのであるから其れはもはや変えられるようなものでもないのである。
其の私の偏屈な万年筆趣味の大部分を満足させて呉れたのはひとつには古典の萬年筆の存在ということがあった。
それから酒井軸で兜木ニブ付きの手作り万年筆などもそうだ。
然しながら、お次の三番目には何と中国の万年筆が入って来るのである。
其れは多分、あの伊太利亜の万年筆よりも私の中では上位でさえあるのだ。
前々から古い日本語の筆跡の、其の本来的な美しさに魅了されて来て居る私にとっては、昨今の日本人が書いて居るような見苦しい、まるで幼稚な、それこそなってない、見て居て恥ずかしくなる程に下手糞で情感の無いマンガ文字、オモチャ文字の類に心からガッカリさせられる機会が余りにも多かったのだ。
其れで万年筆でも日本語らしくメリハリの効いた美しい字を書いていこうではないかと筆記マニアの一人として其のように提唱して来て居たのである。
尚文化面で問題となるのは、今世界中がグローバルな近代化ということを推し進めて来て居り、近代化ということは畢竟西洋の近代文明のグローバル化ということなのであろうから、必然として其処で東洋起源の思想や文物に重きを置けなくなるか或いは自信を持てなくなるということに陥り易いことなのである。
然し、これまでに私が学んで来たところのものに限れば西洋の文物よりも東洋の文物の方が優れて居る部分さえもがある。
否、其の事はただ部分的にだけではなく全体的、総合的にも東洋の文物は優れて居るのである。
また其処は宗教なども勿論そうで、東洋起源の宗教というものは寛容性に富んだものが多く其の点でもまさに優れて居るのである。
或いは自然をどういったスタンスで捉えるかということに於いても、かっての東洋に於ける自然に対する捉え方の方が本質的には優れて居たのだと言える。
現在のように自然をないがしろにして進む、人間中心の思想を掲げて突き進む近現代の価値観はこのまま進めばおそらくは百年以内に人類を破滅の淵へと陥れることだろうが、其処に東洋思想の如くに内省の力に富んだ、本質的には人間中心では無い世界観が入り込んで来れば或いは少しでも其の破滅の到来を先延ばしすることが出来るのやもしれぬ。
其れで、其の万年筆であるが、古典の萬年筆というものは合理思想から生まれしものにしては非合理的な本質を備えしものなのであり、其れも不思議なことにペン先が柔軟でしかも軸も長いものが多かった為まるで筆を操るが如くに書く事が可能なのである。
其のような非合理性の部分が東洋の文物、思想、ライフスタイル、価値観などとどこか相通じるものがあり共に相性が良いのであろうと私は考えて居たの だった。
ところが戦後の万年筆は次第に其の合理性の方を高めていったので次第に日本語をはじめとする漢字文化圏の言語を書きにくくなっていった筈なのだろう。
其の意味で私は一般に評価の高い独逸の万年筆が必ずしも日本語の表記に向いて居るとは考えて居らず、其れでもモンブランやペリカンを使うなら戦後のモデルを使うよりも戦前のより古いモデルを選んでいった方がより本来的に日本語を書く事がし易い筈なのである。
伊太利亜の万年筆だって勿論本質的には日本語を表記する為のものでは無い。
ところが日本の万年筆でさえ、一部の万年筆を除けば皆が皆日本語をより本来的に書き易く作られて云えるかと言えば其れはそうではないのだ。
ただし、其の事は当たり前のことでもあり、何故なら万年筆は硬筆筆記具なのであり書道の如くに昔風の日本語の書き方をするものではないからである。
其処をあえて昔風のカリグラフィーの要素を残した日本語の筆跡ということに拘るのであれば、先に述べたような西洋の古典の萬年筆や酒井軸のような手作り万年筆を選んでいくということに必然的になっていく。
また戦前の日本の萬年筆は特に日本語をより本来的に表記することがし易いと言える。
さて中国の万年筆で近頃私が頻繁に使って居る改造万年筆があり、其れはED化された筆で筆記上頗る面白いものとなって居る。
其処で何が面白いかと言うに、要するに其れは硬筆筆記として即規定されるような万年筆的な万年筆ではないから面白いのである。
ズバリ言えば、此の筆は半分位は毛筆的に書ける、毛筆の筆記感の半分位は其処に再現されて居るかのようなそんな筆記感をして居るものなのだ。
とは言え、特殊なニブを此の万年筆に仕込んで居るという訳ではないのだ。
ただし、ニブを英雄の純正ニブからDUKEの細長いタイプの18Kニブに替えている。
此の18Kニブはまた素晴らしいニブで、特に筆記感の方が優れた現代のニブとしては上等の部類の方のニブである。
元々はDUKEの双龍戯珠という超重い限定品に付けられて居たニブであり、ひょっとすると中国の万年筆の中で一番良いニブではなかろうかと昔から私が考えて居るところでのペン先なのである。
そしてH2002という今日では希少品となった英雄の長い軸はまさに毛筆の軸のようでさえあり兎に角長い。
筆記状態で177mmの長さがあり、其の長さは何と私にとっての理想的な万年筆の長さなのである。
そして此の状態で中国の万年筆としては異例に軽い軸となって居て、其れは29gとなり30gを切っているからいかにも普通に書いていける軸となって居る。
英雄の場合にはもう一種軽い軸の高級ペンがあり、其れはH2003でH2002よりは全長が短いが重さは26gといかにもまともである。
英雄にしてもDUKEにしても、また他のメーカーの品にしても中国の万年筆は重いものが多かったのでニブ云々よりもその前に万年筆として疑問符が付くものが多過ぎたのである。ー九十年代中頃から二千年初め頃迄のモデルはー
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1721回) ..2014/07/29(火) 00:21 No.4816 |
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然し、当時の英雄の14金や18金のニブ、もしくはDukeのこうした大型のニブは全く素晴らしいものだったのである。
其れ等に適切なフィードを宛てがってやれば素晴らしい筆記感が得られ、其れは独逸や日本の万年筆の書き味とは全く異なる、謂わば東洋的な運筆を其処で可能とする優れものの金ペン先だったのである。
私は今でもそうした英雄やDUKEの大型金ペン付きの万年筆を十本位は未使用で持って居るのである。
ただし其の場合にもH2002やH2003を除けばノーマルの状態では重過ぎる軸となって仕舞うのである。
だから中国の万年筆は必然的に改造しつつ使っていくべきものなのではないだろうか。
独逸や日本の万年筆はほとんど改造する必要を感じないし改造して仕舞えばむしろ悪くなっていくであろう予感がするものなのだが中国のペンや伊太利亜のペンはそうとも限らない、むしろ良くなっていく場合が多いということをかって私は嫌というほど経験させられて来て居るのだ。
尚此の改造H2002の重さが30gを切ったのは至極重いクリップの部品を全部取って仕舞って居るからなのである。
其れでようやく普通に扱えて書ける重さを得たのである。
其処に、なるべく良いニブを付けてみたい。
オリジナルのニブの方は他の万年筆に流用して居る為長らく此のペンにはニブが無かったのである。
ところがここ半年ばかり台湾の廉価万年筆に此のDUKEの18K金ペンを付けて書いて居たところ、此の金ペンはむしろ英雄の長い軸の方に似合いそうな気がして来たのであった。
其れで出来上がったこのH2002改EDの実力はまさに凄いものがあった。
1.フィードはRangaのエボフィードを流用、其れで少々難しい面もあるにはあるのだがーインクの流量の安定性という面でー、いざインクが出始めると相当な流量となり其れで万年筆を書いて居るというよりも先が固めの筆ペンのようなものを書いて居る感覚がするのである。
2.其のプラチップ系の筆ペンでの筆記の如き筆記感覚は他のペンでは決して得られないことだろうまさに此のペン固有のものなのである。
3.ニブは柔軟なようで居てその実は固い部類のものである。
それでも柔軟なタイプのニブではないかと勘違いして仕舞う程に紙当たりがマイルドでかつ筆記感が滑らかだ。
つまりは現代のニブとして可成に出来の良いニブであろうことはほぼ間違いないことと思われる。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1724回) ..2014/07/31(木) 22:45 No.4819 |
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http://yahoo.jp/box/OQhG8A
-英雄2002型改ED-
一七七ミリ 二十九グラム
ペン芯ーRangaエボナイトペン芯
ペン先ーDUKE18K
ED化済
重心位置ー全長の6.5対3.5の位置で後方重心。
インクフロー良好で長い軸と相まって筆的に筆記することが可能。
現時点で最も価値を感じる中国の万年筆となって居る。
ED化による軸の分解の可能性については不明。
http://yahoo.jp/box/-UD0zf
長い穂先ー細長いニブ形状ーによる高筆記角度での筆記が可能。
ニブはかってらすとるむさんにより調整済みのもの。
元々はDUKEの限定品双龍戯珠に付けられて居た十八金ペン先。
筆記感が特に秀逸なニブである。
http://yahoo.jp/box/wB-1Da
DUKEの螺鈿仕様の限定品で未使用品。
重い万年筆の為使うことが出来ない。
http://yahoo.jp/box/NbJJtT
http://yahoo.jp/box/2OFjOZ
此のモデルのニブはこのように双龍戯珠に付けられて居た十八金ペン先に良く似た形状の物。
おそらくはこちらも筆記感が特に秀逸なニブであろうことだろう。
このニブは他の軸に組み合わせてみればずっと使っていけるものとなろう筈である。
http://yahoo.jp/box/BoyvWN
http://yahoo.jp/box/x5r0qE
英雄にはかって四種の記念金筆があり、此の螺鈿軸の物も其処に含まれる。
ー英雄四種の限定モデルー
建国五十周年18K記念金筆(螺鈿軸)
50英雄14K記念金筆(フィリグリー軸)
A型人世18K記念金筆
B型人世18K記念金筆(八角軸)
螺鈿軸モデルの軸の形状は長めで筆的な印象がありとても美しい。
されど兎に角重く実用的なモデルだとは言い難い。
従って私の場合はクリップを取り除き重量を減らして居る。
此の万年筆は当時高価だったが、勿論それなりに特別な雰囲気の漂う限定品である。
ただし問題がある。
樹脂部がセルロイド製らしく経年変化することは免れないようだ。
此の個体では今のところ、素材の一部に収縮現象が認められるが、かと言って使用に支障をきたすようなものではない。
尚此のモデルの螺鈿は特に丁寧に貼られて居り可成に美しく、日本の万年筆の螺鈿と比べても見劣りするということは無い。
またペン先はかっての英雄らしく非常に良いものである。
かっての英雄の限定品の金ペン先は金の品位によらずいずれも強い性質のものがほとんどで、よって其処ではカリグラフィー的な筆致が可能である。
尚この建国五十周年記念金筆ー螺鈿ーは2003年度版の英雄の筆カタログに載って居る。
のみならず先に挙げた2002型も其処には載って居る。
思えば此の頃の英雄の万年筆は素晴らしいものが多かったと言えることだろう。
銀製八角軸の1001型は重過ぎる万年筆ではあるにしても十八金ペン先の方は柔軟で強く曲がらずかつ筆記感の良い物だった。
2003型は軸が軽くペン先も其の大型十八金ペン先で贅沢なモデルであった。
英雄のかっての万年筆のペン先は金の品位によらず皆素晴らしいものばかりであった。
だから2002型の方もオリジナルのペン先で充分なのではあったが、究極の細長型の中国万年筆ー軸もニブも皆細長いものーを是非創ってみたくなりこのような改造を行ったものである。
其の筆記感が、私がこれまでに味わって来た中国の万年筆の中では最高の筆記感のものとなったので此処に報告してみた次第である。
いずれにせよ今私は此の英雄2002型改EDでもって筆記して居ることが多い。
まさに病み付きになりそうな気分の良い筆記が其処で可能なのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1732回) ..2014/08/13(水) 00:23 No.4827 |
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中国の万年筆の、其れも現行品ではなく十年位前までの英雄や文爵、DUKEなどの金ペン付きの万年筆の良さを知る人は多分少ないことだろう。
思うにこれらの万年筆は理解することがなかなか難しいものと思われる。
まるでプラチナの万年筆と同じように其れ等はインクフローの面で渋めなのではないかと思われる。
それだけではなくてプラチナの軸の作りよりも精度が悪くバラツキも大きいからなかなか本当に良いものに当たらない。
で、普通は中国の万年筆というものは我が国では粗悪品だ、位に思われて居ることが多い。
然しながら、何故か人と反対のことをことをして居ることが多いわたくしは矢張り其の中華万年筆の世界に嵌り切って居る。
其れもいまだにそうなのである。
以前にも述べた通り、私の考えでは何事も表面上の理解だけで終わらせて仕舞う事は避けるべきである。
中国の万年筆の本質とは製品の質がイマイチで信頼に値しない筆である、という部分に存するのでは無く漢字文化圏の言語を快適に書き記すことが出来るというところにこそ存する。
ゆえに少々のバラツキや作りの悪さなどは本質的な問題ではない。
万年筆による筆記を深く突き詰めていけば行くほどに此の東洋の言語を如何に万年筆でもって書き記していくかという問題が顕になって来る。
つまり生半可な万年筆の理解では其の部分はおそらく見えて来ないものなのだろう。
私がいまだにかっての中国の万年筆を大きく評価して居るのは、まさに其の東洋の言語の表記と万年筆のタイプとの相性がピタリと一致して居るという点に於いて其れ等が素晴らしいものだからなのである。
逆に、どんなに作りが良くても独逸や伊太利亜の万年筆では其の相性が高い確率で合うというものではない。
確かに独逸や伊太利亜の万年筆でも昔風の日本語が書けない訳でもないのだけれど、どうも其れ等は其れに比べ合理的な筆記になって仕舞う様な気がしてならない。
文化、文明の大元が違うので其れは如何ともし難いことなのである。
其れから個人的には独逸物への信仰のようなものに対しては其処に違和感を感じざるを得ない。
確かに独逸物はモノが良いのであるし、私だって現在No.149など良く使って居るのだし、其れが何て良い万年筆なのだと思うことも屡なのである。
ただ、其れでもって昔風の崩した日本の文字など書こうという気にはならないのである。
ところが中国のペンでは其の事が幾らでも可能となるのである。
其処に両者の本質的な性質の違いということがあるのではないだろうか。
無論昔風の日本語など書く事は止めて戦後の合理的な日本語の表記を行う限りに於いてはそんな事は全く問題にならない。
あくまで私のように特殊な筆記趣味に於いてはむしろ其の言語の表記上の本質的性質が最も大事なこととなる故に其のような結論が導かれて仕舞うということなのである。
其の点では中国の万年筆こそが日本語に於ける万年筆の筆記での上級者向けのものとなるということとなる。
戦前の日本人のようにメリハリを付けた表現豊かな日本語を万年筆でもって書いていく場合には其の事をやり易いのが中国の万年筆だということとなる。
尚ネット上に於いては其れとは正反対に中国の万年筆の方こそが初心者向けで日本や独逸の万年筆の方が中級、上級者向けだとそうしたことが屡述べられて居るものですが、私の場合にはむしろ其の逆であるといつもそう考えて居る。
日本の万年筆や独逸の万年筆はいつも安心、安全で其の書き方の方も昔風に筆記技術が特に要求される訳ではないので逆に初級者向けである。
ただし特に柔軟なペン先の付いたモデルや戦前の萬年筆となるとまた話は別である。
其れ等の日本や独逸の戦前の萬年筆は今のものとは別物で昔ながらの日本語の表記にも向いて居るものと考えられる。
従って私の頭の中では中国の万年筆ー其れも限られた一部のモデルに限るがーはむしろ戦前の萬年筆に近い書き心地が味わえるものなのである。
さて、英雄2003型ーオリジナルモデルーを現在ED化して使いつつありますが之が矢張りというべきか、素晴らしいのである。
此れは日本語の表記に於けるより本来的な運筆がし易いペン先である。
ニブは柔軟な部類の方には入るが特に柔軟な訳でもなくそれでも運筆圧をかけていくことは出来るが余りやり過ぎると矢張りニブにとっては良くない。
ちなみにED化するとインクの水分が軸に影響を与えて分解する恐れもあるがこの二ヶ月ばかりは今のところ大丈夫である。
英雄 2003型はもう一本を未使用で持って居るので其れが私の老後の楽しみの為の筆ということになろうが老後なんて此の私に来るものかどうかさえ分からないので前倒ししてもう使って仕舞っても良いものだ。
実は此の使って居る方の英雄2003型は破損した箇所があり其れでコンバーター式としては使えないのでやむなくED化して居るものなのである。
このように中国の万年筆の軸又はペン芯周りの信頼性は今ひとつながら、ペン先の方は兎に角日本語を書き易いものであるから色々と工夫しつついつまでもしつこく使って来て居るのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1733回) ..2014/08/18(月) 00:13 No.4828 |
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http://yahoo.jp/box/20JBFM
セル軸の伊太利亜物はまさに儚くも美しく其れはまるで咲き競う季節の花々のように可憐である。
其のように限定の存在であるということである。
短いイノチの限定の存在であることが、其れが愛らしいものであること、可憐で頬ずりしたくなる程のものであることの妨げとなることでは無いのである。
むしろ其の限定の存在であるからこそ其れは愛すべき存在としてーあくまで感情的にはー此の世に存立して居るというものだ。
其の愛とはキリスト教に云うところでの刹那を永遠化する為の慈愛のようなものなのかもしれない。
が、仏教徒ならばおいそれと愛などという言葉を使うべきではない。
仏法には所謂愛は不要で、ー慈悲ーという遠方からの遍く照らすことだろう愛があるばかりだ。
慈悲というのは無明の世界を慈しみを持った心で視るということなので実は可成に上から目線での慈しみのことなのである。
所謂神の愛とはまた違うものながら、似たような視座よりの上からの慈しみであることには変わりが無いことだろう。
要するに其れは此の諸行無常の世を楽しく生きて居るであろうバカな私たち凡夫に対する、或は他の無明の生命に対してかけて頂けるだろう哀れみと慈しみのことである。
其れが佛とか菩薩といった、そうした一種高等な心を持った存在から遍く投げかけられる慈しみであり哀れみのことなのである。
だから其れは本当は実に情けない愛のことであり、本当の本当は慈悲の対象となって居る我我は決して良いものでもなくむしろ其の逆に悪いものですらある。
悪いものだからこそ愛して、いや、慈しみ哀れんで頂けるのである。
神に、いや、佛や菩薩といった崇高な精神性によってである。
其れで、残念ながら慈悲を持つ程に精神が崇高では無いわたくしは自愛位ならばむしろ持てる、いや、すでに持って居るなどと思いつつも万年筆という物質に対してはひょっとして慈悲の方も持てるのではないかと考えるに至った。
即ちセル軸の不安定な、そして限定性の強い物質であることへの慈悲位ならば持てるのではないかとそう思うのである。
だから私は今こうしたセル軸の万年筆達をまるで色とりどりの季節の花々のように思いつつ心から慈しみそして哀れんで愛好して来て居るのである。
それもとても人間に対しては持てないことだろう慈悲とでも云うべき精神の段階に於いてセル軸のペンが好きなのである。
http://yahoo.jp/box/L1X6Qi
このノーマル仕様でピストンフィラーの黒いセル軸のオマスももう何度此処へ登場したか分からない位なのですが大好きである。
物凄くインクフローが良く低筆圧でもってどこまでも書いていけるペンなのである。
まるで黒い筆のような現代の万年筆なので私には合って居るのである。
ペン先の方は最近どんな金ペン先でも構わなくなって来て居り従ってこの十八金の現代のペン先でも充分なのである。
こうした現代の万年筆は其れでもって日本語のカリグラフィーを行うというものでは元より無いので別にどんな性質の金ペンでも構わないのである。
セルロイドの軸は、特に九十年代以降の伊太利亜のペンのセル軸は相当に危ないことでしょうが、其れでもこうしてこの黒い軸に慈悲を投げかけつつ其れを日々愛好して来て居るのである。
http://yahoo.jp/box/XbbaYo
たとえば銀製の重い軸は短い軸の方がバランスが良くなるので重過ぎる銀製軸である英雄の1001型も今は其のようにして使って居る。
このように妙に短くなった1001型はまるでかのカヴェコの如くに携帯がし易く書いて居る時にもバランスの悪さが感じられなくなる。
英雄の十八金のペン先は元々相当に良いものでしかも其れが調整されて居るのでさらに書き易くなって居る。
セーラーの銀製の軸にシータのクロスポイントニブ付きの首軸をくっつけた改造ペンは結構マニアックな仕様に仕上がって居り書き心地の方も相当のものである。
ただし万年筆のペン先は特殊ニブだのクロスポイントだのといったタイプのものに限って価値が高いという訳ではなく十四金の普通のMサイズが物凄く良いと思われるペン先などもまた多く存して居ることを忘れたくはない。
ゆえに特殊なニブの特殊な良い書き味にばかり偏向し愛好して居たりするのはむしろ格好悪い態なのだとさえも言える。
シェファーのレガシーの銀製の軸は他の二本よりは軽めで扱い易く、従ってこれは可成に良い万年筆である。
とは言え私の場合は長さのある万年筆が好きなのでほとんど使って居ないのだけれど実際にはインクフローが良く太字で滑らかに書いていける楽なペンである。
軽いと言ったけれどそれでも39gもあり本当は軽くはないペンであった。
ただこの短い細めの英雄の1001型が42gもあるので其れと比較すれば軽く感じられて仕舞うのである。
ちなみにセーラーの銀製軸の改造ペンは47gもあり相当に重いペンである。
然しクロスポイントニブのような少々変なペン先にはむしろこの位の軸の重さがあった方が書き易いのかもしれない。
このように短くて重い銀製軸のペンは案外書き易いものなのである。
そして書き易いばかりではなく書き味の良さということに関しては軸が重いほうが一般に軽い場合より良くなるようだ。
ーただし長くて重い銀製の軸は✖で、長くても軽い銀製の軸は○。ー
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1744回) ..2014/09/01(月) 23:20 No.4839 |
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ヴィンテージ◆ペリカン万年筆 【セルロイド】14K◆元箱◆超稀少 http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f143706565 此の萬年筆には果たして此処までの価値があるものなのでしょうか。だが此れはあの1935の緑軸の方のオリジナルモデルと云う事になるのでしょう。実に珍しいものを見せて頂きました。
バランス型の大型万年筆の場合は現在No.149三本を使うことがほとんどでプラチナのプレジデントなどはもうほとんど使って居ない。
が、此のプラチナのプレジデントの赤軸はED化してありインクフローも良くとても書き易いコースニブ付きである。
元々物凄くインクフローが良かったものを、当時の私はインクドバドバの状態を好まなかったのでプラチナでインクの出を絞って貰ったのである。
だからこそそういうのはED化すると丁度良い位のインクの出となる。
また此の90年代のプレジデントに限らず昔のプラチナのペン芯はお粗末な物ばかりですが、実は其れ等はインクの制御能力が高く従ってED化してインクの容量が大幅に増してもペン芯からインクが漏れて来ないという一種凄い性質を持ち合わせて居り、つまりはED化することとの相性が抜群に良い。
だからインクの出方が悪い以前のプラチナの多くはED化すると実に快適に使えるようになる。
ただし其の使い方は完全に邪道である。
ところで此の数年来最も気がかりだったのは、そうしてプラチナの方はED化することによりドンドン書き易くなることに対して、使って居るセーラーの方がたとえば首軸が折れるわ、クロスポイントニブのモデルの方が突然調子が悪くなりインクの出が悪くなるわでトラブル続き、さらに以前に良く使って居た14KH-Mのニブの方も左右切割りに段差が出来て仕舞ったりで全くツイて居ないのであった。
それでもセーラーにしても結構数を使って居り、首軸が折れたところからかってニブユニットを抜き出して其れを赤い竹軸に組み付け<赤い蝋燭のセーラー>というものを創り出し之がまたなかなかのカートリッジ式のペンで時折重宝しつつ使って居る。
http://yahoo.jp/box/lswje3
そして後に青い太軸のセーラーを生み出したが之は万年筆ではなく付けペンとなった。
http://yahoo.jp/box/99Z8s2
此のように青に塗装された竹の軸が太い。それでもテーパー軸で軽く大層扱い易い軸である。
之は兎に角太くて長い、また羽根のように軽いペンだった。
そして非常に書き易かったのである。
http://yahoo.jp/box/CyT4Ed
其の大型14Kのペン先はH-Mと刻された90年代のスターリングシルヴァー軸のものだ。
私がかって十年以上戸外で使って居たもので、之と同じものはもはや絶対に得られないものである。
このニブは私の書き癖をすべて吸収し尽くして居り、だから今どんな風に書いても実に軽やかにまた滑らかに書ける。
プラチナのギャザードの方にもそうした長年使ったニブがありますが、其の書き易さに於ける価値は簡単には口では言い表せない程のものである。
万年筆のニブとは結局そうしたものこそが一番である。
現代の万年筆は確かに古典の萬年筆に比せば軽薄短小であろう。
然し意外と万年筆らしいところをまだ残して居たりもするものである。
だからいまだに万年筆は万年筆なのでもあるのだ。
特に万年筆のニブはトコトン付き合ってやったものが一番書き易い。
無論のこと調整で書き易くした物にも価値はありますが、本当はこちらのように自己筆記調整してやったものこそがまさしくオンリーワンの価値を持つものだ。
即ち其処で人と比べる必要などは無い。万年筆こそはパーソナル領域での道具であるから自己化、自分化してやれば良いのである。
其れから話題性や評価や値段などに拘る必要などもない。
実際私の場合、これまでに十万クラスの万年筆の調子が悪くて苦労させられたことがのべ二十件位はあった。
インクの出ない十万のペンは最低に情けないものですが、此の書き込んだニブの方は大して金はかかって居ないが物凄く誇らしいものだ。
さて先に書いた通りに、青い太軸のセーラーとして使って居たところ落とした時にそうなったのか、此の大事な14KH-Mのニブの左右切割りに段差が出来て仕舞ったのである。
其れで調整することを考えたが其の時にふとこのニブを万年筆に戻すことを思いついた。
そう言えば軸の方はある。
其れはプロフィット21のまだ綺麗な状態の漆黒の軸である。
十年位前だったか、ズームニブ付きの黒軸プロフィット21を購入したが此の21Kのニブが弱いもので結局曲がって仕舞った。
其れは私の筆圧で曲がったという訳ではなく、色々と書き方を変えて試して居るうちにそうなって仕舞ったのである。
ー私は筆圧を場合に応じて完全に制御出来る筆記者であり所謂高筆圧者では全く無い。故にガチガチの固いペン先でも超柔軟なペン先でも楽々と扱える。其れは毛筆が扱えるからなのだろうと思う。ー
ひとつだけ私のペンの書き方で特徴があるのは、筆圧はむしろ余りかけないが運筆に伴う運筆圧を大袈裟に屡かけて行き易い、というところであろう。
従って此のカリグラフィーの書き方に耐えるペン先が是非必要であり其れはペン先自体が強い14Kニブであることの方が望ましいのだ。
だからこそ私はセーラーの21Kニブが好きでは無いのである。
いや、セーラーに限らずどこのものだろうと高品位のニブは好きでは無い。
なんとなれば万年筆のペン先は十四金のものに限るからなのである。
其れこそが最もしなやかで、そして強く書き心地の良いニブとなるものであることだろう。
ただし、書き味の良さといった部分の嗜好に付いては、高品位ニブの方がずっと良くなることだろう。
特に日本語をメリハリを付けて書きより美しく書きたいタイプの筆記者には十四金ペン先が最も適して居ることだろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1745回) ..2014/09/01(月) 23:20 No.4840 |
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さて此の改造ペンの筆記感は全く素晴らしいものだった。
14KニブはH-Mでもペン先は柔軟に感じられ線が美しく出せるペンである。
そして筆記感の方が柔らかいというよりも軟らかい。
軟調ニブと言っても良い位にソフトタッチのニブなのである。
或は其れはニブの形状から齎されて居る軟らかさなのかもしれない。
兎に角プラチナの大型ニブなどよりも遥かにソフトな紙当たりを楽しめるニブなのである。
丁度コンバーターの方があったので暫く其れでもって筆記して居たのだったがセーラーには珍しくインクフローの方がいまひとつである。
或は調整して切り割りの段差を直したので必要以上にフローが抑えられたのかもしれない。
其処でED化してみたところ、ようやく丁度良い塩梅となった。
まさにこれこそは私にとっての究極のセーラーだ。
プロフィット21の作りの良い太い軸はおそらく日本の万年筆の中では最高峰に位置するであろう軸だ。
25gと軽くはない太いバランス軸なので155mm程の短い軸は正解でありとてもバランス良く書ける。
このようにセーラーにはかっては良いニブが色々とあった。
この14Kニブもそうだが、限定品のプロフィット80に付けられて居た18Kニブなどもまた素晴らしいものだった。
いずれにせよ素晴らしい軸を得て此の長年使って来たペン先がまるで心から喜んで居るかのようだ。
状態良 セーラー 初期型 プロフィット 14K http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w108431806
★セーラー万年筆 プロフィット 14K 細字ニブH-F付き良品★ http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w105691857
尚、太さが同じくらいで長さが少し長いプラチナのプレジデント赤軸の18Kコースニブと筆記感を比べてみるとコースはコースでソフトな良い書き味をして居るがニブ自体は固い。
対するプロフィットの14KH-Mニブはニブ自体が柔軟性を持ち其れでもってソフトなタッチが味わえるということなのだろう。
此等はいずれも古典のペンのニブのシャープな筆記感を持って居る訳ではないが、これはこれでバランス型の現代の万年筆としては充分に使えるものであると感じられた。
そうかと言って古典のペンの優位性が減ぜられるべくもないのであるが、何にせよ90年代位までの大型14Kニブ付きの万年筆は筆記上気難しい愛好家にとっても今日なお充分に魅力があることだろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1746回) ..2014/09/04(木) 00:31 No.4841 |
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http://yahoo.jp/box/dnUTBA
此の右の方の初代Wall-Streetの方ですが、現在もノーマルの状態で使って居ます。
今のところセルロイド軸の分解もなく、筆記感の方も素晴らしいものです。
ただしニブはより古いヴィスコンティの大型ニブに替えてあるのでオリジナルの状態ではありません。
ところが之がこのところ良く使う万年筆になって居ります。
セルロイドの妖しい感触が、そして其の横縞の様が夜の都会の様を想わせて少しロマンティックです。
いや、そんなロマンは本当の浪漫ではなく本当の浪漫は所謂ロマン派の藝術作品の中にこそ存する、などということをこの際述べるつもりは御座いません。
実は夜景フェチのわたくしは色々と夜景には薀蓄を持って居り其処からしてもこのセル軸はなかなか良い塩梅に洗練された都会の夜の一幕を写しきって居ります。
ああ、夜景って、とっても素敵だわー。
特に貴男のようにサムライのたくましい男性が此処に居て一緒に夜景を見ているだけでだけで何だか私とろけちゃいそうなの。
いや、ホントそんな感じで、このペンは感触が良くてとろけちゃいそうなのだわ。
それに書いてみると矢張りとろけちゃう筆記感でしかも線描能力さえもがある。
つまりは素晴らしいニブなんです、このヴィスコンティの旧型ニブは。
そんな訳で此のペンを見て居るとまるで都会の夜のロマンスを想起させて呉れるかのようでやっぱしとろけちゃいそうだ。
此の、横縞のセルロイド軸が何故か好きです。
セル軸には縦縞のものもあり場合によってはそちらの方も良いものですが此のタイプの横縞のものが一番です。
ヴァキューマティックの横縞も同じようなものですから大好きです。
最近何故かヴァキューマティックがとても好きになって来て居る。
さて此のWall-Streetは以前首軸が折れて接着修理をしたものですが、現在でも全く支障なくこうして使えて居ます。
そして其れは長く、美しいセル軸のペンです。
だから最近また特に好きになり、現在伊太利亜物の中で最も良く使って居るペンです。
お前が好きだ、何しろロマンがあるのだから。
其れは長いペンである浪曼と、プランジャー式一発吸入であるということの浪曼と、セル軸の感触の良さと模様の美しさとしての浪漫に、ペン先の素性の良さ筆記感の良さまでをも含めた一大ロマンの世界である。
我は詩人ゆえこうしたタイプの浪漫ペンには特に弱い。
実際もう一本あっても悪くないと思われる程に此のペンの誘惑は強いのである。
かっては思いっきり首軸が折れたというのに、大した回復力とローマン的色気を持つど根性ペンである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1747回) ..2014/09/05(金) 00:13 No.4842 |
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http://yahoo.jp/box/vPU0aD
此のセーラーの緑ちゃんのニブー大型21KのMーと先の大型14KH-Mではどちらがより良い書き味をして居るのでしょうか?
