++現場日誌++

2017. 10. 15. Sun 擁壁デッキ。
2017. 10. 14. Sat 浦島太郎かリップ・バン・ウィンクルか?
2017. 10. 13. Fri 小さい秋、見つけた。
2017. 10. 12. Thu 思い出し方言。
2017年 10月
SunMonTueWedThu FriSat
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
- - - -

 

 
  2017. 10. 15. Sun
      擁壁デッキ。
  
某メーカーの下で、工事。知らぬ間に長いおつきあいになっている。 
 
営業力はないけれど、工事力はある、(かも)と認めて頂けいるようで幸いである。 
 
基本的な考えは、一貫させているが、いい事も悪いこともはっきり伝えること。ということである。 
 
今回、M君が某メ−カーさんと打ち合わせ、早朝の現場社員の打ち合わせで事後報告を受けている。 
 
現場で工事をしている社員が、現場に入ったら、時間の無駄なく、しっかり見ながら、メーカーさんと打ち合わせできるので、正確だと思ってやってきている。 
自分で図面を書き、湖西市の工場で、何度も手伝ってるので、材寸もわかる。 
見積りもする。 
という全編を知ってるし、一緒に入った社員も経験年数違うと言え、そのような、 
仕組みの中でいるので、理解している。 
 
全部教えるべきと、やりはじめて20年。現場仕事は自分で練ってきたものが有るだろうが、それに、木材の知識等を注入。 
 
少しづつ前進してきたんだとおもった。 
 
この擁壁デッキは長い。・・・手が合わないと、スムーズにいかないとこなのだ。 
  

 

 
  2017. 10. 14. Sat
      浦島太郎かリップ・バン・ウィンクルか?
  
新潟で長い間勤務していた、運動部同期が本来の出身地、東京の本郷に戻ってくる。 
戻って、後輩を教えてみたい。という話で、ボクシング部に練習を見に行きたいという。 
近年、弱体化してきたようなので、同期と会うことにして、夕方行ってみた。 
 
高田馬場にある母校だが、学校よりもその周辺の学生街のほうが在学中思い入れが多く、同期と会うのにちょっと時間があるので、じっくり見られた。 
 
当たり前のことだけれど、変貌が凄くて学生時代の思い出のよすが、も微量。 
 
人間臭い、大学城下町が変貌遂げていた。途中、何度かは来ているのだが、はっきりした目的で来た事があるというわけだから、(しみじみと感慨にふける)といったところはなかった。 
 
構内を歩くと、”あれ?構内の街路樹が暗いなあ”と気がついたが、そりゃあそのはず。 
後者が高層ビル化してたということだ。 
 
あんまり勉強した覚えはないけれど、主に受けていた授業は、この3号館(右写真)の建物はなじみがあったが。 
 
昔の面影を残しつつ、それに付着するように、(木に別種の木が寄生して伸びていくような雰囲気で高層ビル校舎が・・・) 
 
人間・ヒトっていうのは、容器によって変わりうるものだからと思ってるのだが。 
理由はあるのだろうが、あまり好きな風景ではない。 
 
学生街といっても、流石に老舗は高度化したビルで残ってはいるが、こじゃれて、残っているだけのように思った。 
 
学生が、昔、講義で予言した先生のいうとおり、”アトマナイズ(原子化)”していっているようで、群れて居酒屋にも寄らないようで、その種の店も減った。 
 
街を歩くことによって、以前を知ってることによって、より時代の変位を知る。という具合だ。
  

 

 
  2017. 10. 13. Fri
      小さい秋、見つけた。
  
夏の名残りが、近日まで続いていたが、自然は、大きなずれのないまま秋に、底流は変動している。 
 
基礎から木材の準備で、日にちを空け昨日から建て方。 
 
擁壁デッキの桁を透すのに、丸一日かかった。その構造材の柿の木に、柿がなっている。 
季節の中央部の時は、あまり考えないが、物事の変動時期にいると、日々刻々と変わりうる。 
 
この季節の代わりの中で、今時分が一番過ごしやすい時期だが。 
世の中、意外とおもうが、却って酷暑、厳寒での工事のほうが進むことって有る。 
 
  

 

 
  2017. 10. 12. Thu
      思い出し方言。
  
ちょっと前に、なんかの拍子に(ちんぷりをかく)という表現が浮かんだ。 
なんで浮かんだのか?覚えちゃいないが。 
 
遠い昔、遠州(静岡県西部)で使ってた言葉だったっけ?と思いだして、確認するよすがとして、ネットで検索したら、 
標準語での意味合いが書いてあって、やっぱり喜怒哀楽の怒に関わる言葉で、そう、しょっちゅうも使っちゃいないが、でも年に数回は使ってた言葉であることを思い出した。 
 
女優長澤まさみが、以前インタビューの時に使って、この言葉が清純派イメージの女優の口から出てきて、(これ、語感的にいやらしい言葉・・・)との 
想像を生んだらしいというエピソードまで書いてあった。 
 
長澤まさみのお父さんは、サッカーのジュピロ磐田の監督も務め、その頃長澤まさみも磐田市にいたので、使ったのだろうと憶測できる。 
 
標準語でない方言(アクセントは別として)ってーのは、大抵生活に密着していて、翻訳可能だが、使う条件感覚と言うのが有ったように思う。 
 
生活の中から出てきた言葉という気がしている。 
 
(ちんぷりをかく)・・・激怒状態では使わなかったような・・、プンプン怒ってる。 
へそ曲げて怒ってるような小さい怒りという感覚。 
 
上級生にひっぱたかれたなんてのは、もはや(ちんぷりかいて)とは使わないと思った。 
 
地方出身の方は、方言を使う時、この強度の場合、こんな方言使う、と分別して使う方言の存在の認識があるだろう。 
(生活の中で生まれてきた、あるいは口伝でつながってきた言葉)だからなのかな。 
 
標準語社会になれたけれど、方言は今でも、土臭くて、人間臭い気がする。 
 
だから石川啄木の短歌の 
 
”ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく”が成立したのだろうか? 
 
(ちんぷりかく)考が、長くなった。
  


<< 新しい日記へ    過去の日記へ >>



| 携帯用 | | RSS | | 検索 | | Home |

++ Powered By 21style ++