折々の折り
2005年12月12日に・・
『千一夜』の連続更新を成就して休筆
あれから2年半・・無休は無理でも
また再開をと思い始めた
少しづつ・・ゆっくりと・・

2008年8月31日「日}
今日が再スタート!!
2004年 4月
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 2004. 4. 17. Sat
  Boss died
私が初めてボスに会ったのは、大学4年の終わり頃だった。 
民放テレビの役員をしていた叔父に紹介されて、ボスの会社に出かけたときである。 
冬の寒い朝だった。約束の時間に着いたが、しばらく待たされた。 
 
小さな会社で、特別に社長室などというものもなく、事務室の一角にあったダルマスト−ブのそばに座って待った。 
そのダルマスト−ブの上には大きなフィルム缶が乗せてあって、湯がたぎっていた。 
そのフィルム缶が赤錆びていたのを思い出す 
 
「まだ出来たばっかりの会社だが、ともかく活気があるんだ。どうだ?行ってみるか?」 
叔父はそう言って私に薦めた会社だった。 
できたばっかりらしい雑然とした雰囲気も、そこに居合わせた社員たちがみんな若そうで、いかにも活気に溢れているというのも直ぐに理解できた。 
 
ついこの間まで、学生なのに正社員で働いていた会社は銀座にあって、ここよりは遥かにあかぬけていたが、どうしてもテレビの世界に行きたくて、叔父に話したのがきっかけだった。 
 
「ゴメン!ゴメン!、待たせたね。実はさ、ついこの間買ったばかりの中古のタウナスが途中でエンコしやがって、そんなわけで遅れちゃったんだ。悪かったな!」。 
オ−プンシャツにこげ茶のコ−デュロイのジャケットというラフな格好で現れたボスは、そう言って目の前に現れた。 
 
これも面接と言えば言えるが、殆どもっともらしい話もせず、 
「じゃ、4月から来いよ! 細かいことはそれからでいいだろ?」 
あっけないほど簡単に、創業以来通算21番めの社員ということになった。 
1966年の春、ボス37歳、私23歳の年であった。 
 
そのボスが、今年の2月17日に亡くなっていることが判った。 
この数年、病いに倒れ療養していることもわかっていたから気にしていたのだが、遺言で納骨まで知らせるなの旨が遺族からの通知に書いてあった。 
 
この会社に在籍した時間はそうは長くない。 
時代のせいもあったが、ともかく忙しい会社で、ろくすっぽ寝る暇もないままに機上で倒れた私は、アラスカで入院する羽目になったりしたが、それもリタイアを早めた。 
退社の日、記念品の裏にナイフで「バカヤロ−」と彫ったあの夜のボスを、私は忘れることはできない。 
 
そう大勢ではなかったが、月に一度全社員が集まって開く社員会議というのがあった。 
あるとき、大きな機構改革を断行しようとするボスに執拗にくってかかったのが発端だった。 
全社員が黙って聞いてる中で、30分もの間ボスとやりあった。 
 
その日までのシステムでやっと成果が見えてきたと感じていた私は、足下をすくわれるような機構改革であったから、若気ではあったが引くことはできなかった。 
 
「今までの何が悪くて、変えれば何が良くなるんですか?」 
きっとボスにはボスの成算もあったに違いない。まして、全社員の前では言えないこともあったかもしれない。 
後に自分が似た立場になった時には、そうしたことも理解できるようになったのだが、その時には思いが及ばなかった。 
 
「この会社をどう動かしてゆくも、それはボスの専括事項ですが、しかし、それについて行くか行かないかは社員に固有の権利です・・・・」。 
自分で言ったこの台詞もまた、忘れることのできない言葉である。 
 
こうして会社を去る日がきてしまったのだが、それまでにボスから受けた薫陶は、私の生涯を支配している。 
後に病院の事務長として働いていた時代、職員の労務に関する殆どのことはボスから学んだことだった。 
 
「なぁ、ひとつの星がさ、ピカッと光るとするだろ、そうするとさ、その周りにいる幾つかの星はさ、見えなくなっちゃうってことがあるんだ。 
星はみんな光るべきだ。だけどな、光るってのも難しいことだな・・・・」。 
 