1.書き味自体は21KのMの方が滑らかに感じられるが総合的な筆記感の方では後者の方が遥かに上である。
2.セーラーのペンは此の緑ちゃんのようにインクフローが良いものが多いのですが、其処に少々強制的にインクを出して居るーインクの制御力をあえて弱めて?強制的にインクを流すーような気がしないでもない。
3.21Kのニブは高品位ゆえに分厚く作って居るのか地金自体のしなやかさが感じられず其の点では筆記のカリグラファーには向いて居ないペン先である。
4.然し筆記感自体は悪くないので其処で之は良いニブであろうと勘違いして仕舞う。然しおそらくは21Kのニブで本質的にしなやかな性質を持つものは存在して居ない筈である。
5.つまりセーラーの21Kニブ付きの万年筆の場合はニブ自体の本質的性質から良いものであると判断されているのではおそらくは無く、其の強制的な?良いインクの出方と地金の軟らかさやペンポイントの研ぎ方ーなぎなたなどのーから必然的に書き味が良くなるのでおそらくは高評価だったのであろう。
6。現行のセーラーを買う気にはほとんどなれない。キングプロフィットのニブにだけは興味がありますが其れに果たして14Kニブはあったのだろうか?
7.現行のプラチナも買う気は無い。3776小の細軟ニブは気に入らなかったので母にあげて仕舞った。
8.感覚が細かく筆記上気難しい人の場合はもはや過去に生きていくことしか出来ない。
9.何故だか分からないが国産の万年筆も90年代位までのものが良い。
10.セーラーの緑ちゃんも確か九十年代から二千年にかけての頃に私がセーラーから直接買ったものである。ーややこしい経緯がありそうなった。ー
11.90年代の21Kニブは全然悪いものだとは思えませんがさりとて良いニブだとも思えず、最近の21Kニブはおそらくはすべて認められないこととなる筈でしょうが書いてみて居ないので其処は分からない。
12.結局此の比較から何が言いたいのかといえば、セーラーの場合にも14Kニブの方が明らかに本質的性質が良いことだろうと思われ、特に総合的な筆記感の方ではまた明らかに14Kニブの方が自然に良くしなってニブとしての素性がよろしい。
13.でも最近のセーラーの14Kニブは必ずしも良い物だとは言えないのかもしれない。
14.筆記感の良さなるものは主観が多分に入りかつ錯覚、錯誤のようなものを含むものでもあるので絶対的な基準とはなり得ないものの筈。
15.されど前回語りし大型14KH-Mをプロフィット21の軸に仕込んでED化したセーラーの筆記感の上での実力はどう見てもNo.1である。
16.他にも使って居るなぎなた21Kニブの付いた軸の長いセーラーがありますが其れに付いてはまた後で述べます。何せ今は眠たいのでとても書けまへん。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1758回) ..2014/09/22(月) 23:06 No.4853 |
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1円〜 PILOT パイロット ペン先14K 國光曾 蒔絵 鳳凰 万年筆 http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g137185950
全く結構なお品でございます。
不思議なもので秋を感じさせられるようになるとまた万年筆の方が恋しくなってまいります。
さて当たり前のことですが万年筆も畢竟生きて居るうちにしか使えないものです。
我々はあれやこれやと常にやって居りますがいつかは万年筆とも別れなくてはなりません。
でもそうした無常の観念にとらわれて居ては此の世で万年筆をトコトン使い倒すことなど不可能です。
つまり世の真実、此の世の実相に縛られて居ると此の世界でのあらゆる出来事には専念出来なくなります。
だから生命が此の世を生きていくことの為には必然的に幻想が必要となる。
元々此の世を生きるということこそが幻想なのです。
即ち幻想でないと時間も進まずどんな変化もあり得ません。
真理ないし真実在の次元に於いては時間もなく変化もなく観念さえもが無いのです。
存在化されることの無いものは其のように常に清浄なものですが其の代わりに色気のようなものが一切ありません。
だからこそ此の色気のようなものこそが生きるということの核になるものなのかもしれない。
色気とは五蘊により齎されることだろうありとあらゆる妄執のうちのひとつの別名でもありますが其れにこそ我々は反応して生きて居ることなので しょ う。
色気とは此の世を生き抜く時に生命が放つことだろうパワー、執念、気のようなものだ。
ちなみに此の色気は、多い少ないということが確かにある。
其れが多いと物凄く力強く見え、また言葉通りにセクシーでもある。
一方で肉体的、精神的に病気になったりするとまるでボロ雑巾の如くに色気が失せて仕舞うものです。
それで現代に於いては誰もが此の色気を求めて生きて居る筈です。
色気即ち存在の持つパワー、其のパワーの多寡を感性で感じ取りパワーのある方に群がるという傾向があろうかと思う。
其れはそれこそ性や愛の方だろうと藝術の方だろうと学問の方だろうと他のなんだろうと皆同じことである。
でも其れは所詮は本能領域の発現のことなのかなあと思わないでもないです。
生活力とは其のような幻想的な力の発現のことなのでしょう。
生活力こそが即ち幻想力で、色気そのものです。
一方で何故か物質の方にも其の色気の多寡のようなものがありますね。
或は植物でさえ可成に妖艶さや美麗さを感じさせるタイプとそうではないタイプがあるようだ。
色気とは全く不思議なものだ。
生命力のあるものはセクシーだが反生命力に捉えられしものはノンセクシーだ。
私の場合は観念の方での幻想力がこれだけ強いにも関わらずどうもノンセクシーで生活力に欠けてさえ居るようだ。
それでも万年筆の方は相変わらず好きだ。
万年筆にも色気の多寡があるような気がするのですが、どうも其れは錯覚で本当は万年筆自体には余り色気など無いのかもしれないな。
何せ余り人気が無いものなので。
万年筆はむしろ植物のようなもので静かなタイプの何ものかなのでしょうか。
でも伊太利亜や中国の、其の装飾過剰の而して万年筆の何たるかが自ら分かって居ないような万年筆などは一種とても生命力があるように見えるの だが其れとは意味が違うのだろうか。
何でも良いのだが今我はパワーのある万年筆こそを好む。
寒くなるとパワーが減っていく我のことでもあり、今我の欲するものはモアパワー、モア色気、モア生命力、モア幻想力ということに尽きて居る。
◇古い太くて長い万年筆 ROMEO ITOYA K14◇ http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k181613553
おお、此れなどはまさに其の色気たっぷりのしかもたいそうデカいまことに堂々とした逸品なのではなかったろうか。
現在私はイーベイの方よりもヤフオクを視て居ることが多く此のペンは是非入札しようと思って居りました。
然し此のペンは高くなった。
いや、高いと言っても此の種の古い大きなペンは10万円ほどしたとしてもそんなにおかしくはない。
それに希少モデルだろうことでもあり、むしろ適正落札値である。
然し此のペンは実に欲しかった。
矢張り応札しておくべきだったのだろう。
さすれば今頃ここで此のROMEOちゃんはどーのこうのと 大々的に見せびらかしていただろうに、あな悔しや。
こんなペンはひょっとすると老後の筆記をコレ一本でまかなえる位のパワー溢れし幻想ペンであろう。
色気ムンムンの実にいやらしいまるであの性の奴隷のようなペンだ。-?-
あー、太くて長いROMEOちゃん、是非またどこかでまみえんことを我は切に願ふ。
でも多分もう出合えない。人間と違ってペンは其の場にあるものこその一本限りだ。
ゆえにたとえ借金したとしても良いからスパッと入札、之が古い超ド級萬年筆を我がものとすることの唯一の道である。
http://yahoo.jp/box/6_Ncy9
此の上の方のデカいRangaのEDですがとってもよろしいペンに仕上がって来て居ます。
ニブがVacumaticsのものですが柔軟性も少ないがあり書いて居てとても気持ちの良いニブである。
以前はVisconti製のConklinのニブを付けて居ましたが其の時よりもインクフローも良くサラサラと何処までも書いていける。
其れに此の軸は実に頑強で床に落としたとしても収納状態であれば全く大丈夫である。
全くタフなぺんである、色合いもパステルカラーなのが珍しくてなかなか気に入って居る。
Parkerのニブはシャラシャラとした筆記音がするが現代のニブのように決して軽薄な感じではなく気持ちよく感じられる部類でのシャラシャラである。
もう一本の青のデスクタイプペンのニブはモンブラン146の古いニブを付けて居るがこれがまた合って居てなかなかの筆記感を齎して呉れる。
いずれにせよ色とりどりのエボ軸であるRangaに古い良く出来たペン先を付けてみると決まって素晴らしいものとなる。
だから其のうちにL.E.WatermanやWahl Eversharpのペン先を付けてみても面白いのではなかろうかと思って居るところである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1759回) ..2014/10/02(木) 00:11 No.4855 |
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さて今回入手致しましたのは古いプラチナ3776の筆記状態で全長が短いタイプのモデルである。
つまりギャザーの無い真っ黒な太めの軸で勘合式の天冠がフラットなタイプのモデルである。
古いプラチナ、其れも3776の場合に良いと思われるところは其の大きな14金のペン先が強いことである。
此のモデルの場合は特にペン先が大きく見えます。
実際に比べてみると以前に入手した春蘭ちゃん、桔梗ちゃんなどの80年代物と思しき3776の蒔絵シリーズに付けられて居る14金ペン先と同じ大きさでした。
ギャザードに付けられて居る二代目14金ペン先よりも横幅が若干広く見えますが其れは確定的なことではない。
いずれにせよ80年代物の3776のペン先は大きくて而してしなりが楽しめとても良い物です。
此の頃の万年筆のペン先は本当に良い。
まるで昭和の歌謡曲の名曲を今聴いて居るが如くに良いものである。
即ち昭和は良き時代であったというそういうことです。
其の昭和の頃にプラチナにはエボナイトの軸の3776も二種あった筈ですがこちらの方はいまだに入手出来て居ない。
売られて居るものも無いではないのですが新品に近いものがまず出て来ない。
結局其れが私にとっては究極のプラチナとなるものであるのかもしれない。
然しペン先の方は今回の3776黒軸の14金ニブ、其れから蒔絵シリーズに付けられて居る14金ニブが一番良いものでおそらくはエボナイト軸モデルのペン先も此れと同じものだろう筈だ。
だからこれでもうOKである。
もうこれらのプラチナだけで良いぞ、私には。
そんな訳で最近は伊太利亜物改造ペンや古典のEDよりも普通のプラチナを良く使って居たりするのである。
そうか、すると、私の万年筆の上での放蕩も結局巡り巡ってプラチナに落ち着いたというところか。
万年筆の遍歴を重ねた挙句にはじめてのまんねんひつの方へと戻ったのだ。
ところがプラチナは初心者にはとてもお勧め出来ない、一種難しい万年筆なのである。
中国や伊太利亜の万年筆も癖や個体差があるので一般人にはオススメ出来ないのですがプラチナにも其れに近いものがある。
屡指摘される弱点がインクフローの渋さの方で、最初から潤沢に書ける個体なんていうのは多分二、三十本に一本あるかないか、否、百本に一本あるかないか、否、元々最初から無さそうだから潤沢なインクフローなどは期待しない方が宜しい。
つまり古いプラチナの場合、インクフローが良く書き易い個体と巡り合える確率がとても低いと来て居るのだ。
それで、結果的に今回も少し書き辛かった。
というよりも当初なかなかインクが出て呉れずで苦労させられた。
インクを出す為には無論のこと強制流出させる為に切割りを開くなどの調整を行えば其れでよろしいのではあるが、素人が其れをやるとペン先の切割り左右の物理的な力のバランスが崩れて書き味が台無しとなる虞が常にある。
だから私は余り調整はやらないのである。
本当の本当は、調整は不要である。
どうしても必要なこともあるのですが、なるべくニブを弄らない方が良いということを述べて居るのである。
調整は自己筆記調整つまり馴らし書きの方で時間をかけて行なっていくことの方が本当はより良いことだろう選択である。
ところが現行の万年筆のニブ、特に今世紀に入ってからの高品位ニブは其の馴らし書きには適さないものが何故か多い。
馴らし書きというのは、結構筆圧をかけて書いたりして故意にニブを変形させ、ニブが元の形に戻るにせよポンプ効果やらニブのミクロン単位での変形によりインクの流れが良くなるという現象のことである。
或はニブの先端に付いて居るイリジウム合金が摩耗して自分の書きグセに合って来て書き易くなることなども含まれて居るのだろう。
昔の万年筆、特に戦前の萬年筆などは其の14金のニブを調整などしなくとも大抵のものが皆書き易いと相場が決まって居るものだ。
また其れは新品に近い戦前の萬年筆でもほとんど皆そうなのである。
だから調整というものは、本質的な書き易さや本格性を失って仕舞った現代の万年筆に対して効力を発揮することだろう行いなのだろう。
其れでもって私の場合にはなるべくニブの方は弄らず軸の方を弄ってインクの出方を改良するということをここ数年ばかりは良くやって来て居るのである。
即ち其れがED化である。
而して特に古いプラチナの場合には此のED化することとの相性が抜群である。
現在私はほとんどの古いプラチナをED化して使って居ますが、其の中でも特に相性が良いのは古い3776モデルである。
此等は元々インクを流しにくいエボナイトフィードーインクと相性の良いエボナイト製なのに何故かーが付いて居るのでED化しても首軸からインクが吹き出したりする確率が低くそのくせ大層書き易くなる。
其れで今回のものも当然にED化してみた。
すると、ギリギリ合格ではありますがそれでも決して潤沢にはならないという程インクの出が頑固な此の黒い3776であった。
然し、此の頑固さ、渋さ、厄介さ、わからず屋、非常識、特殊性、素直でない、強情だ、おかしい、現代人には理解出来ない、其の点は何やら仏教にも似て居る、という特異な性格の古いプラチナこそが素晴らしいのである。
むしろ其処にこそ愛を感じる。
矢張り万年筆も結局は愛こそがすべてだったのだろうか。
左様、愛こそはすべて。
生きることと、書く事、其の両者に必要なのは畢竟愛のみであった。
愛、愛、あい、アイ。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1760回) ..2014/10/02(木) 00:11 No.4856 |
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此の3776は筆記状態で153ミリと短いのですが太めの軸で今の私には何故か書き易いのです。
ただし、ED化してあってもインクの出方は普通よりも僅かに渋め位のものです。
だから之がプラチナなのです。
これこそがプラチナの素の姿です。
此の理解しにくいところこそがプラチナのオンリーワンの価値なのである。
其れと同じで屡私自身も理解出来ない人であると他人に云われることがある。
だから其れこそがきっとオンリーワンの価値なのでありましょう。
そうした人には真似の出来ないオンリーワンの価値こそを大事にしつつ生きていきたいものです。
此の3776は細字ニブですがED化してもインクフローがいまひとつなので軽く書くと極細程度の筆記線が引けるばかりです。
が、そうだからこそ一種面白い。
其処を少し力を入れつつ書いてみるとはっきりとした細字で書け、また其れ以上にグイグイ書いてみれば中字程の線も引けない訳ではない。
経験上こういうニブは、使い込むと必ず良くなります。
圧力がかかった時にインクが出て呉れるニブは必ずや馴らし書きでもって良くなります。
ちなみに半年使った春蘭ちゃんは元々インクフローの良い方でしたが結局はこちらもED化してあり低筆圧筆記するだけでサラサラ書ける万年筆となって居る。
でもどちらが良いかという段になると、其れが分からないのです。
インクフローの良い春蘭の方を一概に良いとは決めつけられないです。
謂わば絶妙のインクフローの渋さを此のペンは持って居る。
而してこの位のインクの出方である方が馴らし書きを行うにあたっては向いて居たということです。
尚、馴らし書きは古い万年筆のペン先の方が明らかにやりやすいものです。
何故ならかってのペン先は強いものが多いからである。
3776の大型ニブは製法上強いニブなのか、それとも形状の上で強く感じられるものとなるのかという点については分かりませんが兎に角かなりに強いニブであるということだけは確かである。
其の強さのある昭和のニブであるからこそ、馴らし書きにはまさに最適です。
ーただし3776のニブはひと世代前の細軟などでも全く曲がらない。どんなに屈曲させて書いたにせよ曲がらないのである。が、此れは書き味の方がシャラシャラして居りよろしくない。よって様々な点を鑑み、総合的にプラチナのニブを評価すると其処でどう見ても80年代物の大型ニブの方が出来が良いように思われる。尚付け加えると3776の櫛付きの改良エボナイトフィードはニブに圧力がかかった状態でインクを良く流して呉れる傾向があり私のような日本語の表記に於けるカリグラファーには其の点で満足出来るフィードである。ー
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1761回) ..2014/10/05(日) 00:56 No.4857 |
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此れは、本当に調子が良いプラチナだ。
インクフローが完璧、つまり出過ぎでもないのにヌメヌメなので数時間かければノート一冊位はすぐに書けて仕舞うペンなのである。
而して戸外で携帯して使って居て、しかも自転車にも乗り電車にも乗りトイレへも行きおまけに暑い日寒い日といった気温の変化に晒して居るというのに全くどこからもインクが漏れ出て来ないという完璧なEDである。
其れとED化したペンに良くありがちなペン先の表面へインクが泣き出され部分的に黒くなるー黒インクでーという現象がまた見られない。
だからこそ凄い。
ただし其の代わりに、キャップがユルユルでクルクル回る。
ただし回っても、キャップが外れたりはしない、またペン先がすぐに乾くということもない。
全く凄いギャザードである。
インクなどは軸に目一杯入って居るからなかなか減らず幾らでもノートに書ける。
然し戸外ではノートよりも手帳を使うことが多いのでもうすぐ机上の方に戻って来るのである。
だからこうした使い古した一本の万年筆というものが本当は一番良く手に馴染み安心して書けるものなのである。
古女房が一番安全で安心、保守思想それもかの亜細亜主義の復活を目さん、石は誰が見ても美しい結晶鉱物よりも故郷の道端に落ちて居たメノウが一番、豆腐の噛めば噛むほど味の出る感じ、昆布の噛めば噛むほど味が出る感じ、他人との付き合いよりは矢張り家族、家族の情が大事、仏教は思想として危険すぎるのでむしろ大乗の方を選ぶ、其の救済宗教の方の奴を。
まこと安心安全とは此の世で実現するに最も難しい境地のことである。
人間の究極の目標は心の安定にある。
と其のように定義することは或はこれこそが真をつく言葉であるのかもしれない。
心の安定こそが人間の幸福である。
万年筆の安定こそが筆記上の幸福である。
そう云えば仏教は其の究極の心の安定をこそ目指し修行を重ねていく宗教なのである。
尚、仏教で追求する心の平安ということー涅槃ーに近い概念にアタラクシアという概念があり此れは何とあのヘレニズム期のエピクロス派が提唱していた境地なのである。
即ち静かな心の平安、あらゆる苦痛と混乱を免れた精神の安定した境地のことで、同時に此れは外部とのかかわりを可能なかぎり断ってもっぱら内面における安定ないし自足のうちに幸福の実現の可能性を求める立場だったともされて居る。
然しながら快楽主義として有名なあのエピクロスの考える人間の幸福の内容が本当はこんなに深く静かな、また安定した心の状態のことを言っていたなんて全く驚きである。
つまり、仏教で云う涅槃寂静という境地にほとんど近いのである。
それも仏教同様に、本当はまず世間との関わりを断たなければ其処までの心理的な安定を得ることなど出来ないものなのだろうが。
ゆえに安定した此のギャザードを一本持ってそのうち北海道へと我は飛ぶ。
勿論会社は辞めて所有物を全部整理し小金も作る。
而して一年ほど北海道の原野で寝起きしながら、詩だけを書いて参ります。
其の折に我の代表作も出来る、愚作も出来る、おまけにクマに齧られる、凍死寸前になったりする、あれ、周り百キロ四方に店が無く全くご飯が食べられない、嗚呼、何でこんな馬鹿なことをしでかしたのだろう、我は。
アア、もうダメだ。もはや終わりだ、野垂れ死にだ、お腹がすいたよ、瞼が重いよ。きゃー助けてーー。何がしたいかと言えばたとえばいますぐにきしめんが食いたい。或は味噌カツ、或は手羽先唐揚げ、或は台湾ラーメン、或は…。
其のように一冊の詩手帳をのこし詩人は昇天していった。
而して其の手帳の横には一本の万年筆が添えて置かれて居たのだ。
後にペンの専門家が其のペンを鑑定したところ其れはプラチナのギャザードでキャップのクルクル回る、さらに軸の中に黒インクがタップリ入った変なものだったという。
余談ー後日其の詩手帖から起した詩を元に遺族が詩集を出版した。
其の詩集がH氏賞の受賞作となり、詩人はついにH氏賞詩人となった。
でも本当はもう死んで居るので多分賞は貰えないのだろう。じつにかわいそうに。
死してなお文藝に命を捧げ?詩人は極北の地に其の精神の軌跡をしかと留めた。
このやうな幻想を抱く程に私は本気でギャザードを持って北海道へいきたいのだよ。
本当の本当に其処で詩を書いてきたいの。
誰にも書けない詩、なかなか理解し難い詩、つまりは深遠で北海道の自然のようにまっさらな詩のみを沢山書いて来たいのよ。
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尾張文化論+
投稿者: Sirius (永世名誉教授/1691回)
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2014/06/12(木) 00:49 No. 4786 |
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文明の未来には暗雲が立ち込め、此処図書談話室はいつ閉じられるともしれぬというそんな状況の最中、相変わらず萬年筆と石とゴルフの趣味の方だけは絶好調で、特にここへ来てゴルフの方にまたハマって来て仕舞って居り其の練習代だけでも下手をすると月に片手程も使って来て居るのである。
しかもそれだけじゃない。
最新ドライヴァーの方にも興味が出て来て仕舞い色々と散財する羽目になって仕舞っても居る。
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d154517717
先日もついこんなのを落として仕舞った。
これで新品のおよそ半額の値段ではあるが何でこんな高いものをわざわざ買うのか、最新ドライヴァーなら中古ショップの方で安いのが色々と出て居る筈でしょう、或いはオークションでもそれこそ五千円位から色々とある筈じゃないですか?
いや、確かに今の私のゴルフは安上がりゴルフを目指して居る。
金をかけないで技術の方だけを磨きに磨いていくゴルフなのである。
だからコースへ出てスコアーなんぞを纏めて居る暇などはない。
兎に角練習場で球をひっぱたくのが私のゴルフなのだ。
然しそこでは必ずプロ級の、それこそ惚れ惚れするような球筋を連続して打てて居なければならない。
つまり私は練習場のプロを目指して居るんだよ。
素人さんが見るとびっくり仰天する位の球を打ち続けたいだけなのだよ。
このドライヴァーは新古品が半額で買えたのでよし、さらに打ってみてよし、クラブの仕上げのほうも良しで自分にとっては全く嬉しい買い物となった。
然し私は神経が細くそれでもって内臓が弱いのでずっと薬を飲んで居るのであるし、現代文明と常に闘い続けて来て居るので精神の方がもはやヘロヘロだ。
それでも筋力の方だけがまだ何故か若く、兎に角二十代、三十代の兄ちゃん達にもまだまだ負けて居ない程の物凄いパワーだ。
そしてこの球を打つ時だけが燃えに燃える。
私の人生でこんなに体が燃えさかって居るのはこうしてドライヴァーで球をぶっ叩いて居る時だけなのさ。
ジオテック QUELOT は今流行りの小メーカーによる低価格路線での高品質なクラブで、確か千葉県で作られて居て関東圏で人気のあるモデルのようである。
実物は大メーカーの有名モデルと遜色ない造りで、いや、むしろこちらの方が高品質な感じですらある。
あのEPONなどもそうだが、最近はマニアックなゴルファーがマスプロ商品ではない高品質なクラブを追い求めて居て、オークションなどでもそうしたクラブが大メーカーのクラブよりもずっと高く取引きされて居たりもする。
そうしたメーカーの造るクラブが真に良いものになって来て居り、逆に大メーカーのクラブにはない、或いは出来ないものを多分に持って居ることからこれらのクラブの需要が上級者を中心に組みあがって来て居るのだろう。
このあたり、実は非常に面白い話で、たとえばお茶、あれなどはたとえばサントリーの抹茶入り伊右衛門などと云われて高く売られて居たりもするが、あんなマズいお茶は我が家では全く飲まない。
缶入りのお茶ならば、静岡県へ行くと道路の際の自販機に必ず入って居る百円のお茶、あれなどは絶品であり私がこれまでに飲んだ缶入りのお茶の中では一番旨い。
要するに、本当に良いものが、大メーカーがつくるイメージ的に高級なものだけだとは言い切れない時代に入って来て居るのである。
さて、このクロトドライヴァーは楽に打てるハードなドライヴァーなのである。
つまり、ヘッドは少しおじさん寄りの仕様であるのだが、シャフトが長尺のSXシャフトなので一応はハードである。
だからいずれにしても非力な人には振り切れないクラブとなる。
ただし、我々パワーヒッターには至極簡単なクラブだったのだ。
それで、長尺でシャフトが軟らかいとパワーヒッターは困って仕舞う。
それでは球がどこへ飛んでいくか分からなくなって仕舞う。
それがたまたまオークションにSXの硬いシャフトのものが長尺で出ていたので入手してみたのである。
結論としてはこのクラブはドンピシャリと合って居た。
長尺なのでゆったりと振って楽に飛んでいくという感じなのである。
確かにプロモデル的な難しいモデルではないのですが、非常に良いヘッドとシャフトの組み合わせである。
1.ヘッドを460ccの若干シャローーセミハードーな楽なものとし、46.5インチ以上のXシャフトで長尺化をはかる。それでもってゆったり振って飛ばす。
2.この間中古ショップで安く求めたブリヂストン Xドライヴの460ccヘッドに今米ツアープロの間で流行して居る50g台XXシャフトを付けしこたま叩いて飛ばしてみる。
という飛ばしの追求を最近考えて居たところだ。
それがたまたま半額で新古品が手に入り其のクロトちゃんで現在練習場における飛ばし屋の常連の一人となって居る。
さて、お次は2.の方の追求である。
問題は、本日調べてみたところ、最新の50g台XXシャフトは何故か非常に高価だったのである。
何でか知らないが最新だとか、話題性だとか、そういうものが含まれると物は急に高騰していくものらしい。
其れがなぜなのか分からないのだし納得もできないのではあるが、兎に角其の50g台XXシャフトを何とか安く入手する方法はないものだろうか。
と、其のように何も考えず趣味の追求をして居る時の楽しさこそは人生の楽しさそのものでもあるのかもしれない。
物は生ものではなく、また合わなければ叩き売ることさえ出来る訳で、矢張りこれは随分気楽で面白いモノとの相性合わせの世界のことなのである。
其れをやって居ること自体が、色々と後腐れがなく大層楽しいということを言って居るのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1692回) ..2014/06/14(土) 22:17 No.4787 |
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さてジオテック QUELOTは完全に秘密兵器であることが分かって来た。
コレは、はっきり言って飛ぶ。
無論高反発の、ルール非適合モデルだから飛ぶということもあろうが、それだけではない。
長尺だから飛ぶということもまたあるのだ。
実質的には47インチのドライヴァーということとなり、比べてみると他のドライヴァーよりも随分長い。
それで、当初はこれが振り切れていなかったのである。
それで非常に打ち易いクラブながら飛ばしの方はいまひとつかなとそう感じられたのであった。
ところが、である。
ところがコイツはそんなものではなかったのだ。
結局滅茶苦茶に飛ぶ。
完璧に打てれば、練習場のネットの上段に当てることさえ可能だ。
其処に当てるとなると多分実質270ヤード以上は飛んで居る筈である。
するとランを入れ280ヤードドライヴだということとなる。
このクラブ、ヘッドがオジさん仕様に近い感じなのに本当に凄い。http://yahoo.jp/box/x4MGVP
1.打感が良い。 2.打音が良い。 3.打ち易い。 4.飛距離が出る。
という百点に近いドライヴァーであった。
天白ゴルフ練習場ー名古屋市東南部では一番有名な大きな練習場だ。山の中にあり空気が頗る良い。つまり自然のさなかにある飛ばせる練習場である。ーで二十代、三十代の兄ちゃん達が、難しそうなドライヴァーでもって私の前や後ろの打席で打って居る。
ところがすぐ横の五十代の爺がネットの上段へ球を突き刺して居るのを見て彼等はわが目を疑う。
それで横からじっと私の飛ばしを観察したりして居るのだが暫くするとはっきりと負けを悟りもう二度と見なくなる。
ヘッドがオジさん仕様に近い感じだということは、要するに其れはスイートスポットが広くなって居り打ち易いということなのである。
勿論そういうクラブは今幾らでもある訳なのであるが、このQUELOTはヘッドの造りが良くそんなに軽薄には感じられないクラブなのである。
だからなのか、またはシャフトがXS仕様であるからなのか、このクラブから放つ打球は強く重厚感のある球筋となる。
だから其れがただのオジさんクラブとは違う点なのである。
試しに以前から使用して居るWORKSの軽い46インチ仕様で打ってみると、確かにこちらも打ち易いのだが兎に角球質が皆軽い。
だから打球が全部弱いのである。
軽いクラブでも、重い球質を打てるクラブこそが良いクラブなのであり、QUELOTはまさにそうした要件を備えた地クラブなのであった。
其のスペックは、
ジオテック QUELOT royal excellence14 αSPEC シャフト:無双 XL 硬度:XS サイズ:46,5INCH 重量:304g バランス:D-4 ロフト:9,5度 グリップ:NO1 イチ スパインアングル調整済み
ヘッド価格 ¥43,200 シャフト価格¥15、120 グリップ価格¥1,480
とのことで、実質47インチの長尺仕様であり、重量は軽いが実は長尺モデルとしては軽くはない、むしろハード仕様のドライヴァーということだろうと思う。
勿論XSシャフト仕様に限ればという話ではあるが。
S以下のシャフトならば、もっと軽くてずっと楽な仕様となり一般性も出て来るであろうモデルである。
55歳以上のシニアゴルファーの方には特に向いて居るヘッドである。
兎に角非常に打ち易くスイートスポットが広いから普通に振る分にはミスヒットが大変少なくなる。
だからシニアの方々にはまさにオススメのドライヴァーである。
楽に球が上がるし、強い弾道で飛んで呉れる。
方向性も勿論良い。
ただし現在私は方向性無視でひっぱたいて打って居る。
何でも良いから280ヤードは実測で飛ばすのだという魂胆でもって打つ。
実際ランを入れると280ヤード位は飛んで居ることだろう。
だから飛距離はもうほとんどプロ並みである。
だから皆驚くのである。
多分あのO先生よりも飛んで居ることだろう。
然しこの歳でここまで飛距離が伸ばせるとは思わなかったな。
ただし実質47インチの長尺はクラブが長いから振り切るパワーは勿論必要である。
方向性重視でゆったりと振るとネットに当たるか当たらないか位でおそらく実測240ヤードも飛ばない筈だが方向の安定性の方は出していける。
然しそれでは面白くないからオジさんヘッドでもプロ並の飛距離を追求していく。
何度か練習してクラブに慣れて来たので長尺でもそうしたフルパワースイングが出来るようになって来た。
それにつけても47インチの長尺は流石に飛距離の追求には有利である。
それも、それをぶん回すことによりHSを上げることが出来多分二、三十ヤードは飛距離を伸ばすことが可能な筈だ。
尚、
バランス:D-4 ロフト:9,5度
となって居るがここからもこのクラブはハードな仕様であることが分かる。
先っぽつまりヘッドが重く其のヘッドのロフトが立ち気味である。
然しロフトが立ち気味なのに楽に球が上がる。
つまり楽に打てる。
で、D-4バランスはプロ的なバランスでヘッドの重みで飛ばしていくという性格の仕様である。
あれ、待てよ。
すると、このドライヴァーのXSシャフトはひょっとして軽量シャフトではなかったか?
そうだとしたらこれはまさに大変なことだ。
これが私が望んでやまない50g台のXSシャフトなのだとすれば。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1693回) ..2014/06/14(土) 22:17 No.4788 |
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http://www.geotechgolf.com/
調べてみるとXSシャフトは何と53gの軽量X系シャフトであった。
そしてこのシャフトはXシャフトに比べると少し軟らかく撓むのでより楽に振れるのである。
このシャフトはまさに素晴らしい軽量の硬いシャフトで、オフィシャルハンディが8だと言われて居た出品者様もこのシャフトに惚れ込み新しく創るドライヴァーにコレを組み込む予定だとのことだったが、私も全くこのシャフトには惚れ込んで仕舞い兎に角自分にピッタリだという感が強い。
ちなみに無双XLシャフトには色々と長さがあり私のもののように46.5INCHも選べるようである。
元々パワーのあるシニアゴルファーの方でこれから少し楽に飛ばしたいと思って居られる方には最適の長尺秘密兵器ドライヴァーである。
ー実はQUELOT RE14 α-spec DRIVER Premium LTDという黒塗りのスペシャルモデルドライヴァーもあり、これがまあ何とも戦闘的な出で立ちでまさにシニアゴルファーの為の飛ばしのウエポンといった感じなのでコレがまた是非欲しくなって来て仕舞って居る。勿論私のものと余り変わらないモデルなので飛ぶ良いクラブである筈であろう。ただしこちらの方は頗る値段が高い。そしてこのクラブの専用シャフトにはXSのフレックスは用意されて居ないようだ。ではヘッドだけこの軍事仕様に替えるとするかだ。ー
Geotech Quelot Royal Excellence RE14 Premium HI COR LTD driver and FW http://www.2ndgolf.com/new-golf/Geotech-Quelot-Royal-Excellence-RE14-Premium-HI-COR-LTD-driver-1916.php
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1694回) ..2014/06/16(月) 23:49 No.4789 |
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ドライヴァーでの飛ばしの追求はまだまだ続く。
リンクス マスターモデルX1 プレミアムゴールドドライバー http://lynx-golf.jp/contents/service/presspdf/2013/XI-PG-press5P.pdf#search=
ジャ〜ン、リンクスの高級仕様飛ばしのドライヴァーが出て参りました!
何と、メーカー希望小売価格¥294,000(税込)という高所得者層向けの飛ばしのモデルである。
コイツは460ccのデカヘッドでしかもルール適合外の高反発仕様で多分飛んで呉れることだろう。
それにゴールドだ、ゴールド、金力の象徴としての其の金色を纏い、金持ちゴルファー様がまさにキンキラキンに飛ばしていけることだろう。
ワシはコレで300ヤードドライヴを目指すのだ。
何せ金があるから良い物食べて居て栄養もバッチリ摂って居るから当然パワーの方もある。
そうだ、コレで最大飛距離もワシのものじゃ、 よっしゃあ、いったるぜよー、パコーン。
あららら、おじ様はお金をあり余る程持っておみえになるのに案外HSの方が遅くってよ。
それでたったの200ヤードしか飛んで居ないじゃないの、何だこの肥満の非力オヤジめが。
まあ、然し、何とも魅力的なゴールドドライヴァーである。
万が一これが私に買えたのだとしても、とても使えないゴールドドライヴァーである。
床の間にでも飾っておくことしか出来ぬことだろう余りに美しいドライヴァーなので。
リンクス Lynx マスターモデル MB http://item.rakuten.co.jp/berrygolf/mbdriver95#ank
対してこちらは特に金満家ではなくとも手に入るモデルのようです。
しかも何とマッスルビートとな。
どうやら筋力で飛ばしていくモデルのようで、いや、そこはなかなか男らしい。
其の鍛え抜かれた筋肉の美しさ、で飛ばすとでも云うのだろうか。
そりゃ女のヘナヘナスイングなんぞよりこっちの方がやっぱし格好良い。
そうだ、男はマッスルで戦闘せよ、ゴルフの飛ばしはあくまで戦いー闘いーである。
戦いを勝ち抜いてこそドラコン王者になれるんだ。
闘いにうち勝ってこそ、天白練習場のドラコン王者になれるんだ。マッスル万歳。
新品 リンクス Lynx マスターモデル MB ヘッドのみ 10.5°HC付き http://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t363539268
このようにヤフオクに10.5度ロフトのヘッドが出て居りました。 SLEルール適合品ということで、高反発仕様ではない訳ですが長尺化して飛ばせるクラブとすることが出来そうだ。
リンクス Lynx マスターモデル MB 和田正義モデル http://item.rakuten.co.jp/berrygolf/mbdrivertw6#ank
しかしこの和田正義選手の背筋の美しいことったら!
それに48インチの超長尺仕様でX,XX,XXXというシャフトフレックスから選ぶだなんて全く何て男らしい選択肢なのかしら。
女子供では素振りすることさえ難しい硬くて長ーいシャフトをしならせまさに砕けんばかりに球を叩く。
これぞ男のスポーツでなくて何であろうか。
其の美しい背筋に滴る汗のさわやかさよ。
サア、頑張れ、和田、勝て、勝て、和田。-ドラコン選手権に-
和田正義選手 スイング解析 400Y超 http://www.youtube.com/watch?v=HEEJMubjvnQ
Honda GOLF ドリームレッスン > LONG DRIVE LESSON ー和田正義選手 http://www.honda.co.jp/golf/lesson/long_drive_lesson/
先程すべて視聴してみましたが素晴らしい内容のレッスンで非常に為になりました。
私もなるべく早く筋力トレーニングを行い和田選手に負けない位のパワーをつけてみたいとそう思いました。
其れから是非正しいスウィングのプレーンを確立しておかなくてはなりません。
正しい打ち方をしてこそパワーを発揮する意味もまた出てまいります。
逆に言えば正しい打ち方が出来て居ない場合はそこでパワーを発揮する意味もないということである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1698回) ..2014/06/19(木) 23:47 No.4793 |
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ワークスゴルフ(WORKS GOLF)【究極高反発】“ワイルド”マキシマックスプレミア ドライバー プレミア飛匠極シャフト仕様 http://item.rakuten.co.jp/dyna2009/10000774/
こちらはWORKSのやんちゃな仕様。
WORKSのドライヴァーはこの手の少々やんちゃ気味なクラブが多いのですが、それでももし安く入手することが出来ればシニアゴルファーには充分に役立つクラブだと私は思う。
特に非力でHSが45以下だがそれでもまだ飛ばしたいといったタイプのアベレージゴルファーには向いて居るのだと思う。
クラブが軽いので良く飛びますがただし球質は弱く打ち方にもよるが吹け上がることもある。
さて最近のドライヴァーはもう本当に凄い。
この三十年余りの間に最も進化したのはコンピューターとゴルフクラブなのである。
クラブアナリストのマーク金井氏ー私と同年代の方ーがネット上で色々と述べておられても居るのだけれど、
35年前のドライヴァー ・ヘッドは木製(体積180CC) ・長さは43インチ前後 ・重さは350g前後
今どきのドライヴァー ・ヘッドはチタン(体積460CC) ・長さは45〜47インチ ・重さは280〜315g
ということとなるのである。
私たちがゴルフを始めた頃は今思えば非常に打ちにくいパーシモンヘッドのそれも小さなヘッドで、おまけに其処にはステール製の重いシャフトが付いていたからそれで球を飛ばしていくのは本当に大変だったのである。
それでも当時から飛ばす人は飛ばして居り、私もどちらかといえば明らかにそうした部類のゴルファーだった。
パーシモンヘッドでも大きめのヘッドの付いたマルマンのドライヴァーをその頃私は愛用して居て、友達数人と一緒に練習場へ行き 270Yと書かれた表示板に屡打球を当てたりして皆に驚かれていたものだった。
ー当時はゴルフがトレンディなスポーツとして人気があり良く友達が集まり皆で一緒に練習していた。なお其の270Yの表示板はインチキの飛距離で実際には実測220Y位ではなかったかと思う。ー
其のパーシモンヘッドのドライヴァーは半年位でヘッドが割れるので同じものを4、5本新調しては使って居たのである。
其のうちにメタルヘッドのドライヴァーが登場し、劇的に打ち易くなった。
然し当時のメタルヘッドは意外とハードヒッター向きで本当はそんなに簡単なクラブではなかった。
それで私は軽合金製のヘッドのドライヴァーを長く使って居た。
其れはメタルヘッド的なヘッド形状ではなくパーシモンヘッドに近い形状をした実に打ち易い良いクラブだった。
ところが今のチタンドライヴァーは兎に角非常に楽に打てる。
その頃のクラブと比べてしまえばマニュアル車とオートマチック車の違いのようなものなのである。
ところがゴルフが全部簡単になったのかと言えばそれはそうではなく依然としてゴルフは滅茶苦茶に難しいスポーツなのである。
要するに幾ら道具が進歩しているにせよスウィングが悪いと球の芯を捉えることは出来ず従って幾ら易しいクラブでも飛距離も出ないし気持ちよく打てないのである。
だからスウィングの完成、これこそがむしろゴルフのすべてなのである。
それさえ成れば、どんなクラブでもそこそこは打てて仕舞うものなのである。
私も苦節三十年、ようやく其のスウィングの完成の域に近づいて来て居る。
それで嬉しくて嬉しくて仕方がないのでこうして毎晩の様に此処でゴルフの話をしに来て居るのである。
たしかにゴルフは楽しいが、山や丘陵を丸裸にして仕舞う。だからゴルフ場の存在は地球環境にとっては良くない。
勿論そうした現実は確かにある。
でも山の中で行うことの出来るスポーツなんてゴルフだけなのですよ。
私は山が大好きなのでゴルフもまた大好きなのである。
そうした自己矛盾性を抱えつつ文明も私もこうして生きていっているのである。
尚飛ばしの追求の方は着々と進んで居ますが前回述べた280ヤードドライヴは少し誇大な表現だったようで普通は250、260ヤード、 当たって270ヤードというところが私の実質的な飛距離なのだろうと思う。
つい先日も練習場で玄人はだしの速いHSの人ー多分五十代後半位の人ーが居て、ずっと見学させて頂いたのだったがドライヴァーショットなどはまさに物凄い迫力で私よりは飛距離が上ではないかと思われた。
いや、飛距離の面では同じ位のものも出していけるかもしれないのだが、彼の場合は兎に角球質が私とは全然違う。
つまりは本当の意味でプロ球に近い球質で打っておられたのである。
嗚呼、私も是非あんな迫力を出して球を捉えてみたいものだ。
然しらくちんドライヴァーではあんな球筋は打てやしないのである。
今の長尺のドライヴァーは素晴らしいクラブなのでかなりの飛距離が期待できる。
でもあそこまでのHSで球を捉えるとなると逆に長尺では無理となるのかもしれない。
たとえば米ツアープロがやっているように逆に短尺のXの軽量シャフトにして使える分の重量をヘッドへ持っていき重ヘッドで飛ばす。
たとえばこちらにも短尺ドライヴァーはあり。
http://item.rakuten.co.jp/berrygolf/ld-007#ssdriver http://store.shopping.yahoo.co.jp/amcgolf/dwo0161.html
あるいは500ccオーヴァーのデカヘッドのモデルで飛ばすというのも何だか面白そうだ。
http://item.rakuten.co.jp/tyokuhan/d-005/?scid=af_pc_etc&sc2id=67860646
勿論シングルゴルファーを目指して居るようなアスリートタイプのゴルファーはそうしたバカな追求は余りしていかないものなのである。
第一節操もなく飛距離だけを追求するなんてのは本当は余り上等なゴルフの追求ではなく、それは謂わばミーハー的に流されたゴルフなのである。
でも私の場合は面白いからこそそれをやって居るのだ。
ほかに面白いことが何も無いのであえて楽しんで其のバカをやって居るのである。
それと、練習場で体力を使いストレスを発散することがゴルフに於ける私の第一目的なのである。
だから健康になるべく炎天下でそれを行い、かつ最低200球位は球を打つ必要があるのだ。
さて飛ばしにも色々と方法がありそうである。
然し私は暫くの間やはり長尺ドライヴァーに拘っていきたいと思って居る。
だからそのうちに長尺で軽量のXシャフトを手に入れ、それをXドライヴのヘッドに是非組み込んでみたいのである。
はてそれでどうなりますかな?
そういうことを考えて居るだけでも何だか私はとても楽しいのである。
マーク金井ブログ長尺ドライバーで飛距離を確実に伸ばすコツとは!? http://www.analyze2005.com/mkblogneo/?p=9551
ー大変為になる、ゴルフギアの分析が豊富なブログです。ー
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1699回) ..2014/06/21(土) 23:58 No.4794 |
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Golf ism 飛ばしに魅せられた男達 〜どこまでも遠くへ ドラコニストたちの宴〜 2/4 http://www.youtube.com/watch?v=_8kABFnfZEs
こちらでは和田 正義プロがどうしてドラコン競技を目指すプロになったのかということが語られて居て興味深かったです。
結局、ツアープロとしてやっていく為には並大抵のことではなく特別な才能が必要であるということがここからも良く分かる。
ゴルフで飯を食えるようになるには努力だけでは如何ともし難い部分もあるということなのでしょう。
然し和田プロがドラコン競技で戦える選手であり続けるのならばそれはそれで大きな価値ある挑戦でありひいては其れが自らの才能の開花でもあることだ。
人間にはそれぞれに得意な分野があるので其の部分で一花咲かせることが出来れば其れが一番良いことなのである。
尚面白いことに、この動画の終わりの方に仏教徒としてのアマチュアドラコン選手が登場します。
其の方は何ととあるお寺のご住職だとのことです。
ゆえに仏教徒ではあっても戦う時は戦い燃える時は燃えるのだ。
ドラコン競技で戦えるようなマッチョなご住職、ゴルフが好きな仏教徒が居たっておかしくはないのである。
勿論戒律を破ってそれをしているわけではないのであって、つまり仏教にとっての悪いことをして居る訳ではないのであります。
ジェイミーサドロフスキー HD ゴルフ 2011フロリダPGA http://www.youtube.com/watch?v=3puiN6L5WNM
海外のドラコンチャンピオンの方々はまた日本人以上にHSがあり400ヤード位は簡単に飛ばして仕舞うものであるようです。
特にこの方は外国人の競技者としては体が小さい方ではあるが大変な飛ばし屋として有名なプロのようである。
だからそのレッスンも非常に為になる部分が多い。
そしてドラコン競技ではなくともアベレージゴルファーが練習場で飛ばしの方を追求していくことは常に出来るということになる。
私の場合は元々飛ぶ方の人間だがそれをさらにプロ級の飛距離にまで延ばしていこうとして居る訳です。
それで今色々とさらに飛ばすためのクラブやスゥイングの追求を行なって居るのです。
飛距離の追求という目的の為に最も合うクラブとスゥイングを追求して来て居るのである。
万年筆の方でも、色んな筆記上の目的の為に其れに合ったモデルを選んでいくので、その意味ではゴルフクラブの選択の場合と良く似ている感じも致します。
目的ごと、個性ごとに選ばれる道具は異なって来る筈なので、実はコレが絶対であるというような普遍性を持つ道具は本当は無く、結局自分にとって一番良いものは目的と個性に対して一番相性が良いものである、とも言えそうです。
ゴルフクラブの場合にもシャフトの硬軟やクラブの長さや重さ、バランスなどは個性に合っているかどうかということの重要なファクターなのでその点ではペン先の硬軟やペンの長さと重さ、バランスなどを個性に合うかどうかという基準として居る万年筆の世界と不思議に似通って居る部分があります。
さらにフェース面が鍛造金属であるか否かなどということもあり、其処は金ペン先が鍛造か否かというようなことが論じられる万年筆の世界とも矢張り良く似ておりますね。
そしてもうひとつ共通して居ることは自分に合った良い道具を選んでいく必要があり其れは簡単なようでいて実は結構難しいことであるということだ。
買ってみたらどうも自分には合って居なかったなどということも両者とも良く起こり得る話なのである。
シャフトの硬さと,飛距離の関係。 http://www.youtube.com/watch?v=rDQXz_XJx1Y
この店のご主人は硬いシャフトがまず基本的に飛ぶと云われておりますが其れは私も全く同感です。
HSの速いハードヒッターであればたとえばXシャフトを使うと良く飛ぶ筈です。
ただし其のXシャフトがもし重いものであれば、HSの速さだけではなく筋力の方も必要となって来る筈です。
いずれにせよXシャフトはアベレージゴルファーがおいそれと手が出せるようなものではない。
なぜなら硬い重いシャフトを打ちこなすには技術が必要になるんです。
ああ、そういえば古い萬年筆の柔軟なニブを扱うには筆記上の技術が必要となるから、その点でもこの二つの世界は一種似て居るのです。
もっともペンの場合は軽い長い軸で柔軟な金ペン付きのペンこそがなかなか書くのが難しいのですが。
ロングアイアンを練習するとどうなるか? http://www.youtube.com/watch?v=83MD0RINiw4
尚、このショップのご主人は世間の趨勢とは逆のことを云うー然し一方では其れこそがゴルフに於ける真実でもある。ーという部分があり全く面白いゴルフ理論をお持ちの方です。
現在、プロは安全策をとる上から、またアマチュアゴルファーはロングアイアンが難しくて打てないからという理由でほとんど使わなくなって来て居ます。
然しかっては倉本昌宏プロのようにロングアイアンの得意なプロも結構居られたのです。
然し今のミスに寛容なドライヴァーの方が非常に簡単に打てるものとなったのでロングアイアンのようなミスに不寛容な部分から来るクラブとしての神経質さ、難しさは敬遠されて仕舞い今後はますます其の傾向は助長されていくことであろう。
然しこの店主の方はあえて其の難しいロングアイアンを使って練習すると技術が磨かれるというようなことを言って居られます。
いや、それは全くの正論で、現在の軽薄短小化しつつある現行クラブに対する大きな疑問の投げかけの部分でもある。
つまり楽でオートマチックに打てるクラブに慣れると技術は逆に落ちていって仕舞います。
ところが二年前までの私のように超ハードな難しいクラブを使っていた頃は今よりも数段良いスゥイングをしていた筈である。ーちなみに私はロングアイアンを打つことが元々得意です。ー
実際最近かってのドライヴァーが振り切れなくなりそれがなぜだろうといつも思って居たのだったが結局はそういうことでつまりは技術の方が下がったのである。
だからプロの間でも、三十年前のプロは今のプロよりもある意味ではもっと上の技術を持ちその高い技術でもって球を捉えていたという可能性も高い。
このように技術の進歩というものは一面だけは捉えきれず難しい問題を孕んでいる場合もある。
ああそういえば現代の万年筆も明らかに楽に筆記出来るという方向に進化して来て居るのではないでしょうか。
しかし、其処でオートマチックに楽すぎると、昔の萬年筆の持っていたところでのペン先が醸し出す線の表情を出す技術が必要でなくなりつまらないものになっていくのではないか。
ゴルフオオイ http://golf-ohi.com/shop.html
ちなみに動画の店主の方はこちらのご主人のようです。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1700回) ..2014/06/24(火) 06:23 No.4795 |
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重いヘッドと長尺は? http://mycaddie.jp/qanda6.php?QID=1736
ここにもあるようにドライヴァーショットでの飛距離追求の為の理想の要件とは1.シャフトを長尺化する2.ヘッドを重くする、ということに尽きて居る。
シャフトを長尺化するとスウィングの弧が大きくなりHSが増すことが分かっており、またヘッドを重量化するとインパクトに於けるエネルギーが増すので球を遠くへ飛ばすことが出来る。
ところがこの二項の組み合わせは理想ではあるが実は可成に難しい。
なぜならシャフトを長尺化するとゴルファーには負担がかかり、またヘッドを重くすることもゴルファーに負担をかけることとなるのである。
だから余程パワーのあるゴルファーでないとこの理想の組み合わせの実現は難しいということになるのである。
ただしごく最近はシャフトが長尺化されており尚且つヘッドを重くしたタイプの飛距離追求の為のクラブが注目されて来ているようだ。
然しながらそのタイプのクラブはまだほとんど市販化されるには至って居ない。
シャフトの長尺化と重量ヘッドの組み合わせが無理であるなら、シャフトの短尺化と重量ヘッドの組み合わせならば可能だろうという訳でPGAツアーの一部のプロはそのような組み合わせでしかも軽量の硬い短尺シャフトを使うことで重量ヘッド化したクラブでもって300Y飛ばすことへの挑戦を続けて来て居るのである。
其の背景にはPGAツアーで行われるトーナメントに使用されるコースの距離が長くなって居るということがある。
トーナメントプロの飛距離が軒並み伸びて来て居るので、ゴルフコースの方の距離自体を長くせざるを得なくなって来て居るのである。
日本のゴルフコースの場合は其処まで距離は長くなって居ないのだがそれでも今後は長くなっていかざるを得ないことだろう。
そうなるものとすれば、我々アマチュアのゴルファーでも当然飛距離の方が要求されて来ることとなる。
だから将来はむしろ飛距離追求こそが大事なこととなって来る。
ゴルフは飛距離じゃない、なんていうことを言って居たら通用しない時代がすぐそこまで来て居る。
つまり、特に今後はゴルフは飛距離でもあるのである。
飛距離の追求ということは其れが即欲望の解放ということではなく技術の向上を目指していく職人技的なものなのである。
欲望と云えば確かにゴルフ自体が欲望の解放ながら、こと飛ばすということに於いてはより完璧に打ちたいということでもある訳だ。
どうせ環境破壊を行う罪なスポーツであるゴルフをするのであれば、技を極め道具を追求し完璧な位置に自らの技を高めていくという全くのゴルフ道で行き適当な遊びなどでは無論ないのである。
だから私は趣味だって何でもそういう風に捉えて来て居るのである。
万年筆ならば万年筆道、ゴルフならゴルフ道、石は自然物なので少し違うがそれでも石道楽の道のようなものが其処にはほの見えて来たりもするものである。
だから其れ等はただの遊びとは違うんである。
全部真剣勝負だ。
その代わりに世間の人々が真剣なことに対して余り熱心ではないということも私には多い。
クラブが自分のスイングを磨いてくれる http://www.youtube.com/watch?v=9I06DzSDfYM
調子が悪いのでクラブを換える、はお勧めできません。 http://www.youtube.com/watch?v=fSjMxiWYwIw
さてこの動画からもこの方はいつも正論を吐かれて居て現在のゴルフ界の常識とは逆のことをむしろ云って居られるのである。
私も以前に述べておりましたが、今流行りの楽チンクラブは基本的に自分の技術を磨いては呉れないものなのであり、其れは多分万年筆の方でも一緒、現行の万年筆は楽に書けすぎるものが多くて、それで余計に日本人の日本語の書写技術が停滞するかまたは退化していくようなことになって来て居るのだろう。
また私は万年筆の方で楽に書ける21Kのセーラーの方よりも楽には書けない14Kのプラチナの方が本質的に良い部分さえ持って居る、筆記マニアの方々は何でそんなことに気付かないのだ、というようなことをずっと述べ続けて来たのであります。
要するに其の現実としての出口、外面でのことに囚われて仕舞うと物事の本質的な価値、内在されて居る本当の良い性質のことが見えなくなって来て仕舞う。
それから、所謂権威主義というような万年筆の特定のブランドに対する盲信、過信ということにも是非気を付けるべきなのである。
そしてこの二つの動画で店主の方が述べられて居ることは、ゴルフスウィングに於ける技術論なのではなく精神論なのである。
其の精神論の方がまず大事なのである。技術論はその後からでも良いのである。
それで、私は万年筆の方の物語でずっと精神論の方を展開して来たつもりなのである。
だからゴルフスウィングに於いてもこうした精神論を非常に大事なことだと思って居る。
然し人間というものは周りから影響を受けていつのまにか楽な方へ楽な方へと流されて行きやすいものなのである。
楽がなぜいけないかという段になれば、それは要するに上で語られて居るが如くに其処で技術が磨かれることが無くなって仕舞うからそれは宜しくないこととなるのである。
尚現代文明の所産のモノというものは大抵の場合そういうことになって居る。
其れ等はより便利でより速く、よりカンタンなものとなっていくのだが所謂味の部分が見えなくなるか失われていって仕舞うのである。
その味とは、造り手と使う側の技術の磨きあいのような部分にこそ存していた訳で、そういうのが見えなくなるとかってはモノの世界にも存して居ただろう精神性の部分も見えなくなりただ即物的に大量生産される道具と浅く付き合っていくことしか出来なくなる。
であるからゆえにスウィングや書写の技術を磨くということは大事なことなのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1702回) ..2014/06/29(日) 23:26 No.4797 |
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クラブとスイングの関係 http://www.youtube.com/watch?v=x8-DjovypmM またもやこのご主人は正論を述べておられる。
どういうことかというと、かっては難しいクラブを使って居たが今風の簡単なクラブの方が楽に打てるゆえそれで長く打って居ると実は技術の方が段々下がって行って仕舞う。
実際に私は今ミズノプロ2000という超ハードスペックである軟鉄鍛造アイアンがもはや打てなくなって来て仕舞った。
それは何を意味するのか?