仕事で泊り合わせた旅館で布団を並べて寝た夜、それまでの議論をやめて、ふとつぶやくように言って、ボスは寝息をたてたことがあった。 
その夜、私はしばらく眠ることを忘れた。ボスの言いたいことがよくわかったからだった。 
 
この先、私が新しいボスに仕えることもあるまい。 
そうしてみると、私の生涯で心底ボスと言えるのは彼ひとりである。 
 
「おい!俺のホッペを触ってみろ!アラスカってのは寒いとこだな・・」。 
アンカレッジの病院に入院してしまった私を、いきなり病室に駆けつけたボスはそう言った。 
初めて会った日と同じように、コ−デュロイのジャケットだったが、タ−トルネックのセ−タ−から覗く頬は氷のように硬く冷たかった。 
窓から見える空がどんなに青くても、アラスカの2月は極寒の地だと思い知らされた。 
 
「おとなしく待ってろ、ちょっとお前の代わりにパリまで行ってくるが、帰りは一緒に帰ろう」。 
あの声を覚えているが、もう聞くこともない。 
死に目に会えることもなかった。今度はほんとに頬を冷たくしたまま旅立ったのだろうか。 
それもボスの好きなパリではない。一体どこなのだろうか。 
  

心の通い合ったボスとの関係だったのですね。
前にアラスカで入院した時の事、確か「おとなしく待ってろ、ちょっとお前の代わりにパリまで行ってくるが、帰りは一緒に帰ろう」ということが書かれていたと思います。
それを読んだ時、なんと恵まれた心が温かい人の下で働いているんだろうな・・・ということは、てつさんもそれに値する人材なんだなぁ・・・と
ボスさんのご冥福をお祈りします。
myukuro ..4/18 11:55(Sun)

>「なぁ、ひとつの星がさ、ピカッと光るとするだろ、そうするとさ、その周りにいる幾つかの星はさ、見えなくなっちゃうってことがあるんだ。 
星はみんな光るべきだ。だけどな、光るってのも難しいことだな・・・・」。

この言葉はボスから日の出の勢いだった〔 てつさん〕への忠告だったのでしょうか?
人柄の良さが伝わって来ます。
ボスとの出会いに依り目の見えない大きな財産を得る事が出来て良かったですね。
例えこの世から姿を消しても多くの人達の心の中にしっかり生きている・・・ボスの人生は素晴らしかったと思います。 
M・K ..4/18 12:31(Sun)

自分にとって大切な誰か・・というのはその人と過ごした時間の長さや量では決めることができない ずーっと会うことがなくても心にずっと生きている・・そういうものなのかもしれないな そういう人に出会えたことはすごく幸せなことですね 納骨するまで知らせるな・・なんてかっこいいな ご冥福をお祈りします
sanae ..4/18 21:08(Sun)

そうやったん・・・
最後まで“ボス”らしいねえ・・・
悲しいねえ・・
大事な人との別れは。
ご冥福をお祈り致します。
ひむ ..4/18 23:55(Sun)

みんな!カキコありがとう!

わかってはいたことだけど、書き終えてからのほうがしみじみと惜別の思いがこみ上げてきます。
ボスは彼ひとりでいい・・それが実感です

MKさん!
まさに、ボスはさりげなく私を戒めたのです。
同時に、ボス自身、どうやって社員を光らせるか苦労していたことでもあります
その苦労は沢山見ていましたからね。

私とボスの関係で言えば、退社する必要などありませんでした。好きでしたから・・。
だけど、私の後ろにいる私のスタッフを思うと、そうせざるを得ないことだったのです。

私はボスの苦労を・・・
ボスは私の後ろにいるスタッフを・・
どちらもその立場がわかっていながら、不本意な方向へ動くしかないことがあるってことを、学んだのです。

そういうことが起きないように考える、別れて後の私を支配したのはその学習だったような気がしています。

退社してからの時間は、一緒だった時間より遥かに長かったのですが、ずっとボスでした・・笑。





無給の管理人 ..4/19 11:32(Mon)

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