即ち技量が落ちたということを意味するのである。
つまり今風の460ccのデカヘッドで芯の広いチタンドライヴァーは易しく打てる訳だが、ここ二年程は其れ等ばかりを打って来て居るこの私には難しいクラブを打つことがもはやしんどいのである。
勿論また元の状態に戻していくことも出来る。
だがそうすると其の難しいアイアンセットに組み合わせるチタンドライヴァーは今よりはずっとハードなそして重いクラブとなり、其れでもって今程の飛距離が得られるかと言えば其れは無理なこととなるのだろう。
ということは、アイアンのセットの方をもう少し楽に打てるもので新調して行くほかは無いのである。
それではお金がかかるということは別として、確かにキャビティタイプの軟鉄鍛造アイアンには元々興味がある。
値段の方も今は新品にせよ、ヤフオクにせよ、中古ショップにせよ昔に比べれば随分安くなって来て居る。
私のプロ2000アイアンなどは二千年当時27万円位はした高級品であった。
ちなみに其のプロ2000アイアンの元のアイアンであるTN-87が伝説の名器のアイアンとしてこのほど復刻発売されるのだそうである。
伝説の名器が蘇る ミズノプロTN-87 復刻モデル http://www.golfersland.net/tn-87/
ちなみに私はこのアイアンでゴルフを覚えたのだ。
コレを二十年位は使った。
そしてまだ持って居るのである。
プロモデルとしては案外打ち易い素晴らしいアイアンなのだが、無論今のクラブと比較して仕舞えば矢張りどうしても難しいクラブとなって仕舞う。
それでもこうしてあえて復刻発売される程に尊敬されて居りかつ需要のあるアイアンなのだろう。
尚プロ2000アイアンの方はTN-87のよりハードな仕様であると考えると分かり易いことだろう。
特に私にものはシャフトが重いのでハードである。
だから簡単に打てるクラブばかり使って居ると実は何かが失われるか損なわれることとなって仕舞い、ゴルフに於いては其れが技術であるということになるのだ。
簡単に書ける万年筆や簡単に何でも出来るようになった生活からもひょっとすると色んな技術や精神が失われたり損なわれていくのかもしれないな。
そう云えば昔の打ちにくいクラブはまるでややこしい精神のカタマリのようなもので、つまりは元々難しいクラブだったので体力だけではなく念力でもって飛ばしていたようなものだった。
それにあの古いEDのL.E.Watermanなど使って居るとまあ其の筆記感たるや物凄く渋くて其処からはまるで万年筆に於ける精神論を叩き込まれて居るような感じがすることも屡である。
だからモノの精神?のようなものが堕落していくと物はより見かけ上の性能は上がりより速くなったりより楽に扱えるようになるものなのだが、それと共に元来あった筈のキビしい精神性のようなものは失われていく。
またそれと共に、モノの使い手の方の技量も落ちて行くのだししかも其の事に気がつかないということにも陥りやすい。
だから道具はある程度本格性があって、そして少し難しい位のものを選んでいった方がより自分の技量を上げていくことが出来る訳だ。
そして其の事はどんなモノに於いてもおそらくは云えることなのだろう。
アイアン職人の町 世界が認める いちかわ鍛造アイアン http://www.youtube.com/watch?v=4wgYfNE48w8
軟鉄のキャビティタイプのアイアンは、こんなものさえあるのである。
地元のもののことは少しだけ聞いてはいたが、兵庫県にこんな町があって、其処ではこんなに鍛造アイアンが造られて居るなんてことは全然知らなかった。
結局、こうした職人が造るアイアンはおそらくとても良いものなのだろう。
其れ等は一本一本を個性化させることが出来、しかも鍛造という本質的に良い製法で造られるクラブであるのだから悪かろう筈はないのである。
市川町商工会 http://www.ichikawa-hyogo.jp/golf/knowing.html
姫路軟鉄鍛造キャビティアイアン http://item.rakuten.co.jp/kyowagolf-file/10000129/
たとえばこれなどは手頃なお値段で結構良さそうだ。
ゴルフクラブでも万年筆でも、矢張り職人が手間暇かけてつくったものにはそれなりの良さがあるものなのである。
また本当に古い萬年筆などはたとえ大量生産の品ではあってもそうした職人技的な部分がどこかしこに残って居たりもするものなのだ。
だから古典の萬年筆は手作り万年筆に似た部分がある。
そしてそうした万年筆の魅力と同じ位魅力的にこうした職人が造るクラブは感じられるのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1703回) ..2014/07/03(木) 23:44 No.4798 |
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ミズノプロ TN‐87 復刻モデル(完全予約受注品) 伝説の名器が、蘇る。ミズノプロ TN-87 復刻モデル。 \ 410,400 (本体\ 380,000) http://products.mizuno.jp/c/item/5KJSD60610/040002004
此れは、然しながら高い。高価過ぎる。
さてたかが趣味、されど趣味などと良く云われるが如くに、たとえ趣味の道であっても其れを極めんとすること程シンドイこともまた無いのである。
たとえば万年筆の追求でもゴルフの追求でもやっぱりしんどい。
本気になればなる程其れは大変なのである。
また趣味に限らず仕事でも学問でもその他の何でも本気になればなる程矢張り大変である。
本気になって万年筆を追求されて来て居る方々、アナタ方はやはり相当に大変であったことだろう。
でも私は至極適当なので全然大変では無かった。
何でも真剣勝負だ、とか何とか言いながら本当の本当は物質の世界なんぞ大して重要ではない位に思って居るので実はさほどでもない。
ただ、何でも追求すればする程に深みの面が見えて来て其れはどうしてもそういうことになって居るのだろう。
其処まで到達した人だけが感じられるようなそんな境地というものは確かにあるのだろう。
私も万年筆の方は三十年追求して参りました。ーただしコレクター歴が三十年ということであり、使用歴は四十年ということとなる。ー、 そしてゴルフの方も丁度追求が三十年程になり、其処で思うに、よくもまあ、よりによってそんな金のかかる追求を飽きもせずに続けてこられたものだなあ、これから先は色々と苦労することがあることだろうが、其の点だけは本当に良かったなあ、色々と観念の方で苦しかった部分はあったにせよ、其の好きなことを好きなように追求して来れたことだけは恵まれた境涯だったのかもしれないな、などと近頃良く思ったりするのである。
ゴルフスウィングの追求の方では、私は今最後の仕上げの段階に入っていて、まるで万年筆の方で最終段階に進みつつあるのではないかと思われることと同じように、自分の背後に色んな経験の積み重ねの重みを感じながらゆっくりと歩んで居るというところなのかもしれない。
ただし、万年筆の方はもう本当にゆっくり、ゆったりとしたペースになって仕舞ったのだけれど、ゴルフの方は 最後の難関に挑んで燃え盛って居るというのがむしろ本当のところなのである。
其れを証拠に、万年筆の方はもうほとんど要らないのですが、ゴルフクラブの方はもう兎に角是非次々と欲しくなる。
一体何をやって居るのだ、いつも言っているように仏教徒のくせして。ー
確かにそういう感じでもあるのですが、この追求こそは最後の仕上げの追求なのだ。
だからやらずには居られない。
もっともO先生は最近の私の節操の無さ、飛ばしへの欲の深さに呆れ返って居るようだが、何しろこの私にしてもやる時はやるのだ。
万年筆もクラブも買う時は次から次へと買うのだし、買わなくなると全く買わなくなる。
超極上/新発売 ジオテック QUELOT RE14α/46,5 INCH/ SX http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d154517717?notice=clowb
さてあらためて思うのですが、このドライヴァーを買っておいて本当に良かった。
コレは楽に玄人並の球が打てるようになるクラブです。
この仕様は実質47インチ仕様で振り切るだけのパワーが要求されるのですが、実はシャフトのトルクが多いのでXSシャフトにしてはそれほど硬い感覚はなく非常に振り易いクラブなのである。
ところで、47インチ仕様の長尺のドライヴァーですが、コレは振り切るだけのパワーがあれば間違いなく飛びます。
或は単に飛ぶというよりもより楽に飛ばせるということが言えるかと思う。
ただし、長尺ドライヴァーを打ちこなす為には所謂玄人打ちをしなければならない、ということも絶対に頭に入れておかなければならない。
いや、長尺ドライヴァーに限らず短尺ドライヴァーでも或はアイアンでも上級のゴルファーは常に玄人打ちをして球を飛ばして居るのである。
その打ち方は、所謂素人ゴルファー、すなわちアベレージゴルファーの打ち方とは根本的に異なります。
其の打ち方こそがゴルフスウィングに於ける真の打ち方のことです。
上級者やプロは其の打ち方でもってクラブを振って居ます。
だからこそ高い確率で球の芯が捉えられ、そして飛距離が出るのである。
逆に云えば素人ゴルファーは其れが出来て居ないのであります。
勿論私もまだ完璧には出来ていません。
ただ、O先生と共に今其の打ち方に取り組んで居るところなのです。
いや、正確には何故か二人共別々にその域に達しつつあったのです。
練習場で出くわすと、何故か同じ打ち方に取り組んで居たという、そういうことです。
もっともO先生は色々と誘いがあるので月に三回程はコースへ出ています。
対して私はこの十年というもの、全くコースへは行って居ません。
さてそれではどちらが良いスコアで回れるのでしょうか。
そんなことはコースへ出て居る人の方が良いスコアで回れるに決まって居ます。
では何故私はコースへは行かないのか?
其れは私のゴルフスウィングが完成して居ないからです。
確かに実際にはほぼ完成の域にまで達して来て居る。
理論上はもはやすでに完成して居ます。
だからこれからは其れを体で覚え込ませるということだけなのです。
O先生は最近八十台のスコアでコースを回ることが屡で、それで愈七十台のスコアを目指してダウンブローで打つ練習を繰り返して居るようだ。
私も結局、其のダウンブローで打つ打ち方のことを本質的に見直してみたばかりなのである。
それでも私が見る限りO先生のゴルフスウィングはまだまだ上級者の域には達して居ない。
それは勿論私だってそうだ、ただ、練習場でのドライヴァーショットだけは本当に素晴らしくなって来た。
其の練習場で、いつも上級者並みに打てない限りは何回コースへ出たって七十台のスコアなんてまず絶対に出せません。
だから私はそのことをこそ目指して居るのです。
そうならない限りは何度コースなど行っても仕方が無いということなのです。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1704回) ..2014/07/03(木) 23:44 No.4799 |
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ドライヴァーショットは良く云われるようにアッパーブローのショットとして球を捉えるものですが、其れはあくまでインパクトの瞬間のことであり、其の少し前のクラブの軌道はアイアンでダウンブローのショットを行う動きと全く同じものなのです。
つまり、アイアンショットとドライヴァーショットのスウィングは全く同じであり、ただ球を置く位置、球を捉える位置が違うのでダウンブローだのアッパーブローだのと区別して呼んで居るだけなのである。
では凡人ゴルファーが出来ない球の潰し打ちの仕方、アイアンでダウンブローのショットを行う動きとは一体どうしたら得られるのか?
実はこの部分こそが、ゴルフスウィングの真髄であり真理なのであります。
真理なのですから、其の打ち方には普遍性がありまた時を超越して存在するものです。
つまり世界中何処に於いても、また過去においても未来に於いても其れは真理です。
其の真理とは、正しい手ー腕ーの使い方のことです。
凡人ゴルファーはまずコレが絶対に出来ていません。
然し、玄人のような球を打たれる方はまず絶対にこの打ち方を会得して居ます。
さて、正直言います。
つい最近まで、この私も其れが正しく出来ていませんでした。
ところが現在は正しく行えるようになりました。
すると、球の捉え方が本質的に変わって来る。
嗚呼、まるであの鍛造ニブと圧延ニブの違いのようなものではなかろうか。
確かに、まあ、そういうことです。
打ち方が、其の打ち方の技術の方こそがまるで鍛造ニブの如くに良いものになったということです。
この打ち方でこそ、正しくプロ級の打球を放つことが出来ます。
では一体どうすれば良いのか?
この点に関しては動画などでレッスンプロが様々に論じて呉れていますから何でしたら其れ等をご覧になってみて下さい。
ただ私がもしレッスンするのだとしたら生徒さんにはこう教えようかと思って居ます。
其れもただ一言だけ。
曰く、グリップエンドで球を動かす。
これがバックスイングを形作る為のゴルフスウィングに於ける真理としての部分です。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1705回) ..2014/07/05(土) 00:01 No.4800 |
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この現在の私のゴルフの追求は私の最後のゴルフの追求なのである。
何故だか知らぬがそんな気がしてならない。
今この一瞬にこそ賭けてゴルフを是非全うしてみたい。
燃え盛る炎のようにメラメラと、まるで爆発したかのようにゴルフにのめり込む。
勿論O先生なんぞには負けない。
彼は私にとっての良きライヴァルである。
然し飛距離と球質と球筋とで必ずや彼を圧倒してみせる。
断じて我は負けぬ。
なんとなれば我こそはゴルフの武士である。
ゴルフ武士の刀は名刀でなくてはならぬ。
だから本来ならばTN-87の復刻モデルを\410,400払って求め、其れでもって誇らしく戦場へと出向いていかねばならぬ。
然しながら、我はもはや五十も半ばにさしかかった。
いつしか戦争になってももう戦場には行かされない歳となりにき。
さて、次なる我が名刀はこれじゃ。
中古 リシャフト◆オノフ TYPE-S ドライバー 2012◆9°無双XL/XS http://page14.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s387241794
コレが神戸より来たりしオノフ TYPE-Sドライヴァーである。
一言で言うと、超ハードスペックでセミアスリート用ヘッドの付けられたものである。
46.5インチの長尺仕様で超重量スペック、何とバランスはアスリート向けであるDを飛び越したE2の数値である。
つまり、振ると超重くかつヘッドがとても重く感じられる仕様なのである。
ーちなみに日本人向けにはまずこのEバランスのドライヴァーは用意されて居ないことになって居る。このクラブのようにリシャフトされたクラブを除いては。ー
然し私は、この先っぽーヘッドーが重いドライヴァーこそが好きなんである。
つまりは私はパワーヒッターで先の重みの効いた奴でぶっ叩くのが何より得意である。
だからむしろE2のバランスに惹かれてこのクラブを落札したのである。
ただし、313gある重量は45インチのクラブに換算するとおそらくは330g以上はある仕様となる筈であり、其れは現在ではプロでも重すぎると感じられるクラブとなろう筈である。
其の点だけが少し心配であった。
またこのクラブを入手するに至った理由としては、
1.ゴルフを極める為のクラブの追求の一環としての入手
2.シャフトが何とあの無双XLの46.5インチXSシャフトにリシャフトされて居た!
3.何せ一万二千八百円は安い!
4.意外と程度が良さそうである。
2.ー二本目となるー無双XLの46.5インチXSシャフトは振り易く、また元々長尺でもあるので飛ぶシャフトである。
3.シャフトは大変綺麗だったのでシャフトだけ得ようとしても一万二千八百円以上は軽くする。つまりお得である。
4.ヘッドのソールの小傷が少し目立つだけで良い状態の商品だった。
ちなみに、もし一万五千円以上して居たのであればコレを落札することは無かったことだろう。
T.低予算でのゴルフの追求を行なって居る手前、兎に角安いゴルフ用品を求めて居る。
U.人が振れないようなクラブも場合によっては私には合うのでこうした商品は完全に狙い目である。
V.現在は次から次へとクラブを求めて居るが、いずれも非常に安く入手し、其れはなるべく色んなパターンの長尺ドライヴァーを揃え打ち比べてみる目的からして居ることである。
ゆえに全部が全部が欲しいという訳ではなく、どんな長尺ドライヴァーが自分に合うかどうかということを調べて居る最中なのである。
よってもしクラブが自分に合わなければまた中古ショップの方へ持って行っても良いのである。
クラブをコレクションして居るのではなく、あくまで自分にとってのゴルフに真に合うクラブを探して居るのである。
今回の長尺ドライヴァーの結果
1.矢張り私には合う。 2.ただしハードなドライヴァーであることは確かで、まだ振り切れては居ない。
3.同じく無双XLのXSシャフト付きながら47インチ仕様のクロトドライヴァーに比べると遥かにハードなドライヴァーである。
3.が、慣れて仕舞えば必ず打ちこなすことの出来るクラブではある。
ー今使う二本のドライヴァーの比較などー
ジオテック クロトドライヴァー
1.アベレージ〜セミアスリート仕様のヘッドで易しく打てる。ただし規制外の高反発仕様であり、また実質47インチの長尺仕様なので規格外の飛距離性能も持って居る。つまりタダのシニアゴルファー向けのヘッドではない。特にXSフレックスのシャフトはオジさんではとても振り切れない。
2.ちなみにクロトドライヴァーはブンブン振り回せるようになって来て、其れでストライクゾーンにハマると恐ろしい程の強打の音が練習場に 轟き決まって皆に注目される程である。
3.其の飛距離以上に打音が素晴らしいクラブで、易しいヘッド形状で芯も広いのでナイスショットの確率の高いクラブである。
ダイワ オノフ TYPE-Sドライヴァー
1.セミアスリート仕様のヘッドで易しく打てる。が、今回私が入手したリシャフトモデルはオリジナルとは別物のハードな仕様となって居る。 余程のパワーが無いと或は四十歳位までの盛の体でも振り切れない。
2.其の並では無いハードなドライヴァーを振り切れるようにすることこそが私が初めから意図していたところでのこのドライヴァーを使った技術の向上の部分なのである。
3.つまるところ、次第にジオテック クロトドライヴァーは振り切れ過ぎて左へ行く傾向が出て来た為、もう少し難しいヘッドで同じシャフトのものをと考えて居たところコレが出品されていたので飛びついたのである。
4.非常に静かなインパクトが可能である。つまりインパクトの音が普通のドライヴァーよりも小さい。何故かと言うと、重さやバランス、シャフトなどの仕様がハードな為である。だからこのクラブを振り切れるようになった時こそが本当の意味でのプロ球を放つ時なのである。
それでもあくまでクロトドライヴァーが現在の私のエースドライヴァーであることには変わりがない。
さて、こんな風に行うゴルフクラブの追求は実に楽しい。 人生には色々と楽しいこともまたある。
人生には様々な問題や苦労、苦難が待ち構えて居るものだが、それでもこうした楽しい部分は別に用意されているものなのである。
ゴルフの練習で汗をかくと其の後で食するものや飲み物がまた格別である。
ゆえにゴルフは健康に宜しい。 私はゴルフと萬年筆を死ぬ迄愛好しつつ生きていくつもりである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1706回) ..2014/07/08(火) 22:17 No.4801 |
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長いモノには巻かれよう!ぶっ飛ばすなら“イマドキ”長尺ドライバー ダウンスイングでの手と腕(肘)の使い方 http://www.golfdigest.co.jp/golfstyle/neo-athlete/gear/131024/default005.asp#/header/
長いモノには巻かれよう!ぶっ飛ばすなら“イマドキ”長尺ドライバー 肘の使い方(向き) http://www.golfdigest.co.jp/golfstyle/neo-athlete/gear/131024/default006.asp#/header/
ゴルフスウィングに於ける手と腕の使い方は上記の様に使うということこそが正しい。
コレこそが真理なのであります。
従ってこれが出来て居ない限りはどんなクラブを使ったにせよ球はまともに飛んでいきません。
適当には打てても、上級者やプロのようにキチッと打つことは出来ないということなのです。
だから我々アマチュアゴルファーはクラブの追求をする以前にまずこのゴルフスウィングの上での手と腕の正しい使い方の追求を是非行うべきである。
ちなみに私は1999年から2012年までドライヴァーはミズノ300S一本ーヘッド体積が310cc位しかない、しかも100gシャフトの超ハードな仕様ーでもってこの技術を磨いて参りました。
名器自慢ーMIZUNO300Sドライバー http://diamond.jp/articles/-/26559
だから今のデカヘッドのドライヴァーは皆まるで小学校のテストの如くに簡単に感じられるのです。
ただし、其のデカヘッドのドライヴァーに慣れると其の簡単さの中での難しさを感じるようにさえなって来ます。
次第に技術が落ちて来るので、本質的に簡単なものでも決して簡単には思われなくなって来るのが全く不思議なことです。
たとえば鈍行列車と比べれば新幹線は滅茶苦茶に速いがリニア新幹線が出来ればそれでも亀のように遅く感じられるようになることだろう。
古典の萬年筆の鍛造ペン先の中には滅茶苦茶柔軟なものがあるが、実は其れ等ばかり使って居ると皆さほど柔軟に感じられなくなり、また逆に現行の固い圧延ニブのものばかり使って居ると然程其の本質的な固さが分からなくなって仕舞ったりもする。
そうした相対的な感覚の世界というものがこの世には確かにあります。
簡単なクラブにばかり囲まれて居ると其の本質的な簡単さを感じ取れなくなりその代わりに個々のクラブ固有の問題点が大きくクローズアップされる形で出て来て仕舞うものです。
謂わば小さい問題が大きく捉えられて来て仕舞うのかもしれない。
そうなると逆にクラブに於ける大きな問題が見えなくなったり、或は見失って仕舞うことにも繋がりかねない。
其れも上記のようなゴルフスウィングに於ける手と腕の使い方の真理を知らないことだろうアベレージゴルファーは其処で余計にスウィングがダメになっていく可能性もまたあるということです。
でも私はそういうのを知ってますから、勿論そうじゃありませんね。
まあどんなクラブを使って球を打つにせよ、スウィングの基本がダメだと全部が台無しとなるということです。
其の点では万年筆で綺麗な字を書く事以上にゴルフスウィングは難しいですね。
万年筆は所謂小手先で使うものなので確かに力は要りませんがゴルフは大きな道具を振り回して球を飛ばしていくものですから力は要ります。
ところで良くゴルフスウィングには力は要らないとかスコアメイクに飛距離は要らない、力も要らないなどと云われたりして居ますが其れは明らかに間違いです。
基本的に力のある人が力を抑えてプレーするのがゴルフを上達させる一番の近道なのです。
根本的に力が無くドライヴァーショットで最高200Yしか飛ばない人が力を抜いたらさてどうなるのでしょうか?
ゴルフスウィングには力は要らないのではなく適切に力を入れる必要があるのでしょう。
特に非力な人程むしろ適切に力を入れてゴルフスウィングを行う必要がある。
何故なら200Yのドライヴァーショットと300Yのドライヴァーショットではまさに月とスッポンの差があるからです。
さて、私は今、より飛距離を伸ばす為のドライヴァーの長尺化に取り組んで居る訳です。
私は身長が170センチに届かず、それでも昔は所謂中背でしたが今の時代では背が小さい方です。
それでもパワーヒッターであるということは筋力があるということです。
然し、プロモデルなどの重くて難しいクラブで平均280Y飛ばすーコースでーということは実際大変です。
私は身長に合わせて腕も短い方なので元々スウィングアークも大きくはありませんから筋力だけに頼って飛ばすということになり大変です。
其れに加え年齢的にもプロモデルなどの重くて芯の小さい難しいクラブを振り回すことが次第に辛くなって来て居ることも確かです。
でも、今の簡単なドライヴァーならばまだまだ振り回すことが出来るということなのだろう。
其れを振り回して何とか平均280Yの飛距離が欲しいということなのです。
だとすればドライヴァーの長尺化で飛距離を稼ぐ方向に持っていくしかないことと思われる。
“イマドキ”長尺 impression http://www.golfdigest.co.jp/golfstyle/neo-athlete/gear/131024/default010.asp#/header/
今時の長尺ドライヴァーを実際に打ってみた感覚から言えば、今長尺と云えるものは実測47インチ以上のシャフトの付いたものに限られます。
勿論46や46.5インチのクラブも打って居りますが此等は実感的に物凄く飛ぶという感じではありません。
どうも47インチのシャフトからはっきりと飛ぶようになります。
より明らかにHSが上がり球がより速く飛び出していくので飛ぶようになる訳です。
尚、以下のような低価格長尺ドライヴァーもあり、実は私もコレを一本持って居ます。
ツアーエッジ Tour Edge バックドラフト GT+ ドライバー BACKDRAFT GT+ GRAPHITE 【USモデル】 http://shop.golfdigest.co.jp/outlet/f/dmg_0000418847_genre_001001
これだけ安くて、46インチシャフト付きで、今流行りの白いUFOのようなヘッドのドライヴァーです。
コレを使ってみたところでの私の感想は○です。
結構叩けて真っ直ぐに飛んで呉れます。
私のはSシャフトですが、US仕様なのでかなりに固くてハードに感じられます。
ところがヘッドの方は芯が広く簡単に打てる。
何せSシャフトはハード仕様で重さも322gもあり余り飛ばない感じもするが、方向性の良さからコース再デビューの時にも使おうかと思って居るクラブです。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1707回) ..2014/07/08(火) 22:17 No.4802 |
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第一、この値段でまともな46インチのドライヴァーが新品で買えるということ自体が驚きでした。
ただしコレが47インチでもっと軽くあればおそらくもっと飛距離が出ていたであろうにと思うと少し残念なところです。
でも長尺ということを全く意識させられることなく使えるので長尺クラブの入門用としてはかなりに良いクラブである。
つまり、安いモノでも充分に使えるものが今はあるということなのです。
もっとも、其れは万年筆の方でもそう云えることなのかもしれない。
安い万年筆でも良いものに巡り合える確率は常にあります。
さて、長尺ドライヴァーは昔からあり、其れは特に非力なシニアゴルファーや女性の為のクラブだったような気がして居ます。
勿論プロの中でも長尺ドライヴァーを使って居る人は居ましたが其れもあくまでも少数派の試みであった訳です。
私個人は、かって長尺ドライヴァーには全く興味がありませんでした。
何故なら昔の長尺ドライヴァーは軽くて打ちにくい、それこそ年寄りや女性向きの仕様のものにすべからく感じられて居た。
でも今の長尺ドライヴァーは実はそういうものではありません。
壮年ゴルファー向けの、其れもパワーヒッター向けのモデルが続々と出されて来て居るのです。
ところが一般的にはまだこの情報が広まって居らず、よって私の周りにもドライヴァーの長尺化には関心の薄い人がほとんどなのです。
が、今の長尺ドライヴァーは明らかに飛びます。
其れも47インチ以上のシャフトを選択し、かつ其の長さのシャフトを振り切るだけのパワーがあれば飛ぶということです。
ところが非力ですと、其れが振り切れないので逆に飛ばなくなって仕舞うのです。
ーただし非力な人向けの軽い長尺ドライヴァーも色々と用意されて居る筈です。ー
或は力があっても長尺ドライヴァーが合わないスウィングタイプの人さえ居るのです。
でも幸いなことに私には長尺ドライヴァーが合っていました。
其れでこうして今時の長尺ドライヴァーを色々と打ち比べ飛距離を伸ばす追求を行なって来て居るのです。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1708回) ..2014/07/13(日) 20:25 No.4803 |
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長尺ドライヴァーの先駆者であるフォーティーン社のCT-112と呼ばれるモデルは同社の30周年特別モデルであり2012年に発売されて居る。
そしてこのドライヴァーは特別なクラブである。
何が特別なのかと言うと、1.飛びを目一杯に追求したドライヴァーであること2.稀に見る美しさを備えたドライヴァーであることの二点に於いて特別なモデルなのである。
私はこれまでに様々な美しいドライヴァーを見て来て居るのだけれど、今世紀になってからはこんなに美しいと思えるクラブを見たことは無かった。
兎に角其れ位に美しいクラブなのである。
このモデルは当時飛ぶように売れて、そして今でも比較的高値で取引きされて来て居るのだろう。
実は私も一本ストックして居るのだが、なかなか使う踏ん切りがつかずいまだに未使用で部屋に飾ってある状態である。
新品【フォーティーン】特別モデルCT112/純正SR/10.5度 /47inch http://page17.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v356665050
丁度今オークションの方でも新品が出品されて居るところだ。
ただし私のCT-112は46.5インチシャフトで9度のロフトのモデルである。
フォーティーンのシャフトは46.5インチで実測47インチあり、実際にはとても長いのである。
47インチモデルだと実測48インチ弱ー47.75インチーとなり、これはもう相当に長くなる。
CT-112のヘッドは460ccの大型ヘッドながら、所謂簡単クラブ系の平べったい形ではなく塊感が強い形状なので構えた時に小型のヘッドに見えて仕舞う。
それでもって47.75インチものシャフトが付いて居ると非常に長い棒の先に小さなヘッドが付いて居る様に見え振った時に正確に当たるようには思えなくなるのである。
従ってかって私は実測47インチの方を選んで手に入れたのである。
それから、シャフトは長くなればなる程飛ぶようにはなるが、其処で同時に振り切ることが難しくなり確実にミートする確率も下がって来るものと相場が決まって居るものだ。
だからこそかってプロゴルファーの面々は長尺クラブを使って居なかったのである。
50m秒前後はある筈であろう彼等のHSならば45インチの普通の長さのシャフトでも充分に飛んで居たのだ。
然し非力なプロゴルファーやシニアのプロゴルファーーあの杉原 輝雄さんのようなーは屡長尺を試して居たものだった。
ところがかっての長尺は実は余り良いモデルが無く打ちにくくミート率の悪いクラブが多かったのである。
ところがそんな中でフォーティーン社はいち早く長尺ドライヴァーの飛びの優位性を評価し、そしてもう長く長尺ドライヴァーの開発と販売に携わって来て居るのだ。
だから長尺ドライヴァーの何たるかということが良く分かって居るメーカーだと云えることだろう。
そんなフォーティーン社の30周年特別モデルとして販売されたCT-112はスペック的には競技志向の感じられる本格モデルながら、見た目にはまるで女性向きと言っても良い位の美しい姿をした長尺ドライヴァーなのである。
実際、私のCT-112は、私の持って居るドライヴァーの中でも群を抜いて其の姿が美しい。
グリップなど部分的には華奢な感じさえするクラブである。
基調カラーはダークブルーなので其れもまた美しく、黒を基調とした他社のプロモデルドライヴァーのような戦闘的なイメージは無いと言える。
ところがヘッドはハイバック形状で、例の簡単に打てるシャローバック形状では無いので結構ハードヒッター向けのクラブでもある。
シャフトもSならば普通にしっかりした硬さのあるもので、決して簡単に打てるというものではない筈である。
其の点ではこのクラブも基本は戦闘に向いたクラブでもある。
でも兎に角美しい。
トータルなデザインが戦闘の方ではなく何やら美的な世界の方を向いて居るのでどこかしら文学的、情緒的な、或は絵画的、デザイン的な美しさを感じさせて呉れるものだ。
まあ実際にはゴルフに於ける競技、男の技量の磨きあいの場にも使える本質を持ったクラブなのだけれど見た分には藝術的センスを其処にそこはかとなく感じて仕舞うという稀有なモデルなのである。
フォーティーンCT-112 その、驚きの飛びに迫る http://www.golfdigest.co.jp/special/1210fourteen/?car=rb-md-prf
フォーティーン「CT-112」ー金谷多一朗プロによる試打解説ー http://www.golfdigest.co.jp/special/1210fourteen/121022_01.asp
ただし、現在はもっと飛ぶであろうドライヴァーも色々と出て来て居ることだろう。
ゴルフギアの世界はまさに日進月歩の世界となって居り、毎年数多くのニューモデルが出され次々に飛距離の記録が更新される状態となって居る。
激飛びドライバー ゲロンディを徹底試打&検証 http://www.golfdigest.co.jp/special/1311fourteen/?car=gr-dmg
たとえばこちらが現在のフォーティーン社の最新ドライヴァーである。
おそらくはこのニューゲロンディの方がCT-112よりも飛んで居ることだろう。
でも正直コレは余り美しくは感じられない。
こと美しさということに限れば、前のモデルであるCT-112の方が遥かに美しい。
美しさとクラブの性能ー数値上のーには余り関係が無いことかと思われるのですが、美しい形状や仕上げが施された上質なクラブを一部のアスリートゴルファーが昔から好んで来て居ることもまた確かなことなのである。
例えば、私が長年使って来たミズノ300Sドライヴァーは飛び切り美しいドライヴァーだという評価が確立されていたものだ。
其の300Sドライヴァーは塗装が矢張りディープブルーで其の色合いがとても美しかったのだったが、そう言えばこのCT-112も其のディープブルーで纏められたモデルなのである。
そして300Sドライヴァーも当時の激飛びドライヴァーだった訳で、其の点に於いてもCT-112との共通点を感じさせて呉れるのである。
だからこのCT-112こそが長年に亘り私にとってのエースドライヴァーであった300Sの後継モデルとなるであろう確率が高い。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1709回) ..2014/07/13(日) 20:25 No.4804 |
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ただし其れも打ってみなくちゃ分からない。
ゴルフの道具は万年筆以上に個性との適否の判断が難しく、従って打ってみたら意外と飛んで居たり、或は逆に全然飛ばなかったりと結果の予測が難しいものなのである。
さて、CT-112はクラブの長さ、ヘッド体積、高反発力というその3つのスペックをルールぎりぎりまで極めたという長尺ドライヴァーなのである。
1.長尺の為のシャフトー手元と先端の剛性を高め長尺としても振り易く設計されて居る。あえて高トルクシャフトとしてスゥイングのタイミングを取り易いようにしてある。 ークロトドライヴァーの無双シャフトもXSながら高トルクシャフトとなって居りコレが意外に振り易い。ー
2.ヘッド体積は矢張り少ないものよりも多いものの方が楽に飛ばせるようである。 ーそれも本当は重いヘッドで其れを振り切って飛ばす方が飛ぶのである。軽すぎるヘッドでは打球の球質が軽くなり飛ばないとも言える。ー
3.反発規制ギリギリのフェースだからこそ飛ぶのである。 ークロトドライヴァーの場合はルール適合外の高反発フェースだがCT-112の場合はルール適合内の反発力にとどめられて居る。ー
1.長尺の為のシャフトは非常に難しいものですが最近の長尺シャフトは本当に良くなって、まさに長尺であることを意識せずに普通に振るだけで普通に打てるという感じである。つまり昔の長尺クラブのような、長尺用の特殊な打ち方をする必要がなくなったのだ。
2.私の経験では460ccのヘッドは、たとえば少し小振りの425ccのヘッドよりもずっと楽に打てるようになる。ちなみに最近逆に小振りのヘッドも一部のアスリートモデルに設定される傾向が出て来て居るようですが、私の場合はあくまで460ccのヘッドを使っていきたいと思って居る。
3.高反発フェースのドライヴァーは矢張り飛ぶ。ただし、高反発フェースは割れ易いので常に注意が必要である。HSの速い人は特に要注意である。ちなみに高反発フェースには超高反発という仕様もあり、其れを打ってみたことは無いが其れは矢張り飛ぶのであろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1712回) ..2014/07/20(日) 15:42 No.4807 |
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【フォーティーン】特別モデルCT112の使用感について
1.あくまで美しい、良いドライヴァーである。 2.Sシャフト付きの実測47インチモデルの選択は私の場合には正解。実測47.75インチモデルの方はおそらく合わなかったことだろう。 3.されど総合的にはアスリート向けの難しいドライヴァーである。球が曲がり易いヘッドであるということから其のように言える。 4.従って私のエースドライヴァーにはなり得ない存在である。然しインテンショナルに球を曲げてコースを攻めていく上級者には向いて居ることだろう。でもこのクラブをエースドライヴァーとするには、少なくともシングル級の腕前が必要である。 5.打音が素晴らしく、正しく打てれば飛距離も出る。然し芯はそれほど広くはなく意外とピーキーな感じもする。
結論的に、ハイバックで塊感のあるヘッドの場合にはそれほど簡単に打てるクラブにはならないということなのだろう。
ただし、このドライヴァーを打ちこなせるようにしていくという方向性は確かにある。
時間はかかるが、其れは可能である。
だが、すでにアイアンセットの方をナイキのプロコンポに替えて仕舞って居る手前、矢張りもう少し易しいヘッドのドライヴァーでゴルフを追求していく方が私の場合はより楽なのである。
結局楽をして仕舞うということになる訳なのだが、其の楽ということにも実はそうなるべき必然性のようなものがある。
いまどきのゴルフクラブは本当にやさしいのか!? http://www.analyze2005.com/mkblogneo/?p=8058
以上でマーク金井氏が非常に分かり易く現行のクラブを分析して述べて居られます。
要約すると、今時のドライヴァーは慣性モーメントが大きくなり易しくなったように感じられるが其の実はヘッドの挙動をコントロールしにくくなって仕舞って居り、スゥイングの完成していないアマチュアゴルファーにとっては必ずしも簡単に打てるクラブとはなって居ないという内容である。
そしてこれは、実に鋭い、まさにゴルフクラブの真実を突いた指摘である。
私も以前から今のクラブは簡単なようで居て実は難しいのではないだろうかと、そう練習場で球を打ちながらずっと思わされて来て居たのだった。
でも明らかに昔のクラブよりは楽に打て、そして飛距離の点ではまさに桁違いのものが出していけるのが今のクラブなのである。
それでもどうも方向性が安定しない部分があり、特に私のようなスゥイングが真の意味では固まって居ないハードヒッターの場合には其のブレが大きく出て仕舞って居たのである。
このマーク金井氏の鋭い分析も考慮して、結局私は今後プロモデル系のハイバックのヘッドのドライヴァーを使わないことにしていくこととした。
ただし、CT112はあえて球を曲げて打つ時に練習することの出来るクラブだから今後も勿論使っていく。
然しエースドライヴァーはあくまでクロトの方で行くことにしてみた。
実際クロトはCT112と比べると遥かに楽に打て、かつ直進性が良く球が曲がらないドライヴァーである。
私のような方向性に難のあるハードヒッターにはこちらの方が合って居たのである。
とは云え、クロトドライヴァーでもヘッドの挙動のコントロールの難しさからの根本的な方向性の不安定ということは、今時のクラブの特徴として其処にどうしても残って仕舞うということになる。
CT112のように右に左にと曲がるようなスピンがかからなくても、たとえばヒッカケが出たりすることはどうしてもある訳である。
然し、其れは現在のような慣性モーメントが大きいドライヴァーの宿命のようなものであるのかもしれない。
逆に慣性モーメントが小さい昔のドライヴァーはヘッドの返しの挙動を安定させて居られたのだろう。
ただし、あくまでも慣性モーメントが大きい今時のドライヴァーは芯を外して打った場合にもヘッドの挙動、方向性とも安定しているということなのである。
其の代わりに操作性の方がよろしく無いので全部が全部簡単に打てるようになるということではないのだろう。
つまり、より楽には打てるようになったがあくまで簡単ではないという一種ややこしい今時のドライヴァーと云う事になる。
尚ドライヴァーのヘッドは大きければ大きいほど慣性モーメントが大きくなり、それで其処で芯を外して打った場合にも其の時点でのヘッドのブレが少なくなりかつ方向性も安定するということとなる。
つまり重心距離が長い、慣性モーメントが大きいクラブほど球を打った時点での球の軌道は安定し芯を外して打ったとしても飛距離のロスが少ないのである。
このようにこの辺りは完全に物理学の世界となる訳なのだが、言うまでもなく自然科学が提示するところでの部分的真理は此の世で最も正確な物の動きに関する原理なのでもある。
ゆえに現在のゴルフクラブは実はこのように非常に科学的な世界のものともなって居るのである。
ただし、厄介なことに科学上の数値を理想に近づければそれで良いかというと必ずしもそうはならない点が全く不思議な点なのである。
慣性モーメントが大きい打ち易くより楽に打てるクラブを作ったにせよ、其れは反面操作性の悪いクラブとなって仕舞うので打ち方によっては逆に本質的に打ちにくいクラブとなって仕舞うのである。
この辺りは全く面白い。文明批判の方とも一脈通ずる部分のある現象なのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1713回) ..2014/07/20(日) 15:42 No.4808 |
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然しながら球を飛ばすには、これは、もう、絶対に最近のドライヴァーの方が有利なのである。
其れがたとえ本質的には操作性の悪いクラブなのではあっても、物理法則の上で客観的真理としてそのことは存在して居るのである。
其れもドライヴァーのヘッドの形状がハイバックになって居るタイプよりもシャローバックとなって居るタイプの方がより楽に球が上がり方向性も良くなるのである。
そうしたことを踏まえて私はクロトドライヴァーの方をメインで使っていこうと決めたのである。
現代のチタンヘッドのドライヴァーは本質的には操作性は良くなく、従って根がそうしたものであるのならばむしろよりオートマチックに打ち易いものの方が良いことだろうと其処で結論づけたのである。
実際に現在練習して居て最も確率が高く飛んで曲がらない球が打てるのはクロトドライヴァーである。
だからクロトの黒い限定モデルの方を是非どこかで探し出して入手しておきたいと思っているところだ。
今は本当に様々なドライヴァーが市販されて居るのだけれど、飛んで曲がらずしかも確率高くナイスショットが可能なクラブを見つけ出すことは案外難しいものなのである。
尚ジオテックのクロトドライヴァーは入手が難しいクラブなのだと言える。
所謂地クラブであくまで全国的には有名メーカーではないこともあり、オークションなどにも出て居る数が少なく安く入手出来ないのである。
私はたまたまオークションで半額で入手出来たのだったが、ジオテックの方で買えば結構高価なクラブとなって仕舞う。
それでも此のクラブはまさにおススメのドライヴァーである。
そして個人的には限定品の方でもう一本是非欲しいクラブである。
ジオテック クロト RE14 SLE (GEOTECH Quelot RE14 SLE) https://www.youtube.com/watch?v=pQkn1UDTr1c ーこちらは限定品ではない黒いクロトドライヴァーー
このクラブの一番良いところは、深重心で慣性モーメントが大きいドライヴァーなのに工夫を凝らし操作性の方を高めて居るところと、もうひとつはヘッドがシャローバックの形状であるにも関わらず今流行りの高打ち出し角で低スピンの打球が出る設計となって居り、ゆえに重い高めの弾道で飛びハードヒットしても吹け上がったりしないところである。
ゆえにシニアのハードヒッターにはまさにピッタリという感じの最高のゴルフギアである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1714回) ..2014/07/22(火) 00:22 No.4809 |
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とは云えCT112は本格性がありかつ仕上げの方も美しい、なかなか良いドライヴァーである。
本日練習場で100球程打ち込んでみて其のように感じられました。
打ち方が真の意味で固まったらむしろこちらの方で行くべきなのかもしれない。
と言うのも、どうもクロトの方を前回褒め過ぎて居たきらいもある。
クロトで分からないのは時折物凄く高い棒球ー所謂フケ球ではないーが出てその時には高く上がる分飛距離は余り出ていないということである。
ただしトータル的に見ればクロトの方向性の良さと飛距離性能は素晴らしい。
或はシャフトが良いので打ち易いのかもしれないのだが。
尚本日の練習はハードなものとなり久し振りにですが何と480球も打ち込んで来て仕舞った。
多分この地域のアマチュアゴルファーの中では今日私の練習量が一番だったのかもしれない。
幾ら練習量が多くてもダメである場合も確かにある訳ですが、私の場合は練習量の多さでもってスゥイングの真理を見極めていくタイプなのでこの位はたまにどうしても必要な量である。
其れもモロに陽の当たる三階打席で五時間位かけてそれだけ打つのであるから一般人の場合はまずこの練習量にはついてこれない。
余程に練習量の多いシングルさんならともかく、普通の人ではまず熱中症でもって確実に倒れることだろう。
私は夏に強く暑さに対しては全くのへいちゃらだから今日のように三十三度の気温の中でもこのように長時間のハードな練習が可能なのである。
お陰で今年はすでに顔や腕が日に焼けきって居て真っ黒だ。
しかも私は其の480球のうちの300球位をすべてドライヴァーショットのフルスイングで打って居るのだから其の運動量と発熱量は半端ではない。
其れもまるで鬼のような形相をして、首には土方のようにタオルを巻いて、しかも右手にも手袋をしてというまさに土木作業のオッサンのような出で立ちでしこたま球を打つのでどうしても場から浮くというか目立って仕舞う。
ー実は実際に練習場のすぐ横にあるワークマンで手袋を買って来て居る。右左セットで薄い豚革の白い物がたったの三百円である。しかも見たところは完全にゴルフの手袋にしか見えない。私は練習量が並ではないので手袋が破れるのも早く、それでそうしたものを探し出して使って来て居るのである。ー
私のゴルフはそうした実に泥臭いもので、だから知的にお上品にプレイしましょうなんてのは我慢がならずそのようにドロドロ、ボロボロになりながらゴルフスゥイングの真理を見極めていくのであり、まさに其れは闘いであり真理への道程であり修行の世界のようなものなのである。
今日は打ち方が比較的良かったのかほとんど疲れて居ないので先程花火も見て来た。
天白川という川の土手から其の花火が見られるので自転車で行き見て来たのである。
其のようなことをして居るとやはり夏は動いて居るに限るとそう思うのである。
通常良く考えられるような暑いから動かないというのは、実は体に良くないのだ。
夏に汗をかき切る程に運動すると私の場合は至極体の調子が良くなるのである。
逆に冬は寒いから動けない。
然しながら其れこそが自然の摂理というものではないのだろうか。
もっとも私の場合は冬でも勿論ゴルフの練習である。
大晦日や正月の三が日などは極寒の中半日位かけて球を打って居る場合さえある。
ところでゴルフは藝術であり宗教であると突然私が言い出すと皆様はついに私の気が狂ったのではないかと思われるのではないだろうか。
然し、ゴルフとは本当に藝術であり宗教なのである。
今日練習をしながらふいにそう思い至ったのである。
謂わばゴルフスゥイングの真理を個別にイメージ化することは創造的行為であり其処で成ったイメージは個性による作品である。
ゆえに其の作業は藝術に於ける創造の過程とほとんど同じ様なものである。
また其のイメージはゴルフスゥイングに於ける客観的普遍的真実と乖離するものであってはならない筈で、其のように其の創造物もまた真理という大枠で規定されているのであるから其れは宗教に規定されし創造的行為のようなものでもまたあり得るのだ。
だからゴルフとは本当に藝術であり宗教なのである。
なので結局ゴルフは私に向いているのかなあなどと今日少し思ったりも致しました。
さてまたあれこれと旧モデルドライヴァーの長尺仕様物を試してみようとして居る私です。
次に試してみるのはマルマンのLX460という旧モデルドライヴァーの47インチ仕様である。
なぜならマルマンのクラブを外すわけにはいかず、其れでオークションで探して居たらたまたま47インチへシャフトを延長したものが出ていたのであった。
このドライヴァーは46インチシャフトなら安くしかも沢山オークションには出されて居るが、47インチへシャフトを延長したものはこれ以外にはまず出て来ないことだろう。
其れを今週中に打ってみるつもりである。
ちなみにドライヴァークラブの追求からマルマンのクラブを外すわけにはいかない理由は、三十年前、私はマルマンのパーシモンヘッドのドライヴァーでゴルフを覚えたからなのである。
マルマンのクラブは其の時以来だからもう本当に懐かしい感じがして居るのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1715回) ..2014/07/22(火) 00:23 No.4810 |
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HONMA BERES S-03 http://www.honmagolf.co.jp/jp/item/club/driver_s_03.html
また他にもこんな魅力的なモデルもある。
何故魅力的なのかというと、昔から本間のクラブはゴルフが良く分かった人の為のゴルフギアであるということが良く云われたりして居たものだから結構興味深いのである。
丁度万年筆が良く分かった人はモンブランだとか何だとか、そんな風に良く云われたりして居ることと同じで、何でか良く分からんが兎に角本間のクラブは本物のクラブで高級かつ値段が高いという感じが若い頃からしていたものだった。
其れが、最近仲が良くなったS氏ー職場の同僚ーの使用クラブが其の本間のクラブだったのである。ードライヴァーとアイアンのすべてがー
S氏は流石に元管理職の方らしく色々と趣味が高級で、それと兎に角ゴルフが大好きで年配者の割には練習量が多い方のゴルファーである。
其れでいつかこの方と共にコースへ行くということになって仕舞ったのだが其れがいつのことになるのやら、何せ私自身としてはまだOKが出せて居ない状態なので当然すぐに行くという訳にはいかないのである。
S氏が現在使って居られる本間のアイアンセットは15年位前に80万円もしたクラブだったそうだがそういえばそんな高いクラブが本間には常にあったような気がしている。
ドライヴァーの方は或は上のものなのかもしれない。
S氏は私よりずっと年上の方なので、つまり爺さんの方に近い方なので飛距離の方は私やO先生の比ではない。
でも練習量が多いからか流石に良い球を打って居られる。
だから多分今すぐにコースへ出ればスコアの上ではおそらくかなわないことだろう。
何せ月に二、三回はコースを回って居る方なのである。
そんな訳で最近何故か本間のクラブの世界にも興味が出て来て仕舞った。
本間のドライヴァーは良く飛ぶと以前から云われて来ており、実際にドラコンプロなどが屡使ったりして来て居るそうである。
でもどうも本間のクラブは高級志向が強くしかも小金持ちのオジさんゴルファーが使うというイメージがあり、其れで結局私とは無縁の世界のものだと思って居たのだったが何故だか急に私の方に近づいて来たのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1716回) ..2014/07/23(水) 23:41 No.4811 |
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マルマンのLX460 47インチシャフト仕様の使用感について
1.アベレージゴルファー向けのフックフェースの薄型セミシャローバックヘッドでしかもヘッド重量が軽くおまけに10.5度ロフトなので実に楽に打てる。 2.47インチシャフトはSRのフレックスの軽いシャフトなのでこちらも楽に振り切ることが出来る。 3.ゆえに私にはスペック的に少々プアー過ぎた。球が上がり過ぎるし全部フックの球が出る。 4.ただし飛ぶ。今までのドライヴァーで一番飛んで居るのは確かだ。 5.物凄いフックで天白練習場のネットを攻めると中段から上段へと吸い込まれていく。
1.球を飛ばすことだけを考えるとディープフェースでハイバックの分厚いヘッドのドライヴァーよりもシャローバックでヘッドの平たい形のドライヴァーの方が或いは飛ぶのかもしれない。 2.47インチシャフトはSRだろうがSだろうが振り切れれば全部飛ぶものだ。ただし私の場合には出来ればSの方がより望ましかった。 3.が、実は自分にとって楽なスペックのクラブこそが飛ぶのである。何故かというとより速く鋭く振り切れるからなのである。重量にしても、このクラブ は301gと長尺にしても私には軽いクラブだから一発目からブンブン振り回せたのである。 それで、いきなりネットの中段に突き刺さる球が出た。その後は軽過ぎることが分かり、それでもお構いなしに振っていたところ、物凄いフックの球筋になって来た。 其のどフックでネットの中段に突き刺さる球は下手をすると実測で280Y位は飛んで居る可能性もある。
6.ただし球が吹け上がることも屡ある。其の場合は勿論飛んでいないということになる。 7.所謂チーピンも出る。ゆえに危険なのでコースでは使えないドライヴァーである。謂わば私にとっては練習場用のドラコンクラブである。
本日先程迄天白練習場三階打席においてLX460で打っていたところ、子供連れのお父さんーそういえば丁度夏休みだーが通りがかり私の打球を暫く見ていたが二人共凄い!を連発して居た。
さてここでひとつ重要な側面が出て来たのである。
プロモデル系のディープフェースでハイバックのドライヴァーは本当に飛ぶと云えるのだろうか。
試しにCT112を打ってみたところ、低い弾道で強い球が打てるが矢張り結構難しい。
このクラブを打ちこなすには基本的に高い技術が必要なのだ。
それでもついにスゥイングが固まったと云える私には勿論コレで行くことも出来る。
そう、ついにスゥイングイメージに於ける迷いが無くなったのである。
全てが分かった。
スゥイングを悟った。
ついに成道した。
ああ、ついに我はゴルフの仏陀となった。
ゴルフの仏陀は凄い球を放つがそんなことはこんなネットなどで述べて居るよりも実物を見て頂ければ其の凄みと其処まで仕上げていくに至った努力の凄まじさの両方を実感出来る筈なのである。
だから私はもうじきにネットからはサヨナラして本気でシングルさんを目指してやっていくんだよ。
多分もうじきコースへも出るようになるのだろうし、ひょっとすると競技会などへも出るようになるのかもしれない。
さて15年位前のことだったか、当時あの小松製作所の所長にまでなっていた叔父が胃癌で入院して居たのであった。
その更に五年ほど前、たまたま家へ来た叔父と天白練習場で一緒に練習したのである。
其の折に叔父は私のロングアイアンでのショットに目を丸くして居た。
普通は皆上手く打てない筈の4Iを○×はそこまで打てるのか。
私が病院へ見舞いにいくと、叔父はまるで死を覚悟するかのような顔をして居たが、私には一言、もし命が助かったらゴルフをしこたまやりたい、とそう言っていた。
叔父は其の後命が助かり、現在も勿論元気に存命中である。
仕事の方はもう随分前に定年を迎えたが、其の後は数々の競技会にも出て、まさにゴルフ三昧の日々を貫いて居るようである。
この件から私は、時にゴルフという遊びは生き甲斐にもなり得るのだと悟った。
場合によっては男が其処まで打ち込めるスポーツなのである。
「100を切れば友達なくす。90を切れば家庭をなくす。80を切れば仕事をなくす。しかし70を切れば全てが戻ってくる。」とゴルフの世界では屡云われていたりもします。
ゴルフは其処まで人を虜にするスポーツでもあるということなのである。
実際いかにも家庭を大事にする良き旦那様といったような人でゴルフの上手い人を見たことがありません。
小金持ちでもない限り、普通のサラリーマンの家庭ではゴルフはまさに敵なのである。
実際ゴルフは金食い虫で、それも毎年次から次へと高価なクラブが出されて来ますので其の代金だけでも大変なのに、其れに加えて練習場の練習代やコースでのプレイフィーがかかって来る、のみならずガソリン代や高速代や食事代、その他諸の金がかかりこれはもうとんでもない散財が強いられるスポーツなのだ。
それでもゴルフは楽しい。
やって居る本人にとってはもう最高に楽しい。
特に家庭を持たない私には誰にも迷惑をかけずゴルフを続けていけるであろう権利が何よりあろう筈だ。
また其れと同時にゴルフ道を全うするという義務をも負っている筈なのである。
だからこれまで私は本当に頑張ってスゥイングを磨いて来て、其れがついに完成したということなのである。
ちなみにゴルフの話の最終回に其のスゥイング、またはスゥイングイメージについて少しだけ述べたいと思って居ります。
さて、スゥイングイメージが真の意味で完成した私のスゥイングはほぼ固まった。
だから現在は基本的にどんなクラブでも打てる。
昔のクラブだってそれなりに打てるのだし、今のクラブで難しいクラブにしても勿論それなりに打てる。
私にとってはアンダースペックだったマルマンのLX460の長尺モデルにしても、打ち方を少々細工して打てない訳でもない。
LX460は或はドラコン専用、練習場専用のドライヴァーとしては一番面白いクラブなのである。
何せ其の打球を見て皆が驚いて呉れるので其れは大層嬉しいクラブなのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1717回) ..2014/07/23(水) 23:41 No.4812 |
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それで今日考えて居たのは前回までの考えとはまた全く異なり、プロモデル系のディープフェースでハイバックのモデルでもある程度楽に打てるものはあるのではないかということである。
と言うのも、シャローバック系のヘッドのモデルは楽には打てるのだけれど時折飛んでもなく上がるー所謂吹けるのではないのだがー打球が出て仕舞うのである。
パワーヒッターである私にとっては其れがどうも気持ちが悪い。
で、実は昨今其のディープフェースのモデルでも球が楽に上がるようにしてあるドライヴァーが色々と出されて来て居るのだ。
もっともCT112の場合は特に球が楽に上がるという訳ではないのですが、たとえばマルマンにはLX DEEPというモデルも過去に市販されていて、其の試打インプレなどを読む限りは其れが至極簡単に打てるディープフェースのドライヴァーになって居るものらしい。
そういうのも良いが、いっそのことマルマンのプロモデルの方などはどうなのだろうか。
Conductor PRO-X DRIVER https://www.maruman-golf.jp/product/conductor/conductor-pro-x-driver/
う〜む、やっぱしコレでしょう。
まさにシンプルで美しい。そして黒くて強そうだ。
コレに47インチのシャフトを仕込み是非入手したいところだ。
コレが手に入れば、合っても合わなくても、ひとまずドライヴァークラブの追求も終えるということになるのだろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1718回) ..2014/07/26(土) 23:22 No.4813 |
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Conductor PRO-Xの方へ気が向いて居た矢先、ふいに500ccデカヘッド ドライヴァーの追求をしておかなくてはならないことに気がついた。
というのも、ドライヴァーのヘッドは大きければ大きいほど慣性モーメントが大きくなり、それで其処で芯を外して打った場合にも其の時点でのヘッドのブレが少なくなりかつ方向性も安定するということとなるからである。
つまり重心距離が長い、慣性モーメントが大きいクラブほど球を打った時点での球の軌道は安定し芯を外して打ったとしても飛距離のロスが少ないのである。
ただし、重心距離が長いとクラブとして本質的には操作性が悪くなり打ちにくくなる面もまたある。
ではあるが、実感的には重心距離が短くヘッドの小さいドライヴァーというのは芯が狭くて当てるのが難しいし飛ばないしでもはや現在では使う意義が見いだせないものである。
其れ等のクラシックなドライヴァーは、丁度あのL.E.WatermanやONOTOなどの古典の萬年筆が現在では実用品とは捉えられて居らず、ごく一部のペンマニアの間でのみ日々使われて居るのと同じ様なものなのかもしれない。
だから本質的にはむしろ其の古いモデル達の方が現行モデルよりもずっと本格性がありかつモノが良いのだとしても、何でもそうなのだが文明の進歩と共に生み出されて居る物こそが其の時代にとって真の意味で合って居るのでありかつ使い易く出来て居るのである。
そして特にゴルフのクラブの場合は其の傾向性が顕著に見られるのだと云える。
万年筆の場合、戦前の萬年筆なども机上に限定して使えば意外に扱い易く書き易いものなのだが、ゴルフのクラブの場合昔のクラブは操作性の方は良いにしても兎に角飛距離が出ないので其の点では現行クラブとは比べ物にならないのである。
それと需要量が違うのだろうと思う。
ゴルフは比較的メジャーなスポーツで道具は次々と進化していくのが必然のこととなっているのだが、万年筆は現在では一部の筆記マニアに愛好されて居るだけなのであろうから其処で始終変わる必要などは無い。
ということは500ccデカヘッドは多分かなりに操作性の方は悪くなることかと思うが、 実はこの性質自体は私にとって大きな問題となることではないのである。
なぜなら私は現在もゴルフの上級者などではなくただドライヴァーショットでの飛距離を追求してーそのこと自体を楽しんで居るー居るだけなのである。
前回はついゴルフの仏陀になったなどとつい大きな口を叩いてしまったのだが、本当は型で打つ其の型がようやく分かったところの中級者の端くれ位だろうと思う。
ただ、ゴルフ歴の方ばかりは結構長くやって居る訳である。
其れで運動神経が凡庸の割に努力は重ねて来たのでゴルフスゥイングの真理の方へ其の努力がようやく届いて来たのであろう。
操作性の悪い、しかもヘッド体積の容量の規制-460ccまで-を無視した500ccデカヘッドは元々ルール違反なので競技志向の強い上級者のゴルファーにはほとんど興味を持たれて居ないものだ。
ただ、私は今其の上級者では無いのだし、でも腕的には上級の門を敲いても居る訳で従ってやがては其の上級の世界のクラブで長尺化してみたいと思っては居るのですが現在は逆にオートマチックに真っ直ぐ打ててしかも滅茶苦茶に飛ぶクラブを探して居るだけなのである。
すると、うまいことにイオンスポーツにFAIRLINE 500という47インチの長尺クラブが出されて居て、しかもコレがあらゆる面で飛ばしに特化して居るモデルであることが分かった。
イオンスポーツ FAIRLINE 500 http://www.eon.co.jp/fairline/ http://www.eon.co.jp/fairline/performance.html
ここに、抜群の直進力とあるところがまず大変魅力的である。500ccデカヘッドは 460ccヘッドより慣性モーメントが大きくなり、それで其処で芯を外して打った場合にも其の時点でのヘッドのブレが少なくなりかつ方向性も安定するということとなる。 さらにより重心距離が長い、慣性モーメントが大きいクラブとなる訳なので球を打った時点での球の軌道は安定し芯を外して打ったとしても飛距離のロスが少なくなって居る筈である。
飛距離が出る方ではあるが方向性に難のある私にとってはそうした特性、性質は大きな味方となってくれよう筈だ。
ちなみに他にも500ccデカヘッドのドライヴァーは二種程みつけたのだったが、其れ等はシャフトが長尺化されて居ない為おそらく余り飛ばないことだろうと思われる。 500ccデカヘッドは空気抵抗も大きくなるので短いシャフトで目一杯に振ってもHSは速くならないのではないだろうか。
FAIRLINE 500の場合も超高反発フェースで500ccデカヘッドなので本当は規制値ギリギリの48インチも選べるようにして欲しかったところだ。
ただし47インチの方がミート率が上がり操作性の方も多少良くなろう筈なのである。
だから一概には言えない部分ではあるのですが、飛ばしということに限定すればどうも48インチにしておいた方がより面白かったのではなかろうか。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1719回) ..2014/07/26(土) 23:23 No.4814 |
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さてこのクラブはヤフオクの方に安く出されて居たから其れを本日落札したところである。
全く煩悩目一杯に振り回されて来て居る感じの昨今ではありますが、其れもこれも最後の飛ばしの追求の為にということなのである。
ーそれでもあくまで低予算で追求して来て居る。多分コースへ三回行くよりも安上がりでの追求である。ー
ただしこのクラブで気になるのは285gという軽量クラブであることなのである。
其の軽さが私に合うかどうか、然しもし軽過ぎるのであればヘッド又はシャフトに重りを貼るだけなのではあるが。
いずれにせよ、飛ぶクラブの追求に於ける要件は以下の点に集約されて来るのである。
1.長尺化によりHSの増加をはかること。 2.高反発ないしは超高反発フェースであるか高強度、高硬度のフェースであること。 3.ミート率を下げ過ぎない実用性を両立させたクラブであること。
1.47インチの長尺化により確実に飛距離は伸びる。ただし47インチのクラブを振り切れるパワーがあり、かつスゥイングが最低限固まって居ないと長尺ドライヴァーを使いこなすことは難しい。 2.超高反発フェースは薄肉化により割れる可能性もまたある。だがもし割れるのだとしても矢張り飛ばしへの追求を止める訳にはいかない。 3.クロトやこのFAIRLINEの直進性は相当のものがあろう筈だ。むしろ逆にプロモデル系のヘッドのものよりも易しく打てるのであろうから私にとっての実用性はこの種のクラブの方が上となることだろう。
そして今後私が行っていくことだろう飛ばしの追求を纏めてみた。
T.FAIRLINE 500を兎に角打ちこなしドラコン用のエースドライヴァーとなしていくこと。 U.直進性の高い三角形ヘッドに以前から興味があり、テーラーメードなどのその種のクラブを長尺化して使ってみること。 V.マルマンのプロモデルの方にもまだ未練があるのでそちらの方もまたそのうちに何とかしておきたいとは思う。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1722回) ..2014/07/29(火) 23:20 No.4817 |
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何より道具の追求を行うという趣味である点が万年筆の趣味とゴルフの趣味との根本的な共通点である。
万年筆にも道具が合う、合わないということが明らかにあることと同じくして、いや、其れ以上にゴルフの場合には道具が合う、合わないということがよりシヴィアに現れて来るものだ。
が、道具を使う基本としての使用者の技術ということが問われて来るという意味に於いても両者は共通して居り、特にゴルフのスゥイングの場合には完成させることが非常に難しいので上級者程に突き詰めていかないとまるでなって居ないということでそのまま一生終わって仕舞いかねないものなのだ。
万年筆の方も上級者の方々は書道なり硬筆習字なりを履修された方々で、其れでもってどんな万年筆でもって文字を書くにしてもいつも大体同じように美しい日本語を認めていける能力があろうというものだ。
上級者とはそういうもので、単に物質的な面での知識だけではそうはなれないものなのである。
技術が伴ってこその其の道に於ける上級の人々なのである。
ところで、実感的には私にとって万年筆での筆記はむしろ簡単なのだけれどー何せ筆で書く方が余程に難しいのでー、ゴルフのスゥイングの場合は矢張りどうしても難しい、全体こんなに難 しいものが他に此の世にあるのだろうか?、其れはひょっとするとどんなことよりも一番難しいことなのではないのか、などといつもそう感じられて来て居るのである。
其れでゴルフのスゥイングというのは、要するにコツで打つもので完全なコツ打ちのことである。
万年筆の筆記で喩えるならば、其れはカリグラフィーでの書き方のようなものである。
だから其れは一種の高等技術を伴うものなのである。
勿論誰にも出来るというものではないのだ。
カリグラフィーというものは、筆記上の技術ーコツーが得られぬ限り成らない筆記上の表現なのである。
ゴルフのスゥイングも本質的にはそういうもので、スゥイングの上での技術が無くば決して完成されることの無いコツ打ちとしての運動上の表現のことである。
其のコツのイメージを合理的に、或いは客観的に分かる言葉で言い表すことは実はかなりに難しいことである。
多分一ゴルファーが悟った内容を普遍性を持つ言葉の段階へと翻訳していくことが難しいのだろう。
だからプロゴルファーなどでも其れを一言で言い表して呉れる事を期待するべくもないのである。
其れで大抵は其の悟った内容を部分的に分解し、所謂部分論が展開されていくこととなる。
プロや上級者のレッスンというものはそうした類のものが多いことだろう。
勿論一言で云って居る内容が無いとは言えない訳ですが、それでも大抵は部分的かつ複雑な教えに終始され我我アマチュアゴルファーには其れが煩雑過ぎ余計に訳が分からないものになって仕舞う事が多い。
其れで、私の場合は前々から語って居るように、幾つもの正しいイメージの集積ではなく、一言だけ、其の一発だけの単純明快なイメージでもってゴルフのスゥイングを完成させようとして来たのだ。
ズバリ言えば、其の究極のイメージとは、上から下へ落とす、というものである。
其れもバックスゥイングの開始と同時に上から下へ真っ直ぐに動かすのである。
然し何で上から下へなんだ、バックスイングの始動とは、腕を上げていくのだからむしろ下から上へ、ではないのか?
いや、結果的に腕は確かに上へ上がっていくのだけれど、あくまで其処で腕を上げていくのでは無いのである。
何故なら実は腕を上げていくと腕が体から離れつまり浮き、クラブが正しいスゥイングプレーンには乗らないのである。
だから其処を逆に捉えるのだ。
腕を上げるということは、むしろ肩を下げるということなのである。
つまり左肩の方を下げていくことなのである。
だから腕などはむしろ初めから意識して居ない方がよろしい。
のみならずクラブも手も全く意識しない。
さて、ここでアドレスの形を作るとしてみよう。
其れも分かり易くする為にドライヴァーショットでのアドレスの形を作る。
すると、自然と左の肩の方が上がって居て右の肩の方が下がって居る形となる。
次にこの位置関係の落差を頭の中で増幅して捉えてみる。
すると相当に高い左肩の方から 地面の右肩の方へと崖が出来て居るというイメージが組み上がる。
其の落差を飛び降りるのだ。
誰が飛び降りるのかというと、勿論人間がという訳ではなく左肩自身が飛び降りるのである。
其の飛び降りは必然的に一直線となり放物線でもなくまた他のややこしい曲線でも無い。
だから至極簡単なのだ。
非常にシンプルな直線打法なのである。
左肩が崖を飛び降りて右肩の地面の位置へと動くのである。
そしてこれこそがバックスゥイングの始動からトップへかけての運動の要領である。
尚飛び降りて居る時には自然落下の状態にあるのでどこぞに変な力を入れている必要などはどこにも無い。
兎に角一直線に上の左を下の右へと下ろす、ないしは飛び降りる。
或は其処では左と右が重層的に重なっているものとして、其の落差を上の左から下の右へと落とすと考えてみても良いことだろう。
兎に角左肩と右肩の位置の落差を実際よりも増幅して捉え其の落差を直線的に落としていくということこそがこの打法のミソの部分なのである。
すると腕は其の肩の直線運動につれて自然に上へ上がっていく。
其の場合に腕が体から離れるというアマチュアゴルファーに最も多い悪癖を治すことさえ出来る。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1723回) ..2014/07/29(火) 23:23 No.4818 |
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そして此の打法を実践すると上級者のスゥイングへと自己流のスゥイングが矯正されていくこととなる。
すると、まずミート率が上がり良い当たり、良い打感、良い打音、がずっと続いて出せるようになって来る。
それから芯に当たる確率も高まるので平均飛距離も伸びる。
要するにまさにそういうことなのである。
私が前々からインテリのO先生に語って居たのは、ゴルフのスゥイングを真の意味で完成させるには是非直線運動のイメージが必要であろう筈だということなのであった。インテリでもO先生は其れを聞いてチンプンカンプンに思ったそうなのだが、私には自称の詩人としての直観によりすでに其のように捉えられて居るものなので其れはもはや真理そのもののことなのである。
其れで近く真理の直線の具体的なイメージというものが分かることだろうと思っていたのだったが、案の定其れがこの七月になって私のもとへと舞い降りて来た。
通常ゴルフスゥイングというものは、直線ではなく回転だとか弧であるとか兎に角其のように曲線のイメージでもって捉えていられ易い。
またスゥイングの弧とはつまりは円周のことなのであり、無論のこと其れも明らかに曲線なのである。
然し、其の曲線のイメージでゴルフのスゥイングを捉えていくことは誤りである。特にアマチュアゴルファーは、其の誤った曲線のイメージでもってゴルフのスゥイングを捉えていくことが多い故に真の意味での己のゴルフスゥイングを完成させられないのである。 実際ゴルフスゥイングというものは上級者のレヴェルに於いては直線的なイメージでもって語られて居ることが多い。
曰く、手首は縦に使う、グリップエンドを地面へ向かって真っ直ぐ落とす、或は腰を切る、クラブーシャフトーを立てて振る。
などとは屡云われて来て居ることなのである。
故にアマチュアゴルファーがあの宮里藍のように大きなスゥイングアークでもって曲線的に大きなスゥイングをしようとしたら其れは大間違いだ。
大きなスゥイングアークとは実は小さな、そして鋭い動きから生まれて居るものなのである。 昔から上級者の間ではクラブを小さく振れ、短い腕で振れ、などと云われて来て居るのも其のようなことを言って居るのである。 凡人ー此の場合には運動神経のーはむしろなるべく普通そうなるであろうからそのようにしたいと思って居ることの其の逆を考えてみた方が真理の方角を向いて居る可能性が高いものでもある。
尚、私は昔から曲線よりも直線の方が好きで、 しかも何に対しても真っ直ぐで直情的、人にお愛想が言えず誤魔化しが効かず直接に何かを鷲掴みにしたい性分なので其処を誤解されて人に敬遠されて仕舞うことが実は多い。ー 本当は人よりは少し純粋なだけなのであろうが。ー
だからどんな真理だって直接に真っ直ぐに鷲掴みしたいんだよ。
仏法の真理も、世の中の真相も、万年筆の真理も、ゴルフの真理だって本当は皆そうなのさ。
そういうことで、我がスゥイングイメージは之でもって成った。
スゥイング中は何せ肩が直線運動して居るだけだから当たりが良くなり、結果随分上手くなれたのである。
尚、今回私が述べたのは上級者としてのゴルフのスゥイングの完成の世界へ入っていく為のスゥイングイメージについて述べたのである。ゆえにこれまでに私が此処で語って来たスゥイングイメージとは畢竟其れは中級者の為のスゥイングイメージにほかならなかったものである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1725回) ..2014/08/03(日) 18:29 No.4820 |
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さて私は本日もまさにスポコンゴルフを貫いて来て居ります。
午前中から五時間近くもかけてまた練習場で480球を打ち込んで参りました。
私はアマチュアゴルファーの割には練習が苦にならずむしろ大好きですので練習量が並ではないのです。
其れで本日はドライヴァーの打ち方の二種を試して居りました。
FAIRLINE 500の打ち方としては、先に述べた上から下へという打法、平たく言えば断崖飛び降りという打法を行います。
ただし他のドライヴァー用には、もう少し正確性の出せる打法を新たに開発致しましたが、此れは言葉で説明することが非常に難しい打ち方なので此処には書けません。
其れで今のところFAIRLINE 500以外のドライヴァーでは非常に精度が出て正確に打てるようになって参りました。
それもこれも、スゥイングが本質的に良くなったということが其処に示されて居るのです。
其のようにスゥイングが本質的に良くならないとゴルフなんて絶対に上達しません。
例えばコースにばかり出てコース慣れしてスコアが少々縮まったにせよそんなものには限界があります。
其のようにスゥイングの本質の部分を突き詰めていかないと決して本質的に上手くなれないのがゴルフというスポーツの特徴です。
本質の部分を突き詰めていくのはコースへ出ることでそうなるのではなく、まさに練習、練習で沢山球を打つことから次第に分かって来るものなのだと思われます。
さて、FAIRLINE 500ドライヴァーですが、これはまさにとんでもないドライヴァーでした。
良い意味でもまた悪い意味でも。
当初はこれが滅茶苦茶打ちにくいクラブに感じられた。
何だか分からないが兎に角打ちにくい。
私にとってはなかなか良い当たりが出ないクラブであった。
つまりはこちらの予想、予測とは正反対の性格を持ったクラブであった。
フェース面がシャロー過ぎて、つまり横長に過ぎる為打ちにくいし当たっても球が高く上がり過ぎて仕舞う。
其れで、他のドライヴァーを打ってみると皆楽に打てる訳です。
もっともCT-112だけは少し難しくなるが、クロトなどは特に楽に良い球を放つことが出来る。
つまりコイツが一番厄介なクラブだったのだ。
幾ら頑張って振っても当たらないわ、当たったとしても高く上がるだけで飛ばないわでまさに最悪の選択を行なって仕舞ったかのように見えた。
然し、である。
それでは困る訳である。
折角買ったクラブがそんなことでは全く困る。
此のFAIRLINE 500は47インチシャフトですが他の47インチシャフトと比べると僅かに長めであり其処は好ましい部分だった。
然しヘッドの方が兎に角難しい。
長尺で大きいヘッドなので或はヘッドの返りが遅いのか、また空気抵抗も多そうなので意外に振り切れないクラブなのだった。
其処で、ひとつの打ち方を今試して居るところである。
其れは先にも述べた断崖飛び降りというバックスゥイングのことではなく、ダウンスゥイングでの打ち方のことである。
是れを完全に上級者の打ち方でもって行う。
具体的にはクラブをインサイドから右の真下へと落としていく。
逆に言えば其れは左の方ー球のある方ーへは振らない、クラブを落とさないということなのである。
其れをやらないとこのクラブからは快音が響かない。
だからこそ難しい。
然しだからこそ此れは正しいクラブなのである。
つまり誤魔化しの効かないクラブだったのである。
おそらく上級者やプロには打てても、アベレージゴルファーには難しいドライヴァーだったのである。
然しながらFAIRLINE 500の価値とはまさに其処にこそあるものだったのである。
此のクラブを打ちこなすことが出来てこそ真の意味でスゥイングを完成することが出来るということなのである。
従って自分にとって楽に打てるクラブのみが価値のあるクラブであるとは言い切れないのである。
こうしたゴルファーの技量を試すかのようなクラブ、或は自己の技量を押し上げていって呉れるようなクラブこそが本物のクラブなのだとも言える。
尚この夏場に五時間近くもかけて練習場で480球を打ち込むことは確かに大変なことではあるが、其のように懸命に練習すること、そうしたハードな練習を重ねることで見えて来る世界というものは確実にあるということなのだ。
そうした練習のさ中からこそ様々なことが分かって来るものなのである。
練習しなければ全く分からないことも、練習して居れば全てが分かって来るということは確かにある。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1726回) ..2014/08/06(水) 00:15 No.4821 |
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さて以前に手に入れたEバランスのオノフ ドライヴァーですが、之が実は秘密兵器です。
中古 リシャフト◆オノフ TYPE-S ドライバー 2012◆9°無双XL/XS http://page14.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s387241794
どのような意味で秘密兵器なのかと言えば、これこそが振らないクラブで重みで飛ばすという意味での秘密兵器です。
其の部分を分かり易く説明します。
私は高校生の頃から二十代の半ば頃までバッティングセンターへ通うことが運動系での唯一の趣味でした。
元々詩人肌の性質の人間なので運動は余り好きだとは言えず、運動部を経験したのは高1の頃に無理やり担任に入れられたハンドボール部だけでしかも其処は夏休みが終わるとやめてしまいました。
然しこの時に経験した運動部の練習の厳しさは一生の思い出としていまだに脳裏に焼きついて居ます。
特にこの八月の暑い日にゼイヨウ、とか何とか掛け声を上げながら十キロ位走らされたことはもう本当に苦しいことだった。
其の時に経験した運動による肉体の苦しさというものは今までで一番辛いものであった。
それですぐヘコタレた訳です。
何せ私は根が詩人なのでそんな運動ばかりやって居る暇など本当は無く、家へ帰れば読むべき文学書が山積みになって居たりして居る訳で、是非そちらの方をやらないと今のようにこうして自称の詩人など名乗って居られなかったのですから矢張り其のようにしたことの方が正しかったのであります。
ただし、野球は好きでした。
それで週に一、二度はバッティングセンターへ通いしかも三箇所程色々な所へ通うといった凝りようでした。
バッティングセンターでは私は長距離ヒッターで良くホームランの場所に当てたりして居りました。
しかも145キロとか150キロといった速球を打つことが得意であった。
ところがゴルフに転向してからは120キロの球も当たらなくなり、のみならず当たっても全然飛ばなくなって仕舞いました。
だからバッティングとゴルフのスゥイングは似て居る部分も確かにあるのだが全く違う部分も矢張りあるということなのでしょう。
ただしパワーヒッターであることだけは昔も今も変わりがありません。
其の速球打ちで私は最も重いマイ金属バットを持参して打って居りました。
私は其の道具の重さを利用してエネルギーの強い速球を跳ね返して居たのです。
そういう打ち方が得意だったということなのです。
ところがバッティングセンターには逆に軽いバットが多く置かれて居た。
150キロもの速球は、一般人が打つ場合軽い道具でないと速く振れないからなのでしょう。
然し私は其れで打つとまるで飛ばなかったです。
あくまで私の打ち方はそういう打ち方ではなかったということなのです。
そしてゴルフの場合にも私はヘッドの効いた重めのクラブを扱うことには長けて居ります。
だからこそEバランスのオノフ ドライヴァーをわざわざ落札して置いたのです。
それで、このドライヴァーの打ち方ですが、かって私が速球を打って居た時と同じようにクラブーヘッドーの重量を利用した打ち方をして居るのです。
すなわちインパクトの瞬間にだけ其の重みをぶつけるような打ち方を意図的に行なって居るのです。
ということはスゥイング中他のところには全く力を入れていないということです。
例えば釘を打つときには力を入れて居るようで居て実は釘の頭を打つときにだけ最大の力が加えられて居る筈なのです。
平たく云えば其のような打ち方に近いのだと言えます。
其の打ち方で打ちますと、オノフ ドライヴァーは全く素晴らしいクラブとなります。
方向安定性とスゥイングの再現性に優れ、またヘッドがセミアスリートモデルで易しく打てかつ球も楽に上がって呉れます。
従ってコース用にはこのオノフ ドライヴァーが最も向いて居ると考えられます。
確かにクロトの方向安定性とスゥイングの再現性、飛距離性能は素晴らしいものがあるが、叩けるクラブなので無理をして叩くと左へOBを打つ可能性もまたあるクラブだ。
然しオノフの方はハードな仕様で叩こうにも叩けず、従っていつも安定した脱力一点入力打法でいくほかなく其れでスゥイング的にも最も安定して居るドライヴァーだと言える。
またSXの無双シャフトは46.5インチで今の私の感覚からすれば短めで操作性の方も高い。
だからまさにコース再デビューの際にはうってつけのドライヴァーなのだと考えられる。
尚この釘打ちの要領での打法ですが、本来ならばゴルフのスゥイングとは皆此の釘打ちの要領で打つべきものなのです。
其れは止まって居る球を打つ運動であるからです。
対して野球のボールは飛んでくる球を打ち返す運動なので其処に根本的な違いがあります。
さて、両者ではどちらがより難しいだろうかということが屡論じられて来たりもして居るのですが、そこからの印象ではどうもゴルフの方がより難しいと捉えられて居るような気が致します。
要するにゴルフボールは無から有を生ずるが如くにほかでもない個々のゴルファーが其の運動に生命の全てを与えてやらねばならないという点に於いて難しいのだと云えます。
ゴルフのスゥイングとは要するに釘を打つ方向性を九十度変えたものなのだと思われます。
だから本当はすべからく此の釘打ちのような打ち方でもって球を打っていくべきである。
其の事は軽いクラブではなかなか分かりませんが、ハードなスペックでヘッドが重いオノフ ドライヴァーは其の事を否応なく意識させられる仕様に仕上がって居るのです。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1727回) ..2014/08/07(木) 23:29 No.4822 |
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さてFAIRLINE500の打ち方が分かった。
其れはこのクラブに対する固有の打ち方では無く私のスゥイングがおかしかったのを直した形で分かったのである。
だから他のクラブも皆そちらの打ち方に移行した。
ま、これで多分大丈夫でしょう。
第一今私は今天白練習場のドラコン王者になって居るのだ。
たまたま本物の飛ばし屋さんと遭遇することが無い限りまずドライヴァーの飛距離で負けることなどは無い。
然しそういうのは典型的な馬鹿ゴルファーなので実際にはアイツは大馬鹿だと思われているだろうこと必定である。
ー普通ドライヴァーばかり振り回して打っている奴は上手では無い下賎なゴルファーと見做されることが多い。ー
然し私のゴルフはストレス解消の為の馬鹿ゴルフで結構、上級者を気取っている輩のように難しい事をいつも言って居るという訳ではないのでこれで充分なんだ。
本日も前の打席には立派な道具を引っ提げた明らかにシングル級と思しき十歳位上の方がまさしくシングル級の球を放って居られたのだったが、我は其のシングルさんの球をアウトドライヴすることだけに専念し実際に飛距離では明らかに私が優って居た。
ただ、私の場合には余りにも打音が大きく3F練習場の半分位に其のデカい音が轟くのである。
でもシングルさんがチラチラと私の方を気にして居られたのは其の音のデカさばかりではなく私のパワーにちと驚いたからなのではなかったか。
それとも、この馬鹿野郎、お前のドライヴァーの打音がデカ過ぎて練習に専念出来ん、もっと静かに打てこの馬鹿力の中級者めが、とそう思いつつ見られて居たのかもしれない。
然しながら、他人にどう思われようが私はこの飛ばしの道を貫く所存である。
上級者たちよ、あなた方もこの私のフルスゥイングにはついて来られないであろう、ソレ見た事か、ざまあみやがれ。
打音が大きかったのは、勿論FAIRLINE500で打って居たからである。
確かに他のドライヴァーでも打って居た。
ー今私は必ず4本のドライヴァーを使いつつ練習して居る。でも自転車で4本を運ぶのは結構大変だよ。ー
然しFAIRLINE500で打つ音及び打球は迫力が全然違う。
もう化け物なのだ、化け物。
嗚呼、其の凄さを是非直接にお伝えしたいところだ。
其の化け物ドライヴの物凄さはとても文章では伝え切れないのである。
スゥイングを変えたところは、意図的にハンドダウンで構えるようにして、其れで其の角度を維持したまま水の上を浮いたピンポン玉を掬うようなイメージで球を打っていくという風にした。
だから申し訳ないが断崖飛び降りの打法はもはやスッ飛んで仕舞ったのだ。
其れでこそ球が捉え切れるようになった。
しかもすべてのドライヴァーが其の打法で打てるのである。
FAIRLINE500は、明らかに飛んで居る。
今日のように強いアゲインストでもネットには当たるのでこれはもう相当な飛距離である。
其れも物凄い高弾道でブッ飛んでいく。
こんな球は私自身初めてで、全く自分が打っている球だとは信じられない位だ。
そして何より其の迫力の凄まじさ。
だから本当はこのクラブを夜使ってはいけません。
何せとてもうるさいので。
でも他のドライヴァーを打つ方が所謂玄人級の良い打球が打てる。
所謂シングル級の伸びる低い弾道の打球を放てるのである。
然しFAIRLINE500の球はまた其れとは別物なのだ。
嗚呼、何たる力強さなのだろう。
其処に筋力があり戦闘力が備わりアドレナリンが目一杯で、つまりは男の本能モロ出しで馬鹿力そのものの凄い打球。
此の脆く繊細な詩人の心とは対極にある男の糞力、単純な筋肉の労働の熱さと美しさよ。
バコーン、バコーンとまるで手榴弾が炸裂するかのような音がして球が高ーく飛んでいくのです。
練習場へ行く前に、近くにある中古クラブのショップへ寄りました。
其処でバランスの重りを買いクラブも色々と見て来た。
其処ではEPON、KAMUI、MIRAIと云った地クラブ、カスタムクラブの面々が待ち受けて居た。
其れでショップの店長さんとクラブ談義をして参りました。
私はドライヴァーは全部47インチでぶっ飛ばして居るのだ。
コースへは行かず、練習場でぶっ飛ばすのだ、其れこそが趣味なのだ。
ーいやー、楽しいでしょうね。それはー。ー
だからココにあるEPONやKAMUIなどを47インチ仕様にして是非ぶっ飛ばしてみたいのだ。
然しながら、此等は決まって値段が高い。
おや、こんな所にKAMUIの限定白ヘッドのドライヴァーがあるではないか。
どれどれ、まるで新品のようだが、おお、何と九万円もして居るではないか。
ーいやー、KAMUIはオススメですよー、ハードヒッターの方には是非オススメです。47インチも勿論OKです。それに地元ー中部圏としての富山県ーのクラブなので人気も高いです。ー
関東の上級者の奴らなんて皆カスタムクラブばっか使っとるんだ。私も千葉のジオテックのクロトを東京人から落札したんだ。すると、これがまた物凄く打ち易いクラブだったんだ。関東はもはやそういう奴等ばっかりだ。
ーいやー、カスタムクラブは関東に多いですからねー。ジオテックと云えば限定クロトの方も凄そうですよ。其れからEPON。此れは兎に角打感が良いです。鍛造の仕方がカップー?ーになって居て他とは違います。EPONも47インチは可能です。是非一本如何でしょうか?ー
勿論欲しいには欲しいのだが、あいにく金がねえだよ。オイラはこれから天白練習場へ沢山球を打ちに行くのだ。ゆえにこんな店で散財して居る暇などは無い。されどまたの機会にはぜひ宜しくね。KAMUIは特にしっかりしてて良かったよ。そういえば天白練習場には道具をKAMUIで全部揃えたシングルさんも来て居るんだ。其れが物凄い球を放って居るのだ。私よりは明らかに年上なのだが、正確さばかりか飛距離でも私はかなわないんだ。私もKAMUIを使えば勝てるのかなあ、其のシングルの爺さんに。
ー … ー
書き忘れて居りましたが、バランスのウェイトはFAIRLINE500に二枚貼り、従ってクラブ総重量は十g重くなりましたが、其れで丁度私には合っているようです。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1734回) ..2014/08/18(月) 23:22 No.4829 |
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この盆の期間に日頃は練習場へは来ないような上級者と思しき飛ばし屋をみかけたのだったが、彼は私よりも十歳位若い感じの人で格好良くバシリウスのキャディバッグを引っ提げて、おまけにどこのドライヴァーかは知らぬが長尺を振り回して居りネットの中段へライナー系の良い球を打って居た。
ただし球はばらける。
典型的な飛ばし屋ならではのバラけ方である。
もう一人、背の高い若い人で時折プロ級の打球を放って居た人があった。
ただしこちらの方もバラけるというか相当に崩れる。
然しあくまで当たった時には私でもとてもかなわないような球を放って居られる。
其の彼のドライヴァーの方が至極面妖なものに見え興味津々であった。
いや、其の折には然程気にもならないものだったのだが、其の後次第に不思議なものに思えだし是非知りたいものに思えて来た。
其れはシャローバックの簡単クラブ系のヘッドのドライヴァーながら当たれば規格外に飛んで居る訳である。
ここからも、シャローバックのヘッドのドライヴァーはもはや初級者や女性、シニア向けのゴルフギアではないのである。
シャフトを堅いものとして長尺化すれば其れは立派にハードヒッター向けの飛ばしの仕様となすことも出来る。
サテ、あのドライヴァーは一体どこのメーカーのものだったのだろうか?
我もあんなもので是非球を打ってみたいものだ。
プロギアかそれともPINGのものだったのだろうか。
まあ兎に角今は売り出されて居るドライヴァーの数が多過ぎて一目見た位ではどこのものなのか分かりはしない。
さてこの一件からもどうも上級者が好んで使って居るようなディープフェイスでハイバックのヘッドのドライヴァーよりもシャローバックのヘッドのドライヴァーで飛ばしの方に特化した長尺のモデルの方が飛距離は出ているのであろう。
上級者がそうしたヘッドを好むのはコースへ出た時にインテンショナルに球を曲げることがし易い、即ち操作性が良く自分の思う通りの球筋を打ち分けて行き易いからそうして居るのであろう。
ちなみに私にはそこまでの技術は無いが、それでもかっては筋金入りのハードヒッターだったのでドライヴァーなどは310cc位までの小振りのヘッドを好んで使って居たのであった。
其れで今風のデカいヘッドのドライヴァーは毛嫌いして居て、其れ等はこの私の目にはまさしくあのUFOのようなものに見えて居たのである。
だからそのあたりの流れからすれば矢張り私はディープフェイスでハイバックのヘッドのドライヴァーを好む上級の世界へと足を踏み入れるべきだったのだろう。
ところが、五十肩で二年近くもゴルフが出来なかった私には今ゴルフをすることが出来、さらに飛ばしの追求もやって来られて居ることがもう嬉しくて楽しくて仕方が無いのである。
それにまあ上級者なんて糞くらえとでも云うべき天邪鬼精神も無いでは無く、だから俺は中級者で十分だがただ飛距離の方ではシングルさん、貴方方には決して負けないのだよ。
いや、俺が勝つんだ、必ず勝ってやる、ギャフンと言わせてやる、それだけが俺の趣味なのさ。
勿論そのディープフェイスで ハイバックのヘッドのドライヴァーを長尺化して使っていくことを考えていないではないのだ。
其れもしてみるつもりながら、今は兎に角デカいヘッドでシャローバックのヘッドのドライヴァーでもって飛ばしていきたい。
その方が球がバラけないからなのである。
FAIRLINE500 に於ける500ccヘッドの破壊力はまさしく本物である。
然しこのドライヴァーは打ちこなすのが本当に難しい。
結局いまだに難しいままなのである。
然し以前にも述べた通りにこのドライヴァーの飛距離性能は他のクラブのそれとはまた別物なのである。
丁度万年筆の方であのオノトのマンモスが特別な使用感のする古典のペンであるということと同じくしてこのドライヴァーもまた特別な何かを持って居るのである。
このクラブが基本的に打ちにくいのは重心距離が長いであろうことと大きなヘッドが返りにくく振り切ることが難しいという部分にあるのかもしれない。
あれからも色々とやって来て居るのではあるがどうもミート率を上げることが出来ないのである。
打ち方の方は、結局また断崖飛び降りの方の打法に戻り、 しかも其処に釘打ちの打法を組み合わせることにより何やらとても良い感じの球の捉えとなったのだったが其れがまたいつまで続くものかは分からない。
実際に今現在試し始めて居るのが剣道打法というものである。
この剣道打法というのは、ゴルフのスウィングとは剣道の面打ちの技術と全く同じである、という理論から組みあがった打法のことだ。
ゴルフのスウィングとは其れ即ち剣道の面打ちのことだ。
ただし体が動くかまたは回転すると同時に其の面打ちが開始さ れ、しかも面打ちの終了時に於いて左への体の動きが加速されて居るから其の加速力で球が結果的にヘッドにぶつかり飛んでいくのである。
ただしイメージ上はあくまで面打ちを行うのである。
だから矢張り球を打ち込むようなイメージでクラブを振るのである。
ところでアマチュアゴルファーにとって一番苦手なのが球を深くしっかりと捉えるということである。
上級者やプロのインパクトは強いと言うか深いと言うか重いというか、其処ではドシッ、ビシッという音がして球が捉えられて居るものだが、下手糞が打つとカチンとかコチンとかカスッとかゴソッとかまるでなってない音と共に球がヘナヘナと飛んでいき其れで結局まるでなってないよわい球筋となりドライヴァーで打ってもなかなか200Yも飛ばないということとなる。
アア、情けなや。其処では球の捉えが甘い、薄い、弱い。
其れを是非厳しく濃く力強いものにしていかねばなるまい。
勿論私も其れが真の意味で出来て居ないからこそこうして苦しんで居るのである、日々あがいて来て居るのである、パコーン、パコーン、ああ、クソ、もうゴルフなんかやめてやる、一体何で完璧に打てないのだ、こんなに努力して来て居るというのに、もう三百も打ったというのに何で変わらんのだ、パコーン、パコーン。
其れをドシーン、ドスーンという重いインパクトに是非変えていかなければなるまい。
麺打ちの職人、もとい、面打ちの剣士、侍、イチロー、つまりはゴルフの武士、ゴルフに於ける封建制の美徳、宮本 武蔵、元公儀介錯人の拝 一刀、沖田 総司、剣道八段、フェンシングには無い精神性、のようなものを今後我は是非目指していくことであろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1735回) ..2014/08/20(水) 23:51 No.4830 |
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500ccヘッドのドライヴァーは練習場で飛距離を純粋に追求することに対しては或は有利なのかもしれない。
ただし、私がFAIRLINE500を使ってみた結果から言えることは、500ccもの大型のヘッドを47インチ以上の長尺仕様で振り回す場合には実はかなりのパワーが必要だということになる。
其れもHPの速い筋肉質のハードヒッターというよりも基本的に体に底力のある人か或は身長が180センチ以上あるような大きい人に其れは向いて居るようにも思える。
だからなのか、市販されて居るルール適合外の500ccヘッドのドライヴァーを調べてみると長尺仕様はほとんど無く逆に短尺仕様になって居たりするものだ。
なる程其れが短尺仕様であればおそらく普通の体力の人か非力な人でも振っていくことが出来ることだろう。
然し短尺仕様は実際には平均的なHSでは飛ばないということも考慮しておく必要がある。
短尺仕様で重ヘッドのドライヴァーを使って居るのは実際にはHSの速いプロだけなのであり、我我アマチュアゴルファーではなかなか其の仕様で飛ばしていくこと自体が難しいことだろう。
つまり、アマチュアのレヴェルでは結局飛距離はシャフトの長さで、即ち長尺化することにより得られることだろう。
ところが実際には長尺仕様のドライヴァーはなかなかシャープには振り切れないので其れが即飛距離アップになるという訳でもな く、それよりもむしろより楽にいつもの飛距離が得られるというのが私の実感なのである。
飛距離というのは伸ばすのが其のくらいに難しいことなのでもある。
結局体力が無いと200Yの飛距離を250Yにしていくことは難しいことだろう。
また250Yの飛距離を300Yまで伸ばしていくことはさらに難しいことなのかもしれない。
HSというのはひとつの才能のようなもので、元々速い人は速いのだし、遅い人は遅い。
其れは絵や音楽や文学に於ける才能と同じようなもので努力だけでは如何ともし難いといった部分も確実にある。
ところがゴルフは要するに上がってナンボで、本来ならば飛距離を追求するようなスポーツでは無いので飛距離が出ないからと言って悩むようなものでは本当は無い。
けれど実際には飛距離が出ることは大きなアドヴァンテージとなることでもある。
其れと一種バカバカしい追求ではあるが私のように飛距離だけを追求するゴルフの趣味があっても良い筈である。
其れにバカバカしいようには見えても、飛距離が出て尚且つ安定した球筋を打てるようになる事はゴルファーとしての究極の目標なのである。
だから其れが出来るようになり、コースへ出てまた場慣れしていけば70台のスコアも夢ではないのである。
ちなみに今O先生はドライヴァーショットをすべてコース用に六分位の力で打つ練習をして居るのだが私は其の練習法には賛同しかねる。
練習はまずフルスイングで行うことが基本で、その中で二割位を八分位に抑えたコース用のショットの練習に割いていくべきである。
何故ならフルショットでスウィングが完成されて居なければ抑えたショットでもまともなスウィングとは決してならないからなのである。
その場合に抑えた誤ったスウィングでもって沢山球を打つこととなり余計にドライヴァーショットが下手くそになっていって仕舞うことにもなりかねない。
なんでもそうだけれど、手加減ということは完成者にして初めて可能となることなのであり、下手糞の人は其処で手加減も何も、 元々なって居ないのだからなって居ないなりに思い切り振って直していくほかは無いのである。
故に理想は、まずフルショットで飛んで曲がらない球を打てるようにすることであり、手加減するショットなどは其のあとに幾らでも出来ることなのである。
実際に私はドライヴァーショットに於いては完成の域に近づいて来て居り、今は最後の詰の段階としてあることをして居るばかりなのである。
其のあることとは、断崖飛び降りーまあ余り良くはない言葉ではありますがーの飛び降りの範囲をより広くして、つまりより思い切って飛び降りた方が完璧に近づくということなのであった。
其れが出来た時の球筋は完全にシングルの域での球となる。
或は飛距離的にはシングルさんを追い越して飛ばない方のプロ位にまでは確実に届いて来て居る。
ということで、実は例の剣道打法というのは其の後練習してみて少し難しかったのである。
将来的には追求していくことがあるのかもしれないが今は安定した球筋が打て再現性のある<思い切り断崖飛び降り打法>の方でいくことにした。
FAIRLINE500はいまだに打ちこなせて居ない ので、この<思い切り断崖飛び降り打法>でもって今度の金曜日あたりに是非トライしてみるつもりである。
尚、現在私はFAIRLINE500ではフルショットをして、他のドライヴァーでは七割、八割位のショットをして居ることが多い。
其れは他のドライヴァーならばフルショットをしても皆芯に当てられるようになったからなのだ。
そうなって初めて、手加減するショットに於いても正しく打てるようになるのである。
そして八割の力で打っても実は飛距離はそう変わらない。
むしろ余分な力が抜けてヘッドが走るのでフルショットの場合よりも逆に飛んで居ることさえある。
然し、そのようなことは結果論であるに過ぎない。
大事なのは思い切り打っても崩れないスウィングを完成させるということにこそある。
思い切り打っても崩れなければ、八割の力で打つのはより簡単である。
東大へいく頭の力がある奴が名大へ入るのは多分より簡単であ る。
だから私は其れをやって来て居るのである。ーただし大学の方はとても入れなかったのだったがー
さて、前回語って居た背の高い若い人が時折プロ級の打球を放って居た面妖なドライヴァーのことですが、色々調べた結果どうもPINGのドライヴァーではなかったかということとなった。
ピン「G30」ドライバー http://clubping.jp/product/product2015_d.html
まさにこんな感じのものだった。
或はこれのひとつ前のモデルのG25というモデルかもしれない。
ピンのクラブというのは、私はこれまでに使ってみたことは無い。
嫌いだったのである。
相当に嫌いな、科学的な、或は現代的なクラブであった。
昔ピンにキャビティタイプの異様な姿のヘッドのアイアンが出て、其れが全くに妖怪のように見えて仕方がなく兎に角気持ちが悪かったのである。
私は新しいものが好きでは無くむしろ本当は余り変化を望まない人間なので本質的には保守主義者なのである。
そのくせアナーキストなのではあるが、其の思想が成就した暁には永遠にそのままで居て欲しいとさえ考えて居るのだから元々私は完全な保守主義者である。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1736回) ..2014/08/20(水) 23:53 No.4831 |
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このどこかいやらしいゴルフクラブのように見えるPINGのドライヴァー、こんなものに元々全然興味はなかったのだったが何故か今は気になって気になって仕方が無い。
たとえばピンの前作のG25は非常に個性的なコンセプトの元に生み出されたクラブだった。
其れは二百gオーヴァーもの所謂重ヘッドで飛ばしてみようというドライヴァーだったのだ。
G25のヘッドの形状も新作のG30と同じくディープフェースでもってシャローバックというものである。
其のディープフェースでもってシャローバックというヘッド形状が今私には最も関心があるのだ。
何でかと言えばFAIRLINE500 は相当なシャローフェースで、つまり横に細長いフェース面なので上下に関してはかなりに許容度が小さく打ち易くはないのである。
要するに本当に空飛ぶ円盤のような平たい大きな横長のヘッドで球を打っているようなものなのである。
勿論その代わりにフェース面の左右には長さがあり芯をはずして打った場合にも許容度が高くある。
其のシャローバックのヘッド形状は良いのだけれど、ディープフェースで上下が長く分厚い感じのフェース面の方が打ち易そうなのだ。
だからとりあえずG25の方でも良いからPINGのドライヴァーを一度は打ってみたいという気になりつつある。
ちなみにこれらのPINGのドライヴァーでネックとなることは長尺化することが難しいということである。
何せ重いヘッドであるゆえ、47インチのシャフトで長尺化するとおそらくこの私でも振り切れなくなることだろう。
ー対してFAIRLINE500 のヘッドは百八十g台と軽い。それでも500ccのヘッドが円盤型で大き過ぎるのでシャープに振ることは基本的に難しい。また私には軽過ぎるヘッドなので重りを二枚貼り百九十g台のヘッドとして居る。ー
然し以前にも述べたように、超人的な体力の人かまたはマシーン であれば重いヘッド付きの長尺ドライヴァーを振り切ってまさにとんでもない飛距離を出すことも出来ようはずだ。
でも私にはどうも無理のようなのでいまひとつ本気にはなれて居ないのだけれどクラブの追求という面では究極のドライヴァーとして一本作ってみるのも面白いのかもしれない。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1738回) ..2014/08/23(土) 19:26 No.4833 |
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http://yahoo.jp/box/LbMrub
まさに色とりどりの翡翠は相変わらず一種気難しい私の心を癒し続けて居て呉れる。
此の世に美しいものは数々あれど、石の美しさというものはまた格別のもので、其の美しさに永続性があるー生命に比べての話ながらーことが生ものである自分とは異なる部分である訳で、其処が何より私の変化を余り望まない気質と共鳴しこうして机上を賑わせることになって居る。
元より此の世に存在して居るものはすべからく無常のもので其処には何一つ永続する実体としてのものは無い。
実体では無いのだから其れは仮のもので、其の非実体的な影のようなものを我々は毎日拜んでは信奉して居るのである。
対する実体というものは目には見えず存在して居ないものなので基本的に我々には知覚出来ないものなのである。
然し心のあり方を変えていくことで目には見えないまでも何となくそうしたものの匂いや気配のようなものは感じられるようになって来る。
だが其れは所謂お化けでもなく精霊でもなく、また神でもなく超人なのでも無い。
まあ仏教徒にしてみれば其れこそが仏性、つまりは佛ということとなる。
キリスト教徒やイスラム教徒にとっては其れは矢張り神であるということとなる。
つまるところ仏教徒にとっては其の佛だけが実体であり確定であり永遠であり全体である。
その他のものは全部幻であり仮であり刹那であり部分なのである。
実体とはそうしたことであり、我々の目の前の現象など本当の本当は非実体的な存在という現象としての妖の影絵のようなものをそう思い込んで居るだけなのである。
ゆえに翡翠もまた其の妖の影絵で、萬年筆の方も其の妖の影絵で、ゴルフの道具なども勿論そうで、それだけではなく妻も子も兄妹や両親もまた親族も友達も先輩も後輩も皆妖の影絵に過ぎず、よってそうしたものに拘るべきではなく、或は私のように観念性の方が強い人などにとっても其の観念自体が虚妄であり虚偽であり実体ではないのである。
要するにこの宇宙の森羅万象はおしなべて実体では無い。
ただひとつ佛だけを除いては。
そうした限定で虚としての非実体性を生きていかざるを得ない我々は本来ならば下らないことに心を向けるべきではなくまさに佛のように清らかな心でもって明らかに物事を見つめ続けていくことこそが理想である。
されどこのような不確かな虚で仮の世界ではそのような清らかさが心に芽生えるべくもなくむしろ下らないことばかりに皆は心を砕いて、其処で下らない自己保身、下らない子孫の繁栄、下らない蓄財、下らない食欲性欲金権欲などの悪趣に染まりきって仕舞って居るからつまりは皆心が汚れきって仕舞って居るのである。
ちなみに私にはそうしたタイプの欲はもはや無いのですが、観念欲と美への欲というものはむしろ人一倍強く持ち合わせて居り、私の生涯は其の部分での追求を行うためにこそあったのであり、この思考欲、表現欲、批判欲、美への賛美、美への信仰といったことに関して深く深く囚えられて居るという点に於いては私は全くの凡夫でありこの闇ー無明ーの世界に囚われし囚人そのものである。
然し、其の哀しい現実をしばし忘れさせて呉れるのが私の場合にはまず石達なのである。
或は永続的な実体性への憧れのようなものからなのか、石たちを見るにつけ、其れ等は常に変わらず私を慰め続けて呉れるのである。
日本翡翠原石 http://www.stonesbazar.com/shopping/list.php?cate1=122&cate2=179
糸魚川の石では此処にもある通りに入りコン沢青翡翠というのがとても美しいのである。
翡翠は緑色で透明度の高いものが確かに一番美しいのだけれど、実は青の翡翠はそれよりも数が少なく特に全体が青である石はほとんど無いもののようだ。
私も前々から質の高い青い翡翠が欲しいと思っては居るのですが、質の高い緑の翡翠ですら得ることが難しいというのにましてや青ともなるとなかなか良品には巡り合えず、よしんばあったとしても其れは必ず高価なものとなり私の金力では如何ともしがたいといったところであるのが実情だ。
カネ、金、この非実体の世を貫く原理とは兎に角金の力の優ったものが何でも良いものを得ることが出来るということである。
然し私のような詩人の場合はたとえ金はなくとも心のほうが元々豊かである。
コレクター詩人などは人間としても詩人としてもたかが知れて居るのだとしてもだ、ザマ見やがれ、こちとら考える方の力だけは少しだけあるぞ。
だから金は無くとも考える、サア、この翡翠を握りしめて考えるんだ。
団子より花だ、金力より観念力だ、独覚はいつも食わねど高楊枝、の心意気だ。
観念力のみを奉じて餓死するか、それとも団子に迎合して豚になるか、だ。
いや、それでも本当の私はまさに其の豚ちゃんでーす。
豚ちゃんだからこそこうして翡翠などが大好きなのだぞよ。
ま、金なくば石の収集もまた不可能である。
金を百万ほど用意して、糸魚川の方へ行き色々と専門店を回ってみればもっと良い石が店の奥の方から出されて来たりする筈である。
無論のこと其処で桁違いの一千万程を持っていけば勿論もっと凄い石がゴロゴロと出て来るだろう筈だ。
でも私の本当の夢はそんな金の力に頼ったものでなく新潟の海に潜って海中の翡翠ー其れも凄い翡翠をーをかっさらって来ることなのである。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1739回) ..2014/08/23(土) 19:27 No.4834 |
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翡翠の採集 http://www.japanjade-center.jp/jadehunter.html
もう二十年位前からこんな風に翡翠の採集に行くのが夢だったのですが結局実現して居ない。
糸魚川は遠いし其れで旅費はかかるのだし、店へ入れば欲しい翡翠もあることだろうしで最低二、三十万は用意していかねばなるまい。
其れにそんな連休は貰えないし兎に角色々忙しく心理的な余裕も無い。
だから其の夢は夢で終わって仕舞うことだろう可能性が高い。
老後は老後で色々と生活も大変になるだろうからおそらくそんな余裕は無い。
いや、その前に地震や経済的な破綻、戦争やテロなどによりそんな遊び人の気分で居ることなど不可能だ。
それでも一度は行ってみたい。
丁度昔から知り合いの新潟の石のショップが今ヤフオクで糸魚川産の翡翠原石を沢山出品して居りますが良いものはなかなか出て来ない。
翡翠という石は石の中でも特に質の良いものを得ることが難しい。
ヤフオクなどでもあくまで一般には十年位前の方が良い石が出されて居たような気がする。ーただしコレクターからの放出品は希にではあるが良品が出品されることもある。コレクターもいつかは寿命が尽きるものなので、まさにそういうのこそが狙い目となる。ー
私が収集したものはそうした当時ヤフオクに出されて居たものが多く、それに知り合いの宝石屋の知り合いの宝石店から流して貰ったものなどですが皆安物ばかりなのである。
ただ、画像にもあるラヴェンダーの翡翠を切り出して一面研磨を施した石は今となってはまずまずの質の紫翡翠である。
黒翡翠は普通の翡翠よりも軽く、質感の方も翡翠とは思えないようなものですが実際黒翡翠とは元々そうしたものであるとのことである。
ちなみに切れて居て見にくいが緑の翡翠の最上部右の三角の石は幻の金山谷産の緑翡翠である。
小さな石ではあるがかなりに美しい。
其の左の勾玉を作ろうとして止めて仕舞った材の緑の濃い石は糸魚川産ではなくてミャンマー翡翠だったと思う。
尚翡翠の手触りは特別で他の石とはまるで違う滑らかさ、スベスベ感、緻密さが味わえるのである。
ところが翡翠程鑑定が難しい石も他に無い。
石のプロ、つまり翡翠の専門家でも間違うことがあるそうで、ということはそうした紛らわしい翡翠ではない石が他にゴロゴロして居るということなのである。
上のリンクの所に、其の紛らわしい数々の石が写真入りで載って居る。
私も昔翡翠だとして売られて居た石を買ってみたら透輝石だったということがあったし、高価な石でだまされてミャンマー産のクズ翡翠の大きな原石を得たこともあった。
だから実際には糸魚川の海辺で翡翠を採集することはおそらくかなりに難しいことなのだろう。
ここ日本は小さな国で石の出処も小さな産地ばかりなので石が打ち上げられる海岸とはいっても翡翠ハンターの面々をはじめ皆が其処に石を探しにいくのであるから良品の採集はどうも期待薄である。
ただし今後超巨大台風が新潟の辺りを通った直後に石を拾いに行けば或は百万円級の原石を拾える可能性は常にあることだろう。
また糸魚川には様々な翡翠にまつわる催しや博物館、展示館などもあるようだから翡翠好きにはまさに夢の楽園のようなところなのであろう。
2014年糸魚川翡翠鉱物展 http://itoigawa.ne.jp/mineral/index.php
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1740回) ..2014/08/25(月) 22:38 No.4835 |
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ヒスイは宝石の中では最もややこしい石で石の知識に乏しい一般人にとっては最も危ない石なのだと言える。
其処は無論のことこの私だって宝石のプロでも何でもなくタダの中級鉱物コレクターー其の割にヒスイの場合良い石を持って居ないのだがーなのであるから、騙されない可能性が低い訳ではなくおそらく騙される場合にはコロリと騙されることだろう。
然し何せ石との付き合いがもう長い故に、石の外見やら風合いといったものから石の本性が直感的に分かるようにはなって来て居るので実はヒスイなどもほとんどは感覚で鑑定出来る様になって来て居る筈だ。
見た感じと手触りとで大体九割方は分かる様になって来て居る。
然しながら、私の場合は何せ貧乏詩人の故宝石屋の如くに始終高価な質の良い石を見て来て居るという訳ではなく、主にオークションの其れも安物に限りこれまで見たり触ったりして来て居る訳なのだからはっきり言って其処はレヴェルが低い。
でもレヴェルが高い石ばかりに石の本質が刻まれて居る訳では無いことだろう。
無論のこと安い石にだって石の固有の性質は確りと刻まれて居る。
さて翡翠に対する知識というものは最低限仕込んでおかないとたとえば好いた女に指輪など呉れてやったりする時に頗る困ることとなる。
従って金力のある初老の紳士は是非翡翠に対する知識を磨いて置き、そして涼しい顔をして銀座のクラブのママさんなどに数百万の翡翠の指輪などプレゼントしてやることこそが格好良いのである。
然し私の場合は格好悪い観念人生を選んで歩んで来て居るのでそんな場違いなことは考えずに今このままの安上がり鉱物趣味で充分である。
本当はもう少しだけグレードアップしてみたいところながら、そういう気分が起こると決まって仏陀の修行の様などが目に浮かんで来て、印度の森閑とせし森に住し骨と皮ばかりに痩せこけ、しかもボロボロの衣を着込み、サテ、果たしてまともに飯を食って居るのやら、そんな状態で一心不乱に真理へ向かってまっしぐらな其の古の善逝のお姿がまさに目の前に浮かんで来て反省しきり、嗚呼、やっぱしやめとこうと決まって思い直すのであった。
本当は我もいますぐに出家して其の修行の世界に飛び込んでいくのが理想なのではあるが、何せこの近代グータラ病にもはや全身を蝕まれて居るゆえ、もはや其れも詮無き事。
ヒスイの歴史と琅玕(ロウカン) http://homepage2.nifty.com/shichiya/oyakudachi18.htm
此処で一応紳士淑女の為の翡翠の知識を仕込むことが出来る。
ちなみにここには硬玉ヒスイを当てるクイズなども出て居る。
其れで私はこれらの写真だけ見て、其の下の解説及び回答は一切視ることなしにズバリと当てた。
何故分かるのかというと、其れは只長年に亘り石が好きだからなのである。
つまりはそういうのこそが一番強いのである、知識を超えた石への愛がなせる技だろうか。
5568万円の琅玕翡翠裸石 http://jadeite.tumblr.com/post/39217075/via
質の良い翡翠の指輪こそが東洋人にとっては最も似つかわしい宝石である。
エメラルドやサファイア、ルビーなども良いのだけれど、肌が黄色い東洋人には矢張り翡翠が一番似合うのである。
翡翠は宝石の中ではむしろ軟らかい石なのですが、強靭な石で最も割れにくいー壊れないー堅い石なのである。
最も硬い石のダイヤモンドをはじめ他の宝石は落としたりするとスパッと割れることがあり本当は其処に永続性を求めるような強い石なのでは無い。
従って日本人が選ぶ結婚指輪はむしろ東洋の石である翡翠を選んでおくべきである。
されど5568万円の金など我々には無い。
いや、貴方にはあっても我には無い。
全然どこからも絞り出せぬ。
故に最高級の琅玕翡翠に拘る必要などは無い。
其の下二桁での、68万円位の琅玕翡翠でも懸命に探せばどこぞにあるのやもしれぬ。
Imperial Jadeite ロウカンって? http://sheenjewel.exblog.jp/16366685
此処には面白いことが書いてある。
此処にはImperial Jadeiteの写真も載って居ますがロウカンと呼ぶに相応しい翡翠とは中国では本来アップルグリーンの明るい色味の硬玉翡翠のことをそう呼んで居たのである。
其れが、日本人は地味な色味の方が好きなのか、もっと落ち着いた濃い緑の硬玉翡翠の方が一般には人気があるそうなのである。
然し私は糸魚川産の硬玉翡翠も含めて、この明るい緑で琅玕質の翡翠こそが世界最高の翡翠なのだろうとずっと考えて来た。
ところが上にもあるようにアップルグリーンの琅玕翡翠は極めて稀なものとなるようだ。
其れで当然のことながらアップルグリーンの琅玕翡翠の石は飛んでもない値段で取引されて居ることだろう。
目玉品!糸魚川翡翠原石 ヒスイ 青海川産ろうかん翡翠470g! http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/188022337
糸魚川 翡翠 ヒスイ 495 ロウカン質 国産 鉱物 http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/187911309
糸魚川 小滝川 翡翠峽 琅かん 翡翠原石 519g http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m124089842
琅玕翡翠はこのようにネットオークションにも屡出されて居ますが、其れ等が本当に琅玕翡翠と呼べるものなのかということについては不明である。
然し琅玕に近い質の石になればなる程石の質がトロリとした感じのものとなって来るもののようだ。
このトロリとした感じは、他の硬度の高い宝石には見られない特徴である。
硬度の高い宝石はまさに硬くて冷たい感じや感触がするものなのだが、硬玉翡翠はどんな石でも其の冷たい感じや感触がしないものだ。
さらに琅玕翡翠ともなればよりトロリとした感じの石となる。
まさしくそうしたところが特にお年を召された紳士淑女に翡翠が愛されて居る所以なのであろう。
尚、其のトロリとした石の感じは中国の印材の世界でも屡珍重されて来て居る特徴である。
たとえば田黄という印材があるが此れは中国では最も高貴とされる黄色の石でしかも其の風合いがトロリとして居るもの程価値が高いとされているものだ。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E7%94%B0%E9%BB%84#mode%3Ddetail%26index%3D109%26st%3D4154
だから其の部分こそが東洋的な感性、感覚に由来するところのものなのである。
ゆえに日本人もいつも精神の方がドロドロというのではいけませんのですが、其の代わりに精神の方がトロトロですよ、という位に一種温かみがあり寛容であるのならば、其れは翡翠のように一種温雅な趣を持つということでもあり決して西洋式の合理精神に劣るものでは無いということをよくよく考えた上で其の東洋の精神性を象徴するかのような石である翡翠に接していかねばならぬことだろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1741回) ..2014/08/27(水) 23:46 No.4836 |
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万年筆の方でも癒されることが何かとあるものだが石に癒されるのはまた少し違って居て観念抜き、理屈抜きに其処で癒されて仕舞うと言えない訳でもない。
謂わば脳のより古い領域の方を癒して呉れるとでも云うべき言語以前の、まさに本能領域の方で快感または共感を感じて居るのではないかと思えないでもない。
ただし万年筆の方でも本当は軸の感触だの筆記感だのと云った部分で癒されて居ることが多く必ずしも観念領域ですべてを捉えて居る訳ではない。
ただ、万年筆の方は使えば必ず観念の方とは無関係ではありえず、従って最終的には文字により表現されし観念の方に重きが置かれて行くこととなろうから純粋に感覚だけで楽しめるというものでもない。
そうかと言って見ての通りにわたくしは観念性が強い人間であるからして万年筆ないしは付けペンの類が無いとそれこそもう頭の方がおかしくなって仕舞う。
長年培われた部分での私の筆記のスタイルには実は筆も筆ペンもサインペンもボールペンも入って居らずこの金属製のペンが無いと作文の方でまるで調子が出ないからなのである。
なる程、するとペンは何より道具であった訳である。
然し、石の方は元より道具では無い。
確かに使い方によっては道具にもなり得るのですが、其のいびつな形の原石を観賞して居る分には其れは道具ではない。
石とは何かと問えば即ち其れは只の自然物である。
自然物だからこそ花とか雲とか恒星とかブラックホールとかそうしたものと近しい存在である。
でも生命では無いのだから、そうか、まさか花の仲間だとは言えないのだし無論のこと我々人間の仲間なのでもない。
確かに石に命は無いのだろうが其れは地球の胎の中で生まれてしかも生まれつき色々と性質の差があり大きさや色や重さなども皆異なるのでそうした意味ではほとんど命のようなものでもある。
元々多様性があり、生まれてから成長したりもするのでそうしたところが何だか動植物と似ていないでもない。
然し、我々のような生ものでは無い石たちは純粋に寡黙である。
其れはうるさくない、本当に静かだ。
ちなみに私は昔から静かなものが好きでうるさいものが余り好きではなかった。
其処が流石に詩人らしいところなのである。
太陽の下で大声を張り上げ目一杯に運動をして居るのはどうも苦手でたとえば山奥のキャンプ場の月明かりの下で妖異とか宇宙人の類のことを考えて居ることの方が好きな子供であった。
だから金閣では無く銀閣の方なのね、このわたくしの心は。
かと言って金ーきんーは嫌いでは無く大好きである。
私の静けさは幼い頃もう本当に並外れて居たので今なら自閉症か何かと診断されるのかもしれぬが多分私は自閉症でもなく精神病でもなくただ神経がか細いだけだったのだろう。
然し静かな人というのは本当に居て私は今そうした性格の医師の方を一人知って居りますがこの方などもう本当に何があろうと心中に波すら立たないような静けき心の持ち主である。
私はそういうのとは違い普段はむしろウルサい。
昔近代思想に教育されて其の元々の静かさというものをあえて隠匿していったので生まれつきの上品な静けさの下の方の下品が塊で出て来てこんなにうるさいのだ。
けれど本当は矢張り静かだ。
寡黙こそが好きで、かつ地味なものが好きである。
たとえば女の方の趣味が、暗い女の方が好きだ。其処は何せ似たもの同士なので。
また足の太い、暗い性格の女が好きなのでここも世間とは正反対の嗜好である。
一方其の暗めの医師のようないかにもインテリで長身で静かな男性なども好みだ。
ただし男の方には一切肉欲の方は感じて居ないので、あしからず。
私の持つ其の並外れた静けさは今でも私の心の中にある。
私は時折其の静けさから様々なメッセージを受け取る。
其れは白日のもとに晒されたかのようなメッセージではない。
闇が地上のあちこちで其の濃さを違えて居るが如くに陰影に富み、あの微妙な星雲の呼吸のように緩やかに私の表面に押し出されて来るだろう何かだ。
そして其の静けさこそが机上の石たちの静けさと呼応する。
呼応する静けさがひとつの鏡を拵え此の地上の喧騒に満ちた生命のカラクリを次々と映し出す。
ちなみに意外や私は小さい頃落ち着きの無い子であったらしいのだが今は何でこんなに落ち着き払って仕舞ったのか、兎に角泰然自若として此の世に起こりし事は此の世に収まる、などと考えて居るのだから矢張り周りからは余り普通の人には見えないのかもしれない。
嗚呼、普通になりたい、普通が一番、俗人が一番である。
ただし俗人は死んだ後に困る。死んだ後に、嗚呼、何であの時にもっと石たちと付き合っておかなかったのだろう、というようなことで必ずや後悔する。
妙にウルサい人間たちよ、あなた方は石の呼吸の清らかなことを知らない。
其の清らかさは星星の清らかな輝きに等しい、そして何より此の地の下の営みの清らかさに等しい。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1743回) ..2014/08/31(日) 00:34 No.4838 |
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さて本日毎年恒例の名古屋ミネラルショーに行って参りました。
1.相変わらず混んで居てまさに盛況のもようであった。 2.されど高額品が売れて居るようには感じられなかった。 3.例のパイロクスマンガン石は全く出されていなかった。 4.エメラルドの良い標本をひとつだけ見せて貰った。 5.標本をひとつだけ求めた。五千円の標本を四千五百円に値切って購入した。
1.相変わらず女性も多く特に関西訛りの女性が結構訪れて居たようだ。然し良くここまで来るものだ。関西の方が鉱物趣味は盛んであるのだし、其れで鉱物ショーの類も色々と開催されて居るにも関わらず何故こんなところまで来ているのだろうか。これが所謂関西女性パワーというものなのだろうか。
2.高額品は相変わらず海外産の高品質な宝石鉱物に多い。例えばトパーズだのトルマリンだの、ルビーだのサファイアだのといったもの。然しこの種の宝石鉱物は、より高級な原石から磨かれていって仕舞う為、実は鉱物標本としては一級のものなど回って来る筈がない。それでも十万円クラスの石は見ごたえがあり半端なものではない。 一方で菱マンガン鉱は宝石ファンというよりも鉱物ファンにはお馴染みの高級鉱物種である。絶産して久しいコロラドのスウィートホームマイン産の菱マンガン鉱の大きめの結晶を一つだけ見かけたが其れにはとんでもない値段が付けられて居た。十年ほど前には幾らでも買えた標本でしたので其処でまさに隔世の感がしたものだった。
近未来石屋ーコロラド産ロードクロサイト原石 税込176040円 http://item.rakuten.co.jp/kinmirai/1407642/
3.今回ほどパイロクスマンガン石に於いて低調さを感じたことはなかった。分離結晶だけは数が出されて居たが其れ等は品質の割に高い値が付けられて居た。母岩付きの標本は無し。ただし地元の標本店ラピスが出していたものがひとつだけありましたが、これは前々から売れずに出されているものであるに過ぎない。また日曜日に新たに標本が出されて来るとも思えず。
4.毎年出店されるレアルミナスでこれまたいつものようにエメラルドの上質標本を見せて貰う。オバちゃんがエメラルドは近頃現地で採れて居ないと言いつつかって採れたなかなかの標本を見せて下さったが矢張りお高いにはお高く其処には12万円の値が付けられて居た。東京から来て居るので買って下さいと言われるので是非買わせて頂きたいと心情的にはそう思うのですがあいにく常に色々と散財して居るので12万円もの金はどこにもねえだよ。此れは是非東京のお金持ちの方々に買って頂いて下さい。高価なエメラルドがなかなか売れずでミナスのオバちゃんが少し寂しそうに見えてどうにも辛かっ た。
5.今回は二時間位はかけてゆっくり会場を見て回り石の知識に関する新たな発見や意外な掘り出し物などを見つけたのだったが毎年標本はひとつだけ買うことにして居るので今回は柿野の緑水晶の群晶ー岐阜県山県市柿野東洞産ーひとつだけ買って家に帰りました。ちなみに自転車で三十分ほどで帰れるので交通費もかかりません。其の標本を軽く洗い写真を撮りましたが其れがPCに転送出来ずでどうやらデジカメが壊れたようである。
よってお見せ出来ないのが残念ですが写真に撮ったのだとしてもそもそもこれはそんなに皆が驚くような標本ではありません。
然し、此れは好物愛好家、採集家にとっては結構素晴らしい標本となるものだ。
根っからの鉱物趣味の人の方には価値が分かるというような、一種地味ではあるが深い鉱物への趣味性を孕んだ標本なのである。
此れは其の緑水晶の群晶となって居り二十本位の緑の水晶がニョキニョキと出て居るもので五センチ四方程と小振りな標本であるのに一本一本の水晶には大きさがあり最大で37ミリ程の大きな結晶が付いて居る。
これだけ密集して緑水晶が生えて居るので全体的に緑が濃く深い感じである。ただし其処に酸化鉄のような膜が水晶の所々に被ったりもして居るので其の部分は綺麗には見えない。これを酸か何かで取ることは可能な筈である。然し先程オレンジ成分入の洗剤に少しばかり浸してみたのみである。其れでも結構感じが良くなったのでこのまま保存していこうと思って居る。
尚今回長野県の緑水晶で初めて聞く産地のものー御○×ーとかなんとか書いてあったのだが何故か覚えて居ない。
そちらの緑水晶は結晶が細めで色が濃緑色から黒に近い位のものだった。こちらも矢張り群晶タイプの標本であったが、其れが五つ程も出されていて中には見応えのある大きな標本もあった。
結構良いものが五千円で出されていたので今思えば買っておくべきだったのかなと少々後悔はして居るがまあ其れでも一つきり、其れで良いんだ、毎年ひとつだけだ。
ただし、こうしたおそらくは限定的に産出して居ることであろう標本はその時限りのものである可能性も充分にあり従って本当の本当は何でも良いからそういうものは買って置いた方が原石趣味にとっては良い。
けれど個人的には私が今回入手して来た柿野産の緑水晶群晶の方がずっと魅力的である。
私にとって緑水晶は大変癒される石で其の深い緑の尖塔の乱立はどう見ても矢張り深い森の木立の雰囲気である。 或は海中に生えて居る昆布やわかめの群体のように見えない訳でもない。
だからそうした自然さ、より自然の方に近しいイメージがするので緑の水晶が好きになったのである。
尚この標本は水晶が折れて居る部分もあり其処には特に深く濃い美しい緑色がのぞいて居る。 兎に角全体的に大きな緑水晶がニョキニョキと生えた、今では希少な標本である。
と言うのも、この水晶が出た鉱山はもう大昔に稼行を止めて居り現在は良い物が採れる訳ではないらしい。
岐阜県山県市・柿野東洞 [鉱物採集第15回: 緑水晶] 2009.12.13 Sunday 14:30 http://honeymolasses.jugem.jp/?eid=343
しかもこのブログの記事以降にこの産地が何故か人気産地となりそれこそあちこちから大勢の鉱物採集家が訪れたようなのである。 従ってもう良いものはほとんど拾うことが出来ないことだろう。私も前々から一度は訪れてみたい産地だったのですが、今となっては行ったとしてもレンタカー代とガソリン代、其れから高速代などで一万円以上は軽くかかる産地である。
だから現金採集で得た今回の柿野産の緑水晶群晶の方が余程安上がりに済んで居るのである。
尚此の標本はミネラルマーケットという団体がどうやら愛好家の放出品を出品して居たもののうちの一つであったらしい。
国産の鉱物の収集では其のようなコレクターの放出品を狙っていくと納得のいく標本に巡り合える確率が高まることだろう。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1755回) ..2014/09/14(日) 16:55 No.4850 |
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現在物欲は余り無し。
然しほじくれば幾らでも物欲は湧きいでてくる。
現在美への欲もかって程は無し。
然しほじくれば幾らでも此れも出て来よう筈。
意外なことに色欲への兆しあり。
まことに意外なことに。
つい先日甘美な夢を見たが其れは或女を愛した夢であった。
我は此の十年ほど夢を覚えて居ないが此の夢はしかと我が記憶に残った。
我は何故か長野県に居て、其処で知人の家に滞在して居るのである。
其の家の娘か、或は近所の家の娘だったかに好みの女が一人居た。
普通に見える只の女なのだが我にとっては其の女こそが普通では無い。
其のように恋愛とは幻想でありかつ妄想であり錯覚でありかつ決めつけである。
個人意思の妄想による其の決定要件こそが恋愛の核心部でありかつ愛の永遠の謎の部分である。
さて我は其の女を好いた。
夢の中で死ぬほど好いて居るゆえ其処ではもう藝術も何も無く、石も無く萬年筆も無く観念もなく仏教さえもが無い。
其の女と我は共に暮らしたく思った。
一緒に暮らすということを思い巡らすだけで甘美であり、まるで全世界が其処に溶け込むかのようだった。
こんな気持ちになったのはまさに十五年振りのことである。
十五年前まで我は或女と付き合い、其の付き合いは長きに亘り十三年間に及んだ。
我は此の女と所帯を持つつもりであったが、其れは諸の事情により叶わなかった。
其れで女とはまことに現金な生き物で、こちらを嫌ひになるとそれはもうトコトン嫌ひになるのである。
其の時其のような女の隠された性質ー本質的性質ーといふものに初めて触れ得た気がしたものだった。
尚我は多感でむしろ昔は色んな女を好きになる方だった。
然し女に好かれたことは生涯一度きりで、其れは中学一年の折に並の女に並みに好かれたといふことのみである。
それにつけても此のところまるで女を敵か何かのように観念化して居た筈だが此れは一体如何なる事であろうか。
ところが此の事件には実は色々と伏線めいたことがある。
其ノ一
あのO先生が或女性と付き合い始めた。
O先生はゴルフのサークルーお見合いサークルーをつくり其れで儲けようとして居たが此の試みが見事失敗した。
お見合いコンペの参加者はたった一人だけでそれでも塾関係の仲間を混ぜてラウンドをこなしたO先生は彼女からのデートの誘いを受けて仕舞う。
其れで向こうの方から猛アタックを受けO先生は容易に崩れ墜ちた。
然し其の女性は大学の先生でO先生よりもずっとお金持ちであまっさえ新居となるであろう新築のマンションの方さえもすでに購入済であった。
という訳でまさに奇跡のようなことが起こり、現実にO先生は今の貧乏で孤独な境遇を脱出出来そうなところまで来て居る。
これ以上細かいことを言うと色々と差し障りがあるので申しませんが兎に角そんなことがあった。
然しながら、逆玉、之は現実にあり得ないことではないのだ。
或は宝くじに当たることよりも其れは難しいことなのやもしれぬ。
けれども可能性はゼロでは無いのである。
けれど私の場合、逆玉に乗る可能性は矢張り限りなくゼロに近いそうである。
大学のS先輩などはそう仰る。ーつまり私のように観念化された人間の恋愛の不可能性について論じられたのであるー
ちなみにS先輩も老後を共に過ごすパートナーを今求めて居られるが、バツイチで娘がもう二十八歳とのことなので、いや、それだけではなく金がなく風采のあがらぬ先輩のことでもあり其れも可能性はかなりに低いと言わざるを得ない。
まあ互いにそれでも良いのだが、何にせよ人間らしい心を少しは取り戻す努力をしてみることも或は現実を生き抜くことにとっては何ぞ役立つことなのやもしれぬ。
いや、観念人生が非現実的であるとは必ずしも言えぬことだろうとは思うのだが、其れでもそういう逆方向への展開が有って悪かろう筈もなく、其れでこのところ何故か急に色気づいて来て仕舞って居る此の仏教詩人なのである。
まさに年甲斐もなく。
そうこうするうち、職場で相変わらず女性の社会進出についての批判を述べ立てて居たところ、例の人が私の目の前に現れ、ワア、万年筆ですね!と、いかにも興味深げに私の世界に入って来たのであった。
万年筆は私の根の方が作家だから沢山持って居る物です。
私は変人の仏教詩人で万年筆ヲタクですよ。本当に常識は無いから世捨て人ですよ。昔は社会科や現代国語を塾で教えて居たがもう今は何も覚えていませんよ。だからもう子供も教えられないです。只の修行者ですよ、修行者。そして何より批判者。昔なら反社会的人間の烙印を押され矯正ー強制ー収容所送りですよ。このままでは間違いなく野垂れ死にですよ、野垂れ死に。ただし仏教のことなら少しは分かりますよ。
ー私は写経が好きで、お経の内容などの書かれた本を読むのも好きです。なので私も変人です。ー
あれ、そうか君も変人なのか。こうして良く見れば矢張り年寄りのようではあるが私よりは少し若い位なのかなあ。 さらに良く見れば顔貌も真面目そうで嫌いなタイプでは無いが、何より其の変人といふ言葉に激しく揺さぶられし我が胸中である。
ーネットで書かれて居るところを教えて下さい。一度視てみたいですから。ー
そんなもん、見せられるもんか!元より此のキ○ガ×自称詩人の云う事に真実などこもっては居ない。すべてが妄想である、幻想である、自己満足である、要するにタダの精神のマスターベーションである、然しながら、もし其処に一片の真実が宿って居るとするならば、其れはまさにこの美しい星地球への愛と諸のか弱き生命達への不変の愛、つまりは生命への全的な而して真心よりの愛の賛歌、其処に分け隔てなく与えられることだろう我が慈悲の思い、其れ等佛の慈悲と神の愛とに貫かれ倫理観と道徳観とまともな気候の復活をこそサア、今こそ目指して進むのだ。君には其れが出来るのか。本当の本当に其れに同意し行動を共にすることが出来るのか。しかも常に真面目にそして時には不真面目に。
ー … ー
其ノ二
このほど母が三日間程検査入院すること。
其ノ参
還暦間近のS先輩のアパート独居生活の話を聞くうち、次第に其れがきつそうに思われて来たこと。
さて、困った。実に困った。
果たしてオトコとしてまだ役に立つのだろうか、此の俺は?
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1756回) ..2014/09/17(水) 00:37 No.4851 |
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クローズアップ現代 拡がる少女売春〜JKビジネスの闇〜 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2014057722SC000/index.html
これを視る限りは世の中は確かに腐って来て居ります。
特に日本社会はこのような非公認での性風俗の風潮や飲酒などには寛容だから今後は余計にヤバいものがありますな。
ただし、私は公認された性風俗に対しては意外と寛容で、そうした業界でプロフェッショナルとして働いて居る女性をむしろ尊重して居る程です。
尚此の番組中で少女たちを買う男性側のセクシャリティの方をこそもっと大事にした方が良いと女性の評論家の方が述べて居られますが、そりゃちょっと無理な部分もはっきり言ってありますね。
つまり男の性と女の性は全く違うということです。
何故なら今余りにも多過ぎるのが教師が行う盗撮や買春などの犯罪ですが其れは何も教師に限らず男性なら普通に出来て仕舞うことなのです。
尤も倫理観とか道義心とかいうものを抜きにして考えればの話ではありますが。
こう言うと何を言って居るんだと思われるかもしれませんが、男性の性の本質論から云えばまずそうしたこととなるということなのです。
そんな娘位の少女が何故好きなのか、ロリコンなのか、そんな娘ほどの少女の裸を夢見て其れで何が幸せか、しかも教師ともあろうものが。
いや、教師にはロリコンがむしろ多いのですよ。
まあ多分私などもそうなのだろうが、それでも現実的には私には何故か年上のお婆さんばかりがくっついて来易いようです。
勿論其の欲望の部分を理性にて抑え込んで居る訳です。
或は道義上の観念や法的な抑止力で行動として出ないようにして居る訳です。
それでも男は本当は若い女の方により興味があるのだし風俗店にしたってお婆さんばかりが出て御座るような店には行きたくないのですよ。
其れは男性の本能として規定されて居る部分なのでどうしょうもないことです。
女性は愛という概念が大切なものであるとか、或は家庭が大事であるとか男性に対して常に女性中心での幻想を抱いて居ますが、そして特に近代以降は男性が其の夢に応える形で一夫一婦制でのあたたかな、そして穏やかなる家庭を築き良き夫と思われるよう常に努力を続けて来て居りますが実は其れも多分に幻想概念です。
第一猫のオスなんて家庭や子供が大事だなんて思って居る奴は一匹も居ないのですよ。
生殖行為を終えたら、すぐに逃げる。これこそが猫のオスの基本行動である。
其のように数々のメスに種をばらまいて良い子猫ちゃんが生まれる可能性を高めるのが猫のオスの基本行動です。
もっとも猿やゴリラの場合は異なるかとは思いますが元々動物のオスの下半身には愛だの家庭だのいった固定化された概念はなく、即ち流動的な種蒔き意識ばかりで其れは立派な肩書きを持つ人だとしても、本質的には変わることがないという話です。
其の男性の下半身の自由奔放振りを理性やら観念やらで雁字搦めにして抑えて居るのが現代人ということなのであり、然し其処まで抑えられて仕舞えばたとえ教師でも何やらムクムクと頭を擡げて来る悪い衝動には抗し切れないことだろう。
特に学校で抑えられ、おまけに家庭で抑えられで俺はもう我慢の限界に達して居るぞ。
するとあれ、あんなところにあんなに短いスカートをはいたJKー女子高校生ーが!
そんな訳で其の最後の衝動を抑えるのは並大抵のことでは御座いません。
然しながら其のような行為には愛の意味として規定されるような観念性は付与されて居ない訳です。
そうした肉体が生み出す快楽には基本的に観念的価値が付与されることはない。
観念的な価値が付与された愛はより純粋なものともなり得るがそうしたものは純化されまた昇華され尽くしてやがては神の愛と云うが如くに普遍性を帯びたものとなっていく。
其の意味では女性が望む幻想的な愛の形も一種の観念化された愛の形であると言えなくもない。
だから純粋だと言えば其れは純粋である。
然し、其れは男性の本能的な性の形態にとってはむしろ不自然なものともなり得、かつ枷のようなものともなり得るものだ。
其のように愛というものは一筋縄ではいかぬ難しい概念である。
ただ、愛は観念だけでは済まされない領域のことでもある。
何となれば愛には性の領域が含まれ、むしろ其の本能領域の発現無くしては愛としての前提の部分が成立しない。ー男女間の愛についてはー
即ち愛とは生であり同時に性である。
対して純粋化されし愛の領域は神の領分だが性はまさに此の世に存在化されし我々の領分でこそある。
尚仏教では観念化されることの無い愛については其れが即否定されることとなります。
性を否定する訳ですから、最終的には生までをも否定されるということとなる。
仏教は其のように性を否定し生を脱出していく為の教えなのですから、これはもう一種究極の宗教です。
あくまで此の世を楽しく、皆で仲良く明るく生きましょう、なんて教えでは全くないのです。
だから現代人にはもうほとんど理解出来ない教えです。
もっともそうであるからこそ、ダイジェスト版の現代の大衆にも分かり易い教えが成立して居て其れが大乗仏教だということとなる。
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| 投稿者: Sirius (永世名誉教授/1759回) ..2014/09/25(木) 13:59 No.4854 |
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地元のTV局が制作した古田 織部に関する番組を視た。
ここからも、文化力とは矢張り幻想である。
所詮は文化力も其の幻想の域を出ないものである。
何故ならそもそも文化とは余剰である。
科学的に記載される人間の生存の要件が充たされて初めて実現出来得るであろう何かだ。
第一こんな熾烈な競争原理の支配する時代に文化力なんてちゃんちゃらおかしい。
世界にはまさに食うや食わずで人生と格闘して居る人々が大勢居るというのに其の余剰の部分への物的または精神的な投資を考えることは逆に無粋といえようものだ。
ひょっとすると、文化なんて要らないものなのではなかろうか?
とすれば、私はもう詩人でも何でもなくタダの仏教庶民なのである。
然し評論家の山田 五郎氏は番組中であの過酷な戦国時代に於いてこそ織部好みと屡語られるような所謂へうげものの文化が生じたのだろうと語られて居た。
即ち文化とはひとつの精神性でもあり得る訳だ。
人はパンのみにて生くるにあらず、とは屡語られて居る言葉ながらまさにそうしたことなのであろう。
人間は精神性のようなものを常に欲しつつ歩んでいくものだ。
戦功やら成功やらそんなものばかりを追い求めて生きて居るだけのものではないのである。
然し其の精神性はたとえば宗教の方で充分間に合うものなのではなかろうか?
宗教があれば藝術は不要なのではなかろうか。
然し其れはどうも質が違うように思われるのである。
宗教に於ける精神性の規定は創造ではなく維持の為に為されることだ。
其の維持とは制度及び人間の維持である。
他方で藝術に於ける精神性とは創造的領域への精神の解放のことだ。
其のようにベクトルが異なるので元来別物である。
然し共に同じくして精神を対象とする格闘であり進化でもある。
ただし、文化には作為性が常に問題として含まれて居る。
例えば織部焼を作る時に陶工はわざと陶器を曲げたりしていびつな形に作る。
釉薬などもわざとかけ外したりして其処に偶然の景色を盛り込んだりもする。
然し其の作為とはやり過ぎるとむしろいやらしくさえ感じられるものとなる。
いざそうなると形式の世界に捉われた大量生産の普通の茶碗の方が美しくさえも見えて来るものだ。
其のようにへうげることとは実はある種の危険性を孕んで居ることでもある。
たとえば私は自らの感性に基づいてたまには詩なども書きそしてこれまで様々な文物、藝術の世界にも接して来たのだったが、そして常識外れのことばかりを述べ時には社会の秩序を乱すようなことさえ述べることさえもあったが其の事により私が本質的に癒されていたという訳ではないのだ。
藝術に於ける作為は、そしてへうげ者として世を紗に眺め精神的悦楽の世界に浸り切ることは、本当の本当はそうした一種虚しいものさえをも含んで居るものでもある。
かって太宰 治が藝術とは豚の鼻です、と作品の中に書いていたがこれがまさしくそうしたことなのであろう。
藝術とはあくまで豚の鼻のことであるに過ぎず、其れ自体が香り高いものなのではなくまた特別なものだという訳ではないのである。
ただ其処には何かを感じ取る能力があり、しかも世の諸の香って居ることが良く分かるから媒介者として其の香りを移して何かを常に生み出し続けてい くばかりなのである。
だから其のようにいつまでも人間の余剰の価値の為にヒーコラして作品を生み出しつつ所謂へうげ者を続けていくばかりなのである。
そして其れが万人に受け入れられるものであるか否かということとはほとんど関係のないことなのである。
藝術家とはまず其のように余剰の卑しいことを行うべき存在である。
ただし豚の鼻に成りきらなければ世の諸の芳香を嗅ぐことは出来ない。
優れた宗教家でも学者でも、また他の何であれ豚の鼻が備わって居なければ風流、粋狂の類を解することは出来ない。
太宰 治はその後を続けて、豚の鼻は花の香りを知って居ます、とも述べて居る。
ゆえに其の部分にこそ藝術の香り高さが存して居るのである。
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